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レストランで食事を終え、コーヒーを楽しんでいる時の事だった。
ヨハン・ネリウスは、今ほど入店したばかりの客を何気なく眺めていた。
新たな客は、見栄えが良い男で、身のこなしも洗練されている。
誰かと待ち合わせをしているのか、しばらく店内を見回していたが、ヨハンの姿を目に留めると、まっすぐこちらに歩いてくる。
急ぎの用向きでもあったらしく、少し息を荒げながらヨハンの席の近くで立ち止まった。
「ネリウスさんですか?」
ヨハンは驚いて、コーヒーのカップを持ったまま、目を見開いた。
「ええ、そうですが……貴方は?」
「失礼致しました。私は、ジェラルド・ハールマンと申します」
ジェラルドが手を差し出してきたので、ヨハンは反射的に立ち上がってそれに応える。
「ヨハン・ネリウスです」
「ネリウスさん、ここで貴方に会えて良かった。間に合わないかと思っていました」
ジェラルドが少し興奮した様子で言う。
「申し訳ない、ハールマンさん。どこかでお会いした事がありましたか?」
旧友と再会したような喜びように、聞き辛くはあったが、そう尋ねた。
「いいえ、お会いしたのは初めてです。……私は、生前、ヴェロニカと親交がありまして。警察で、貴方の話をお聞きして、追いかけて来たのですよ」
「なるほど、そういう事でしたか」
ヨハンは、このレストランを教えてくれた警察官の顔を思い浮かべた。人の良さそうな彼が、ジェラルドに対して親切にヨハンの事を話したというのは、容易に想像できた。
「どうぞ、掛けて下さい。わざわざ、ここまで来て下さったんだ。何かご用があったんでしょう?」
「ええ、ありがとうございます」
ジェラルドと共に、ヨハンも席に着き、店員を呼び寄せた。ジェラルドにも飲み物を注文する。
店員が注文を受けて、厨房へと入って行くまで見届けてから、ヨハンは口を開いた。
「それにしても、ヴェロニカに貴方のような紳士の友人がいるとはねぇ」
ジェラルドを上から下へ眺めて言う。不躾な視線にも、ジェラルドは不快な様子は微塵も見せない。
ただ、遠目では分からなかったが、衣服や靴は随分とくたびれている。上等なものである事は確かだが、着古されているのが見て取れた。
「彼女はとても素晴らしい人でしたよ。多くの人に、必要とされていました。ネリウスさんもよくご存知でしょう」
故人を惜しむその声は、慈愛と悲しみに満ちている。きっと、ジェラルドは教会の神父に向いていると、ヨハンは的外れな感想を抱きながら、頭を掻いた。
不作法な仕草だったろう。
ジェラルドはヨハンの一挙一動をつぶさに見ている。居心地が悪くなって手を下ろし、肩をすくめた。
「私はね、ハールマンさん。彼女とはもう何年も会っていないような、古い頃の知り合いでしてね。ヴェロニカの事といえば、きっと貴方の方がよくご存知だと思いますよ」
「彼女とは何年も会っていない。近況もご存知でないという事ですか。であれば、どうして遺体を引き取りに来たのです? どこでヴェロニカが亡くなったという事をお聞きになったのですか?」
まるで警察官が取り調べでもするかのように問い詰めてくる。
ヨハンがこの街に訪れたのはヴェロニカの遺体を引き取る為だった。
警察でヴェロニカの事を尋ねれば、早朝に見つかったばかりの遺体がそうであると教えられた。
今、ジェラルドに聞かれた内容の事を、警察でも問い質された。
どこでヴェロニカが亡くなった事を知ったのか。
遺体を引き取ると言うが、ヴェロニカとはどのような関係なのか。
関係は説明できたが、ヴェロニカが亡くなった事を知っている理由は、明確に答えられなかった。ヨハン自身も、ヴェロニカが亡くなっているかどうかは半信半疑であったし、実際に今朝方亡くなったという事実を聞いて驚いていた。
ヨハンはコーヒーを口に運んだ。浮足立つ心を抑え付ける為に、意図的にゆっくりとした動作でカップを下ろす。
「それが聞きたくて、私を追って来たんですか?」
「ええ、聞きたい事の内のひとつです」
「警察で私の事をお聞きになったのでは?」
「貴方が遺体を引き取りに来た事と、この店に食事をしているだろうという事しか聞いていません」
語尾に重なるようにして言葉を返してくる。それが落ち着かない気分にさせる。
一見、紳士的な男だが、本質はそればかりではないらしい。
端から粗野な振る舞いで悪印象を与える人間と相対した時とは、また別の不快感を覚える。
