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大聖女選定~悪女は聖女の裏の顔~  作者: あまがみ


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悪女ロズリーヌ06

***


 小鳥のさえずりが窓から差し込むやわらかな光に溶け込む午前四時。マルティーニに手伝ってもらって身支度を終えたロズリーヌは、執務机の前に座って思案していた。


 真っ白な封筒と同じく、真っ白な手紙が執務机の中心に鎮座している。手紙には芸術のように美しい文字でこう書かれていた。



【宝石ドロボウ事件を解決せよ】



 そしてこの手紙を記した者のサイン。



【大聖女 エラヴァンシー】



 約一ヵ月前に大聖女から賜った第一の試練である。先日ブライトン公爵主催の夜会に出席したのはこの試練のためだった。


「マルティーニ。先日の夜会で怪盗なる者の情報は得られたか?」


 マルティーニはドレスのスカートの隙間からメモ帳を取り出すと、調査の結果を上から順に述べ始めた。


「約三ヵ月前からこれまでに三件の宝石ドロボウ事件が発生しているようです。時間帯は午後六時から午後十時の間で、いずれも馬車の中。盗まれた物は腕輪や指輪、首輪、耳輪などのアクセサリーで被害者は女性ばかりです」


「嘆かわしいな。これ以上被害者が出ないよう、対策を考えたいところだが……犯人の姿は?」


「誰も見ていないそうです」


「そんなことがあり得るのか?」


「陽が落ちてからですから、暗くて分からなかったのかと。馬車の中は暗いですから」


 ロズリーヌは事件当時のことを想像してみた。


 馬車の中。明かりは無く、外が明るくても窓から入る光だけでは乏しく暗い。陽が落ちれば明かりが無くなり、一緒に乗っているはずの目の前の人物の顔さえ分からない。


「──そうだな。犯人がどう馬車を襲ったか、詳細は分かるか?」


「窓を割って侵入。犯行は鮮やかの一言。窓が割れてひるんでいるところを襲って瞬く間にアクセサリーを強奪。逃げるときも窓からだったそうです」


「被害者に怪我は?」


「ほとんどなしです」


「強盗ではなく怪盗と呼ばれる所以かもしれないな。突然暗闇から現れて、あっという間に盗むなんて。手慣れているにしても、被害者に怪我もないなんて鮮やかすぎる」


 落ちてしまわないようしっかりと身体に密着させているアクセサリーを、怪我をさせずに一瞬で奪う技術を持っているなんて、神がかり的だ。暗くて狭い馬車の中でそんなにすんなりと奪えるものだろうか。


「それに金銭ではなくアクセサリーとは。足がつきやすいのに。しかし表の市場にそれらしきものが出回っていないから、売られているなら裏の市場だろうな。そちらとは無縁だから掌握しかねる」


 マルティーニもお手上げだと言わんばかりに両手を上げてみせる。ロズリーヌは悪女と言われているとはいえ、ただの噂にすぎない潔白の身だ。裏社会なぞに精通しているわけがない。世間や王侯貴族に幅を利かせるためには裏社会との繋がりもある程度必要なのかもしれないが、聖女が清廉潔白なものと信じているロズリーヌとしては、積極的に手を広げる気になれない。


「そちらの調査はひとまず諦めて、目撃者を探そう。被害者は見ていなくても、周りにいた人たちが見ているかもしれない。馬車が襲われた付近で目撃者を探してくれないか?」


「早急に調査して参ります!」


 マルティーニはぴしりと背筋を伸ばして敬礼してから、「そうだ」と思い出したかのように続けた。


「夜会にも来ていましたし、きっと聖女シャルルリエルも調査しているんですよね?」


 ロズリーヌは「そうだろうな」と頷いた。


 二人の聖女が次期大聖女に選ばれ、四年後に選定されることは公表されている。二人の聖女は、聖女としての功績や年齢、【聖力】の強さ、そして現在ルドルダ大聖堂に在籍している三十の聖女の中で二人だけが【魔力】由来の特別な力を発現させていることから選出されている。聖教会としては厳正な審査を行っているので選定についての不満はないが、派閥は分かれているといった状況だ。


 また、二人の聖女が大聖女から試練を与えられていることも周知されているが、どのような内容なのかは知らされていない。ロズアトリスやシャルルリエルにも、身近な者以外に公表しないよう箝口令が敷かれている。そのためシャルルリエルは自ら宝石ドロボウの調査に赴いているのだろう。ロズアトリスもロズリーヌとして身を乗り出しているのと同じように。


 シャルルリエルがどの程度の情報を掴んでいるのかは気になるところだ。それに。


(彼女が度々命を狙われているのは、宝石ドロボウ事件と関係があるのだろうか?)


