第三皇子ティモシー・ド・レピュセーズ05
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いわゆるデートの日がやってきた。
「今日のご予定は厳しいですよ! 気合を入れていきましょう!」
明け方。顔を洗うためのぬるま湯を持って来たマルティーニは、いつになく張り切っていた。忙しい一日を乗り切るためだけの気合ではないことは明らかだった。
「よろしく頼む」
ロズリーヌは時間を書き出して念入りに調整した本日の予定を再確認しながら、マルティーニに手伝ってもらって、化粧をした。
全体的なベースはロズリーヌの時の深い色合い。唇だけはロズアトリスの時の桃色をひいて、いつもより念入りな朝の支度を終えた。
そうしてロズリーヌとしてトリオール邸を出たロズアトリスは、いつものように馬車の中でかつらを脱いでロズリーヌの仮面を剥ぐと、ヴェールを被ってロズアトリスに変身した。ヴェールの下に濃い色の化粧を隠してしまえば、ロズリーヌの影は無い。
ルドルダ大聖堂に到着したのは午前六時。聖職者専用の出入り口から敷地内に馬車ごと入場し、大聖堂に併設されている宮殿の私室へ入った。
聖女ロズアトリスの部屋は非常に簡素なもので、家具は鏡台とベッド、ビューロ、クローゼットのみである。ロズアトリスは慣れた手つきでクローゼットから出した祭服に着替え、ドレスはクローゼットにしまい、部屋を出た。
午前六時半。宮殿にある礼拝堂で他の聖職者たちと朝の祈りを捧げ、七時になると大聖堂へ出て、厳かな雰囲気の中、朝のミサの奉仕。それが終わるとすぐに敷地内の孤児院へ移動した。
大聖女が運用している孤児院では、聖職者が孤児の面倒を見ている。
始業前の祈りを捧げ、九時にロズアトリスが姿を現すと、孤児院の子どもたちは喜んで駆け寄って来た。ロズアトリスがまず子どもたちに行うことは、座って聖書を読み聞かせること。
ロズアトリスが床に座れば、子どもたちは自然と周りに集まった。そうしてロズアトリスが紡ぐ鈴の音のような聖書の朗読を、静かに座って聞いてくれた。
聖書の朗読が終わると自由時間だ。
「ローズさま! きょうは ぼくと ボールであそぶんだよ!」
一番のやんちゃ坊主リオが背中に飛びついて来た。
「まぁ、いつもリオは元気ですね」
ロズアトリスはリオを咎めることなく、口元に優しい笑みを浮かべた。ここへ来たばかりのリオは座って聖書の朗読を聞くなんていう、落ち着いたことはできなかった。それでも今ではちゃんと大人しく座っていることができる。いつの間にか大きくなっていく子どもの成長が愛おしくて仕方がない。
「リオ! ちがうよ! ローズさまは わたしと おえかきするの!」
目を細めてリオを見ていると、女の子がやってきてリオを引っ張った。リオと同年代のクララである。クララは男の子にも引けを取らない負けん気を持っていて、譲り合いも苦手でよく他の子と喧嘩をしては孤立する。しかし。
「どちらもしましょうね。リオとの約束が先だったから、ボール遊びをしてから、お絵描きをしましょうクララ」
「……はーい」
渋々だけれど、譲ることができるようになっていた。
ロズアトリスが十人余りの子どもたちを見るようになって半年。
任された当初、ロズアトリスは不安を抱えながらも、大人として子どもたちに未来を与えてやらねばならないという責任感に身が引き締まる想いだった。子どもたちはそんなロズアトリスの想いに応えてくれ、徐々に社交性が身に付き、知識や知恵も増え、体力的にも逞しく、日に日にできることが増えている。
(子どもって、なんて尊い存在なのだろう)
子どもたちを導くことへの不安よりも、彼らがどんどん育っていく姿を見ることへの喜びの方が大きくて、与えられているのは自分ではないかとさえ感じる。それは聖職者、聖女という務めに通じるものがあった。
「ローズさま! ボールあそびしよ!」
リオが満面の笑みでボールを持ってきた。ロズアトリスは周りの子どもたちにも声をかけて外へ出ると、無邪気に芝を駆け回った。
