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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第三章 小栗栖
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49話 首実検

 使用人の男に先導された俺は廊下を歩いた。

 男は足早に先々と進んでゆく。


 一切後ろも振り向かない男に付いていくと館の玄関に差し掛かった。

 男はそのまま玄関から外に出ていく。

 玄関には誰もいない。

 俺も彼に続き館の外に出た。

 館の外は心地よい風が吹き付けている。西の空は赤く染まり日が暮れかけていた。


 先を進む男は館の脇の庭へと進み出した。

 俺も彼に続いて暫く館の脇の狭い道を進む。

 すると急に視界が開けた。

 ちょうど館の裏辺りであろうか、丁寧に整備された庭が広がっていた。

 決して広大と言える程ではないが広めの庭には人工的に作られた池や白い砂利が敷き詰められていた。

 庭の中心には台が設けられており、その周囲には四人程の男達の姿があった。

 その中の一人に酔い潰れ眠っているはずの与右衛門の姿があった。


 先導する男は台の元へと近づいてゆく。

 俺もその後を続く。

 与右衛門は俺に気付きこちらをじっと見詰めていた。

 その眼差しは到底酔っている雰囲気などは無かった。


 即席で作られた様相のその台には三つの生首が並んでいる。

 一瞬妙に嫌な気を感じ、俺は生首から目を逸らし庭の奥を見詰めた。

 庭の奥には松、梅、桜の木が丁寧に植えられている。

 部屋から見たあの木々であった。



「二郎、こちらのいずれかが光秀殿の御印(みしるし)やと運ばれて来たもんや」


 先導する男に続き、台の前に来ると与右衛門が台の上に乗った首を指して俺にそう告げた。

 俺はゆっくりとその生首達に視線を移した。

 生首は三つある。

 その全ては目を閉じて口を少し開けていた。

 頬は土色に変色をしていて、それらがかつて生きていたとは思えない人形のような物に感じた。


「二郎、分かるか?どなたが光秀殿かと」


 与右衛門がそう言うが……


「…………」


 あまり生首などじっと見たくないが状況が状況なんでしゃあない。

 俺は一人一人の首を観察した。

 首はどれも台に固定されているようや。

 小さな蝿が飛びかっているが三つの首はさほど腐敗した気配などなかった。


 俺は明智光秀を見た時の記憶を蘇らせながら一つ一つの生首を見詰めていった。


 まず左端の首は全然ちゃうかった。

 髪は乱れ、無精髭を生やした鼻の低い男の首や。

 俺が見た光秀の顔はこんなんとちゃうかった。

 次に真ん中の首。

 頭は丁寧に剃髪され、髭も整えられて鼻筋もよく伸びた顔立ち。

 もしやこれかなと思ったが俺は次の首、一番右端の首を見た。

 その首も丁寧に頭を剃髪され整えられとる。髭も整えられていた。

 顔立ちの整った五十代程の男の首であるが……


「どうやろうか、分かりなさるか?」


 与右衛門が声を掛けてくる。


「……うーん……」


 左は違うのは分かるが……

 真ん中と右どちらが光秀か……判断出来ん……

 何せ二度しか顔を見た事がないから。

 それ以外はずっと後ろ姿しか見てへんかったから。


「これではない。絶対にこれではない」


 俺は与右衛門に左端の首を指してそう告げた。


「では?」


 与右衛門が俺にそう尋ねる。

 俺は無言で首を見詰めた。

 御所でちらりと見た顔……竹藪の中で松明(たいまつ)に灯されぼうまるか?と言葉を発した光秀の顔……


 その顔を必死に思い出す。


 ……確か切れ長の目で鼻筋が通っていて薄い口ひげを生やしていたはず……


 俺はもう一度候補の二つの生首を見詰めた。

 どちらも口ひげは薄い。

 しかし真ん中の方が若く見える。


 確か御所で明智光秀の顔を見た時、一瞬若く見えた覚えがある。

 ほんならこの真ん中の首こそが……

 いやしかし……

 迂闊(うかつ)に判断出来ひん。


「分からん、真ん中のような気もするが右の首のような気もする」


 俺は正直に与右衛門にそう告げた。


「そうか、そやけど光秀殿の首である事には間違いないんやな?」


 与右衛門に念を押される。

 念を押されると返事に困る。

 絶対そうやとは言い切れん。


「おそらく……」

「はっきりとは分からんか」

「……分からんが似とる」


 俺がそう言うと与右衛門はふぅっと息を吐いた。

 そして……


「胴との切り口を見るしかあらへんのう」


 そう呟いた。

 切り口?


「光秀殿の胴体掘り起こしここに運びこむよう」


 与右衛門が周囲の男の一人にそう告げとる。

 男は返事をし、そのままこの場を去っていった。


 まさか明智光秀の胴を……

 掘り起こすんか?


