最終話「稽古合宿と紛失した鍵」
春休みの、学生がいないヴェリディア大学のキャンパスは学期中の喧騒が嘘のように静まり返り、講義棟は石の巨塔の如く沈黙を守っている。そんな中、寮生が帰省して無人となった学生寮に少年少女の団体がやってきた。ハーバータウンの武術教室“タオ”の面々である。彼らは古いレンガ壁の学生寮に着くと師範であるモーガンの周囲に集まった。
「各自、部屋で道着に着替えて水筒を持ち、ロビーに集合。皆でスポーツセンター内の武道場に向かう」
モーガンの豪快な号令が響く。タオ恒例の春の稽古合宿は、ジュニア門下生を対象とした武術連盟主催の強化合宿の事前準備として毎年この時期に大学の寮一棟を貸し切りにして行われる。
「ここが噂の学生寮かあ……なんだか歴史を感じるっつーか、夜になったら廊下を騎士の幽霊でも歩きそうな雰囲気だな……」
ライリーがゴクリと唾を飲み込む。昨夏からタオに入門した新顔ではあるが、大学生の彼は引率者の一人としてこの合宿に参加していた。
「別に、ちょっと古いだけの普通の学生寮だ」
補助指導員のエドウィンが答え、数人の女子門下生の世話役として同行したマリルーも古びたオーク材の手すりを撫でながらライリーの発想に笑う。三人ともヴェリディア大学の学生であるものの、自宅通学のため寮には入っていない。エドウィンとマリルーは以前から祖父の引率の補佐として何度も稽古合宿に来ていたため、この寮には馴染みがあった。この大学に進学したのも春の武術合宿が縁である。
そんな彼らに腰の曲がった高齢の管理人が近付いてきた。
「ヴェリディア大学の学生寮にようこそ。一棟まるごと借りるという話じゃったの。これは各部屋の鍵とマスターキー、共用スペース各所の鍵じゃ。……あ、間違えて混ぜてしもうたが、この真鍮の鍵……一階奥にある物置の鍵だけは使わんように。絶対に開けるんじゃないぞ」
管理人の皺がれた声に、門下生たちの間に緊張が走る。
「……何があるんですか? そこ」
「開かずの間、じゃよ。見たものはおらん。この鍵、誰に預ければよいかの?」
「あ、では僕が」
門下生の一人であるフレッドの問いに管理人が答え、彼に鍵束を手渡し去って行った。フレッドは高校を卒業したばかりの、筋肉質で細身の長身、ブロンドのクラッシュマッシュヘアのイケメンである。今回の小中学生を対象とした合宿の引率補佐を引き受けて同行していた。
フレッドは皆に部屋番号のついた鍵を配り、鍵を受け取ると皆、各部屋へと散って行った。
事件が起きたのは、初日の稽古を終えて武道場から寮へと戻って来たときだった。管理人から鍵束を渡され、そのまま所持していたフレッドは、寮の玄関の扉を開けるときに鍵の紛失に気付いた。
「真鍮の鍵がない!」
皆が集まり覗き込むと、彼の手にある鍵束から、確かにそこにあったはずの古い真鍮の鍵が消えていた。
「ま、まさか幽霊の仕業……?」
「バカ言わないで。まずは落としたことを疑うべきだわ」
ライリーが震え声で呟くと、マリルーが呆れたように腰に手を当て、フレッドに目を向けた。
「フレッド、あなたは武道場とそこへの往復時、自身が歩いた場所を確認してもらえる?」
「は、はい」
フレッドは頷き、すぐに武道場に引き返して行った。そして今まで静観していたモーガンが口を開いた。
「……エド、この場はお主に任せよう」
「はい、師範」
エドウィンは祖父の信頼を背負い、一歩前に出て冷静に周囲を見渡す。
「本来なら今から自由時間なんだが……手分けして鍵を探そう。男子門下生は三階、女子門下生は二階、一階は引率者で探す。……師範はここでお待ち下さい。」
エドウィンの言葉にモーガンが頷き、皆一斉に動き出した。
共有スペースがある一階の捜索はエドウィンとマリルー、ライリーが担当した。寮の中は古い図書館を思わせる埃っぽく乾いた匂いと、長い間に塗り重ねられてきた蜜蝋ワックスの重い香りが漂っていた。歩くたびに石壁に反響する足音と、床の木材が軋む小さな音が古い蛍光灯がちらつく冷えた廊下に吸い込まれていく。
「なあ……ほんとに幽霊とか出ねえよな……」
ライリーがエドウィンの後ろを歩きながら小声で呟く。
「鍵を返しに来てくれる幽霊なら歓迎するんだけど」
「ははっ……」
マリルーの言葉にエドウィンは軽く笑ったが、周囲の観察は怠らなかった。
まだ夕刻というには早い時間だったが、寮の廊下は薄暗かった。奥には例の物置があり、分厚い扉で固く閉ざされている。三人が近付いたとき、ギィ…という音が聞こえて、
「……今、音しなかったか?」
ライリーがぞっとしたように身を竦めた。
「俺も聞こえたけど……古い建物はよく鳴るんだ」