 夜会で聞いた、シャルルリエルが襲われたという事件に、【導き】の力で見た黄金の懐中時計。あの日採取したワインをピエールに調べさせたところ、無味無臭の毒が混入していたことが分かった。


(マクシム殿下も巻き込んでシャルルリエルを殺そうとした人物は誰で、何を企んでいるのかも分からない。まだまだ分からないことだらけだな)


 ロズリーヌはゆっくり息を吐いた。


「とりあえず、情報を集めよう。まだ私たちは知らなさすぎる」


「かしこまりました! なるべく早くローズ様が欲しい情報を集めます! 聖女シャルルリエルより早く解決しないと!」


 マルティーニは意気込んで、胸の前で両の拳を掲げた。


 しかしロズリーヌ──ロズアトリスは釘をさす。


「できる限り急いで欲しいが、シャルルリエルと争うつもりはないので張り合わないように」


 消極的とも捉えられる様子に、マルティーニは不満気に唇を尖らせた。


「どうしてです? 聖女シャルルリエルより早く解決しないと、大聖女の座を奪われちゃいますよ」


「大聖女様からの試練は事件解決だろう? 競えとは言われていない。それに、張り合うことか? 宝石ドロボウが捕まって事件が起こらなくなればそれで良いと思わないか?」


 マルティーニは目を大きくし、「そんな……」と震えた。


「……ローズ様……なんって素晴らしいんでしょう!!」


 両の掌を頬に当て、目を輝かせるマルティーニ。


「自分の利益より民の安全が優先ということですね! ローズ様! 貴方という人は本当に聖女に相応しいお方です! 我らが聖女様! 私は一生ローズ様についていきます!」


 強火の賞賛にロズアトリスは苦笑いした。


 ロズアトリスとて、大聖女の座に興味がないわけではない。しかし相応しい者がなるならそれで良いと思っていた。シャルルリエルが大聖女に相応しいかという問いについては、自分だって相応しくないと思っているので答えられないといったところだ。


 ふと時計を見ると、そろそろ執事のピエールが朝食を運んでくる時間だった。ロズアトリスは大聖女からの手紙を丁寧に畳んで机の引き出しにしまい、鍵をかけた。鍵は机の上の鍵付きの小箱に収め、さらに小箱には鍵をかける。ロズリーヌがロズアトリスであるということを隠すため、念には念を入れている。


 小箱の小さな鍵を首から下げているロケットの中にしまったとき、扉を叩く音がした。穏やかな男性の声が入室の許可を求めてくる。ロズリーヌが許可を下すと、燕尾服を着て眼鏡をかけた老年の男性がしなやかな動作で銀のワゴンを押して入って来た。執事のピエールである。


「本日の朝食は蒸し野菜のバーニャカウダと自家製ベーコンとチーズのキッシュ。ローズマリーティーをお持ちいたしました」


 執務机の上にまだ温かい蒸気を放つバーニャカウダとチーズの芳しい香を漂わせるキッシュが並べられ、温められた透明なポットにローズマリーの葉とお湯が入れられる。ロズリーヌが食事の前の祈りを終え、バーニャカウダとキッシュをそれぞれ一口堪能した頃合いを見計らって、カップにローズマリーティーが注がれた。ふわりと香り立つ湯気に甘酸っぱい香が乗っている。


 ピエールはそこへティースプーン一杯のはちみつを溶かしてくれた。ロズリーヌは火傷に注意しながら、はちみつ入りのローズマリーティーを飲み下す。寝起きで冷えている身体を温めつつ、すっきりと目覚めさせてくれる至高の一杯だ。


「ピエール監修の料理とピエールが淹れてくれる飲み物はいつも最高だ」


 思わずロズリーヌが褒めると、ピエールは「恐縮でございます」と頭を下げた。そうしてまた頃合いを見計らって、ピエールは本日届いたばかりの手紙が乗った銀の盆をロズリーヌの前に掲げたのだった。


