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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第六章 濃尾
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98話 甲賀にて

 今は巳三ツ(午前10時)、俺ら一行は近江の草津を歩いとった。

 道案内をする玄蔵の歩く速度はかなり速く、付いていくのが大変やった。

 しかし俺は一応何度も戦に出た足軽。

 体力的には問題は無く、玄蔵の歩く速度に付いていく事に問題は無かったが、まだ首の傷の癒えないお香の事が心配やった。

 今朝新しく巻かれたお香の首の白い布はほんのりと赤く染まっとる……


「お香、大丈夫か?」

「なして?何も問題ねえよ」

「首、また血が(にじ)んどるぞ」

「うるせえ」


 まだ怒ってんのか、ほんま意地っ張りやなぁ。

 俺は少しイラッと来てお香に話し掛けるのをやめた。

 先を歩く玄蔵は黙々と歩を進めてゆく。

 草津の村をどんどんと進んでゆく。

 休憩も何も取らずに無言のままにずっと……

 なんか京から亀山へ米俵の運搬をした時に先頭歩いとった侍みたいやな。

 何も喋らんとずっと先先へと歩いとる。

 寡黙なんはしゃあないがもっと喋ったらええのに。

 とは言え、ご機嫌斜めなお香も何も喋らんし、なんか雰囲気が重いのう。

 俺は小さく溜め息を吐いて道案内をする玄蔵の後に続いていった……




「しばし休憩致そうか、お二人腹も空いたやろう」


 前を歩く玄蔵が後ろを振り返り俺らにそう言ってきた。


「……あぁ、分かりました」


 俺はそう言ったがお香は相変わらずなんも言わん。

 玄蔵は俺らに一声掛けると側の川の土手の方に向かっていった。

 俺らも彼の後に続く。

 川は広く綺麗やった。遠くには小高い山も見える。

 すでに淡海(琵琶湖)は見えず、どこかの盆地にいるようやった。

 俺ら三人は川の土手に腰を下ろした。

 玄蔵、俺、お香の順に座る形や。

 土手に座ると携えていた綿の風呂敷から弁当を取り出した。音羽が準備してくれた黒い漆塗りの木の箱やった。

 蓋を開けると白米に栗を混ぜた栗ご飯と魚の煮物と漬け物と煮た山菜が入っとった。


 うまそう……


 俺は添えられた箸を手にし、栗ご飯を口に運んだ。


「うま……」


 思わず声が出る程にうまかった。

 玄蔵もお香も栗ご飯を口に運んどる。


 そやけどここは今どこなんやろう。

 近江の国の地理なんて全然と言っていい程知らん。俺は玄蔵に声を掛けた。


「ここは近江のどの辺りなんですか?」

「甲賀や」

「甲賀……」


 知らんな。


「ここから休み無しに伊勢の国に入るぞ、山も登るからな」


 玄蔵が俺にそう言う。


「山……か……」

「睡眠もあまり取らん、覚悟せえ」


 端正な顔立ちの玄蔵が俺を真剣に見詰めそう言う。

 ……この男、いくつなんやろ。


「あんたは歳はいくつなん?」


 俺は玄蔵にそう尋ねた。玄蔵は弁当の漬け物を口にした後に俺を見た。


「三十や」

「あぁ……」


 俺より十ほど上か。


「お前、俺より若いんやろ?十分休んで英気つけえよ。尾張までの道のり過酷やろうが弱音は許さん、必ず尾張まで二日で行くようにするからな」


 えらい高圧的やな……最初会った時と口調もちゃうし……

 ちょっと怖いぞこいつ、物凄く強い意思みたいなもんを感じる。

 全く妥協を許さんと言う強い意思を……


「俺はええんやけどお香は首に怪我しとって、あんまり無理させたくないんやけど」

「そんな事は知らん」


 ぶっきらぼうにそう言い玄蔵が栗ご飯を口に運んどる。


「そやけど……」

「馬鹿、余計なお世話だ」


 お香が俺にそう呟くと漬け物を箸で摘まみ口に運んだ。


「お香、もういい加減機嫌治してくれ」


 俺はうんざりとしてお香を見た。


「……馬鹿……」


 お香は小さくそう呟くと山菜を口に運んどる。


「はぁ……」


 俺は甲賀盆地にある遠くの山々を見詰め溜め息を吐いた。

 大丈夫なんかな、こんな重い雰囲気の状態で。


 ニャア……


 突然、俺らの後方から甲高い鳴き声が聞こえてきた。

 振り返ると一匹の三毛猫が座っとった。

 どうやら弁当の匂いでも嗅ぎ付けて側に来たんやろう。


「あ、猫だ」


 お香がそう呟いた時、


「ほら」


 全く無表情の玄蔵が殆んど手付かずやった煮魚を三毛猫の前に放り投げた。

 猫はそれに夢中で食らい付いとる。


 ……ええ?魚全部やるんか?


