第四十九節「再び訪れた交流」
僕は何もかも失ってしまった。
死を選ばなかったけど、生を選んだとは言えない選択。
森を抜け、荒野を抜け、草原を、平原を、目的もなく歩き続ける。
誰も話しかけてこない、誰とも話をしない。
ラシアさえも、僕は交流する機会がなくなってしまった。
そんな孤独な生活を続けるうちに、僕はある森を見つけた。
樹海ではなく、誰も住み着いておらず、誰も踏み入れた形跡すらない大きな森。
緑に溢れ、命に溢れ、動物や植物が生態系の中で穏やかに過ごしている大きな森。
この場所が僕の新しい居場所となった。
誰も干渉できない気がしたから。
誰とも交流する必要がないと思ったから。
僕は既に、誰かと交流するという行為を捨てていた。
もう二度と、あのような悲しみの中に居たくなかったから。
もう二度と、傷つけたくなかったから。
化け物と言って僕を殺そうとするのならば、僕の方から離れようと思ったから。
この場所で僕は、多くの時間を過ごした。
言葉を忘れるのではないかと思うほど長くて、穏やかに過ごした時間だった。
だけど僕は…世界の運命に逆らいきれない存在なのかもしれない。
「見つけたぞ、捕えろ!!」
それは何の前触れもなく突然聞こえた、久しぶりに聞いた人間の声だった。
怒声を上げ、数人の人間の足音が響く。
この時、僕はコミュニケーションを取れなくなってしまった神剣・ラシアを振っていた。
赤い刀身をした剣。
まるで生きているかのように生気を感じる。
いや、実際に生きている。
以前までは普通に心で話していた。
それも、遠い過去のように感じるけれど。
そのラシアで素振りをしていた時だった。
男たちの怒声と足音を耳にし、一度は無視しようと思ったけど、この時の僕は、何故だか足音を追いかけて行った。
何かに惹きつけられるかのように動く足。
関わらなければ何も感じることなんてない。
何も感じる必要なんてない。
何も傷つけることも、僕が傷つくこともない。
何も心配する必要なんてない。
分かっているのに、分かっていたのに…どうしても足を止めることはできなかった。
「追い詰めたな、コイツめ…大人しくしねぇと、もっとひどい目に遭わせちまうぞ? それでもいいのか?」
一本の大木の前で足を止めた男たち。
その背後の木の上で、僕は様子を見ていた。
姿と顔が判然としない後姿を見つめる。
合計で五人。
何かを囲むように立っている。
男たちの出で立ちはあまりに汚らしかった。
まるで頭を燃やしたかのようにチリチリと乱れまくった黒髪。
手に錆だらけの質素な剣を握り、薄汚れた布を着込んでいた。
いや、着込むと言っていいのかすらも怪しい。
見るからに賊だと分かるような連中だった。
「はぁ、はぁ、はぁ…お、追いかけないで…ください…っ!」
息を切らせ、消え入りそうな声。
あどけなさが残る声音だった。
声の主の姿がチラッと見えた。
大体の年は十二歳前後の少女。
背は非常に低くて華奢で小柄。
クセのある茶髪を腰まで伸ばし、大きなリボンをカチューシャのようにしている。
緑と白のエプロンドレスを身に纏っているから、どこか身分の高い家柄なのだろうか。
賊のような男たちとは対照的な、きれいな出で立ち。
ただ、僕は彼女の服装や姿以外に、驚くべき点が一つあった。
少女の手に持たれているのは、巨大な鎌…神剣・ストーリアだった。
忘れるはずがない。
あの形を忘れるなんてことはできない。
かつてシェイラと共闘した相手が持っていた鎌だった。
ただ、刃の色が違った。
紫ではなく黄緑色。
僕が記憶している色とは決定的に異なっていた。
「その武器は、お前には使いこなせねぇんだよ。
さっさとそれを渡せ、ガキ!!」
「っ、こ、これは…お兄さんが、リヴィアに託した、大切なもの…なんです…。」
「そうかい…けどよ、お嬢ちゃん。
それの使い道なんかしらねぇだろ?」
