66話 基礎
あれからおとんと兄貴も庭にやってきて、四人で米俵を全て倉へと運んでいった。
おとんと兄貴は手伝ってくれたお香に頭を下げて礼を言い、玄関へと向かっていく。
俺も二人の後に続こうとした時やった。
「二郎、庭に残って」
お香が俺にそう言い腕を掴んでくる。
「なんでやの、家の中で休んだらええやん」
「訓練すんべ、太刀のさ」
「……今から?米俵運んで疲れたわ」
「ごちゃごちゃ言うでねえ、やんべ」
「ほんまにか?今から?」
「明日ここ出るでしょ?やれる内にやんべ」
ほんまかいな…………
「でさ、太くて私ぐらいの背丈の棒ねえ?あと縄も。それと太刀の代わりになるようなもんねえ?」
「棒と縄?……棒はその辺にある思うわ、縄も倉にあるけど何すんねん」
「特訓だ。二郎、棒探してきて?私は縄取ってくる」
そう言うとお香は倉へと向かっていった。
何をするつもりやねん……
俺は仕方なく庭の隅にあるであろう木の棒を拾いに行った。
お香がやや太めの真っ直ぐな木の棒を地面に突き刺し、それに縄を巻き付けとる。
何をする気やと思うて見ていたが、恐らく打ちの訓練をさせる気やろう。
縄を巻き付け終えると、太刀がわりの竹竿を構えだした。
「いい?見てて」
そう言うとお香の目が真剣になった。
そして……
お香が素早く前に出ると同時に持っていた竹竿を振りかざし、立てられた木の棒のてっぺんへと振り下ろした。
パンッ!
竹竿は綺麗にしなり、甲高い音を立てて木の棒を打った。
「…………」
打った後、お香はさっと一歩後ろにさがる。
その一連の流れは一瞬やった。
「……速いのう……」
俺は感心してお香を見詰めた。
「二郎、今の動きやってみて」
「……あぁ……」
俺はお香と場所を代わり、竹竿を構え木の棒を見詰めた。
そして、お香のように一歩踏み出すと同時に棒のてっぺんに向けて竹竿を振り下ろした。
バキッ!
棒を打つと同時に竹竿が真っ二つに折れてしまった。
「あれ?」
「ふふ、素人だね」
お香が笑う。
「折れてもうた」
俺は竹竿をお香に見せてそう言った。
「余計な力が入り過ぎだ。足さばきもなってねえ。体の軸も悪い」
「…………」
俺は黙り込んだ。よう分からん……
「打つ訓練しようかと思ったけんど、まず構えからだね」
「あぁ……」
「だけどさ、一日だけやっても意味ねえよ?毎日毎日繰り返し繰り返ししねえと意味ねえんだ」
「そやな」
「だけど二郎には素質があると思うんだ。棒の突っつき合いした時に分かったもん」
お香がじっと俺を見てそう言う。
「なぜならさ……」
そう言うと突然お香が俺に向け竹竿を構えだした。
「……おいおい……なんやねん……」
俺はたじろいだ。しかし、お香の目が徐々に真剣になっていく。
それに伴い俺の目も真剣になりだした。
手に持つ折れた竹竿を離し、地に落ちた時……
シュッとお香が俺に突きを放ってきた。
俺は瞬時に左に身を交わすと竹竿を右手で掴み、お香の腕も掴んだ。
昨日の仮想試合と全く同じ状況である。
「ほらね?おめさんには素質があるべ、その身のこなしは尋常でねえもん」
そう言いお香がじっと俺を見詰める。
「槍の訓練で培ったもんやと思う。兄貴にずっと避ける訓練させられとったから」
俺はそう言いながら竹竿とお香の腕を掴む手を離した。
「それもあるかもしんないけどさ、天性のものだよ二郎」
「どうやろな」
「でねえと秀吉公から褒美なんて頂けねえよ?鍛えれば……私より……」
じっと俺を見詰めてくる。
「まぁいいべ、構え教えるよ。竹竿、他にねえ?太刀がわりになるもんなら何でも良いけどさ」
お香が庭を見渡してそう言った。
「あぁ、ある思うわ」
「探してきてね」
「人使い荒いのう……」
俺はまた庭の隅へと向かっていった……
「左足は前で右足は後ろに引いて、体の中心に軸があるように意識して」
お香の教えが始まっていた。
俺は竹竿を構え、言われた通りにしとる。
「左のかかとは浮かせて、すぐに動けるようにすんだ」
俺は左のかかとを浮かせた。
「そのままの形で前に進んで」
俺は竿を構えたままにさっと前に進んだ。
「左足のかかとは地に着けたら駄目だ、浮かしたまま」
言われた通り左のかかとを着けずに、さっと前に進む。
「軸がぶれてるよ、余計な力も入り過ぎだ。隙だらけだしさ」
「難しいわ」
「反復でずっとやるからね?出来るまで昼ご飯食べさせねえから」
「厳しいのう……」
