2-9 五里霧中の疑心暗鬼
霧によって本来の灰色の景色が白く染まっている沼地の中をイサオが駆け抜ける。
一応進む道に剣を刺すことで警戒はしているが、それも疲労と焦りによっておざなりになりはじめている。
(流石に疲れが出始めたな……だが、頭の回りが遅い俺には足を使って探す以外思いつかない……頼む、見つかってくれ!」
そんなことを考えていたせいか足元に赤い溜まりが存在していることに気づくのに遅れてしまった。
イサオが真上に来たことを探知した赤い溜まりは素早く、そして鋭く自身を触手のように伸ばして襲い掛かった。
「なっ!?」
間一髪直撃は避けるが、足を掠めたようで装甲ごと液体が脛をえぐった。
「ぐっ!」
足へのダメージから体勢を崩し倒れてしまう、そんなイサオにスライムは正体を現し襲い掛かろうと大きく自身の体を広げる。
「くっ……ブラッディスライムか……!」
赤黒いスライムがイサオを溶かそうと襲い掛かろうとしたその時、その大きく膨らませた体に二本の触手が刺さったかと思うとスライムを凄まじい勢いで吸収し始めた。
自身の全てを吸い取られたスライムは体を保てなくなり、水のように柔らかい液体となって崩れ落ちた。
「くっ!お次はなんだ!?」
乱入者によって命を救われたイサオは、一時の油断もせずに触手の飛んできた方向を睨む。
「イサオさん!大丈夫!?」
触手の根元へと視線を移動すると、そこには使用人姿の少女と駆け寄ってくるミエリの姿が見えた。どうやら触手は使用人姿の少女の両手から出ているようだった。
「ミエリ!そいつはなんだ!?とりあえず下がれ!」
イサオはミエリを後ろに隠すと触手を腕に収納している少女に剣を向ける。
「落ち着いて!その子は私を助けてくれたんだよ!多分敵じゃない!」
「今このダンジョンは普通じゃない!この霧も何が原因か分かってないんだ!こいつが信用できる存在か分かったもんじゃない!」
「ええ!?この霧っていつもかかっているんじゃないのぉ!?」
「当たり前だろ!トラブルもないのにお前を一人にするか!少しは疑問に思わなかったのか!?」
「お二人とも落ち着いてください」
そんな二人の言い合いに使用人姿の少女、ビルセティが割って入る。
「落ち着くも何も、得体の知れんお前のことを言ってるんだ!なに関係ないような立場を取ってるんだ!」
「分かってます、でも私のことを信じてください、そちらの要望は全て受け入れます、だから置いていかないでください……」
「イサオさん、この子には三回も命を助けてもらったの、だからお願い、責任は全部私が取るから」
イサオは考えるように黙り込む、その間もビルセティから目を離さない。
「……俺は反対だ、シャラムたちも見つかっていない現状で、この幻惑作用のある霧の中を行動するのにそんな不安要素を側に置くのは危険すぎる」
「え!シャラムさんたちもはぐれてるの!?それに幻惑作用って……だから死霊のウーズから声が聞こえたんだ……」
「どうやらお前もはめられたようだな……そうだ、今このダンジョンは通常より遥かに危険なんだ、そんな状況でこんな化け物を……」
イサオがまだ喋っている中、突然ビルセティが背中から触手を出し、イサオの方へと突き刺すように飛ばす。
「あ!ビルセティ!」
ミエリの言葉を無視して飛ばした触手はイサオの背後に迫っていたマーダーバットを貫いた。
「私はミエリから本当に危険な場面以外では命令に従うと言われています、絶対に貴方達を傷つけたりしません、お願いです私も同行させてください」
イサオは目を瞑り、低く唸る。そんな張り詰めた空気を切り裂くように何かの雄叫びが遠くから響き渡った。
「はえ!?なんの音!?」
雄叫びに続くように今度は粉砕音が響く。
「誰かが戦っている!シャラム達かもしれん!急ぐぞ!」
そう言ってミエリとイサオが走り出す、その様子を途方に暮れるようにビルセティが見送る。
「おい、ビルセティとかいうの」
と、イサオが立ち止まりビルセティの方を向く。
「あの、私まだ名乗ってないのですがなぜ名前を?」
「さっきミエリが叫んでたろ、名前を呼び合うくらいには腹を割って話せる関係のようだな」
「はい、この名はミエリに名付けてもらったのです」
「そうか……ならば一時的にパーティメンバーとして受け入れよう」
「えっ……!」
「ただし、俺の視界から絶対に消えるなよ」
「……はい、そのご要望に必ず応えて見せます」
それだけ言うとビルセティは跳躍してイサオの前に立ち、そのまま二人はミエリを追って走り出した。