あなたを愛することはない
「私は、あなたを愛することはない!」
寝室のソファに腰かけて待っていると、突然ドアが開いてこの家の嫡男であるオリヴァー・シモンズ様が押し込められてきた。彼は私に目を留めるなり大声で叫んで――そしてそのまま、勢いよく土下座を決めたの。
「あら」
「このようなことに巻き込んでしまって本当に申し訳ない、シャーロット嬢! こんな宣言ひとつで安心してもらえるとは思っていないが、私はあなたを愛することは決してないと天地神明に掛けて誓おう。そして必ず、どんな手を使ってでもこの婚姻を撤回させる! だからどうか、自棄を起こしたりせずに待っていてほしい……!」
「あらあら」
あまりにも予想通りな展開に、私は思わず笑ってしまったわ。その声はシモンズ様にも当然聞こえているでしょうに、少しの身じろぎすらすることなく頭を下げ続けている。麗しの貴公子というのは土下座姿まで美しいのねぇ。
「まあまあシモンズ様、まずは私の話を聞いてくださいませ。謝罪はそれからでも遅くありませんわ。土下座などやめて、とりあえず座ってくださいな」
あら? 土下座と言うくらいだから、今の格好も座っている内に入るのかしら?
**
「結婚、ですか……?」
突然お父様の執務室に呼び出されたと思ったら「お前に結婚の話が来ている」だなんて。ぽかんとしてしまったのは無理からぬことだと思うの。
私ももう十七、結婚も考えていかなければならない年頃ではあるわ。けれど我がコールマン子爵家は堅実な領地経営以外にこれと言って誇るところのない平々凡々な家で、跡継ぎである一つ上のお兄様の婚約者さえ「気の合うお嬢さんが見つかるといいねぇ」なんて呑気なことを言いながら最近やっとこ探し始めたくらい。当然私には婚約の「こ」の字すらも縁がなく、そんな中でいきなり前段をすっ飛ばして結婚話が持ち上がったりしたら、誰だって驚くと思うのよ。
「うむ……シャルはオリヴァー・シモンズ殿を知っているか?」
「それはもちろん、存じていますけれど……」
彼の方を知らない貴族など、この国にはいないのじゃないかしら。特に女性ならなおさら。
筆頭公爵家であるシモンズ家の嫡男にして、すれ違った十人中三十人が振り返ると言われる美貌の貴公子。成人したばかりの年齢ながらすでに「次代のシモンズは益々の発展間違いなし」と評されるほど有能で、さらには側近として王太子殿下からの信も厚い。まさに欠点などない完璧な存在――そんな評判は末端貴族である私にもばっちり聞こえてくる。私にとっては直接会って話をするどころか、ちらりとお姿を拝見することさえ難しい雲の上のお方だから、「さすがに盛ってないかしら?」と思ってしまうような噂の真偽を確かめる機会もないのだけれど。
「その、シモンズ公爵令息と私の結婚に、一体どのような関係が?」
「それがだな……」
「はい」
「……お前とオリヴァー殿との結婚を、王太子殿下に持ちかけられたのだ」
「……」
「……」
「……?」
私はお父様が「……というのは冗談で」と笑って本当の話を始めるのを待ったわ。けれどいくら待っても、まじまじと顔を見つめてみても、ずっとお父様は真剣な表情をしたまま。……あら、前髪に一本白髪が。
「お父様、お仕事のしすぎではありませんの?」
「なんだ、藪から棒に」
「石橋を建て替えて渡ると言われるほどの慎重派であるお父様がそんなあからさまな詐欺を真に受けるだなんて、お疲れなのではないかと」
「いっそ詐欺ならよかったんだが……」
お父様は深く溜息をついて「王子宮で拝謁した王太子殿下そっくりの人間が偽物だったら、私は金輪際、お前たち家族以外の何も信じん」と頭をくしゃくしゃにかき混ぜた……あらら、白髪が他の髪に紛れてしまったわ。残念、あとでプチッといかせてもらおうと思っていたのに。
「お前の疑念ももっともだが、これがまた、納得せざるを得ない理由があってだな……オリヴァー殿には、呪いが掛けられているんだそうだ」
「呪い……」
お父様が語ったところによると、すべての始まりは今から八年前、ある少女がシモンズ様を見初めたことだそう。その少女は一方的に見かけただけで何の関係もないシモンズ様となぜか将来を誓い合った仲だと思い込み、そしてその誓いが一向に果たされないことに恨みを募らせた。可愛さ余って……というやつで、五年目にとうとう百倍の憎悪を彼にぶつけたのね。呪いという形で。