小半刻ほどボール遊びをして、少し休憩し、クララや他の子どもたちとお絵描きをした後は、お勉強をした。文字を書く練習と数字を覚える勉強だ。覚えるのが早い子もいれば、時間がかかる子もいる。人はそれぞれだ。けれど共通していることもある。どちらもできたときに褒めると、花が咲いたような笑顔を見せることだ。
ロズアトリスはこの笑顔が大好きだった。子どもたちが心の底から安心して笑顔を見せられるような場所を提供できることを、誇りに思う。
(そういえば……)
子どもたちのこと考えていたら、街で出会った子どもたちが頭をよぎった。
彼らには心安らぐ場所があるのだろうか。安息の地があるならそれで良い。けれど、ないのなら作ってあげるのが大人というものではないだろうか。
ロズアトリスは思案する。
ここでふと時計を確認すると、約束の十一時まで小半刻を切っていた。内心慌てつつ表面では冷静に、別の聖職者に子どもたちのことを任せて孤児院を出ることにする。
いつもより少し出るのが早くても気づかれない。普段の真面目な態度のおかげだ。これからデートのために休憩を取ろうとしているなんて、誰が思うのだろうか。
(自分が一番驚いているかもしれないな)
婚約者がいたときでさえ、務めの合間にデートをするなんて考えもしなかったから。
しかしこれは打算的な行為。不純な動機ではない──はずなのに。デートのために仕事を中断するという形だけを見ると、十分不真面目で、悪いことをしているような気分にさえなった。けれど同時になんだか身体がふわふわしているような気もして、落ち着かない。
(そもそも殿下とはデートをしたこともないのだったな。……緊張してきた)
トットットッと静かに早くなる鼓動を押さえながら、速足で廊下を歩いていると。
「ローズさま! いっちゃうの!?」
「まだ いっしょにいて!」
「!」
リオとクララが後ろから足に飛びついてきた。二人が大きな声を出したためか、他の子どもたちも集まってきてロズアトリスを取り囲む。
「いかないで」
「さみしい」
「ローズさまと あそびたい」
「もっと いっしょに おべんきょうしたい」
「やだよぉ」
ロズアトリスが行ってしまうことを惜しむ子どもたちの素直な声を聞いていたら、離れがたくなってきた。しかし、ここで負けてはならない。ロズアトリスは心をしっかりと持って、また明日来ることを約束し、半ば強引に孤児院を後にした。
遅れた分を取り返すため小走りで移動してきたロズアトリスは、私室に滑り込んだ。
「少し押しています! 急ぎましょうローズ様!」
私室には、あらかじめ待つように言ってあったマルティーニがいて、ロズリーヌへの変装の準備を整えてくれていた。
ロズアトリスが祭服を脱ぐと、マルティーニは流れるような動作でドレスを着せてくれた。それから黒い長髪のかつらを被らせ、髪を梳いてくれる。その間にロズリーヌは唇に濃い紅色のルージュをひいた。ものの数分で変貌を遂げたロズリーヌは頷いて、聖職者の白いローブを羽織った。
姿見に映るのは、どこにでもいる聖職者。白を基調とした控えめのボリュームのドレスにしたのは、聖職者に紛れるためである。
「ありがとう。マルティーニも見つからないように」
ロズリーヌが告げるとマルティーニは騎士のように静かに、それでも力強く敬礼をした。
「ご武運を!」
ロズリーヌは親指を立てて応え、部屋を出た。
不自然にならない程度に、すれ違う聖職者たちに顔を見られないよう注意して廊下を進み、宮殿の最奥までやって来た。
宮殿の最奥には三メートルを超える女神と天使の石像が置かれていて、天井のステンドグラスから色とりどりの光が女神と天使の祝福のように注がれている。
ロズリーヌはそんな女神と天使の像の裏に回ると、何の変哲もない壁を押した。
壁の一部がめり込む。できた隙間に指を引っかけて横へ動かすと、引き戸のように壁が滑った。
現われたのは同じ女神と天使の像の背面。ロズリーヌは誰も見ていないことを確認すると、素早く移動して壁の隠し扉を元に戻し、ローブを脱いでスカートの下から腰に巻き付けた。