「そ、それは…で、でも…絶対に渡しちゃダメって…言われました、です…。」
「それは本当かなぁ? お嬢ちゃんが勘違いしていて、そのお兄さんは俺たちに渡せって言ったんじゃないか?」
「そ、そうなのでしょうか? …わたし、こんなもの、持ったことないですから…判断はお兄さんしか…。
な、なので皆さん…お兄さんが来るまでは、その…。」
少女は混乱しながらも現状維持を提示する。
しかし、男たちは声高らかに笑い声を上げ始めた。
「くっはははは!!! 何マジで受け取ってんだよ! ンなわけあるかボケェ!!!」
男は一通り笑い声をあげると怒鳴り声をあげる。
どの男の言葉かは知らない。
瞬間、少女の顔が恐怖に歪んだ。
「ひうっ!? そそ、それは…」
「ヘっ……渡せねぇってんならよ? 一つだけ方法があるぜ…?」
「ほ、方法?…それって…一体…?」
「まず、命は助けてやるぜ。」
声音からわかる。
下衆い顔をしながら言葉にしているのだろう。
「ほ、本当ですか!?」
そんなものを微塵にも疑いなく、少女は嬉々とした声音と顔で応じている。
命が助かれば何でもする、まるでんなことを言っているかのように。
「あぁ…生きたまま四肢をもいで、その鎌を奪われるか…生きたまま指先から順番に関節を外され、苦痛の末に渡すと自分で意思表示するか…どっちか二者択一だ。」
涙をボロボロと流して懇願する少女に、男たちは容赦ない言葉を突き付けた。
少女の命などどうでも良い言うように…。
「そ…そんな…それだと…どっちも、し、死んじゃう…。」
「いや安心しな、殺しはしねぇよ! その代わり、生きているのが嫌になるような苦痛を味わうことになるだろうがな。
それとも、大人しく手渡しすか?」
「そそ、それは…いけません! わ、私は…私は…お兄さんと、約束しましたから!!」
少女は頑なに拒否した。
渡すことを、それほど嫌がった。
自分が傷つくことも顧みずに、渡さないことを示した。
「そうか…カカッ!そうか、そうか…あーあ、助けてやろうとも思ったってのになぁ…。」
「え…あ…」
「安心しろ…特別サービスといこうじゃないか。
指先から一本一本関節を外した後に四肢をもいでやるよ。」
「そ、そんな…。」
「あー、出血死のことは考えなくていいぜ? 傷口を炎で炙っちまえば血は止まるだろうしな! 出血死じゃなく、ショック死になる可能性のほうがあるんじゃねぇか!? ヒャハハハ!!」
男の言葉と、それに続く周りの男たちの笑い声で、今度こそ少女は絶望しきった顔を浮かべた。
その顔に見覚えがあった。
いや、少女に直接関わることではない。
空色の髪をした少女…シェイラと被った。
だからどうということはない。
今の僕にとって、彼女は最早記憶の中にある「記録」の一部でしかない。
過去の遺産でしかないから。
「……。」
ジッと見降ろす。
彼女の表情を見る。
何も感じず、抑揚がなくなっていたはずの心が、かき乱される感覚を抱いた。
胸糞悪い
そんな思いを抱き、気づけば僕は―――
「この森の中でそんなことされたくないんだけどなぁ!! やるなら出てってくれない?」
声を上げた。
関わりたくなかったのに、放っておけなかったから。
僕は襲いかかろうとする男たちの背後から、大声で呼びかけ、男たちも反応を示す。
「誰だ!?」
「こっちだよ…下賤なお客さん。」
僕の声に反応して周りを見回し始めた男たち。
まだ気づいていないらしい。
ならば、嫌でも気づかせてあげないと。
僕は瞬間的に木から男たちと少女の間に入り、一人を殴り飛ばす。
「グガッ!!」
バキッ!と拳が相手の頬にめり込み、数十メートル吹き飛ばされる。
その男の体は地面を擦り、抉りながら離れた木に激突して止まった。
「なっ!? て、てめぇ!!」
「ふざけやがって!!」
「ぶっ殺してやる!!!」
残りの七人の男たちが一斉に剣を振り上げてくる。