「オリヴァー殿に愛される女が苦しみ抜いて死ぬ呪い、だそうだ。自分が愛されていないと本人もどこかで分かっていたのか、あるいは自分が死ぬことになってもオリヴァー殿を苦しめられればそれでいいと思うほどに憎しみが強かったのか……」
とはいえ呪いなんて素人がそう簡単に成功させられるようなものでもないし、彼女の行動はただの空回りで終わるはずだったのよ。
ところが何の偶然か、五年間煮詰めに煮詰めた憎悪と、彼女本人も気づいていなかった呪術の才能が奇跡的に噛み合ってしまったらしく。国内でも指折りの優秀な魔術師たちを総動員しても解呪できず、無理にしようとすればシモンズ様の精神が壊れてしまう、そんな強力すぎる呪いが掛かってしまったそうなの。
「……あ、あぁ! 呪い、呪いね! それで私に話が来たのね」
「待て待て、なんだその反応は。まさか今の今まで気づいてなかったのか?」
「だって、普段は天恵のことなんて忘れてるんですもの」
この国の国民ならみんな、生まれたときに天恵と呼ばれる特別な力を授かっているの。とはいっても大半は何とも微妙な能力で、例えばお父様は「白髪が生えにくくなる」なのよ。生えない、でも微妙なのに生えにくい、っていうところがより拍車をかけているわね。お兄様の天恵はもう少し有用で「絶対に視力が落ちない」なのだけれど、お兄様は「一生縁がないことが確定してるから逆に使いたい」なんて言ってわざわざ伊達眼鏡を掛けていたりするわ。
そして肝心の私の天恵はというと、多分誰に聞いてもそれなりに凄いと言ってもらえる能力だと思う、のだけれど。
「『どんな呪いの影響も受けない』だなんて、呪われる可能性のある王族や高位貴族ならともかく、こんな平和な子爵家には宝の持ち腐れですわ」
自分一人しか守れないし、子供に遺伝もしないしで、政略結婚の理由にもならないんだもの。忘れたって仕方がないと思うわ。
「はぁ……」
お父様がまた盛大にため息を吐いた。やっぱりお疲れなのではないかしら?
「それで、私の天恵を知ったシモンズ様が殿下に話を?」
「いや、オリヴァー殿本人は呪いが解けないと判明した時に、生涯独身を貫くと決めたらしい。『婚約者を決めていなかった両親に感謝だな』と言ってあっけらかんと笑っていたそうだよ」
「私たちが決めるよりも、本人に決めさせた方がよっぽど良い伴侶を選ぶだろうから」という理由でシモンズ公爵夫妻がご子息の婚約者を定めていないというのは有名な話よね。「あの敏腕で鳴らした夫妻でも親バカにはなるのだな」と微笑ましさ半分、揶揄半分で笑った人たちがシモンズ様の有能さを目の当たりにして、皆一様に神妙な顔で口をつぐんだという後日談付きで。
「でも、公爵家の次期当主が生涯独身というのは色々と障りがあるのでは?」
「ああ。だから殿下は契約結婚を勧めたりもしたそうだが、オリヴァー殿は頑として受け入れなかったようだな。『初めから愛さぬつもりで妻を迎え入れるなどという不誠実な真似はできない』と」
「それは……なんというか、ずいぶんと誠実……というか潔癖な方ですのね?」
関係者全員の合意があればというのが大前提ではあるけれど、一般に契約結婚にそこまで悪いイメージはないわ。
「単に潔癖なだけならば貴族としての自覚を持て、とでも言えばそれで済むんだが。彼の場合は清濁併せ呑むだけの度量は持っているし、その上で自分がどうしても譲れない一線を守っている、というだけだからな……しかもその一線を守るのに充分すぎるほどの能力の持ち主だ。『不都合など私が自力でどうとでもします』と言われては、殿下も引き下がるしかなかったようだ」
ではなぜ今になって私に話が? と思ったら、王太子殿下の宣いて曰く「私は諦めが悪いんだ」とのこと。
「つまり、引き下がったけれど諦めはしなかった、と」
「呪いが解けないと結論付けられたのが事件から半年後、そこから八方手を尽くしてお前にたどり着くまでに一年半、私を呼び出す準備に一年かけての今、だそうだよ」
なるほど、それは確かに諦めが悪いわね……って、あら?
