51話 秀吉
半刻(1時間)ほど待たされたやろうか、与右衛門と共に男達五人程が奥の廊下から玄関へ向けてやって来た。
先頭を歩く男は武士のような衣装を纏っとる。
彼らが出てくるのを確認すると玄関前に立つ作右衛門が頭を下げた。
続いて俺も頭を下げる。
「参るぞ」
玄関から出てきた与右衛門が俺らにそう告げた。
俺と作右衛門は与右衛門の後に続いて歩む。
すると庭から四人の男達が棺桶を担ぎやってきた。
先頭を歩く与右衛門達は門をくぐり京の路地を歩き出している。
与右衛門と共に出た者達は一人の男を取り囲むように護衛をして歩いていた。
護衛された一際豪華な衣装を身に纏う男こそが村井清三と言う武士なんやろう。
俺は最後尾を歩きながらその男の背を見詰めていた……
京の道を行進するこの団体にすれ違う人々は立ち止まり頭を下げている。
最後尾を歩く俺は何も考えず槍を持ち彼らの後に続いた。
棺桶を担ぐ四人の男達は相変わらず汗をかいて勇ましく歩いてはいるが疲労はかなりのもんやろう。
正午を過ぎ気温もかなり上がっている。
棺桶の中の遺体や生首もだいぶ痛んどるかもしらん。
そんな心配をしていると先頭は大きな寺の門の前で立ち止まった。
その寺の周囲は堀に囲まれていて大きなフナ達が群れて泳いでいる。
本能寺程ではないが、かなり大きな寺や。
門の前には槍を持つ番人がおったが村井清三に付く男達が何かを告げると門は開かれた。
門が開くと村井清三と護衛の男達が門をくぐり、その後に与右衛門が続き俺ら一行も後を続いた。
門をくぐると広大な敷地に砂利が敷き詰められており、門から石畳が真っ直ぐ寺の入り口まで続いていた。
一行は寺の入り口へと向かう。
寺の入り口には出迎えの者達が四名程いた。
村井清三とその護衛の内の二名が寺に入っていく。
先を歩いていた与右衛門と付き添いの作右衛門も寺内に入っていった。
が、棺桶を担ぐ四人の男達は寺の者達に促され、寺の庭へと向かいだした。
俺は……
どうすればええんやろうか。
特に指示を受けていない俺が寺の中に入る訳にもいかず、仕方無しに庭へと向かう棺桶を担ぐ男達の後に続いた。
しばらく歩くと男達が棺桶を庭にそっと下ろした。
庭の側には寺の縁側があり奥に部屋もあるようやけど障子は閉ざされており中の様子はうかがえなかった。
棺桶を下ろしてからしばらくして寺の者達二人が庭の端から木の台を担いでこちらにやってきた。
そして棺桶の前に台を置き倒れないように足場を固定させている。
すると棺桶を担いでいた男達が蓋を開け、三つの布に包まれた首を取り出した。
男達は少し血の滲む布の中から生首を取り出すと台の上に置き、首が転ばないように固定をしだしている。
「…………」
俺は槍を携えたままに無言でその様子を見詰めていた。
生首の頬は昨日よりも腐敗が進んでいるようやった。
棺桶に入った光秀の胴体は取り出さずそのままにしている。
俺はチラリと棺桶の中の光秀の胴体を見てみた。
白装束を着させられているが首元の切断面は布で隠されていた。
俺は槍を手にしたまま生首の置かれた台の横に突っ立っていた。
武具を携えているのは俺のみであり、まるで生首を守る番人のようであった。
しばらく突っ立っていると寺の者達が何やら道具箱を持って台の元に足早にやってきた。
何をするのかと様子をうかがっていると箱から櫛やら布やら筆のようなものやらを取りだして、生首達の手入れをし出した。
……ようやるのう、こいつら……こんな腐りかけの生首の化粧するなんて俺にはよう出来ひんわ……
やがて生首への手入れが終わると寺の者達の幾人かが去っていった。
再び突っ立っているが一向に誰もやって来ないでいた。
退屈に感じ俺は大あくびをし、空を見上げた。
雲はあるがよう晴れていてお日様が輝き俺を照らしている。
……いつまで待たすねん……
そない思った時やった。
縁側の障子が開くと武士らしき男達が現れた。
一人は与右衛門であり、一人は先程見掛けた村井清三であり、そしてもう一人は見た事もない、やや長身の若い男であった。
