99話 鹿肉
「はぁ……はぁ……」
急勾配の山道を俺は登っていた。殆んど舗装もされとらん獣道に近かったが一応歩けるから幾人かが通っとるんやろう。
俺はお香をおんぶして玄蔵の後に続いてその登りの山道を歩いていた。
しかし……お香を背負い飯田の重い槍を手にしながら山を登るのはかなりキツかった。
まだ根はあげんが相当なキツさはあった。
しかも玄蔵の歩く速度がかなり速いから尚更にキツい。
既に夕暮れで辺りはそろそろ薄暗くなってきとった。
玄蔵は足早に山道を登ってゆく。
俺におんぶされたお香は何も言わずにおる。多分寝とるんやろう。
……無事、尾張の国に辿り着けるんやろうか……
疲労はかなりあるがまだ余裕もあった。しかし二日眠らずに延々歩くと言うとなると不安感が広がる。
せめて少しぐらいは寝させてくれ……
そう思った時やった。
突然前を歩いとった玄蔵が鞘から刀を抜き、駆け出していった。
「え?」
俺は駆け出す玄蔵の背を見詰めた。
この山道を走っていくなんて無理やぞ俺。
そう思っとると駆けた玄蔵が正宗ではない自身の刀を構えて何者かと対峙しとった。
山賊か何かが襲ってきよったんか?そう思いながら玄蔵に近付くと玄蔵が右手で俺を制した。
近寄ってくんな、と言う意味や。
玄蔵が対峙しとる者は……
鹿やった。
鹿に向けて刀を構えとる。
『何をする気や』
そう思った直後、玄蔵が鹿に向けて刀を振るった。
鹿は一目散に逃げようとしたが、玄蔵の一太刀で鹿の後ろ足が斬られた。
鹿はその場に転倒するがすぐに立ち上がり逃げ出そうとした。
玄蔵は更に鹿の足を斬りつけた。鹿が再びその場に転倒をする。
すると玄蔵は鹿の心臓目掛けて刀を突き刺した。
刺された鹿は痙攣を起こしとる。
「…………」
お香を背負った俺は茫然としてその光景を見ていた。
鹿はやがてピクリとも動かなくなった。
「しばらく休む、座っとれ」
玄蔵が俺らにそう言うと刀を振り上げて動かなくなった鹿の首を跳ねた。そして鹿の体を掴み持ち上げとる。
えらい怪力やな……俺はお香を背負ったままその様子を見ていた。
玄蔵は首の跳ねた鹿を持ち上げ木の枝に引っ掛けとる。
首からはダラダラと血が滴り落ちとった。
鹿の血抜きでもしとるんやろう。
と言う事はこの鹿を食うつもりなんやろう。
……また獣を食うんか……猪はうまかったけどあれは鍋やったからなぁ。
こんな山の中でどうやって調理すんねん。
「はよう座って休んどれ」
玄蔵がお香を背負い突っ立つ俺にそう言った。
俺は無言のままそっと腰を下ろしてお香を見た。
「……どこ?ここ……」
座るとぼーっとしたお香がそう言ってきた。どうやら寝起きのようや。
「山ん中や、菰野山いう所」
「山……」
「寝とったか?」
「うん……」
「今は休憩らしいわ」
俺はそう言い玄蔵を見た。
辺りはだいぶ薄暗くなっとる。玄蔵は突っ立ち木に引っ掛けた首のない鹿をじっと見詰めとる。
「何をしてんの?あれ何?」
お香が鹿を見てそう言った。
「どうやら晩飯は鹿のようやで」
俺は微笑みお香にそう告げる。お香はじっと鹿を見詰めると、
「鹿?!鹿なんか食うの?!」
「ならば食わんでも良いぞ」
そう言うと玄蔵が俺らの元に歩み寄ってきた。
「何も食わんか、それとも虫でも食うか?」
玄蔵が冷たくお香にそう言う。
「はぁ?食わないなんて言ってねえだろ!」
お香が食ってかかる。
「伊賀では遠出の時、鹿やら兎やら猪の獣の類いを捕らえて食うんや、おなご、分かれ」
