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♥ これは式神  作者: 雪*苺
十日目 / 水曜日 5月1日
70/104

♥ 依頼場所 2 - 2 / 廃神社 1 / 退魔師という仕事 4


──*──*──*── 廃神社


 が……なみ団地の高台にある廃神社……。


 にもかが出てそうな雰囲気まん(まん)ね…。


 なにも出てないわよね?


 仮に出てたとしても私にはなにも見えないんだけど……。


厳蒔弓弦

「 ……随分と酷い有りさまだな…。

  よどみも酷い…。

  これが神社なのか… 」


玄武

もと神社だな。

  今は “ 神社 ” とは言えないな 」


衛美

「 どうして?

  廃れていても神社には変わらないでしょう? 」


玄武

「 この場所には、神社には必ず “ あるべきもの ” が無いからだ。

  本来 “ あるべきもの ” がまつられていない神社は、もはや “ 神社 ” とは言わない 」


厳蒔弓弦

げん、一体なにが無いんだ? 」


玄武

こんだ 」


衛美

こん??

  げんこんってなに?? 」


玄武

「 …………はぁ…。

  えい、実践哲学のまなびで学んだ事を忘れたか? 」


衛美

「 え…??

  こんの事なんて学んだかしらね? 」


玄武

「 …………はぁ…。

  覚えてないか… 」


衛美

「 ちょっとぉ!

  大袈裟に溜め息、き過ぎよ! 」


厳蒔弓弦

えいこんは──あらたまにぎたまさちたましきたまの事だ。

  神社には偉人,貴人の霊のほかに、必ずにぎたまあらたまと称するほんとうのご神霊がごうされてまつられている。

  たまにぎたまあらたまが神社のさいしんだ。

  このさいしんがご守護され、功徳の報果を与えられる。

  神社にごうされている人格の霊には、世を造り,人を守護し,功徳の報果を与える力はけっしてない。

  人格の霊には、なん神様としてのじんつうりきは一切ないんだ。

  神社に参拝する時には、しんかくにぎたまあらたまに祈念し、ごうされている人格の霊は、その冥福をご神霊にお祈りして上げるのが、正しい神社参拝のあり方だ 」


玄武

「 ほぅ…。

  づるは知っていたか。

  えいづるを見習え 」


衛美

「 私は(じゅつ)()じゃないんだから、知らなくても仕方無いでしょう? 」


玄武

「 面白い事を教えてやろう。

  人格を神様として神社にまつる事そのものが、神様を冒涜し、神様を蔑ろにした非礼の行いだ。

  人間が勝手に[ かみ ]とせんしょうしても現実に、[ かみ ]としての効果が顕れ示されない事は否定出来ない事実だ。

  単に人間が自己満足するだけでな。

  神社か何故、火災で焼失するかというとだな、人格を神様としてまつるような過ちに対する〈 久遠(しん)実成(ぶつ) 〉の戒めである事を認識し、過ちを正していかなければならない 」


衛美

「 そう…だったかしら?

  それも実践哲学のまなびで学んでたかしら?? 」


玄武

「 …………はぁ…。

  大事な事だと言うのに、覚えていない… 」


衛美

「 むぅ…。

  今からげんは溜め息くの禁止だからね!! 」


玄武

「 ──神社に参り、無事息災を祈り、寺へ参り、観音や地蔵に同じように無事息災を祈るのは、[ かみ ]も[ ほとけ ]も同義、同体だからだ。

  同じものの[ かみ ]や[ ほとけ ]をなんヵ所にもまつり、なんかいも同じ事を繰り返して拝んで廻ったり、あっちの宮やこっちの宮、寺と拝んで廻る事そのものが、実に不合理でおかしな話だ。

  こうした理に合わない事柄は、思い切ってめてしまった方がいい。

  あっち、こっちと神社や寺を拝み歩く、拝み信仰は正しい信仰の姿とは言えない。

  まつっている〈 久遠(しん)実成(ぶつ) 〉のそんによって、ご利益の大小の差がしょうずるのではなく、教えの正否が──、教えが〈 久遠(しん)実成(ぶつ) 〉の法に適か、不適かという事の差異によって、教えを実践する正否、適不適の度合いによって、教えを信ずる度合いの差異によって、〈 久遠(しん)実成(ぶつ) 〉のはたらきに大小が現れる事を認識しなくてはいけない。

  ──これも実践哲学のまなびで学んだ筈だがな… 」


衛美

「 だから、覚えてないってば! 」


厳蒔弓弦

「 [ 神様 ]と[ 佛様 ]が同義同体ならば、しゃしゃは理にかなっている事になるな 」


玄武

「 死んだ人間を[ ほとけ ]ではなく[ ほとけ ]と区別しているのは、〈 久遠(しん)実成(ぶつ) 〉と人間の霊が完全に別物だと教える為だ。

  人間の霊魂は[ かみ ]にも[ ほとけ ]にもなれない。

  勿論、極楽浄土で[ ほとけ ]の弟子にもなれない。

  かと言うと、人間の霊魂たましいは輪廻の流れへ還り輪廻流転を繰り返すからだ。

  霊魂たましいが消滅するまで永遠不変,未来永劫、輪廻転生を繰り返すように〈 久遠(しん)実成(ぶつ) 〉から決められている。

  ──大体、極楽浄土を見てた者がないというのに、寺の坊主達は自分達の見た事もない、知らない極楽浄土へ “ 自分達の言うとおりに実行しさえすれば、道案内して、導いてやる ” と自信を持って言っている。

  無責任にも程があるな 」


衛美

「 ……げんぅ〜〜。

  今は神社の話をしてるんでしょ。

  お寺の話は今しなくてもいいでしょう? 」


玄武

えいにも関係のある話だ。

  すぐるは≪ しゃ ≫に務めているのだろう。

  間違った知識を吹き込まれても困る 」


衛美

「 私は≪ しゃ ≫で働くつもりはないんですけど… 」


玄武

「 そうか?

  ──で働くかはえいの自由だ。

  ワタシは口出しはしない 」


衛美

「 …………信じていいのかしらね?? 」


厳蒔弓弦

「 私は信じていいと思うがな。

  げんえいを心配しているだけだろう。

  妹を思う兄心だと思ってはどうだ 」


衛美

づるさんってば、げんに甘過ぎです!! 」

◎ 訂正しました。

  思い切ってめてしまった方がいいい。─→ 思い切ってめてしまった方がいい。

  知らない極楽浄土へ、 “ 自分達の言うとおりに実行しさえすれば、─→ 知らない極楽浄土へ “ 自分達の言うとおりに実行しさえすれば、

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