ニアミスの裏側
優が南美を連れて学校の裏庭からテレポートしたことを確認して一平が振り返ると、つい今しがたまでうずくまっていた男が起き上がっていた。
さっき優から引き剥がして蹴り飛ばした時に結構強烈にキメたと思っていたのに、細っちいのに案外タフなものだとちょっと感心する。
「まあいいや。あんたにゃ聞きたいことが色々とあるんだ。一緒に来てもらおうか」
言いながら重心を落とし軽く膝を曲げ、いつでも動けるよう体勢を整える。男は一平のその様子を見てもひるむ様子はない。
「俺は警告したはずだが? 無事に明日を迎えたいならP7と関わるなと」
「ああ、言ってたなそんなこと。だけど俺はあんたに負ける気はしないね」
「へえ、馬鹿なのか。さっきのを見ててまだ理解できていないとはなぁ。おまえは俺には勝てない。おまえみたいな旧人類にはなあ!」
男が叫ぶと同時にその場からかき消える。テレポートだ。
消えたのを見た瞬間一平はザッと身をかがめる。そのまま左足に体重をかけ、背後に向かって勢いよく右足を振りぬく。
「うおっ!」
手応えがあった。背後にテレポートアウトした男は現れた途端に足払いをかけられて転倒した。目の前から相手が消えたなら、出現するときは敵の背後を取るだろうという一平の読みはぴたりと嵌ったようだ。
そのまま倒れた男をPKで押さえつける。
「旧人類とかアニメの見過ぎだぜ、あんた。こんなの俺にだってできる」
「おっ、おまえ、まさか――」
「あいにくだがあんたの仲間じゃないことは確かだな。言うなれば野良エスパーってとこか」
「なんだと!」
男の顔が驚愕で埋め尽くされる。が、一平がかけている圧力のせいで腕も首も上がらないようだ。
「さて、色々と話してもらおっか――あれ?」
だが男はすぐにPKの呪縛からあっさり逃れ、立ち上がった。
「俺たちには関わりのない、生まれつきの能力者がいたとはな。だけどなぁ、超能力者である限りバリアシステムの呪縛からは逃れられないんだよぉっ!」
男が真正面から猛烈に突進してくる。とっさにPKを解き一平は身をかわすが、その瞬間またしても男の姿が消える。今度は後ろではなく真正面、一平の目と鼻の先に現れる。かわす間もなく腹部に男の拳骨がめり込んだ。
「ぐっ……!」
「ほぅら見ろ。この俺をなめやがって、いい気味だ――そうだちょうどいい、おまえを連れて本部に戻ったらいい手土産になりそうじゃないか。P7をおびき出すのにも使えそうだ」
男がうずくまった一平を蹴りつけようと勢いよく右足を後ろに振り上げた。
ガッ!
「うわっ!」
だが男の足は一平には届かない。その前に一平が男の足を掴み、そのまま押し上げたのだ。脚に力を入れていた男は押されるままにひっくり返り、悲鳴を上げて腰から地面に叩きつけられた。
「へえ、馬鹿なのか。超能力使えないならあとはフィジカルな能力差が物を言うってわからないのかなぁ」
一平が男のさっきの科白を真似して言った。実はさっきからずっと男の態度にカチンと来ていたのだ。確かにこの男は訓練を受けた動きをしている。だが空手有段者の一平の敵ではない。
ひっくり返った男の前で一平はひょいと立ち上がり、すかさず男の両手を踏みつけ身動き取れなくする。
今度は男があからさまにうろたえる。
「お、おまえ、あのパンチが効いてたんじゃ」
「やだなあ、あの程度じゃ効かない効かない。ちゃんと鍛えてるからな、殴った手のほうが痛かっただろ」
言いながらしゃがんで男の左手にはまっていた大ぶりの指輪を抜き取った。
「面倒な真似するよな。その指輪がバリアシステムのスイッチか? 自分がテレポートするときはこまめにスイッチ切ってただろ。そうじゃないと自分もバリアシステムの効果を受けるもんな。これは没収」
「か、返せっ」
「優ちゃん待たせてんだよ。さっさとかたをつけさせてもらう」
拳一閃。みぞおちに重い一撃を食らった男はがくりと意識を手放した。一平は男を担ぎ上げ、騒ぎになる前にテレポートしてその場を後にする。
誰もいなくなった裏庭に、真っ青なアジサイが重たそうにその花房を垂れていた。
「ごめん、黙ってて。どうしても言えなかったの――気味、悪いよね。すぐ南美の家まで送って――」
すぐに聞こえてきたのは優の声だった。
一平がテレポートした先はさっきのマンションの屋上だ。耳を澄ますと優の声は塔屋の向こう側から聞こえる。どうやら塔屋を挟んで反対側に出現したらしい。
少し風が出て涼しくなった屋上を優の声がする方へ回り込み様子をうかがう――と。
おびえたような顔つきの南美と、後ろ向きで表情はわからないがどこか硬い空気をまとった優が向かい合っていた。
「優ちゃん」
声をかけると振り返った優は本当に硬い顔をしていた。感情を押し込めようとしているような、辛いものをひた隠しにしているような。
ここに来て一平は自分の失敗を悟った。良かれと思ってしたことがかえって優に辛い思いをさせる結果になっている。ただこっそりアジサイを見に行く。それだけだったはずなのに、彼女の笑顔を見ていたらもう少しだけ喜んでほしいともう一歩、もう一歩と深入りしすぎてしまったのだ。
優が南美を送っていき、気絶したままの男と二人取り残された一平は大きなため息をついた。自身の強さに驕っていたのかもしれない。
「あーっ! ったく」
両手で頭をガシャガシャと引っ掻いた。