彼ら三人と共に従者の男達数人も彼らの後に続いている。
俺と共に小栗栖の竹藪に行った作右衛門もその中にいた。
彼らは縁側から庭に出て生首の置かれている台の前にやってきた。
俺と共にいた男達が彼らに対して頭を下げだす。
俺も一応頭を下げた。
「こちらが惟任光秀の首との事にて我が飯田家に運びこまれました印にござりまする」
与右衛門がやや緊張気味に長身の男に説明をしている。
「…………」
長身の男は無言のままに首を見詰めている。
俺は男の顔をじっと見詰めた。
鼻筋の通ったなかなか男前な顔立ちやな。
気品もあり明らかに武家の者と窺える。
そない思った時、男が口を開いた。
「どれが光秀の首か分からぬか?」
与右衛門にそう尋ねている。
「はっ!首の切り口と胴の切り口を調べさせてみたものの……」
与右衛門が口ごもりチラリと何故か俺を見る。
「分からぬかったか」
「はっ!」
与右衛門が返事をする。
「…………」
男はじっと首を見詰めている。
俺は台の横に立ちその様子を見詰めていたが、しばらくした後、
「よう分かった。御苦労であった。して後ろの物が光秀の胴か?」
長身の男が開かれた棺桶を見てそう言うとそこへ向かいだした。
周りの連中も男に続き棺桶の元へと向かう。
男は棺桶の中の遺体の様子を窺っている。
あれは誰なんやろう……
あれが織田信孝なんか羽柴秀吉なんか俺には全く分からんかった。
やがて検分が終わると連中は再び縁側から寺の中へと入っていった。
その後……
また俺はずっと台の横に突っ立ち、ひたすら与右衛門が出てくるのを待っていた。
ここに来てから一刻半(3時間)は突っ立っとるんちゃうやろうか。
棺桶を運んできた男達もひたすら突っ立って待っている。
さすがに俺も疲れが出てきたが文句などは言えず只、時が過ぎ行くのを待っていた。
初夏と言う事もあり生首達にはハエが寄り付き始めている。
はぁと溜め息を吐く。
一城の主であった男が今は無惨に首を晒されている。
そしてその首にはハエが集まっているとは何とも言えん儚い気持ちにさせられる。
しかもその男を討ち取ったのが俺やから尚更に……
更に半刻(1時間)が過ぎた。
いい加減退屈で疲れてきた時であった。
与右衛門と作右衛門二人が寺の入り口から出てきてこちらに向かう姿が見えた。
あぁ、やっと退屈から解放されるのか。
そない思うと嬉しくなったが二人の後ろから五人程の男達もやってきていた。
「まだ何かあんのか……」
やっとこの場から解放されると言う安堵が消し去られ俺は落胆した。
与右衛門の後ろに続く連中は出で立ちからして武士や。
しかし先程とは違う小柄な男。
俺は彼らをじっと見詰めた。
与右衛門は相も変わらず顔を強張らせ緊張しているようやった。
「こちらになります、こちらが惟任光秀の印と運ばれましたものであります」
与右衛門が台の前に来ると中年の小柄な男にそう告げた。
「ほお、でりゃあ綺麗に化粧されとるがや」
男はそう言い生首を見詰めだした。
「羽柴秀吉様や」
共についてきた作右衛門が俺の耳元でそう囁いた。
「お前に話があるんやと、ご無礼な事無いようにな?」
「え?」
俺が驚くも作右衛門は俺から離れ、秀吉と言う男に付く与右衛門の元に行ってしまった。
その小柄な男は首の一つ一つを確認していっているが……
「これだわ!これ光秀だで!こいつだわ!」
秀吉は真ん中の首を指してそう言うた。
「わし何度も会うた事あるでまちぎゃあねえて、これだわ!」
真ん中の首か、一番若く見えたあの首か……
「こいつだわ!間違いねえがや!」
「はっ!ではあちらには光秀の胴がありますので!」
与右衛門が秀吉に棺桶を指差してそう言う。
秀吉は棺桶に歩みより中を見詰めた。
しばらく棺桶の中の明智光秀の遺体を見詰めた後に秀吉がまた台の元に戻った。
そして……
「こいつか?たった一人で十人の者討ち取った言うんわ」
小柄な秀吉が俺の側に来ると俺の顔を指差しそう言った。
「………」
俺は無言で彼を見詰めた。
二重瞼でぱっちりとした目の、愛嬌のある頬のこけた顔をした男がじっと俺を見詰めている。
