【三日目夜】リビング その③
数日間にドロップが見聞した全てを余すことなく語り尽くす。要領の悪さはあるもののナイトは熱心に聞き、よほどの話の飛躍が無ければ誰も口を挟むことは無かった。事前にハクから練習を命じられた経験が早くも役に立つ。ドロップ自身、話をしながら欠点の自覚が伴ってきた。あとは経験と反省を繰り返すのみだろう。語る所要時間に見合うだけの報告が完了した。
ナイトは天を見上げ、ふぅっと長い息を吐く。
ぽつりと「みんなして酷い」と呟いた。
「……酷い」
より怒気が込められた声だ。
聞き終えた報告の内容を頭の中で整理しつつ、簡潔にまとめていく。トピックが挙がるごとに語気の粗さが比例した。
「深夜のカーチェイスとか、掲示板書き込みの追跡調査とか、楽しい尋問会その一その二とか、果ては都心部交通麻痺レベルのサイバーテロとか!」
ふつふつと湧きあがる怒りはついに頂点へと達する。
カラになった包装袋を握りしめ、声高に叫ぶ。八つ当たりの相手はスノーだ。
「ずるいずるいずるいずるーい!! なんで、私がいない時に限ってこんな面白いことしたの!?」
「休暇を取りたいが為に全員が迅速に仕事をしただけだ」
休暇指示を出した本人がぐぅっと唸る。
スノーは先程取り上げたフロランタンを砕いてから封を切り、欠片をナイトの口へと押し込む。正論で返したところで彼女の昂ぶりが収まるはずがないと察していた。被害を最小限に抑えるべく、培われたあしらい一式を導入する。
ザクザクとナイトはフロランタンを咀嚼した。ほんの少しだけ口角が持ち上がる。スノーはその隙を見逃さない。ナイトが次に口を開くより早く、タブレット端末を手渡した。
「他のメンバーからの補足として報告書も読め。これを読んでも腹を立てるだろう。どうせなら一回にまとめてくれ」
ナイトはタブレット端末のディスプレイを一瞥することなくスノーへ押し返す。情報を拒むというナイトらしからぬ行為にスノーは動揺し、油断した。一瞬で手元からフロランタンが入った袋をひったくたられる。止める間もない。中身全てがナイトの口内へと流し込まれる。
噛み砕かれたアーモンドの香ばしい香りが、勝ち誇った笑みからこぼれた。なかなかに小憎らしい。
スノーは露骨に顔を顰める。それでも律義に彼女の手元から包装袋を回収し、ウィザードへ引き渡す。ウィザードは何も言わず白衣のポケットへと仕舞う。なんてことのない自然な動作であったがスノーは嫌な予感がした。彼の異常性癖ともいうべき習性は常人の発想を遥かに超える。問いただし、取り上げるべきか迷ったが諦めた。ナイトがここへ入院している以上、ナイトの使用済みの物で溢れている。今さら気にしたところで手に負えそうになかった。潔く身を引くことにする。
ナイトへ視線を戻し、食べ終えたのを見計らって意図を問う。
「なんのつもりだ。お前好みの情報だろ」
「ふふー。私なりにこの状況を楽しもうと思ってさ。スノーはたくさん遊んだのだから付き合ってくれるよね」
「それで気が済むなら」
ナイトは嬉しそうに頷いた。
陽は沈み、すでに夜のとばりが降りている。ウィザードはローテーブルの二段目に収納していたリモコンを取り出すと照明の調節をした。暖色系の光が四人を包む。
グラスへ注がれた紅茶は光に融けた。まるで何も入っていないかのようだ。そこにある、しかし見えない、掴めない。宙に浮いたミントが、ふちに座ったオレンジを見上げる。彩りはあるに越したことはない。余興のようなものだ。
これよりはすでに終わった事柄をナイトが楽しむだけの児戯。答えは全てタブレット端末の中。
ナイトはドロップへウィンクをしてみせた。
「な、なんスか?」
「今の私はドロップとほぼ同じ情報を保有しているの。いわばなんちゃってドロップなわけっス!」
「口調だけパクられても意味わかんないっス」
「ドロップの手持ちの情報で私はウィザード以外の答えに辿りついたんだよ。まあ私はウィザードが黒幕じゃないっていうことを、ずっと一緒にいたから知っててそこだけアンフェアなんだけども……」
「別にいいっスよ。聞きたいっス!」
「ありがとう。じゃあ遠慮なく始めるね」
星の流れる音がする。今宵の夜空は星が多い。同じ星を見なければ同じ夢は見られまい。
ドロップとの情報に齟齬がないか、そして目的を明確にする為ナイトは情報を照らし合わせるところから始めた。
「現時点での不明点はワンボックスカーの運転手A、そして小柴 俊也を唆した人物であり掲示板へキススキの裏情報を書き込んだ人物B。AとBは異なる人物である。Aに関してはなんとなくの予想はつくけれど現時点では決定打がない、情報不足。ティアラの報告書を読めば分かるし、ドロップも重要視していないから後回しするね。ここまではOK?」
その場にいる全員が頷く。特にドロップは興味津々といった表情だ。同じ手札で何ができるだろう。彼女が見据えている景色はドロップにも見えたはずのものだ。ひょっとすると彼女なりのやり方で情報屋としての手本を見せているつもりかもしれない。頭の中で記憶のノートを広げ、真剣に耳を傾ける。
ナイトが人差し指と中指を立ててピースサインを作った。
「Bが行ったことは二つ。宝ノ木 姫華がキススキの主役になる為裏工作を行ったというデマを流した事。その噂を信じて燻っていた小柴 俊也を刺客に仕立て上げた事。ではBの人物像として浮かび上がる要素は?」
