1話.生意気!
「おいブス子、いつまで洗面台占領してんの」
小鳥の囀りで目を覚ます爽やかな朝。……と言いたいところだが、現実はそんなに甘くない。
今日もまた、背後から飛んでくるクソ生意気な義弟の罵声によって、私此坂凪子の憂鬱な一日はスタートするのだ。
「おはよぉ、夏波。今日も早いねぇ」
会社は戦場であり、メイクは女の戦闘服だ。
鏡の前で必死にアイラインを引いていると、反抗期をこじらせた義弟・夏波が洗面所のドア枠にもたれかかり、心底見下したようなため息をついた。
「ブスが何したって変わんなくない? 時間の無駄だから早く代わって」
鏡越しに目が合うが、その瞳には親愛の情など微塵もない。
……ほんっとうに、可愛くない。
(イラッ……!)
脳内で勢いよく中指を立てつつ、私は完璧な営業スマイルを顔面に貼り付けた。
「はいはい、お待たせしましたぁ」
クソガキの嫌味を華麗にスルーして、私は足早に玄関へと向かう。
入社して3年。後輩もでき、任される仕事も増えてきた今の私には、反抗期のガキの相手をしている暇など1秒たりともないのだ。「やりがいのあるアットホームな会社」という謳い文句の通り、重すぎる「やりがい」に押しつぶされそうな毎日なのだから。
じとっと背中に突き刺さる視線を無視して、パンプスに足を入れる。
「おい、今日、帰り遅いの?」
ふいに、背後から不機嫌そうな低い声が飛んできた。
振り返ると、夏波が腕を組んで壁にもたれかかり、こちらを睨み下ろしている。
「え? うーん……今日は少し遅くなるかも。後輩くんの仕事の相談に乗らなきゃいけなくて」
「は? 後輩『くん』? 男?」
「そうだよ。今年入ってきた新人の子」
その瞬間、ピクリと夏波の眉が大きく跳ね上がった。
「……ふーん。ただの新人指導をいいことに、男とヘラヘラ飲み歩くわけね?」
「……っ」
(このクソガキ……! 誰が好き好んで、疲労困憊の残業終わりに新人の愚痴大会に付き合うと思ってんのよ! こっちだって一秒でも早く帰って、FPSでヘッドショット決めたいんですけど!?)
喉まで出かかった暴言を必死に深呼吸で飲み込み、私は再び女神のような笑みを作った。
「ご心配どうも。遅くなるから、私の分の夕飯はラップしておいてね。戸締まりもよろしく〜」
「……別に、心配なんかしてないし。俺が先に寝るのに、後からガチャガチャうるさく帰ってこられるのがウザいから聞いただけで……ッ」
「はいはい、わかったわかった。じゃあね、行ってきます!」
これ以上この天邪鬼に付き合っていると、本当に遅刻してしまう。
私は夏波の文句をBGMに、逃げるように玄関のドアを閉めた。