 封筒に差出人の名は記されていないが、縁を金の薔薇の箔で囲んである。黄金の薔薇は皇室の象徴だ。


 ロズリーヌは封筒を手に取り、ペーパーナイフで封を切って手紙を取り出した。



【夜薔薇の君 ロズリーヌ・トリオール伯爵

 本日、正午。約束の証書をお持ちいたします。署名のご準備を。

 ティモシー・ド・レピュセーズ】



 思わず「本気だったのか」と呟いてしまう。


 先日の夜会で策に嵌められ、ティモシーと婚約することになってしまった出来事を思い返す。どう考えても本気とは思えない態度だったのに。


(ロズリーヌと婚約しても結果は同じだ。私はロズリーヌであり、ロズアトリスだから。殿下の申し入れは断るしかない……)


 ツキン、と胸を小さな痛みが刺した。ロズリーヌはすでに痛みの取れている胸をさすりながら、返事を書こうと手紙を机の上に置いた。するとロズリーヌが窘めないことを良いことに、いつも手紙を覗き込むマルティーニが内容を確認して憤慨した。


「何ですコレ!? 一方的な! それに淡泊! 愛情の欠片もない!」


 元より愛があっての婚約の申し込みではないことを分かっているロズリーヌとしては、大変読みやすい字で書かれた分かりやすい内容の良い手紙だと思うのだが。マルティーニはお気に召さなかったようだ。


「まぁ、こんなものだろう。しかし私と婚約したとて、ロズアトリスの二の舞だ。これは断るしかないな」


 また胸が痛くなったけれど、痛みはすぐに取れた。


 ロズリーヌは引き出しから便箋を取り出し、羽ペンをインクに浸して素早く力強い字で手紙を書いた。



【黄金の策士 ティモシー・ド・レピュセーズ殿下

 大変申し訳ありませんがお断りいたします。

 ロズリーヌ・トリオール伯爵】



「事務的! 短い! せっかく初めてのお手紙交換なのに!」


 端的だったティモシーに倣って事務的に必要事項だけ書いたところ、マルティーニはこれもお気に召さなかったようだ。


 普段はあまり周りの評価を気にすることのないロズリーヌだが、マルティーニの最後の言葉にはハッとさせられた。


(確かに、殿下と手紙のやり取りをするのは初めてだ……)


 ロズアトリスとティモシーの間には、手紙でわざわざ話したいことなんて無かったように思う。打ち合わせをせずともティモシーはロズアトリスの動向を把握していたし、何も主張せず、ただただロズアトリスの思い通りにさせてくれた。


 なんて奇妙な関係だったのだろうと、今更ながらロズアトリスは内心もやもやした。だからなのか、書き上げた手紙を封筒に入れ、蝋封をする際に少し躊躇した。けれど結局書き直すことはせず、赤い蝋を垂らすといつもより強い力で蝋印を押しつけたのだった。


「……今日の予定を教えてくれるか、ピエール」


 ピエールに手紙を渡しながら問いかける。ピエールは手帳を取り出し、答えてくれた。


「本日、聖女ロズアトリス様は午前八時から午後四時まで大聖堂にて聖職。そしてロズリーヌ様は午後七時から夜会でございます」


 聖女と悪女伯爵の二つの顔を持ったロズアトリス(あるいはロズリーヌ)は忙しい。


 聖職者は大聖女や枢機卿の地位を与えられていなければ貴族の地位や職を兼業できるため、前伯爵夫婦が亡くなった際、ロズリーヌは爵位を継いだ。孤児だった自分を引き取って育ててくれた二人への恩返しのつもりだったが、今となっては俗世を知るための隠れ蓑として重宝している。


 ちょうど今のように、忙しくて目が回りそうなときもあるのだが──。


(──そういえば。今まで、ロズアトリスとロズリーヌの二重生活を忙しいと思ったことはあれ、難しいことはなかったが。こうなるとティモシー殿下……彼は難しいな)


 ロズアトリスと婚約していた時はロズリーヌに近付いてこなかったので見落としていたが。ロズアトリスがロズリーヌであると気づかれないために慎重にならなければならないだけでなく、ロズアトリスでありロズリーヌだからこその弊害も出て来るというわけだ。今回の婚約申し込みのように。


(困ったな……いや、私は何を困っているのだ?)


 彼と関わらなければ良い。それだけなのに、自分は何を困っているのだろうとロズリーヌは小首を傾げるのだった。


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