エドウィンはそう言いながら、扉の蝶番や鍵穴をさりげなく調べた。埃は積もっているが、人が最近触れた形跡はない。
三人は食堂、サニタリーと順に確認していく。談話室に入ると、長机や椅子、本棚が並んでいた。角に小さな自販機、壁際には現在は使われていない、装飾として残されている古い暖炉がある。暖炉を見てエドウィンの頭にある光景が浮かんだ……
昼食のために一度寮に戻って来た昼休み。マリルーと食堂の隣の談話室を通りかかったエドウィンは、暖炉の傍にふわふわのミディアムボブのハニーブロンドを見かけた。門下生の一人、女子中学生のレリアだった。飾り棚の下にしゃがみ込んで、煤けた煉瓦や使われていない火ばさみを興味深そうに覗き込み、手を伸ばす。
「触ると汚れるわよ」
マリルーが声を掛けると、
「大丈夫です! 何かここ、映画に出てくる暖炉みたいだなって」
レリアはそう言ってさっと手を引っ込めた。エドウィンはその様子を何気なく視界の端に留めた。
「もしかして……」
エドウィンが一つの可能性に気づき、火ばさみを手に取った。火ばさみの柄の内側の溝を見ると、真鍮の鍵がテープで貼り付けられていた。
「あった!」
「こんなところに……」
ライリーがエドウィンの手元を覗き込み、驚きの声を上げる。そしてマリルーも昼休みの光景を思い出したらしく、問うように兄を見た。
「……まさか、あの子が……?」
「確証はない。それより師範のところに戻ろう」
エドウィンは二人に言い、踵を返した。
三人はロビーへと引き返し、腕組みをしてじっと待っていたモーガンと合流した。鍵を見つけたことを話すとモーガンは僅かに頷いただけだったが、表情は動かないものの、明らかに肩の力が抜けたようだった。ライリーとマリルーは二、三階の門下生たちに知らせに行き、フレッドを含む皆がロビーに戻って来ると、エドウィンは口を開いた。
「鍵が見つかった」
彼の報告に門下生たちの間にざわめきが広がる。
「一体どこに……?」
「廊下に落ちていたんだ」
「ええっ!? 僕が落としたのか!?」
「よし、鍵は見つかった。皆、自由時間に入ってよいぞ。解散!」
フレッドの狼狽を余所にホッとした様子の門下生たちへモーガンが言い、皆、足取り軽く散って行った。
「本当に廊下に落ちておったのか?」
門下生がいなくなると、その場に残っていた三人にモーガンが尋ねた。マリルーとライリーは思わずエドウィンを見る。
「……いえ。談話室にある暖炉の火ばさみの内側にテープで留めてありました。誰かが盗んだことは明白です。……ですが、物置を開けたかったなら、鍵はそこで使われるはず。なのに扉には使われた形跡がなかった」
「それなら一体どうして鍵を……」
ライリーが眉を顰める。エドウィンは落ち着いた様子で続けた。
「わからない。……でも、もともと使われる予定のなかった鍵をわざわざ選んだということは、誰かを困らせる意図はなかったということだ」
「そうだとしても、大学のものを紛失したら……」
マリルーが口を挟む。
「ああ。まあ、タオは大学の信頼を失うだろうな。けれどこうして鍵は戻ったんだ。この上、犯人捜しをして門下生同士の信頼関係を壊したくはない」
「儂もエドと同じ考えだ。この件はこれで終いにしようぞ。そなたたちも自由時間に入るといい」
モーガンが言い、双子とライリーは頷いた。
自由時間の次は食堂で夕食、その後のレクリエーションでは師範も交えてゲームをしたりクイズをしたり、皆で親睦を深めた。
お楽しみタイムが終わるとエドウィンとライリー、フレッドは中学生以下の男子門下生を三階の、マリルーは女子門下生を二階の割り当てられた部屋へと送った。部屋に戻った後は子供たち各自で就寝準備をし、眠りに就くことになっている。
門下生全員を送り届けた後に階下で待っていたモーガンに報告すると、彼は労いの言葉と就寝の挨拶をして自室へ去り、それは今日のスケジュールをすべて終えたことを意味する。見ると、古い壁掛け時計は九時を少し過ぎたところだった。
「……ええと。まだ寝るには早いし、四人でちょっと話さない?」
マリルーが提案し、他の三人も笑って頷く。
双子とライリー、フレッドの四人は談話室に移動して自販機でそれぞれ飲み物を買い、テーブルに着いた。最近の出来事や流行りの曲、観た映画など、とりとめのない話をする中で、
「……僕、ヴェリディア大学に進学するんです」
フレッドがぽつりと言った。他の三人は思わず彼に注目する。
「それなら大学でも後輩になるのね!」
ハーバータウンに高校は一つしかないため、フレッドは双子にとって高校の後輩である。
「合格おめでとう。よかったな」
「学部はどこだよ?」
「きょ、教育学部です。」
「私と同じだわ! 小学校の先生を目指すの?」
