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本能寺の足軽  作者: 猫丸
第二章 山崎の戦い
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28話 水浴び

 昼時、俺はあの女がいる飯小屋へと向かった。

 一応あちらこちらに飯を配給する小屋はあるんやけど敢えてあの女がいる小屋へ向かった。

 列はそこそこ並んどる。

 俺は列の最後尾に並び、じっと少し先の小屋を見詰めた。


 ……伊賀……伊賀……ってどこやったか。


 聞いた事はあるんやが詳しい事は知らん。

 そやけどなんか………なんかがある場所やったはず。

 それがなんなんかは分からん。

 忘れた。


 ただあの女は只者ではないんやし槍術の進んだ地なんやろか………


 少しずつ少しずつ列が進み小屋の内部の様子が伺える。

 小屋の中に何人おんのかは分からんが飯を配る者は二人ほどおる。


 ……おった、あの女や……


 灰色の着物を着て頭に頭巾を巻いとる。

 列は更に進み俺の番になる。


「いらっしゃい」


 女が俺をチラリと見るやそう声を掛けてきた。


「なぁあんた、また会えんやろか」


 俺は飯を盛っている女にそう声を掛けた。


「ええ?またぁ?好きやねぇあんたも」


 女が俺を見ずにそう言う。


「いや色々と聞きたい事があって……」

「うちそんな女ちゃうよ?ただご飯配るだけの女や」


 そう言い飯の乗った皿を差し出してきた。


「い、いやそう言う意味ちゃうて!色々と話……」


 俺が慌てて言い訳をすると……


「はい、お次どうぞー、あんたもう行きぃや?邪魔なるで?」

「…………」


 しゃあない、俺は陣営の隅の切り株の椅子へと向かっていった。


「食べ終わったらちゃんと器返しぃよ?」


 去る俺に女はそう告げた。





 今日の昼飯は米と漬け物と山菜の入った味噌の湯漬けやった。

 充分に英気は養える。

 ここから女の働く小屋が遠くに確認出来る。

 さすがに女の姿までは確認出来ないが足軽達の列はさっきより長くなっていた。

 忙しいやろな。

 さすがに昼時はあの女と話をする事は不可能か。

 いつ戦に呼ばれるか分からんからなぁ。

 こんな陣営におるんなら突然夜中に出動命令下るかも分からん。

 そやから出来ればあの女と会ってもう一度俺の槍技を見てもらいたかった。



 空はよう晴れとる。

 日差しがやや強く感じ、じんわりと汗も出てくる。

 水を浴びたいがそんな所あるんやろか。


 俺が座る切り株の椅子から少し離れた場所に二人並んで飯を食ってる奴等がいた。

 俺は彼らの元に近づいた。

 年齢は分からんが若い奴等やな。


「もし、すまん、ええやろか」


 俺は飯を食う彼らに声を掛けた。

 二人は飯を食う手を止め俺を見てきた。


「……なんや?」


 一人がそう言う。


「俺ここ昨日来たばっかりなんやけど水浴びれる場所はあるんやろか」


 俺はじっと男を見てそう言った。


「川があるわ、あっちや、奥や、奥に外でられる所あるわ。そっから出えや」


 男がこの陣営の出入り口とは逆方向を指差した。


「あぁ川か」

「すぐ分かるよって、まぁ行ってみぃや」


 男は俺にそう告げた。


「分かった、わざわざすまんな、おおきに」


 俺は二人に礼を言うと皿を持ち女の居る小屋へと戻った。

 小屋では今も女が忙しそうに飯をよそおい配っとった。

