第6話「利他の心」
ぼくは役立たずだ。まったく何の役にも立ってない。
ぼくの理想はもっと多くの人の希望と喜びになりたい。
でも、それは叶わぬ夢。
人の役に立ちたい。でも、無理。
歯磨きすら習慣化できないぼくは、ほとんど社会のために役に立てる人間じゃないことは
わかっていた。
だから、仕方ないんだ。
あきらめていた。
そして、苦しい毎日だった。
夢中になれることがない。
ぼくは病気なので仕事ができない。
毎日、暇で時間をつぶすことが苦痛になっている。
これでいいのかよ?
「いいはずがない!!!!!!」
ぼくはどうすればいいのだろう。
なにができるだろう。
ぼくは深く考えた。
「今まで本気で人のために行動したことがあっただろうか?」
自問自答した。
「できないと最初からあきらめてなにもしてないだけ」
そういう結論に至った。
自殺を考えるほど人生に絶望していた。苦しかった。
「憂鬱?人を喜ばせることを生きる糧にすれば、二週間で全快しますよ」
とSNSでアドラーという有名な心理学者の言葉を見た。
「人を喜ばせる?」
ぼくは気づいた。
「自分に意識を向けているから、苦しいんだ。他に意識を向けてみよう。こうなったら、人を喜ばすことにのみ意識を全振りしてみよう!」
どうせ、ぼくはもう自殺を考えるくらい追い込まれていた。
死ぬのすら怖くない。
自分がどうなろうが知ったこっちゃない。
とにかく、人のため、社会のために役に立ち、喜ばせることのみを意識しよう!
たとえ、人のために動きすぎて、自分がダメになっても構わない。
「人のために動いて、自分が死ねるなら本望だ。そんなかっこいい死に方はない!」
自分の心配はしない。
ぼくは変わるんだ!
今から、この苦しい人生を変えていくんだ!
死ぬほど人のために、人を喜ばせるために動こう。
バカにされてもいい。
ぼくは月5000円のお小遣いを片手に、
一個500円の弁当と水を7個買った。
なんでもいい。人を喜ばすんだ!
どんなことだっていい。
世のため、人のために、自分を犠牲にしてでも喜ばすんだ。
自分が苦しくなってもいい。最悪、死んでもいい。
何も失うものがないくらいどん底人生だから。
死ぬくらい人のために動こう。
どんなに苦痛でも動こう。
一度、してみたかったんだ。
気が狂うくらい、人のために行動することを!
損得勘定は一切しない。
とにかく
すべては人のために。
ぼくはスマホでホームレスの人がたくさん集まる場所を検索した。
そして、自転車で1時間かけて、弁当と水7個を持って、ホームレスがたくさんいる
河川敷に行った。
ホームレスの人に弁当と水を渡すことにした。
「突然、すいません。よかったら、この弁当を食べてください。水も。ボランティアで配っている者です!」
「ああ、ありがとうございます!ありがたくもらいます!」
「今日は暑いので、こまめに水分補給をしてくださいね」
「あの、なぜ、あなたはボランティアしているのじゃ?」
「いや、暇だからですよ。大した理由じゃないです!人を助けたいだけなんです」
「あの、こんなこといっては悪いが、わしは大丈夫じゃ。もっと困っている人を紹介するから、その人に弁当を分けてあげてくれ!」
驚いた。自分だってホームレスで大変な思いをしているのに、ほかの人を気遣うとは。
なんか「思いやりの心」を見た気がする。
「死人より冷たい心を持った人ばかりの日本」って、ネットで言葉を見たことがあるが、
こんな貧しいホームレスですら、「思いやりの心」「人情」があるんだって。
嬉しくなった。
そのホームレスに案内されて、ぼくは子ども食堂へとたどり着いた。
「ここは?」
「そうじゃ。わしはもう80近い。もう長くないだろう。でも、これからの幼い子供達には未来がまだあるんじゃ。だから、その子供たちに弁当をわけてやってくれ。わしはひとつだけで十分じゃ!」
「おじさん!」
なんていい人なんだ。
なんて優しい人なんだ。
こんな人がホームレスやっているなんて。
ぼくはそのおじさんの温かさに涙が自然とあふれていた。
こうして、ぼくは毎月5000円の小遣いで、弁当と水を毎月寄付している。
自転車で1時間かけて、子ども食堂まで自ら足を運び、子供たちの笑顔を見ることが
嬉しくて、生きる喜びになっている。
また、おじさんとは仲良くなり、ぼくの家で一緒に暮らしている。
おじさんと出会い、ぼくは見違えるように毎日が楽しくなった。
一人暮らしだったのに、おじさんと暮らすことになったから、
寂しくないし、心の拠り所ができた。
ぼくにも仲間ができたんだ。
ぼくはおじさんと暮らして、様々なことを経験し、子ども食堂に毎月、弁当と水を寄付しに行って、
毎日が楽しくなったんだ。
おじさんの介護も必要になれば、さらに楽しくなってくるだろう。
人の役に立っているということが、こんなにも気持ちいいものだったなんて。
人を幸せにしようと本気になって行動したら、自分が一番幸せになっていた。
今まで、自分のことばかり考えていたから、不幸だった。
もっと外に、人のことを考えていけば、
楽しいことばかりが増えていくんだって気づいたんだ。
人のため、社会のために役に立ちたい。
自分のことはどうなってもいい。
とにかく人を喜ばせたい。
一度でいいから、気が狂ってる、頭がおかしくなるくらい、人を喜ばせてみよう!
そう、行動したが、
結局は、ぼくが一番喜んでいた。
自分が一番喜んでいたんだ。
もう、不幸なあの頃の自分はいない。
自己犠牲は破滅の元。やめておいたほうがいい。
まずは自分を満たしてから。自分を一番大事にして、一番優先して幸せにしろ!
というネットの言葉にぼくは従わなかった。
自分を苦しめてでも、人を幸せにしよう!
自分を犠牲にしてもよかった。
一度、自分より人を大切にし、幸せにしてみたかったんだ。
しかし、結果的にはぼくは5000円を自分の食べるお菓子、ジュースなどに使わないで食べなくて済んだから、ダイエットにもなったし、なにより、自分に金を使うよりも、人に使ったから、今の幸せがあるんだ!
一度、自殺を本気で考えたから。
自分のことはもうどうでもよかった。
それにぼくは歯磨きすら苦痛になる弱いメンタルを持ってる。
自分が苦痛にならない程度の行動をしていたら、
永遠に人の役には立てなかったんだ。
ぼくはシャワーやゴミ出しすら嫌気さす。
だから、嫌気を感じないように生きてたら、一生、何の役にも立てないから。
だからこそ、ぼくは自分が苦痛になってでも、人のために行動するしかなかった。
行動することが苦手で、苦痛を感じる。
苦痛、めんどくさい、嫌だという意識も感じながら、
まさに自分と戦いながら、人のために行動してみた。
人を喜ばして、幸せにできるなら、
死んでもよかった。
むしろ、そうやって、美しい姿を最期に見せて、
死にたかった。
暇だと思うならば、人を喜ばせればいい。
死にたいと思うくらいなら、
捨て身で、死ぬ覚悟で、人を喜ばせればいい。
まわりまわって、自分にその喜びが返ってくる。
ぼくは今、喜びにあふれている。