その動きはあまりに緩慢に見えた。
一人一人、丁寧に顔面を殴って回る。
剣を振りかぶった途中の男たちは、なす術もなく一斉に吹き飛ばされた。
僕はまた元の位置に戻る。
遅れて男たちの体は地面を擦り、抉りながら木に激突するまで吹き飛び続けた。
僕が木から降りて攻撃を加え、反撃した時間は、十秒も経っていない。
圧倒的な膂力で八人の賊を一掃した。
大口を叩いた割には大した実力はない。
見たところ、ただのクリニーズだし。
「……その鎌、どこで手に入れたの?」
僕は単刀直入に、後ろの少女に振り返りながら尋ねる。
彼女は涙を拭うことなく呆然としていた。
「……言葉、分かる?」
「え…あ…こ、これ…これは、あの…わ、渡せない、です…。」
ボソボソと震える声で呟く。
よく見ると、体も小刻みに震えていた。
余程恐かったのだろう、僕に対しても少なくない恐怖を抱いているらしい。
大木のせいでそれ以上後ろに下がれないというのに、背中を付けながら足だけを動かし、少しでも離れようとしているほどだ。
「怖がらなくていい。
僕は君に危害を加えるつもりはない。
ただ、問いに答えるだけで良いから…その鎌、どこで手に入れたの?」
今度はなるだけ優しく問いかけることを意識しながら尋ねた。
本心から彼女を傷つけるつもりはない。
「あ、あの…兄から…その…託されて…。」
「お兄さん…?」
「あ、あの…わたし、クリニーズで…兄に隠れているように言われたのに…兄が心配で出てきてしまって…それで…。」
彼女の兄に手渡されて隠れるように言われ、それでも心配になって出てきた。
結果、先ほどのような状況に陥ってしまったということか。
その兄に聞く以外に方法はなさそうだな。
「お兄さんは、どこに行ったのかは分からないの?」
「分からない、です…。」
俯きながら告げる少女。
参ったな…。
「あ…わたし、リヴィアルア・ランドクリフって言います。
周りからはリヴィアって呼ばれてて…リヴィアに酷いこと…しない、ですよね?」
少女はグイッと涙を拭い、少々緊張気味に名乗ると同時に尋ねてくる。
「あぁ、もちろん…さっきも言った通り、君に危害を加えるつもりはない。
僕はクレイヴ・アウデンリート…クレイヴって呼んでくれればいい。」
「クレイヴさん、というのですか…。
…これからも、よろしくお願いします! それと…助けていただいて、ありがとうございました!!」
「……うん。」
「えへへ…さっきのクレイヴさん…凄く、カッコ良かったです!!」
「あ…あぁ…ありがとう。」
僕の名を反芻して早くも緊張が解けたのか、満面の笑みで言ってきた。
そして、そのまま深く頭を下げてくる。
僕は対応に困った。
今後は絶対に人と関わらないと決めていたのに…思いもよらないところで再び、人と関わることになってしまった。
それも、こんな年端もいかない少女。
リヴィアがどうして神剣・フルカリアを持っているのかは分からないけど、一先ずは行動を共にして、彼女の兄とやらを見つけてやらないといけない。
再びこうして誰かと交流することになった。
もう二度と誰とも交流なんてしないって…したくないって思っていたのに。
ただ、僕は彼女と話して、少なくない心地よさを抱いていた。
対応には困るけど、独りじゃない。
それだけで良かったのかもしれない。
誰もいない視界から、誰かが入ってきた現状を、僕は喜んでいる。
クセのある茶髪をした目の前の少女は、人を疑うことを知らないのか、なんでも信じすぎてしまうのか。
とにかく、一種の危うさを抱いたこの少女となら、たとえ一時の交流であったとしても…関わってもいいと思えた。
彼女なら、僕を化け物と呼ばない。
根拠のない確信だけど、信じていた。
彼女のように純真無垢な少女であれば、あるいは…と。
ここから、僕は新たに始めることができる