 俺は小屋の脇の皿置き場に空の皿を置いた。

 さすがに声は掛けられん。

 完全に彼女の邪魔をしてまうから。


 それよりも先に水浴びを……


 言われた通り陣営の奥の方へと向かうと小さな出入り口が設けられとった。

 陣営は南北に長く伸びた長方形で大きな出入り口は北側、そして今俺がいる場所は南端にある。

 幕は開けられ外の様子が見える。

 確かに川がうかがえる。


 外に出ると椅子に腰を下ろし槍を持った髭面のおっさんがぼーっとしていた。


「すまんが外に出てもええんやろか」


 俺は座る男にそう告げた。

 ちらっと男が俺を見ると座ったままに口を開いた。


「どういう用でや?」


 しゃがれた低い声でそう言う。


「水浴びしたいんや」


 すぐ側の川をちらっと見て俺はそう言った。

 川なんか淡海(おうみ)(琵琶湖)の湖の一部なんかはよう分からんが向こう岸がすぐ近くに見えるから川に見える。


「行け行け、今の内やで」


 行け行けと言いながら手を振って男がそう言った。


「おおきに」

「もうすぐにも上様が坂本お戻りなさりよるんや、今の内入っとき」


 座った男がそう言う。


「……戦が始まりよるんか?」


 俺は男にそう尋ねた。


「戦はいずれ始まるやろうがまだや、お戻りなさられるだけや」


 上様……とは明智日向守光秀の事やろう。

 今、安土に来とったんか……


「いつ呼ばれるか分からんから早よ入り」


 見掛けによらず男が穏やかにそう言う。

 おおきに、と俺は再び礼を言うと川辺へと向かっていった。


 侍の服を脱ぎ草鞋(わらじ)も脱いで龍涎香(りゅうぜんこう)と久がくれた銅の板が入った小袋を首から外し、それらを一ヶ所に集めると俺は川に浸かっていった。


 少し離れた場所では俺以外に二人ほどが水浴びをしている。

 俺と同じ足軽やろう。


 俺は服や小袋を盗まれるのが嫌やったので服が目に見える範囲で水浴びをする事にした。

 腰を下ろし肩まで浸かるとかなりの冷えを感じる。


『…………冷たい……冷えるがごっつい気持ち良い……』


 後ろ髪を結んだ紐を外して俺は川の中に潜った……


 …………


 ぱぁっと川から顔を上げる。


「はぁ……はぁ……」


 身が引き締まる。

 気持ちも洗われる気分になる。


「あぁ……」


 ついでに川の水もたらふく飲み、ぼーっと遠くの山を見詰めた。

 少し遠く離れた安土の山や。

 てっぺんには大きな御城が見える。


『よう造ったな……あんなもん……』


 御城以外でも山全体至る所に館が建てられとる。


 ……今はあそこに明智光秀がおるんか……


 さっきのおっさんは明智はもうすぐ坂本に帰るとか言うとったな。

 また戻るんか?ここで戦はないんか?

 俺は北側に位置する安土城から視線を東と西に移した。

 東にも西にも俺がおる幕が張られた陣営のようなものが建てられとった。

 無数に足軽達が集まっとるんやな。


 相当大きな戦が始まるんかも知らん……


 ……そやけど死ぬわけにはいかん。


 死んでたまるか、くだらん戦の為なんかに死ねるか……




 川から上がった俺は小屋で寝ていた。

 ただひたすらに眠り、目が覚めると小屋の中は薄暗くなっていた。

 夕暮れ過ぎ辺りやろか。

 とりあえず晩飯を食いに行こうと小屋を出てみると思いのほか暗く松明(たいまつ)がいくつか灯されていた。

 飯はまだ配っとるやろか。


 なんか陣の内は静まり返っとるんやけど寝過ぎたか?