 玄蔵は魚をあげた後に何事も無かったかのように栗ご飯を口に運んどる。

 全くの無表情で。


 人に対して随分と厳しそうな態度を取る男やと思っとったのに、野良猫にはえらい優しくしとる。

 この男、何を考えとるんか全く分からん。

 伊賀ってこんな変わり者ばかりなんやろうか。

 俺はそう思いながら栗ご飯を口に運んだ。

 後ろの三毛猫は夢中で煮魚に食らい付いていた…………




 昼食をとり終えた俺らは再び遥か尾張へ向けて歩いていた。


「甲賀も忍びの里でねえの?」


 隣を歩くお香が前を歩く玄蔵にそう尋ねた。

 長身の玄蔵はちらりと後ろを振り返ると、


「そうや、伊賀を襲いよった憎き連中もおる」


 と言った。


 忍びってものが何なんかよう分からん俺は黙ったままでおった。


「襲われねえの?大丈夫なの?」


 お香が玄蔵にそう尋ねる。


「ふんっ、そんな事ある訳あらへん、誰が旅人に突然襲いよるか」


 玄蔵は鼻で笑うと前を向いた。

 俺は辺りを見渡した。

 畑や田んぼで農作業をしとる連中の姿がちらほらと確認出来る。

 到底誰かが襲ってくるような雰囲気も無いのどかな田園風景やった。


 俺はちらりと空を見上げた。

 快晴で真っ青な空には陽がきらきらと照っている。

 そしてトンビがクルクルと上空を旋回していた。


「俺は尾張には行った事無いんやけど二日で着くもんなんか?」


 俺は先頭を歩く玄蔵にそう尋ねた。

 彼はちらりと横目で俺を見た。


「眠らずに延々と歩けば着く」

「眠らずに……」

「伊賀者が知っとる道を通るさかい心配すんな」

「……眠らんって、ずっと起きて歩いていくんか?」

「ずっとちゃう、そやけど殆んど休まずに歩く」


 ……怖いな、心配になってきたわ。

 俺……一番遠出した所は安土やしな。

 しかもあれは船で行ったから楽やったけど眠らずに二日歩き続けるってのが心配や。


「……さ、さっきも言うたけどお香の傷が……」

「それは知らん、秀吉様の元へ向かう事こそが重要ぞ、その娘さんもその事分かって付いて来られとるんやろう」

「…………」


 俺は黙り込んだ。確かに秀吉様に呼ばれたのにほったらかしとるからなぁ……


「もう言わないで……私が惨めになっちまう……」


 お香が小声で俺にそう呟く。

 そやけど俺は……


「無理すんな?しんどなったらすぐに言えや?」


 彼女の背に手を当てて真剣にそう言った。

 玄蔵は再び前を向き歩き出す。


「…………」


 彼女は黙ったままにうつ向いてしまった。

 首に巻かれた白い布は先程よりも赤く染まっているように窺えた……




 今はおそらくやけど未八ツ半(15時)、今は日野と言う所にいた。

 先方には険しく高い山がそびえとる。

 玄蔵が言うには菰野(こもの)山(御在所岳(ございしょだけ))と言うらしい。


 こんな山登るんか、そない思った時やった。

 突然お香がしゃがみこんだ。


「……お香?」


 俺はすぐに立ち止まり、しゃがみ込むお香に寄り添った。

 首に巻かれた布はだいぶ赤く染まっとる。


「大丈夫か?」

「はぁ……はぁ……」


 お香はしゃがみ込み、地に手をついて肩で息をしとる。

 しかし玄蔵は後ろを振り向く事なく黙々と歩いとる。


