第六話 いにしえの歌
「何故、平和的な方法で国を取り戻す道を選ばなかった? 他国の人間を傷つけ、そうして手に入れた国に住んで何の遺恨も無いのか? それでは、イングランドがアイルランドに対してやったことと同じだ」
椅子に拘束されたまま、俺は見下ろしてくるメイヴに向かって主張する。
メイヴもまた、苛立たしさを隠さずに声を上げてきた。
「平和な国に生まれた日本人に、アイルランドの何が分かる? もしアンタがエールに生まれていたら、きっと同じことを思ったさ! 英国人に生まれたかったか、さもなくば死んだ方がマシだってね!」
豊かな赤い髪を振り動かして、全身で怒りを表現してくるメイヴ。
俺の方は、あくまで冷静に話を進める。
「アイルランドの歴史に不勉強なのは、申し訳ない。だが、日本の歴史なら俺も知っている。日本は戦後、アメリカに沖縄を占領されていた。その沖縄は今日、アメリカとの平和的な話し合いを経て日本に返還されたんだ」
「私たちが相手をしているのは、連合王国だ! フォークランドの例を見ても、信用ならない!」
俺の言葉に対し、メイヴは食い気味に応酬してくる。
俺の方も、反論のタネは尽きていない。
「連合王国か……香港は、中国に返還すると言っているぞ?」
「香港は租借地だろう? 中国が、一時的に貸していただけだ。エールとは違う」
「待て、それは正確じゃない。アンタの言う租借地とは、新界のことだ」
香港島はアヘン戦争以後、南京条約によってイギリスの領土となった。
その後、香港島の安全保障のために深センより南の新界が、九十九ヶ年という期限で中国からイギリスに貸し出された。
「連合王国は、租借から九十九年後の一九九七年における新界返還に合わせて、自国の領土である香港島も中国に返すと発表したんだ。中国との会話を通じてな。アイルランドも、同じことをすればいい」
「ッ……」
何かを言いかけた後、メイヴは言葉をつまらせてノドの奥で唸った。
俺は続けて、自分の考えを口にしていく。
「日本は今も、北方領土をソ連に不当に占拠されている。だが、冷戦も間もなく終わる。それを機に、日本は北方領土の返還を急がせるつもりだ。アイルランドがそれに同調し、アイルランド島の統一交渉を進めてくれれば、世界的に領土問題の解決に踏み切ることが出来る。そうは思わないか?」
「…………」
その瞳は逸らすことなく俺に視線を注ぎ続けているが、メイヴの口は完全に閉ざされた。
そいつが再び開かれるスキを与えず、俺はメイヴに訴えかける。
「連合王国には、話し合いは通じないと言ったな? だがアンタだって、初めは武力に頼ろうとはしていなかった。無実の罪で投獄された人たちを救うための、平和的な活動をしていたはずだ。それを投げ出して武器を取った時点で、アンタの戦いは負けている。連合王国がどんな手を用いようとも、自分の信念を曲げずに戦い続ける道だけが、勝利に繋がるんだ」
「けど、今さらッ……」
今さら、戻れない――そんな悲痛な思いが、メイヴの表情や声色から伝わってくる。
きっかけは不本意なことだったとは言え、メイヴも既に爆弾闘争に手を染めているテロリストの一員。
そこまで踏み込んでしまった以上、他に取るべき手段など無いと言いたげだ。
「メイヴ……アンタが背負っている、その旗の意味……俺なんかより、よっぽど分かっているはずじゃないのか?」
促されて、ゆっくりと後ろを振り向くメイヴ。
壁に貼られた緑・白・オレンジの三色旗――アイルランド共和国の国旗を二人で見つめる。
――アイルランド島は、その全面に生い茂るシャムロック(アイルランドの国花とされる三つ葉の植物)から“エメラルドグリーンの島”と称されている。そのアイルランド島、土着の人々を表す“緑”――。
――かつてイギリスから渡ってきたプロテスタントの支配者・オレンジ公爵。また、その名にちなんでプロテスタントの権益を守るために結成された、秘密結社オレンジ党。それらからイギリス系の人々を示す“オレンジ”――。
「そして……その両者の和解と共存――アイルランドの平和を意味する“白”」
アイルランドとイギリスは、互いに手を取り合って生きていける友人となり得る。
その上で、北アイルランドの行く末も平和的な解決を求めればいい。
俺が言いたいことは、果たして伝わったであろうか。
「……時間のムダだね。エールと連合王国の問題について、日本人と話したってさ」
パスポートをバッグの上に放ると、メイヴは俺の方へと寄ってきた。
俺の正面に立ったメイヴは、そのまま俺の頭越しに背もたれの方へと手を伸ばす。
目の前でGカップのおっぱいが、ゆっさゆっさと揺れている。そのド迫力に息を飲んでいる間に、メイヴは俺の両手を拘束していたロープを外し終えたみたいだ。
(本当は、自力で抜け出すことも出来たんだがな……)
メイヴが俺から離れたところで、両足のロープは自分で解く。
そこへ、メイヴが俺のバッグを投げて寄こしてきた。
念のために中身を確認するが、そんなことは無用だとばかりにメイヴは部屋のドアを開けて出て行ってしまう。
(無くなっているものは……無いな)
荷物の無事を確認し終えて、メイヴが開け放ったままのドアから外へと出る。
思った通り地下室だったようで、ドアの先の壁にはハシゴが掛けられていた。そいつを上った先には、もう一つのドアが。
(ここは……俺が入ったパブだったのか)
ドアの向こうに広がる光景は、俺がメイヴに眠り薬入りカクテルを飲まされた場所そのものだった。
確かに、人ひとりを街中から連れ出すのは大変だ。捕まえた建物の地下にでも閉じ込めておく方が、理にかなっている。
外の様子は分からないが、店の中にはまだ大勢の客が残っていた。
その客の輪の中で、長身のメイヴが佇み衆目を集めている。
(これは……ゲール語?)
人々に囲まれた状態で、メイヴが歌い出す。
清流のように透き通った、聴く者の心を和ませる歌声が店の中に響いていく。
歌詞の内容は分からない。メイヴが口ずさんでいるのは、英語ではなく恐らくゲール語――八〇〇年の支配の中で忘れ去られていった、アイルランドの言葉だ。
(あぁ、話には聞いていたな……これがアイルランドの伝統音楽、シャン・ノースか)
無伴奏の独唱で、その歌詞はゲール語であること。それ以外に、歌詞やリズムに決まりは無い。
メイヴが歌い上げるシャン・ノースの響きは、この場にいるアイルランド系住民たちの胸にどんな感情を抱かせるのだろうか。
話好きのアイリッシュたちが、皆一様に口を閉じてメイヴの歌に聴き入っている。
迫害と弾圧の歴史……そこから生み出された怒りや悲しみ……少なくとも、俺の胸にはそういった激しい感情は伝わってこない。
(土の匂いと……柔らかな温もり……メイヴを最初に見た時に抱いた感想と、同じだ……)
それこそが、ケルトの血を受け継ぐメイヴの――アイリッシュの本質。
その人の手に武器を持たせるような奴は……俺が赦さない。