 俺は諦め半分にあの女がおる飯の小屋へと向かった……




 飯小屋に兵の列は無い。

 小屋の中も人の気配は無さそうやが暗くて分からん。

 遠くの松明の灯りでうっすらと確認出来る程度や。


「…………」


 誰かおるんか?薄暗すぎて分かり難い。


「もう終わったで?」


 唐突に隣から声を掛けられた俺はビクリとし、とっさに身構えて後ろに身を引かせてしまった。

 ふふふふ、とその人物は笑ってる。


「……あんたか?」


 俺は隣の人影にそう尋ねた。

 遠くの松明の明かりで若干顔が確認出来る程度。


「あんたって誰の事や?」


 女はそう答えた。


「伊賀から来た言うあねさんやろ?」

「そうや?」

「……もう飯は終わり?」


 俺は小屋を見てそう聞いた。


「もうないで、あるとしても握り飯作ってあげられる程度や」


 ……腹が減っているのは事実や……

 厚かましいかもしらんが俺は……


「是非お願いしたいんやがよろしいやろか……」


 そう頼んだ。

 しゃあないなと女は小屋の中に入っていく。

 暗いやろうに女は小屋の中で飯の準備をしてくれとる。


 俺の為に……


「えらい申し訳無い、ずっと寝てしもうとって」


 俺は彼女にそう告げた。


「稽古のし過ぎ?意気込み過ぎんのも命取りやで?」


 彼女は食事の用意をしながらそう言う。


「いや、川で水浴びした後、気持ちようなって小屋でずっと寝てもうてた」


 俺がそう言うと彼女はあははと大袈裟に笑っていた。




 今は陣営の端の例の切り株の椅子が並んだ場所に腰を下ろし食事を取っていた。

 隣には伊賀の女が付き合って座ってくれていた。

 俺ら以外には誰もおらん。

 飯は握り飯四つで中に漬け物を入れてくれていた。


「うまいわ、あんた飯作んの上手やなぁ」

「そんなん誰でも作れるわ」


 女は素っ気なくそう言う。


 ちらりと女を見ると近くの松明の灯りに照らされていて妖艶さを感じる。

 着物も飯小屋の時のものではなく艶やかな服を着ていた。


「……あんたべっぴんやな」


 柄にもなく俺は思わずそう口にした。


「口説いてんの?」


 女がそう切り返しチラリと俺を見てくる。


「いや素直にそう思っただけや、俺は……丹波に待っとる奴がおるから」

「ほんならうち戻っていい?」


 そう言い立ち上がろうとする。


「ちょっと待って!待って下さい!お頼みしますんで!」


 慌てて声をあげて彼女を引き留めると彼女は少し間を空けてから再び腰をおろした。


「何の用?」

「えぇ……あの……」


 どない言うてまた槍の稽古見てくれ、なんて言えばええんやろ……

 断られそうな雰囲気しか感じん……


「伊賀……って聞いた事あるんやけど、どこにあんの?」


 とりあえず俺はそう尋ねた。


「近江の国のすぐ南や」

「……あんた槍の技優れてるようやけど伊賀は槍うまい奴多いんか?」

「……ふふふ、あんたほんま何も知りよらんねんね」


 女が少し呆れてる。


「……聞いた事はあるんやけど……」

「みんながみんな上手ちゃうけど丹波のあんたらよりかは上手いわ」


 そう言い彼女はケラケラと笑っとる。


「…………」


 確かに丹波の俺らなんて槍のうまい奴おらんやろうし、そうかもしれんなぁ。

 俺は黙ったまま握り飯を頬張った。


「あんたはええやん、帰れる所もあるし待っとる人もおって」


 笑うのをやめた女は真顔で急にそう呟いた。

 俺はちらりと彼女を見た。

 女は前をじっと見とる。


「伊賀は……戦かなんかに巻き込まれたんか?」


 俺はそう尋ねた。


「もうめちゃめちゃや、うちに帰る所なんてあらへん」


 女はちらりと俺を見てそう呟くと静かに微笑んだ


「…………」

「あの方にやられてん、すぐそこの御城のお方にな」


 すぐそこ……


「……織田の信長様にか?」


 俺がそう言うとコクリと頷き静かに微笑んどる。

 なんて言えばええんか分からん……言葉が出ん……

 彼女も黙っとる。


「……俺は二郎言うんやけど」


「知っとるよ、言うてたやん。うちの名やろ?(ゆい)、お(ゆい)


 彼女は、結はそう名乗った。


「お結さん、折り入って頼み事があるんや。俺はもういつ(いくさ)呼ばれてもおかしない状況や」


「…………」


 結は何も言わず俺を見て聞いている。


「こんな夜更けでも急に呼ばれてもおかしない、明日すぐ呼ばれてもおかしない、そやから……」

「がんばり、うちからはそれしか言われへんもん」

「俺の槍の使い方見るだけでええから、見た後に助言貰えんやろか」

「もう夜やで?うち眠い」

「そこをなんとか、お願い致します」

「……今朝言うたやん、うちが教えるんなら半年はかかるって、今日明日教えたとて何の意味もあらへん」

「そやけど!」


 俺は(はかま)をめくった。

 今朝、枝で突かれた傷跡が(すね)と足首に二ヶ所ある。


「あんたからこれ食らった後、引くようにって助言してくれたやん!引く言われてもよう分からん!もう少し具体的に教えてくれんやろか!」

「……はぁ……」


 結は小さく溜め息をついている。


「…………」


 俺は黙り込み彼女の目をじっと見詰めた。


「……今日はもう嫌や、眠たいねんうち。明日……今朝の場所に半刻(1時間)早よおいで」

「半刻……日の出辺りやろか?」

「それぐらいやなぁ……でもうち寝坊するかもしらんけどええよね?」


 そう言いにこりと笑ってる。


「教えてもらえるんなら俺からは何も言えへん」

「ほんならそう言う事で、うち帰るわ、眠い」


 そう言うとお結さんは立ち上がり足早に陣営を歩み、やがて暗闇の中に消えて行った。


 俺は残り一つとなった握り飯に食らい付いた


 ……大丈夫なんやろか……


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