「光秀殿の御遺体をまた?」


 俺は与右衛門にそう尋ねた。


「是非に及ばず、や」


 与右衛門は生首を見詰めながらそう呟いた。

 是非に及ばず、仕方がないと言う事である。


「飯田家の名を上げる為に光秀殿を襲うと言う決死の事やったからな、この機会逃されへんのや」


 そう言い与右衛門が俺を見る。


「二郎、もう戻っとってええぞ、音羽とゆるりと休んでおってくれ」

「…………」


 俺は無言で与右衛門を見詰めたが視線を生首に移した。

 生首達は目を閉ざし口を半開きにしている。


 しかし、何かを俺に訴えかけとるように見えた……







 今は部屋でぼぅっとしていた。

 室内は薄暗くなっている。

 まだ晩の食事はとっていない。


「はぁ……」


 と俺は溜め息を吐いた。


 正直に言えば暇やった。退屈でしょうがなかった。

 そやけど自由に館の外に出る訳にもいかん。

 部屋でただ横になるか、窓を開けて庭を見詰めるぐらいしかやる事が無かった。


 飯田家は武家ではないらしいけど、こう言う大きな館に住んどる武士達は普段何をして過ごしとるんやろうか。

 農家の俺にはやっぱりこう言う生活は合わんのかもしれん。

 自由に田畑を弄り、米や野菜の世話をする方が合っている。

 畳の上に仰向けに寝そべりぼーっと薄暗い天井を見詰めていると、


「二郎さん」


 音羽の声が障子の戸の向こう側から聞こえてきた。


「うん」

「よろしおすか?」

「ええよ」


 俺がそう言うと、そっと障子の戸が開かれた。

 音羽が廊下に丁寧に座り込みぺこりと頭を下げる。

 そして顔を上げ俺を見詰めた。


「二郎さん、今こちらに惟任(これとう)光秀殿の御体が運ばれなさりました」


 俺は無言で音羽を見詰めた。


「その事も踏まえて、与右衛門様が二郎さんと御夕食をお供なさりたいと」


 ……また?