「うるせえ!」
「まぁまぁ落ち着け、今は何か食った方がええやろ?猪もうまかったんやし」
俺はお香を諭した。
「だけどどうやって鹿食うの?そのまま食うの?」
「たわけ、お前は寝ていろ」
玄蔵がお香にそう言うと再び鹿の元へと戻っていった。
「なんだあいつ!感じ悪いね!」
「まぁまぁ」
俺はお香の背を擦った。
玄蔵は鹿の首から滴る血をじっと見詰めとった……
辺りは真っ暗になっとった。
玄蔵に命令され、俺一人で落ち葉や枝をたくさん集めてきて、それに玄蔵が火をつけだした。
パチパチと火が燃え盛る中、玄蔵は刀を使い器用に鹿を解体していた。俺とお香は焚き火の前に座りその様子を見詰めている。
鹿の皮を剥ぎ、内蔵を取り出し、四肢を切断しとる。
あんまり見たいとは思わん光景やけど獣がこんなバラバラに捌かれる様は初めて見るから俺はそれを凝視していた。
お香も何も言わずその様子を見とる。
……これ、食うんか……
獣の肉をあまり食わん環境で育った俺はバラバラになった鹿の肉や内蔵を見詰め、心に若干の不安が広がった。
なおも玄蔵は懸命に鹿を解体していった……
パチパチと焚き火が燃える音がすると共に食欲をそそる猛烈に良い匂いが山の中に広がる。
バラバラにされた鹿肉は地面に突き刺した数本の木の枝に刺され炙られとった。
グルルと腹が鳴る。鹿を食った事は無いが、めっちゃうまそうに見える。
隣のお香も焚き火を挟んで座る玄蔵も炙られる鹿肉をじっと見詰めとる。
何とも言えん香ばしい匂いが辺り一面に漂う。
魚を枝に刺して火で炙った事はあるがその時の香りとは又違う何とも言えん良い匂いやった。
グルルと又腹が鳴る。
鹿でも何でもええから早よ食いたい。それぐらいに食欲をそそられる香りやった。
炙られた肉からは脂が滴っていた。
「もうええやろ」
そう言うと玄蔵が地に刺された枝を手に取った。
そして鹿肉を口に運んでいる。
その様子を見た俺もすぐに枝を手にし肉を口に運んだ。
お香も俺と同じように枝を手にして肉に食らい付いている。
「……うわ」
うまい!うまいどころの騒ぎちゃう!
昨日の猪鍋よりうまいやんけ。
「おいしい!」
お香も口をモグモグさせてそう言った。
「うまっ!めっちゃうまい!」
俺は声をあげて肉に食らい付いた。
ほんまにうまかった。ずっと山道を登ってきて疲労もあるんやろうがほんまにうまかった。
魚よりうまいんちゃうかとすら思ってしまう程に。
「遥か昔の先人達は獣を食っとったそうや。伊賀の者は遠出する事がようあるからな、山で獣捕まえて食っていかんと空腹で仕事も出来んのや」
玄蔵がそう言う。その顔は若干穏やかであった。
「そ、そうか、こんなうまいとは思わんかったわ」
「私も鹿がこんなうまいと思わなかった」
お香もそう言う。
「しっかり食って英気養えお二方」
玄蔵が俺らにそう言う。
「……先程は生意気な事言いまして申し訳ありませんでした」
お香が玄蔵にそう言い頭を下げとる。
「構わん、休んでおれ」
「はい」
お香が謝罪をすると次は俺の番か……照れ臭いのう……
「あの……俺も年下やのに生意気な態度とって……」
「お前は致し方あらへんやろう、そのおなご背負ってこんな山奥まで登って来とるしなぁ」
「…………」
「正直途中で根をあげて倒れ込むかと思うとったがな、大したもんぞ」
「いや……」
「秀吉様に認められた腕持っとるらしいの」
あの棒の突っつきあいの奴か。