隠し通路を通って出てきたのはルドルダ大聖堂の北側の翼廊である。この隠し通路は限られた聖女や聖人しか知らず、万が一の際の避難経路にもなっているので、余程でない限り使われない。
(今は緊急事態。そういうことだ)
心の中で言い訳をしながら翼廊から身廊へ移ろうとすると──。
「あれ? ロズリーヌさん! ロズリーヌさんが聖堂にいらっしゃるなんて珍しい! 信仰心の乏しい方だと思っていたのに!」
癖の強いベビーピンクの長髪の聖女、シャルルリエルが目の前に躍り出てきた。
思わぬ邪魔が入り、ロズリーヌは狼狽えた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに気を取り直したロズリーヌは、いつも通り優雅に微笑んでみせた。
「普段は別の聖堂で祈りを捧げているのですよ。貴方が見かけていないだけで信仰心が乏しいと言われるのは心外です。ひょっとして、ルドルダ大聖堂に来ていない信者の方々にもそのようなことをお思いなのですか?」
皮肉を皮肉で返した途端、シャルルリエルは頭を下げた。
「そんなつもりで言ったんじゃ……。ただ、会えたことが嬉しくて声をかけただけなのに……」
大きな瞳を潤ませて訴えかける姿は実にいじらしく、シャルルリエルを目当てに集まっていた信者たちがひそひそと噂を広げた。大聖女候補であり、うわべを整えるのが巧みな聖女シャルルリエルがひとたび嘆けば、世論はそちらへ動く。
(巧く乗り越えねば彼らのいらぬ反感を買ってしまうことになるな)
冷静に今後のことを鑑み、蔑ろにしてはならないと悟ったロズリーヌは、シャルルリエルの肩に優しく手を添えた。
「私も貴方に会えて嬉しいですよ。まさか貴方と同じことを思っているなんて、運命的で感激しました。私のような者にもこうしてお声をかけていただき、光栄です。さすがは大聖女候補に選ばれる聖女様ですね」
隙の無い賞賛で埋め尽くした言葉は、シャルルリエルを満足させるには十分だった。「そんなことはありません」と表面だけ謙遜するも、満更ではなさそうな表情をしている。
ロズリーヌはそれを円満解決ととり、早々に踵を返そうとした。
しかし。
ガシッ
「!」
シャルルリエルに手を掴まれてしまった。
「これで仲直り、ですね」
にこりと笑いかけ、両手で強引にロズリーヌの手を包み込むシャルルリエル。
二人が手を組んでいるところを見た観客たちが拍手をする。傍から見ると握手をしているかのように見えたのだろう。
相変わらず大したパフォーマンスだ。だが、これ以上は付き合っていられない。
ちらとスカートの下に忍ばせた懐中時計を確認すると、あと五分で午前十一時になるところだった。
ティモシー殿下を待たせるわけにはいかない!
皇族を待たせるなんて不敬にあたるから、という理由もあるが、きっと早めに来ているであろう彼を待たせるのが申し訳ないというのと、彼の前ではだらしない姿を晒したくないという理由もあった。
余計なことを言ってまた足止めされるのは困るので、ロズリーヌは微笑むだけで乗り切ることにした。そうしてシャルルリエルの手が離れると「では、私はこれで」と今度こそ離れようとした。
「待ってロズリーヌさん!」
(ま、まだ何かあるのか!?)
呼び止められて顔が引きつりそうになり、咄嗟に扇子の裏に口元を隠す。
「今度、お茶でもしませんか?」
「えぇ、是非。日程は後日……」
「やった! 嬉しい! とっておきのカフェがあるんです!」
「その話は、また今度に。実は人を待たせていて……」
「そのカフェはとってもアップルパイが美味しいんですよ。是非ロズリーヌさんに食べてもらいたくて――」
(おいおい勘弁してくれ!)
シャルルリエルは自分の話をし始めると止まらない癖があった。怒鳴ってこの場を立ち去ることもできるが、そんなことをすれば周りの信者たちの反感を買い、ロズリーヌは二度とルドルダ大聖堂へ立ち入れなくなるだろう。
(どうする!? 早くしないと約束の時間が……)