 昼間も共にしたやろ……


「またか?」


 俺は息をつき音羽にそう尋ねた。


「折り入ってお話したい事があるんやと」


 音羽はじっと俺を見詰めて静かにそう告げた。

 なんなんやろ、まあどうせ暇やったしええか。


「うちもお食事お供させていただきます」


 音羽がそう告げる。


「そう、ほんなら行きますわ。もう、すぐにも向かってええんか?」

「まだどす、もうしばしの後にと」


 そう言うと音羽がさっと部屋に入り障子を閉めた。

 そして中腰で俺の側に来る。

 部屋は灯りも灯されずに薄暗い。


「灯りは灯されんのかな?」


 俺は側に座る音羽にそう聞いた。


「明るい方がよろしい?」

「うーん……あまり暗いのもなぁ」

「うち……暗い方がいい……」


 そう言うと音羽が自身の着ている服の帯に手を回す。


「ちょっと待ってちょっと待って!今はええから……」


 俺は咄嗟に彼女にそう告げた。

 この娘、服脱ぐつもりやったやろ。


「……すみません」


 音羽が小声で謝る。なんかこちらが申し訳なく感じてしまう。


「音羽、まだ若いんやろ?そないに無理せんでええよ。与右衛門に何か言われとんの?」

「何も言われとりません、うちは二郎さんの事が……」


 そう言い音羽が顔を(うつむ)かせる。


「……あの、と、徳二は見んでええんか?」

「休んどります」

「あぁそうか」


 俺がそう言うと音羽は、はいと答え静かに俺を見詰めているようや。

 なにせ部屋はだいぶ薄暗い。

 音羽の表情も辛うじて確認出来る程度やった。


「色々と尋ねたい事あるんやけど、ええか?」

「はい、うちに答えられるもんなら」

「与右衛門さんは俺と徳二をどうしたいんや?俺は無理にここに連れて来られたが……」

「……うちもよう分からしまへん、そやけど二郎さんの事はお褒めになっとりました。勇ましいと」

「そうか」

「徳二さんの事はよう知りまへん。特には何も聞いとりまへんねん」

「そうか、ほんなら……」


 何を聞こうか……一番気になっとった俺の身はどうなるのかと言う質問に、よう分からんと答えられると他に聞きたい事が浮かばんようになった。


「……与右衛門さんにはお子さんはおらんの?あと嫁さんはおるの?」


 あまり興味は無かったがとりあえずそう質問した。


「はい、与右衛門の方に子はおりまへん。奥方様はおられました。おられましたがずっと前に病でお亡くなりになられました」

「あぁ……ほんならこの飯田家の跡取り言うんはほんまに誰もおらんのか?」

「はい、おりまへん。この小栗栖に残る飯田家の者は与右衛門の方とうちだけどす」

「二人だけなんか?!二人しかおらんの?!」


 少し驚き俺はやや声を上げた。


「はい、そやけど親族は別の地にはおります。おりますが疎遠でどうなっとるんかもよう分からしまへん」

「うーん……」

「……二郎さんがよろしいならうちは……」


 そう言いまた帯に手を掛けようとする。


「待って待って」


 そう言いながら俺はふと吹き出してしまった。


「うふふふふふ……」


 音羽も釣られて笑っている。


「もう少し待って、そんな焦らんでもええから」


 笑う音羽に俺はそう告げた。


「そやけど二郎さん早よせんと、お国帰らはりますんやろ?」

「まだ……帰らんよ。帰れんしな、まだ……」

「うち……嫌や……ずっとここにおってください……ずっと……」


 そう言い音羽が俺の腕を掴んでくる。


「…………」


 俺は無言で音羽を見詰めた。

 薄暗い部屋の中、音羽の気迫が強く伝わってくる。


「うちの事、もろうてください……」


 そう言い音羽が俺を抱き締める。


「音羽……まだ十四やん、そんな……」

「うち来月で十五やもん」


 俺に抱き付く音羽がそう告げるとくすくすと笑いだした。


「ふふ、そうなん」

「二郎さん……ええ?」


 そう言うと音羽は帯をほどき……着物を脱いでいった。


「ええよ……」


 そう告げると俺も着物を脱ぎ、彼女を受け入れた……




「どうぞ」


 音羽が俺の(さかずき)に酒を注ぐ。


「おおきに」


 酌をする音羽にそう告げると俺は盃の酒を口に運んだ。

 今は与右衛門の部屋やった。

 目の前には鮎や黒豆やゴボウやお浸しやお吸い物などの豪華な食事が並べられていた。

 向かいの与右衛門も盃の酒を口に運んどる。


 また酔わんやろうなこの方……


「夕刻は御足労いただき有り難く思う」


 与右衛門が盃を膳に置きそう言う。


「いや、こちらこそ光秀殿の首を見分けられんで申し訳なく思うとります」

「構わん、二郎、もう耳にしとるやろうが光秀殿の御体を掘り起こし今こちらに運んでおるんや」

「…………」

「今、首の切り口を見てどの首が光秀殿か確認させとる」

「…………」


 俺は黙り与右衛門を見詰めた。


「確認が取れ次第に京の織田方の元へ光秀殿の亡骸を運びたいと思うとるんや」


 与右衛門がそう言う。


「京……」


 俺は小さく呟いた。


「そこで頼みたい事がある」

「…………」

「明日俺は京へ向かう。二郎よ、共に来てもらいたい」


 そうやろうなと思うた。


「それは構わんがこの里を放っておいて大丈夫なんか?」


 俺は与右衛門を見詰めてそう尋ねた。


「構わん、京へ向かうのは俺とあと五人とそしてお前の計七人、残りはここにおらす」


 残すと言われてここの戦力の人数が一体何人なんかもよう分からんから何とも言えん。

 俺が言いたいのは(あるじ)のあんたがのうのうとこの里を離れてええんかと言う事やった。


「館放っといて大丈夫なんか」

「ふふふふ」


 与右衛門が静かに笑う。


「二郎、京でお会いするのは織田家に仕える村井清三言うお方や、そのお方からの紹介で織田信孝様か羽柴秀吉様にお会いするやもしらん」


 信孝様か秀吉様?


「こう言う機会はもうあらへん、まさに一世一代の事や」


 俺はじっと与右衛門を見詰めた。

 彼は盃の酒をぐびっと口に運んどる。


「どうぞ」


 俺の隣に座る音羽が俺の盃に酒を注ぐ。

 盃に酒が満たされると俺もそれを喉に流し込んだ。

 喉に熱い感覚が広がる。


「二郎、そう言う事やから俺と共に京に来てくれ、あの森可成(よしなり)様の御子息の衣装を身にまとってな、飯田家の槍もお貸しするんでな」

「……分かりました。共に参らせていただきます」

「そうか、有り難いわ」


 与右衛門は上機嫌である。


「どうぞ」


 音羽が酌をする。

 おおきにと告げ盃に酒を入れてもらい俺は酒を少しだけ口に運んだ。

 与右衛門もまた酒を口に運んでいた……



 織田信孝様……

 誰やったか……


 しかし再び京へ向かうんか。


 しかもあの衣装をまとい、あの槍を持って。


 俺はそれが少し楽しみに感じた……

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