ヨハンが鼻白む様子を気にも留めず、ジェラルドは更に言葉を重ねる。
「聞いていないからこそ会いに来たのです。教えて下さい。貴方は誰なのですか? どこで彼女の死を?」
「まるで警察のようだなぁ。私は疑われているんですか?」
意地悪く笑って見せた。ジェラルドに聞かれるがまま、全て答えるのは癪だった。
ジェラルドは虚を衝かれたような顔をした後、暗い笑みを浮かべた。ジェラルドの容姿には似合わない質のもので、それでいながら、よく板に着いているようにも見えた。
「……そうですね。貴方がヴェロニカを殺害した犯人だと、疑っているのかもしれません」
冗談のつもりだったのにも関わらず、肯定されて、今度はヨハンが面を食らう。
驚きから冷めると、怒りが沸々と込み上げてくる。
突然声を掛けてきたかと思えば、矢継ぎ早な質問攻めの上に、殺人犯ではないかと疑っているなどと言う。怒るなと言う方がおかしい。
ヨハンは大声で怒鳴ってやろうかと思ったが、どうにか堪えた。再びコーヒーを口に含んで、冷静になれと自分に言い聞かす。
ヨハンの事を犯人だと疑っていると言うのなら、ジェラルドは恐らく警察で、あの話を聞いていないようだと推測した。
「ハールマンさん。実は、貴方が先程おっしゃったような事を、警察でも問われましてね。犯人なんじゃないかと疑われて、随分と時間を取られました。いやぁ参ったものです」
頭に手をやり、おどけて見せる。
「今、ここに居るという事は、誤解は解けたのでしょう?」
「まぁそうですねぇ。どうやら私よりも疑わしい人間がいたようでして」
「ほう? それは一体?」
ヨハンは顎を指で撫でながら、にやりとする。
「ヴェロニカが殺される前日の夜、彼女の元を訪ねて来た男が目撃されているそうなんですよ。夜の闇に紛れるように、全身を黒い衣服に身を包んでいたそうです」
「それは……確かに、怪しいですね」
「そうでしょう。人の目に付く時間帯を避けるようにして、男が女の元を訪れ、その翌日に女の死体が発見されるなんて、ねぇ?」
分かりやすい状況が、見えない線を想像させた。
ヨハンはわざと下世話な表情をつくる。
「それも、随分な色男だったらしい。ヴェロニカと並んでも遜色のないような……」
ジェラルドの顔をじろじろと見て続ける。
「そう、貴方みたいに、金髪碧眼の」
2人の間に沈黙が落ちる。ジェラルドが息を詰めたのがよく分かった。
意趣返しのつもりだったが、効果は覿面だったようだ。ヨハンはその結果に満足する。
殺人犯だと疑われるのは、例えほんの小さな可能性の話だったとしても、気持ちの良いものではない。
金髪碧眼という特徴を持った人間など、探せばいくらでもいる。
そのような目撃情報だけで、ジェラルドが犯人だなどと、本気で思ってはいない。
ただ、ヨハンからすれば、お前も十分怪しいのだと伝えたかったのだ。
突然現れて、ヴェロニカとヨハンの関係を聞き出そうとする、素性の分からない男。名のりはしたが、本名かどうかも分からない。
一方的にこちらを問い質すのはおかしい。
「私は、その男ではありませんよ」
ジェラルドは平坦な声で言った。その顔からは表情が抜け落ちていた。
舞台役者が突然、役の仮面を脱ぐような、唐突であからさまな変わりようだった。
ジェラルドが目撃証言の男でない事は、言われなくとも分かっていると、ヨハンはそう、思っていた。
「えぇ、分かっていますよ」
口はそう言いながら、頭の中では、思考が真逆へと進んで行くのを感じていた。
ジェラルドの態度がそうさせた。
ヴェロニカを訪ねた金髪碧眼の男が、ジェラルドだと考えるのはとても安直だが、警察はどう考えるだろうか。ヴェロニカと親交があり、死んだ日の直前の夜に、彼女の元を訪れた人間の特徴と合致するジェラルドを、簡単に解放したりするだろうか。
そんな男に、ヴェロニカの遺体を引き取りに来た人間の所在を、教えたりするだろうか。
ジェラルドは本当に、あの警察官からヨハンの話を聞いたのだろうか。
次々と嫌な疑問が浮かんでくる。
ヨハンは、自分の顔から血の気が引いていくのを感じていた。きっと、青白い顔をしているだろう。
「私はその男ではありませんよ」
先程と全く同じ事を言った。
ジェラルドの目に光はなく、曇天の下の淀んだ海を思わせた。
「……勿論、分かっています」
先程と同じ言葉を返した。ジェラルドの目を真っ直ぐに見る事が出来ず、視線は横に逸れる。
ヨハンとは正反対に、ジェラルドの暗い目は、ずっとこちらを見て動かなかった。