「ちょっと!ちょっと待って!」


 俺はお香に寄り添いながら先をどんどんと歩く玄蔵に声を掛けた。

 玄蔵は立ち止まり後ろを振り返った。


「お香?大丈夫か?」

「……すまない……」

「無理すんな、少し休むか」

「早く起こしなされ、急いで秀吉様の元に参らねばならぬ」


 玄蔵が俺らに静かにそう言った。


 ムカムカ……


 怒りの沸点の低い俺はふと怒りを覚えた。


「……お前この状況見て分からんのか……どうやって進むんじゃ……」


 俺は立ち上がり玄蔵を睨み付けた。


「ほお?ガキが、楯突くか?」

「殺ったろうか?貴様……」


 俺は玄蔵を睨み付け飯田の槍を構えた。


「勇ましいのう、葛原二郎……」


 玄蔵も鞘から刀を抜く。正宗の刀ではないが……


 俺は飯田の槍を構え、玄蔵を睨み付け殺気をどんどんと発しだした。

 玄蔵も俺を見詰め刀を構える。


 が……


「ふんっ!馬鹿馬鹿しい!ガキめ!槍下ろせ」


 そう言うと玄蔵が刀を鞘に収めた。

 俺は槍を構えたまま茫然としとる。


「女見たれ、こんな場で俺とお前が殺しあって何になる」


 玄蔵が静かにそう言う。


「…………」


 俺は無言のままに槍の構えを解いた。


「お香、大丈夫か?」

「ごめん……首が……痛くて……すまね……」

「無理すんな言うたやん、少し休もうか」


 俺はお香の肩を抱きながらそう言うた。


「休む事は許さん」


 玄蔵がまた冷血にそう言う。


「何言うとるんや?!お香の事考ええや!!」

「秀吉様をお迎え致す!!貴様は秀吉様の御命令を無視しとるんや!!」


 玄蔵が俺を見詰め怒鳴り付けた。


「そやけど……お香が……」

「二郎!お前の言う事も分かるがそないな甘えた事言うとられん!相手は羽柴秀吉様なんや!」


 玄蔵が俺をじっと見詰め声をあげる。


「…………」

「お前がその女の事大事に思うなら背負っていけ!!」


 そう言う玄蔵の目は若干涙目になっとった。あれ程無表情やった冷血そうな男が……


 お香は依然地に手を付き肩で息をしとる。


「お香、俺の背に乗って」

「だけんど」

「ええぞ、乗って」


 俺はお香の前にしゃがみ込み背を向けて背に乗る事を促した。


「……すまね……」


 お香が俺の背に覆い被さる。俺はお香をおんぶして立ち上がった。


「では参るぞ」


 玄蔵が俺らを見てそう言うた後に先を進みだした。遠くに見える高い山に向けて。


 ……女にしてはかなり大柄で俺と殆んど背丈の変わらんお香を背負って……


 飯田の重い槍を持ちながらお香を背負ってあの山を登っていくんか……


 俺、あまりに過酷で途中で死ぬんちゃうか……


 そやけど絶対お香を守ったる、命に変えても。

 そう思いながらお香をおんぶして山へと向かっていく。前を歩く玄蔵は足早に先を進んでいた。


「ごめん……二郎……本当にごめん」

「ええよ、全然気にせんでええからな」

「ごめんね……」


 お香は耳元で小さくそう呟いた。

 涙声で……


「…………」


 こんな山越えたるわ、そう思い山を見詰めたが、


 菰野(こもの)山は異常に高く険しく見えた…………

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