その後のお話――セルツの冬至祭
彼女はどこだろう?
日に何度か、彼女の居場所を確かめずにはいられない。
私の静かな日常は、いつも突然の暴力によって覆されて来たからだ。
耳をすまし、賑やかな声のする方に廊下を進む。
彼女は少しばかり堅苦しくて人を寄せ付けない面がある。だが、この城の者達は彼女を慕い、至る所で彼女の周りを取り囲む。
時々、全員を追い払って彼女を独り占めしたい衝動に駆られるが、我慢する。
彼女は私より二つ年上だ。
夫として相応しいと思ってもらうためにも、子供じみた欲求は全て封印しなければならない。
「この辺でいいですか?」
彼女に付けた護衛騎士、ギャラガーの声が聞こえた。
「もっと右。ギャラガー、貴方、横着しないで梯子の位置を変えなさい」
彼女が厳しい口調で注意した。
『へーい』と、何とも気のない返事をしながら、何かを動かす音がする。
そこは大広間だった。
かつては季節の祝祭毎に、華やかな宴が執り行われていたが、私の代になってからは一度も使われていない。
年老いた家令からそんな話を聞くと、彼女はパチンと手を打ち鳴らした。
「もうすぐ冬至祭だわ。城内の皆と祝宴をしません? 城下の者達にも葡萄酒を振る舞うのはどうかしら。ね、キアラン様」
彼女にそんな風に言われたら、私に言える答えは、『そうですね』しかない。
結果、彼女は冬至祭の準備でますます忙しくなり、私と過ごす時間が減ってしまった。
開いたままの入口から一歩前に進むと、常緑樹の独特の香りが鼻をついた。
去年は、都の王城で冬至祭を迎えた。
やはり同じように木の匂いが立ち込めていて、楽の音と歌が波のように満ちていた。
平和で美しい場所――けれど、そこは私の居場所ではない気がした。まるで、親切だけれど言葉の通じない異国人の中に取り残されたようにさえ思えた。
今も、彼女の手伝いができるわけもなく、少し見える方の目で、揺らめく人影とそれぞれが持つ魔力の色合いをぼんやりと眺めていた。
また後で来た方がいいかもしれない。
そう。彼女の手が空いた時に。
その時ならば、彼女は私だけを見つめてくれるだろう。
私は静かに大広間を出ようとして、開かれたままの扉に何かあることに気づいた。
額の高さより少し上だ。
緑色の暖かい魔力を感じる。
それは、古い、原初的な魔力だった。危険な感じはしない。何があるのか確かめようと手を伸ばすと、肘を下に引かれた。
「触っては駄目よ、キアラン」
彼女の声だ。
「すみません。壊れやすい物でしたか?」
「いいえ。ただの飾り環です。でも、柊の葉がトゲのように尖っていますから」
彼女の気遣いに、思わず頬がゆるむ。
「柊、ですか?」
「ええ。濃い緑色で、つやつやしていて、赤い実がついた」
生命と再生の木か。
夜が長く寒いこの季節、植物は眠りにつく。常緑で鮮やかな赤い実をつける柊は、殺風景な室内を彩るために人々に重宝がられていた。が、魔導士は、その木自体が持つ再生の魔力の方に惹かれる。
「実は薬にもなりますのよ」
彼女が言った。
「それは、初耳です。道理で苦いはずだ」
「食べた事がありますの?」
「ええ」
「まあ! 植物には毒となる物もありますのに。もうそのような事は止めて下さいませ」
「子供の頃の話です」
そう。再生の魔力で失った目が元に戻るのでは、と思うくらい子供の頃の。
さすがにもうやりませんよと笑うと、彼女は困ったようにため息をついた。『ほんの数年前の事でしょう?』と、言われている気がして、おもわず背筋をピンと伸ばした。
「奥方様」
私の側近のダンカンが声をかけてきた。
「後は私どもでやりますので、少しお休みになってはいかがです?」
「あら、でも……」
「少し、閣下にかまってやって下さいってことでさぁ」
わけ知り顔なギャラガーの声。
女の影もないあいつにしては、上出来だ。
「あ……ああ、そう……そうね」
うろたえたような、照れたような彼女の甘い声。
「では、少しお願いしようかしら」
皆が口々に返事をする。
私は、彼女に手を差し出した。
ほっそりした滑らかな指が、私の指先に触れる。思わずその指に自分の指を絡め、半ば引きずるように彼女の手を引いた。
一番近い部屋はどこだ?
「キアラン様?」
「貴女に口づけたい。今すぐ」
性急に口走る私に、彼女は『まあ』と呆れたように言ってから、クスクスと笑った。
「こちらへ。わたくしの執務室へ行きましょう」
けだるい。
半裸でうつ伏せに横たわる私の頭を、彼女は優しく撫でている。おそらく、満腹になった犬か熊のように見えていることだろう。
「ごめんなさい。貴方をないがしろにするつもりはなかったのよ?」
彼女が、どこか気落ちしたような声で言った。
「ええ、分かっていますよ」
分かっている。
彼女が、よき領主夫人であろうと努力していることも。放置されていたこの城を、明るく変えようと頑張っていることも。
私を、弟のようなもの、と思っていることも。
いまだ、王に命じられた政略結婚と信じている彼女に、どう伝えればいいのだろう。
この思いを。
執着にも似た激しい恋情を。
が、悲しいかな。人間の言葉の能力は限られていて――
「愛しています、ロージー」
うつ伏せのまま告げた言葉は、くぐもって届かなかったのだろう。彼女は小さくハミングしながら、私の頭を撫で続けた。
「少しお休みなさい。貴方は気を張りすぎなのよ」
彼女の美しい声を夢うつつで聞いた。
「愛してるわ、キアラン・アルトフェイル」