「一応お褒めのお言葉とご褒美はいただいた」
「戦で活躍でもしたか」
「山崎では途中で逃げたが……秀吉様の御前で試合はした」
「誰とやったか」
玄蔵が俺をじっと見詰めそう尋ねる。鹿肉を食う手も止めて。
「隣のお香と、後は延暦寺の僧と、子供と妙な男と……あとは……」
「…………」
「加藤清正と言う男」
「……清正?」
玄蔵がじっと俺を見詰める。
「ちなみにこのお香は塚原卜伝と言う方のひ孫さんらしい」
俺がそう言うと玄蔵がお香を見詰めた。
お香は何も言わんと鹿肉を口にしとる。
「左様か、加藤清正様か」
「負けたけどな」
「ふんっ!」
玄蔵は再び鹿肉を口に運んだ。
「そんでさ、玄蔵さんだっけ?一ついい?」
お香が玄蔵に声を掛けた。
玄蔵は肉を咀嚼しながらお香を見た。
「その刀、私の刀なんだ。返して」
「あかんてお香」
俺はお香にそう言ったがお香は玄蔵が脇に差す正宗をじっと見詰めとる。
「なしてだ、私の刀だよ」
「そやけど……」
「この刀か」
玄蔵がそう言い脇から鞘を抜き手にした。
「私の刀なんだ」
「岡崎正宗公の相州伝やと伺っとる」
そう言い玄蔵が鞘から刀を抜いた。
……おいおい大丈夫か、刀抜いて……
「……良い刀やな…………塚原卜伝公のひ孫か」
玄蔵が鋭くお香を見詰めた。お香も玄蔵を見詰め返す。
俺はそっと脇に置いた飯田の槍の柄に手を伸ばした。
「…………」
なんかするんちゃうやろな……
そう思った時、
「ではお返し致す」
そっと正宗を鞘に収め、それをお香に手渡した。
お香は正宗を手にするとそっと膝の上に置いた。
「お香、その刀はまだ危ないって」
「大丈夫だよ、敵でも襲って来ない限り抜かないから」
そう言い膝の上の正宗を見詰めとる。
この妖刀が旦那か我が子かのような眼差しで……
それから半刻(1時間)ほど経った。
鹿肉を食い終え満腹になったがまだまだ肉は残っていた。
玄蔵は音羽から貰った弁当箱に肉を詰めるように言ってきた。
俺らは漆塗りの黒い弁当箱に鹿肉をぎゅうぎゅう詰めにした。
それでもまだ肉が余っていたが、玄蔵はそれらを破棄すると言った。
何か勿体ない気もした。
寝て起きた後、朝飯として食えば良いのにと思ったんやが……
「お二方、今より半刻ほど眠れ」
と、唐突に玄蔵が俺らにそう言った。
「え?半刻?」
「そう、お前達が半刻眠った後俺が起こす」
睡眠時間半刻だけかいな……
「して、俺がお前達を起こした後に俺も半刻眠る、半刻経ったら起こせ、その後に尾張へ向けてここを発つ」
ほんまかい……過酷やのう……
「心配致すな、ここを少し進めばすぐに下りになるわ」
「あぁ……」
「少しと言うても半刻程は登りであるがな、二郎、お前なら大した事ないやろう?」
お香を背負っていかなあかんし、めちゃめちゃ大した事あるんやが……
「そ、そうやな」
俺は強がってそう言ってしまった。
「では休め、半刻しか時間はないからな」
玄蔵がじっと俺を見詰めそう言った。
こいつ優しい奴なんか冷酷な奴なんかよう分からんな……
「ほんなら寝るか」
俺は仕方なしに隣のお香にそう言うと横になった。
「……うん」
お香もそう呟くと俺の側に寄り添って寝転んできた。
「二郎……ありがとう」
お香が耳元でそう囁く。
「もう寝よう、ふぁぁぁ……」
俺は大あくびをして目を閉ざした。お香は俺の腕を握り締めてきた。
側の焚き火からはパチパチと音がする。
辺りには未だに鹿肉の焼けた香ばしい匂いが漂っていた…………