「姫華さんと常盤 咲幸の業界裏事情通ってことっスかね。キススキのことも姫華さんのライブのことも知ってるんスから」
ナイトから促され、残る二人も意見を述べる。早い段階からこの件に関わっているスノーが先に答えた。楽しんでいる様子は皆無であり、情報屋としての表情を見せている。
「宝ノ木 姫華に対して並々ならぬ悪意を抱いている人物。常盤 咲幸のファンかは問わない。小柴 俊也のような駒を作る為の手札として、たまたま常盤 咲幸の情報が適していただけだ」
「手段までは推測できないが、ライブリハーサル前日に小柴 俊也へコンタクトを取り、唆すことができる人物。話術に長け、心理学にも精通しているだろう。顔の見えないメッセージのやり取りだけでそこまで煽れるというのなら、事前に小柴 俊也をリサーチしていそうなものだ」
二人の意見もドロップには新鮮であった。やはり同じ情報と言えど着眼点が違う。ハクの言葉を借りて言うならば推理ごっこに長けた人物の集いはやはり一味違った。難しいことは彼らに任せろという投げやりな言葉も頷ける。
ナイトはそれらの意見も自分の中で見出していたのだろう。特に言及することなく話を進めた。
「ではBの目的は?」
「自分の手を汚さずに姫華さんを殺すことっスかね? あーでもそれにしては殺意が足りない気がするっス。俺なら小柴 俊也に目立ったことをするなって言うっスよ。ってことはー……殺すほどじゃない? あれ良い奴?」
「悪意があるには変わりないだろ。物理的に殺さなくても芸能人として殺すという意味合いもある」
「姫君の失脚が主目的か。遅かれ早かれ小柴 俊也は逮捕される。動機となったデマ情報が流布するとなると中々の痛手だろう。マスコミは真偽ではなくネタの美味しさで内容を決め付けるものだ」
「うん、いい考えだよね。被害者であるはずの宝ノ木 姫華が叩かれるって構図はBの理想としては最高だ。でも私としては気がかりなことがある。どうせやるならライブ当日の方が都合がいい。話題性抜群だもん」
ドロップは手持ちの情報と、この場に出ている犯人像を交互に見比べる。鍵となるのは小柴 俊也という駒を使ったということ。Bが直接手を下すよりも都合のいい利点がそこにあるはずだ。小柴 俊也から情報を聞き出したのは自分だ。この中で小柴 俊也を最も理解していると自負している。そこから答えを見いだせるだろうか。
精一杯背伸びをし、俯瞰する。たどたどしくも推測を口にしてみた。
「小柴 俊也はリハならセーフってアホな理由に引っかかる奴っス。実はBとしても予想外だったんじゃないっスかね? リハーサルの情報を見せて信用してもらおうと思ったらそのままやる気になっちゃったとか。本命はやっぱりライブ当日だったんじゃないっスか」
「ありそうな話だね。でもBの方にデメリットがあるならBは止めると思うんだ。リハーサルに関する情報は一般公開されていない。つまりBは業界関係者もしくは関係者と繋がりがある人物だと宣言しているようなものなんだよ。わざわざ小柴 俊也を操ってまで自分を隠しているのに意味がない」
「えっとじゃあライブ当日が本命のBもリハを狙った理由があるってことで……んん? あれ? ナイトさん、これなんか矛盾してないっスか?」
パッとナイトが表情を輝かせる。求めていた言葉が出たらしい。はつらつとした声と共に人差し指を突きつける。
「そう、矛盾! ドロップは矛盾の語源を知ってる?」
「知らないっス!」
残る二人がほぼ同時にため息を吐いた。
ナイトがスノーへと人差し指を移す。最も手近に居ただけあり頬を突く勢いが容赦ない。
「はい、先にため息を吐いたスノー」
ナイトの手を払いのけ、スノーは情報を諳んじてみせた。ナイトが情報提供する様に酷似している。記憶を手繰る素振りも無く、目の前にあるカンニングペーパーをそのまま読み上げているかのようであった。
「中国『韓非子』より。昔、楚の国に矛と盾を売り歩く商人がいた。曰く、どんなに堅い盾でも貫く矛と、どんな矛でも突き通せない盾とのこと。それを聞いた客がその矛でその盾を突いたらどうなるのかと問い、商人は返答に困ったという。以上のことから論理的に辻褄が合わないという意味を持つようになった」
「出典まで覚えているあたり、さっすが現役高校生だよね」
「で、それがどうした」
「矛盾するっていうのは一人の人物が矛と盾を持っているわけじゃないってこと。矛を持つ人、盾を持つ人それぞれがぶつかり合うからこそ生じるのです」
「あ――Bは二人いるってことっスか」
ナイトが頷く。
ドロップは心地よい感覚に包まれていた。頭の中で絡まった糸が解けていく。まるで魔法だ。現時点で分かることと分からないことを仕分け、考えを詰めていく。やっているのはそれだけだ。ただの情報整理。相手が求める情報を分かりやすく提供する情報屋のあるべき姿だ。
「おさらいも兼ねてもう一度言うね。Bの行動は二つ。デマを流す、小柴 俊也を唆す。この二つが別々の人物によって行われた。前者をX、後者をYとしましょうか。そしてもうYの方は答えが出てる」
「マジっスか!?」
ナイトが瞳を閉じる。感情を悟らせない為ではないだろう。口元に笑みを携え、声にこれでもかと喜びを滲ませている。そのまま歌いだしそうなほどだ。むしろ彼女にとっては歌かもしれない。
融けかけの氷がカラリと音を立てた。涼やかな合図だ。




