6 脱走
「寒い……」
謁見の間から地下にある牢屋へ入れられて、長い時間が経った。牢屋の上にある明り取りの窓から月が見える。外はもうすっかり夜になっていた。
僕が入れられた牢屋は床も壁も石で出来ている。何も敷かれていない上に座っているため熱が奪われとても寒い。毛布もなにもないため腕をさすって寒さを誤魔化すしかなかった。
「綺麗な人だったな……」
召喚された本物の聖女様の姿が頭から離れない。明るい茶色の髪に、吸い込まれそうな煌めく黒い瞳。肌は白くて華奢な体型。それでも出る所は出ていたせいか、女性としての色香を感じた。
それにあっという間に使って見せた聖属性の力。自分とは違う圧倒的な力に畏怖を感じた。
それに比べ自分はどうだ。偽りの能無し聖女。まさにその通りだ。
ここへは無理やり連れてこられたとはいえ、男であることを隠し聖女として偽っていた。そのことに間違いはない。罪人に落とされたのも当然だ。
僕はどうなるのだろうか。本物の聖女様が現れた以上、僕は用済みだ。本来なら僕は父さんたちが待つ村へ帰れる。だけど罪人となってしまった今はもうわからない。
あれだけ僕はみんなに蔑まされていた。そんな僕を村に返してくれるのだろうか。――帰れないだろうな。きっと僕は殺される。
「うぐっ……ううっ……」
どうして村に役人が来た時、すぐに男だと訂正しなかったのだろうか。あの時すぐに訂正していれば僕はここに来ることはなかっただろう。あの時男だと証明していれば、僕は殺されるかもしれないと、こんな恐怖を味わうことはなかっただろう。
「父さんっ……レミーっ……会いたいよっ……」
裕福とは言えない暮らしだった。だけど父さんと妹がいて、毎日貧しくても優しい日々。なんてことの無い日常が、とても貴重で尊いものだったなんて、離れてみなければ気付けなかった。
こんなことならもっと親孝行しておくんだった。こんなことなら妹をもっと可愛がってあげればよかった。僕はもう二度と、二人には会えないだろうから。
ぽたぽたと止まらない雫が地面に吸い込まれていく。泣いていたって何も解決なんてしやしない。だけどこの涙を止めることは出来なかった。
悔しい。いくら貴重な聖属性を持っていたとしても平民というだけで馬鹿にされる。魔力量が少ないせいでみんなを満足させられなくて罵られる。
王都に一人で心細くて、味方なんて誰もいなくて――
――あ、ヴァーノン様……僕の唯一の味方になってくれたあの優しい人はどうなったのだろう。
聖女様はヴァーノン様を自分の騎士にしてほしいと言っていた。きっと今頃本物の聖女様の騎士になって喜んでいるのかもしれない。だってヴァーノン様もあまり待遇はよくなかったから。でも聖女様直々の指名なら、ヴァーノン様を悪くは出来ないはず。
僕についているよりずっとずっと待遇はよくなるはずだ。
せめて僕に優しくしてくれたヴァーノン様には幸せになってほしい。神様、どうか父さんと妹と、そしてこんな僕に優しくしてくれたヴァーノン様にご加護を。
偽りの聖女の祈りなんて聞いてくれるかはわからない。だけど僕の命が終わる前に祈らずにはいられなかった。
「聖女様っ!」
「……え?」
「聖女様っ、ご無事ですか!?」
「……ヴァーノン、様……?」
幻覚だろうか。鉄格子の前には、今さっき幸せを祈っていたヴァーノン様の姿がある。急いで来たのか息が上がっていて、僕の顔を見てほっとした表情を浮かべている。
「聖女様、ここから逃げましょう」
「え……? え!? 逃げる!?」
ヴァーノン様は僕の言葉に返事をせず、ガチャガチャと鉄格子にかけられた鍵を開けている。どこから鍵を持ってきたのかはわからないけど、いとも簡単に鉄格子の鍵は外れた。
ヴァーノン様は牢屋の中へと入ってくると、僕の手を取り強制的に立たせる。そのまま鉄格子の外へと出るように僕を急がせた。
「ま、待ってください! 逃げるってどうやって!? それに僕が逃げたことが知られたらっ……」
「事情を説明している暇はありません! あなたはこのまま死にたいのですか!?」
死にたいのか。そう問われて僕は勢いよく首を横に振った。言われた通り女装して聖女として仕事をしてきたのに、殺されるなんて冗談じゃない。生きていられるのなら僕は生きたい! 死にたくない!
