↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェロニカ  作者: 蟻塚ハチ
1/4

1

昔に書いたものを、書き直しました

 ジャコモ・ケヴィッツは、まだ12歳の少年だった。

 元は、輝くような金糸の髪が、滅多に櫛を入れないせいで、いつも艶がなくぼさぼさとして絡まっている。

 それでも、深い青の瞳は、宝石のように美しかったし、肌は抜けるような白さで、いくらか煤で汚れているのも気にならない程だった。

 人は、彼を天使のような少年だと表現した。


 ジャコモには5つ下の妹がいた。

 名前はビアンカ・ケヴィッツ。

 やはりビアンカもジャコモ同様、美しい子どもだった。

 髪の色も肌の色も、ジャコモにそっくりだったが、瞳の色は茶色で、そこだけはジャコモと異なっていた。

 

 2人は美しい兄妹だった。

 2人は仲の良い兄妹だった。



 その日は少し、ビアンカの様子がおかしかった。


 ビアンカは幼い頃から病弱で、1年の大半を横になって過ごしていた。

 今日もまた寝床で苦しそうな呼吸を繰り返している。

 藁の上にぼろぼろの布を被せただけのベッドに、痩せた体を横たえていた。


「ビアンカ」


 ジャコモが小さく呼びかけると、ビアンカは薄く目を開く。

 冷えた指先を、熱をもった首にあてれば、気持ちいいのか微かに笑った。


「おはよう」


「……うん、おはよう」


 声が掠れて聞き取りにくい。

 随分と前からずっと掠れたままだった。

 こうなる以前は、小鳥が囀るような愛らしい声で、ジャコモの事を呼んだ。


 ジャコモは、ビアンカの首元から手を離して立ち上がる。

 

「仕事に行ってくる」


 いつものように、短く言った。


 ジャコモとビアンカの母親はビアンカを産んだ後、程なくして病気で亡くなった。

 父親は家にほとんど帰って来ない。

 時々、思い出したようにふらりと現れては、ほんの僅かな金と食料を奪ってまたどこかへ出て行く。

 この家には、ジャコモ以外、働き手はいなかった。

 熱を出したビアンカを1人で置いていけないとは、言っていられなかった。

 それは、ビアンカも分かっている筈の事だった。

 しかしその日は様子が違った。


 ビアンカの小さな手がジャコモへと伸びる。

 ジャコモは傍に寄って、その手を握った。


「どうした?」


「……行かないで、ほしい。傍にいてほしい」


 泣き出しそうな声で言う。

 ビアンカは幼いながら兄妹の置かれた状況をよく理解していた。

 いつも、体調が悪くとも1人で留守番をしていたし、それに不満を言った事は一度もなかった。


「何かあったか?」


 優しく聞くと、ビアンカは泣きそうに顔を歪めた。


「しんどい……気持ち悪いよ。辛い、苦しい、怖い」


 ビアンカの口から零れる言葉は、抑えきれなかった感情の破片のように見えた。

 怯えるビアンカの目は、焦点が合っていなかった。

 見えない暗闇に捕らえられてしまったようだった。


 ビアンカの額に触れる。


「熱が高いな」


 いつもよりもかなり状態が悪いらしい。

 ジャコモの胸に嫌なものがよぎる。

 汗で額に貼り付いた前髪を、そっと除けてやりながら、ジャコモは微笑んだ。


「分かった、仕事は休む。安心しろ」


 ビアンカの瞳がジャコモを捉える。


「……本当、に?」


「ああ、ずっと傍にいる」


 ビアンカは頬を緩ませて、目に溜まっていた涙を零した。

 ジャコモの手を握りしめて、瞼をぐっと閉じる。

 それでも涙はぼろぼろと零れ落ちていく。

 ジャコモは自由な右手で、ビアンカの頭をゆっくりと繰り返し撫でた。

 ビアンカの不安を取り除けるまで何度も。


 ビアンカが眠るまで傍にいて、それから医者に薬をもらいに行く。

 薬を持って帰って飲ませてから、仕事へ向かう。

 仕事には何が何でも間に合うようにしなければならない。


 ジャコモは工場で働いていた。

 遅れるわけにはいかない。

 休むことなど出来る筈もなかった。


 ジャコモは心の中で、ビアンカに謝った。

 嘘をついた事を。

 傍にいてやれない事を。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。