「当たり前だべ?おめさんが教えてくれっつったんだろ?とことん教えてやるから覚悟してね」
ほんまかいな……槍だけで良かったかな俺……
「ほら、又構えからだ、弱気は許さねえよ?」
「はぁぁ……」
俺は溜め息を付きながらまた竹竿を構えだした。
庭先では洗濯されたぼうまるの服とお香の黒装束が干され、ゆらゆらと風に揺れていた……
俺とお香は夢中で昼飯を食っていた。
あれから半刻(1時間)以上は延々と太刀の構えと摺り足の動きをやらされた。
米俵を運んだ後に、更に太刀の訓練をしたので腹が減ってしょうがなかった。
それはお香も同じようで夢中で昼飯を食っている。
「さすがに疲れたわ、米俵運んだ後やったしな」
「はぁ?あの程度で弱音吐くんでねえ、まだまだやるべ。ご飯食べた後にさ」
「まだやんの?!」
「当たり前だべ、これから毎日ずっとだ。構えと足さばきばかりずっとするべ」
「ほんまかいな……」
あんな退屈な練習ずっとやんのかい……
「基本がなってねえもん、そんなんじゃ私に勝てねえよ?」
「別にお前に勝ちたい訳ちゃうって、俺はただ戦で役立たせたい思うただけや」
「ごちゃごちゃうるせえ、弱音吐くな」
そう言いお吸い物を口に運んどる。
「何しとったん?」
兄貴のせがれの五歳の与介が俺らの元に来てお香にそう尋ねている。
「二郎にね、太刀教えてたんだよ?おめさんも教えてほしい?」
「えー」
そう言い与介がにこにこと微笑んでお香を見とる。
「このお兄ちゃん、鍛練、嫌だ嫌だばかり言うんだ、弱虫だねぇ」
お香が笑顔で与介にそう言うと、与介はへへへと笑っていた。
「嫌とは言うてへんやろ……」
俺は困惑ぎみにお香にそう言った。
「弱音ばっかだよ、二郎さん、情けないねぇ」
お香が与介にそう言う。
「槍の練習も嫌がっとった」
与介がにこにこしながらお香にそう言う。
「へぇー、情けねえね」
お香と与介がちらりと俺を見て笑っとる。
「やかましいわ」
俺はそう言い、お吸い物を口に運んだ。
飯を食い終えると、又庭で太刀の構えと摺り足の動きの練習をさせられとった。
「だいぶ様になってきたね、だけんどまだまだだ」
お香がそう言うが俺は無心で構えから前へ移動する反復行為を繰り返した。
戦を想定し、前に敵がいる事を想像しながら……そして……
前に踏み込むと同時にパッと竹竿を振り上げ、
ブルンッ!
と竹竿を振り下ろした。
「駄目だよ、まだ振りはやっちゃあ駄目」
お香がそう言う。
「……なんで?」
「変な癖がついちまう。基本も出来てねえのにさ、体重移動も全然なってねえんだおめえさん」
「…………」
俺は黙り込んだ。
「まずは基礎からだ、そこが出来てねえなら何にもならねえよ?」
「……分かった」
俺がそう言った時……
「二郎」
後ろから声を掛けられ、振り返ると兄貴と与介がやって来ていた。
「あぁ」
「何しとんの、刀の鍛練か?」
兄貴がそう言う。
「そや、この人、塚原卜伝言う人のひ孫らしくてな、教えてもらっとんねん」
「塚原……ほんまかい!」
兄貴が驚いとる。
「……なんや、知っとんの?」
「京で聞いた事あんぞ、ごっつ偉大な剣法使いのお方やって……」
「ありがとうございます」
お香が兄貴に頭を下げとる。
兄貴は茫然としながらもお香に頭を下げた。
「これ打ってぇ?」
兄貴の隣におった与介が縄の巻かれた木の棒を指差しお香にそう言うとる。
「これ?良いよ?よーく見ててね」
お香は与介に微笑みかけると地面に置いていた竹竿を手にした。
与介がじっとお香を見詰めとる、兄貴もや。
俺も構えを解き、棒に対峙するお香を見た。
お香は竹竿を構えた。
顔の表情が一気に真剣になる。
「ふぅ……」
彼女が小さく息を吐いたと同時に……
パンッ!パンッ!……パンッ!
と、棒の上部、左中部、右中部、と立て続けに竹竿を打ち付けた。
猛烈な速度で全てが一瞬である。
打ち終わると彼女はさっと後ろに引き、構えを解いた。
「…………」
兄貴も与介も唖然として絶句をしとる。
それは俺もやけど……
「どう?」
お香が与介に微笑みかけそう言う。
「すごい!」
与介は満面の笑みを浮かべてそう言った。
兄貴はまだ茫然としとる。
俺も凄いと感心した。
その感心した点とは、速さよりも、むしろ竹竿のしなり方であった。
なぜあんなに強く打って竹竿が折れん……
足の出し方、腕のしなり、軸のぶれの無さ……
全てが完璧なんちゃうんか……
与介に微笑みかけるお香の横顔を見詰めながら、俺はそう感じた…………