「でしたら急ぎましょう。詳しいことはあとでご説明いたします」
「……わかりました」
ヴァーノン様なら大丈夫。何もわからなくても、この人について行けば大丈夫。ヴァーノン様に手を引かれるようにして、僕たちは牢屋から姿を消した。
◇
日の光が顔に当たり、意識が浮上する。うっすらと目を開けると僕は緑に囲まれていた。いつもの部屋じゃないことに驚き勢いよく体を起こす。すると火の番をしていたヴァーノン様と目が合った。
「おはようございます、聖女様。よく寝ていらっしゃいましたね」
「あっ……すみません、眠ってしまってっ……! あのっ……おはよう、ございますっ……」
最低だ。交代で見張ろうという話だったのに、僕は朝までぐっすり寝コケていたなんてっ……! それなのにヴァーノン様は怒ることもせず「お気になさらず」と言って水が入った革袋を差し出してくれた。それを有難く受け取り口を付ける。
昨夜、ヴァーノン様と一緒に牢屋を抜け出した。見張りの兵士が倒れているところをみると、どうやらヴァーノン様が気絶させて鍵を奪ったらしい。ヴァーノン様は裏道でも知っているのか、誰にも会う事なくそのまま夜の城を抜け出し、これまたどこから用意したのか一頭の馬に乗って王都を出た。
そのまま走ることしばらく。街道を抜けて森の中へ入り、走れるだけ走り抜けた。ヴァーノン様曰く、追手に見つかりにくくするためだそうだ。
馬を休ませるのと同時に、僕たちも休憩を取ることに。ヴァーノン様は少ないながらも旅支度をしていたようで、温かな毛布を貸してくれた。
動物が襲ってくることもあるから見張りは必要と、交代する約束をしたのに僕一人だけこんこんと眠ってしまった。本当に最低だ。周りの植物にも動物が襲ってきたら教えてって言ったのに誰も教えてくれなかったし……
「本当にすみません……ヴァーノン様の方が疲れているはずなのに……」
「いえ、本当にお気になさらず。私の場合は慣れていますから。さて、ここにずっといるのも危険です。すぐに出発しましょう」
ヴァーノン様は手早く火を消すと、出発の準備に取り掛かる。僕も慌てて毛布を畳みヴァーノン様へと返した。
その後はまた馬に乗ってひたすら走る。これから向かうのは隣国。とりあえず国を出てしまえば、あの人たちはすぐに僕たちに手は出せないそうだ。
本当は父さんたちのいる村へと帰りたかった。だけど今そこに戻れば必ず追手が来る。戻るのは危険だとヴァーノン様に諭された。
途中街によって旅に必要なものや食料を買い、ついでに僕の服も変える。その時、僕は自分の髪も切り落とした。
聖女として女装をしていた時、髪はずっと伸ばしていたのだ。ちょっとざんばら髪になってしまったけど、一気に切り落とした時は気分爽快だった。男ものの服を着て、やっと本当の自分に戻れた気がする。
「なんだか雰囲気が変わりましたね。可愛らしいお顔はそのままですが」
「……女顔は密かに劣等感があるんですよ。それとヴァーノン様、僕に敬語は使わないでください。僕はもう聖女じゃありませんから」
「そうです……そうだな。このままだと確かに怪しまれてしまう。だったらラルフィーも俺に敬語は使わないでくれ。俺のことはヴァンと。これからは兄弟という設定でいこう」
「わかりま……わ、わかったよ。ヴァー……ヴァン。じゃあ僕のことはフィーで」
「わかった、フィー。これからよろしく」
差し伸べられた手を握り握手を返す。その手の温もりが余りにも優しくて、僕の心も一緒に温められた気がした。