「はい。祖母が小学校の教諭をしていたもので、それで……」
「へぇー、いいんじゃねえか? 向いてると思うぜ?」
「あ……ありがとうございます」
フレッドがぎこちなく後頭部に手を遣った。そんな中で、昼間のことを話すかどうか迷っていたエドウィンは逡巡の末、やはり彼に話すことにした。
「フレッド……昼間の鍵紛失の件だけど、合宿の雰囲気を壊したくなくて『落ちていた』と言ったが、誰かが故意に隠したようなんだ」
「えっ!?」
「君の落ち度にしてしまって済まない。これはここだけの話にしてくれるかい?」
「え……ええ、もちろん。誰にも言いません」
「助かるよ」
エドウィンがフレッドの答えに安堵して微笑んだ、その時。
「あの……」
「「「「!?」」」」
部屋の出入り口から聞こえた控えめな声に4人は驚いて振り返った。
「レリア……」
エドウィンが真っ先に立ち上がり、彼女の方へ向かうのに他の三人も従う。
「もう就寝時間のはずよ。どうしたの?」
マリルーが目線を同じ高さに合わせて尋ねても、レリアはその場に立ち尽くしたまま、俯き唇を噛んでいた。重苦しい空気の中、暫くの沈黙の後、ぽつりと呟く。
「……あの……鍵の、こと。隠したの、私、なんです」
四人は黙って聞いていた。
「……その。若先生が……教室で、型を褒めてくれたの……すごく、嬉しくて……」
言葉を探すように、視線が床を彷徨う。
「でも……声を掛けても……すぐ、次の人のところに行っちゃって……」
小さな声が、震えた。
「それで……また、見てほしくて……」
ぎゅっと拳を握りしめる。
「……だから……隠した後、見つければ、褒めてくれるかな、って……」
そこで言葉が途切れ、レリアは首を振った。それ以上は、うまく言えないようだった。最後の言葉は、涙に滲んでいた。ライリーが気まずそうに頭を掻く。
「なんだよ……幽霊じゃなかったのか……」
「当たり前でしょ」
マリルーが小さく溜息を吐き、エドウィンは一歩、レリアに近づいた。
「レリア。君の気持ちはわかったよ。……でもね」
彼女が、ゆっくり顔を上げ、エドウィンは穏やかな声で続けた。
「こんなやり方はダメだよ。君が大事な仲間だってことは変わらない」
レリアの目からぽろりと涙がこぼれ落ちて、彼は一度言葉を切った。
「こんなことしなくても、君が真剣に稽古している姿はちゃんと見ているよ」
「……ごめんなさい」
「謝れるなら、大丈夫だ」
エドウィンが優しく諭すと、レリアは涙を浮かべて何度も頷いた。
「次は、稽古で話そう」
その一言に、レリアの表情が少しだけ和らいだ。
「レリア。あの鍵、僕の不注意で落としたんだよ」
「え……」
フレッドの言葉にレリアが目を見張る。
「そういうことになったの」
マリルーが微笑み、その後わざと厳格な表情を作った。
「それよりも。夜に部屋を抜け出して来てはダメよ。私が送るから明日の稽古に備えて早く寝て」
その彼女の言葉で引率者たちの茶話会は終わりを告げた。
*
次の日の稽古はいつも以上に活気にあふれていた。皆、真剣な表情で型をなぞっている。エドウィンは道着の帯を締め直し、門下生たちを見渡した。その中に懸命に型をなぞるレリアを見つける。
「……レリア。体幹が前より安定している。その調子」
エドウィンはタイミングをあえて遅らせて声をかけた。他の門下生たちが稽古を続けながらチラ、と二人を見た。それは今までと変わらないありふれた光景だった。皆が日常に戻ったのだと、安心する。エドウィンの指導にレリアが微笑み、彼も微笑み返して次の門下生へのところへ足を向けた。
夕方の合宿の終わりに鍵は無事に管理人の元へ返された。 結局、誰も物置を開けることはなかった。後でこっそりマリルーが調べたところによると、そこは単に建物の構造上、換気が悪くてカビが生えやすいから、という理由で封鎖されていた、ただの備品倉庫だった。
門下生たちの保護者が次々と迎えに来て、皆が手を振って帰って行くのを見届けた後、ライリーとフレッドはそれぞれの車で去り、双子はモーガンの車に乗り込んだ。
「……やれやれ。どうなることかと思ったけれど、合宿を無事に終えられてよかったわ」
「ああ。」
「ふむ……二人とも、ご苦労だったな」
二人から昨夜のことを何も聞かされていないモーガンだったが、すべてわかっているかのように、孫たちをバックミラー越しに見ながら呟いた。
一泊二日の稽古合宿は初春の空が橙色に染まる中で幕を閉じ、ベネット家の三人はハーバータウンの日常へと帰って行くのだった。
~終わり~
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。