「はっ!しかし咄嗟の事でありまして……」
与右衛門がしどろもどろにそう答えている。
どうやら先程の山科で蛮賊に襲われた事を言っているようや。
「おみゃあ槍の腕でぇりゃあええんだとな?先程そう耳にしたでよ」
秀吉が俺をじっと見詰めてそう言う。
「は、はっ!丹波で幾度も訓練しとりました!」
俺は硬直し、なるべく秀吉と目を合わせずにそう告げた。
「おみゃあ今趙雲と呼ばれとるんだと?」
……なんでそこまで知っとるねん……
「それは周囲が勝手に……」
「おみゃあが光秀襲って刺してまったんだと?」
「……はい!」
「ほう?おもしれえのぅ、十人力の貴様の力見てみてえがや、光秀襲った貴様の力見てみてえわ。ええか?明日の正午によぉ、わしらの槍の使い手と力比べ見せりゃあて、な?」
チラリと秀吉を見るとぱっちりとした目でじっと見詰められ、一瞬意識が遠退きこの男に魅了されかけた。
あかん……
そう思い俺は秀吉から目を逸らし、
「ご承知いたしました!」
そう告げ、頭を下げた。
「ええな、ほんなら戻るわ、信孝様へのご挨拶もまだだで」
そう言うと秀吉はその場を去っていった。
与右衛門や周りの男達は立ち去る秀吉に対し頭を下げている。
が、俺だけは体が硬直したままに突っ立ったままでいた……
「すまぬな二郎、真実を話さずにはおられんかったんや」
秀吉が去っていった後、与右衛門が俺の側に来てそう言った。
「あの方に見られると何も隠し事など出来んかったんや」
俺が黙り込んでいると秀吉の従者が、
「もし、今宵御泊まりの場、お教えいただきたく存じまする。明日使いの者差し向け致します」
と与右衛門にそう告げている。
「……申し訳ございませんが今日にも帰るつもりでおりました故に泊まる場などは決まっておりません」
与右衛門はばつが悪そうにそう告げていた。
「で、あるならばしばしお待ちの程宜しいでしょうか?殿様へ御確認しとうござりまする」
「承知しました」
与右衛門がそう告げると従者は寺の入り口へと去っていった。
「すまんな二郎」
与右衛門が俺にそう言う。
彼の顔もだいぶん疲労していた。
目上の者との対面が続いた為やろう。
「初めに首を見とった背の高いお方はどなたやったんか?」
俺は与右衛門にそう尋ねた。
「織田信孝様や。織田信長様の御子息や」
やはりそうか……
「その後に羽柴秀吉様も来られてな、色々と尋ねられたわ。先程の争いの事もな」
山科での争いか。
「ああ……それはしゃあないが……お咎めは無いんか?何らかの処罰やらなんやらと」
俺は前を向き槍を握ったまま与右衛門にそう聞いた。
「いや、特には言われんかった。言われんかったが二郎、お前の事をよう尋ねられてな、光秀を討った事まで話してもうたんや……話させられた、と言うた方がええかもしれんが……」
俺はチラリと与右衛門を見た。彼は視線を落としていた。
あの小柄な男に色々と聞かれたのなら確かに疲労を感じるかもしらん。
何か異様な眼力を感じたから。
「それはええ、それはええが明日槍の力比べする言う話はどういう事や」
俺は一番気になる事を与右衛門に尋ねた。
「お前の腕が確かやと思われはったようでお前の槍の腕を直に見てみたい言われはってな、それでや」
それでや……ってどういう事やねん……
「俺はもう人を殺めとうないんや。逆に俺も死ぬやもしらんやんけ、勘弁してくれ、断れんのか?」
「……無理や、相手は羽柴秀吉様や、すまん絶対無理や、すまん……」
与右衛門が俺に深々と頭を下げている。
俺は遠くを見詰めて溜め息をついた。
しかし、冷静に考えると小栗栖の里の当主が捕虜の立場である俺に謝罪をし深く頭を下げていると言う状況が滑稽に思えた。
思えばこの男は俺を客人の様に振る舞い、良く待遇してくれた。
俺に惚れ、姪をも嫁がせるとまで言ってくれとる。
飯田家の跡継ぎまでも、と……
それほどこの男は純情で実直なんやろうか。
そこまで俺を慕ってくれとるんなら飯田家の為に全力を尽くし何かしてみせようか。
俺の心の奥底でそう言う気持ちが湧き出していった……