蘇芳に連絡するとすぐに男を連れてきてほしいということだったので、優と男を連れて蘇芳のオフィスにテレポートした。オフィスには蘇芳と番匠が待っていた。
蘇芳のオフィス、つまりは昴グループの会長室だ。十畳ほどの部屋には重厚で年季の入った木のデスクとソファセットがしつらえてあり、落ち着いた雰囲気だが高級感漂う部屋だ。
デスクの向こうに座っていた蘇芳が立ち上がって近づいてきた。
「一平、そいつが?」
「うん、悪いな仕事中に厄介事持ち込んで」
「いや、むしろこちらにとっても収穫だよ」
二人が話している間に番匠が気を失ったままの男に目隠しをしてロープで縛りあげた。男は全く目を覚ます気配がない。
それから腰につけていたポーチに気づいてそれを取り上げ蘇芳に手渡した。
「これが例の装置だな」
「バリアシステムってやつか。なに、今回は遠隔操作でオンオフしてた? どんどん進化してるなあ、すごいなあ」
「感心してる場合じゃないよ、蘇芳」
どこか天然っぽい蘇芳の発言に優がキョトンとしている。まあこれも蘇芳の一面ではあるけれど、その正体は冷静沈着な辣腕経営者なんだからなあ、と一平は遠い目をしたくなった。そして追い打ちをかけるように蘇芳が言葉を続ける。
「それじゃこの人は預かった。何かわかったら夜にでも話すよ――詳細はその時聞かせてもらおうか」
蘇芳の笑顔がちょっと怖い。そうだよな、そうなるよなあと一平は今度こそ遠い目をした。なぜ優と一平が家の外で襲われたのか、そこについては申し開きはできないのだから。
優を連れて戻ったのは古川家の庭、あのアジサイの前だ。基本的に一平はテレポートして帰ってくるときは庭か自室に出現することにしている。他の人とぶつからないように――厳密に言えば下手な場所にテレポートアウトして、そこに物や人がいた場合「ぶつかる」では済まない大事故になるのだが――という配慮だ。
「着いたよ、優ちゃん」
優はあれから黙ったままだ。一平はどう声をかけていいのかわからなかった。うつむいたまま「部屋、戻るね」とだけ言ってリビングへと通じるテラスへ歩き出した。テラスから室内に入る時、足を止めて小さく「ありがとう」と言葉を残し、室内へと消えていく。
優が入っていった扉を眺めながら、一平はしばらくそのままそこで佇んでいた。まだ遅い午後の光は残っていて、けれどもうすぐ宵闇が迫ってくる、そんな空の色をぼんやり見つめていたが、やがて一平もゆっくりとテラスに向けて歩きだした。
それでも家の中に入る気になれず、テラスから庭に降りる三段ほどの階段に腰を下ろしてまた空を見上げた。
雲の縁が明るく輝いている。
やがて一平は視線を落とし、もう一度大きくため息をついた。
「何やってんだろ、俺」
ぽつりとつぶやいた時だった。何かが勢いよく一平の頭をバン、とひっぱたいた。
「あんた、何やってんのよ!」
「ああ――夏世」
「ああ夏世、じゃないわよ!」
襲撃犯は夏世だ。手に持っている雑誌、それも記事より広告が多そうな海外のファッション雑誌がどうやら凶器らしい。どうも最近はみんな気軽に自分の頭をはたいて困る。
「優ちゃんに何したの!」
「何したなんて、人聞きの悪い」
「あんな顔してたんだもん、何かあったに決まってるじゃない。あんた今まで一緒にいたんでしょう? 何があったかキリキリしゃべりなさい」
「あんな顔、って、優ちゃん――泣いてた?」
「泣いてはいなかったと思うけど、そうね、決壊寸前って感じかしら」
「――」
だよなあ、とうなだれ一平は今日の出来事を話し始めた。
ぽつりぽつり話すうちに夏世の眉間にシワが刻まれていくのがわかる。そしてあらかた話し終わった直後、夏世の怒鳴り声が襲いかかってきた。
「こ~の~、ばかったれ!」
再度雑誌で後頭部をはたかれる。
「何だって、そんな考えなしなことしたわけ!」
「――見てられなかったんだよ」
後頭部をさすりながら少しだけ家の中を振り返る。開けっ放しになったテラスのドアからふわふわとレースのカーテンが揺れているのが見える。でもその中は見えない。
「すごく、すごく苦しいことを心の中にためこんでて、だから自分でもわからないうちに涙が出ちゃったりするんだよ――わかるんだ、そういう気持ち。そんなふうに泣いてるの見てられなくて、何かしてあげたかったんだ」
絞り出すように語る言葉はだんだん声のトーンが落ちてくる。
「でも、結局俺が泣かせちゃった」
夏世は持っていた雑誌を下に下ろした。
「今度は――ちゃんと、あやまれるかな」
「一平、あんた」
「わかってるよ、彼女は環じゃない。でも、さ」
「そっか。優ちゃん、環ちゃんと同い年なんだ」
「うん。俺、きっと二人を重ねて考えてたんだよな。だから、あんなにあわてて何とかしてやりたいなんて」
一平はもう一度、大きく息を吐いた。それから思い切ったように座り込んでいたテラスの段から立ち上がった。
「俺、優ちゃんに今日のこと謝ってくる」
けれど夏世がそれを押し留める。
「もうちょっと一人にしといてあげなよ」
そういって、夏世も今まで一平が座っていたテラスの端に腰を下ろした。一平は少し考えた風だったがやがて夏世の隣に腰を下ろした。二人で何となく空を見上げる。
「昼が長くなったね」
「うん」
時計はもう六時半を過ぎている。暗くなり始めた空に、飛行機のライトが点滅しながら静かに流れていった。