「どうして私を見つけてお父様を呼び出すのに二年半もかかるんですの?」
私の天恵は大々的に公表しているわけではないけれど別に隠してもないのよ? 上の爵位から順に当たったのだとしても、王家ならそこまで時間を掛けずに調べられるはずだわ。お父様だって書状一枚でいつでも呼び出せるでしょうに。
「そこなんだよなぁ……」
お父様がまた頭を掻き回す。まぁっ、白髪がカムバックしたわ!
「最初に『結婚の話がきている』と言っただろう?」
「そうですわ、それも不思議でしたのよ。いきなり結婚だなんて」
仮に覆せない結婚だとしても、しばらくお互いの相性でも見ましょうかねという建前で婚約期間を設けるのが最低限の礼儀。いきなり結婚を持ちかけるというのはかなり異例なことよね。
「それもこれもすべて、オリヴァー殿に今回のことがばれないようにするためだ」
「シモンズ様に、ばれないように……?」
またしてもきょとんとしてしまったわ。
「ええと、シモンズ様と結婚するのですよね……?」
結婚相手に結婚話がばれてはいけないとは?
「いいかい、シャル」
「はい」
「もしもオリヴァー殿にこの話が知られたとすると」
「すると」
「彼はまず最初の一時間でお前が恋愛結婚ができる立場であることと、お前の好きなタイプを調べ上げ」
「調べ上げ」
「次の一時間でお前の好みにぴったりで、向こうの好みにもお前がぴったり、そんな男を探し出し」
「探し出し」
「最後の一時間でお前とその男が将来の約束を交わすほど想い合うように誘導し」
「誘導し」
「そしてこう言うんだ――『心に決めた相手がいる方に横から手出ししようなど、とてもとても』とな」
「まぁ……」
つまり、シモンズ様にばれた瞬間終わりということなのね?
「だから婚約の手続きもできなければ婚約期間という猶予を与えることもできないし、殿下もオリヴァー殿に気取られないよう、最小限の手勢での調査と、私を呼び出しても不自然ではない状況作りに二年半掛けざるを得なかったのだよ」
そこまでいくともう、諦めが悪いを通り越して執念ですわね。
「私の天恵のことをお伝えすればいいのでは? 呪いで死なないことが分かれば、シモンズ様も頭から拒否はなさらないのではないかしら」
「それでも駄目だろうというのが殿下の見解だ。天恵を理由に望まぬ婚姻を強いられた、としか思われないだろうと」
あらら、八方塞がりね。
「そうは言ってもいつまでも隠してはおませんよね? 婚姻誓約書にサインするときには絶対にばれるわけですし」
何か策があるのでしょう? と聞くと、お父様はとてつもなく苦いものを飲み込んだような顔でぐう、と唸った。
これはあれだわ、去年突然お菓子作りに目覚めたお母様が失敗して真っ黒焦げのクッキーをこさえたのだけれど、捨てようとしたそれを横からひょいっと摘んで食べ、「焦げていても美味しいよ」とかなんとか格好のいいことを言おうとして「こっ……」と言ったきり黙ってしまったときと同じ顔だわ。
あの時はお母様までつられたようにクッキーを食べてまったく同じ顔になり、最終的にふたりで大笑いしていたけれど、いまここに笑い出す人はいないからお父様はずっと苦い顔のまま。
「……全部、後回しにすると……」
「え?」
「……両家の顔合わせも、結婚式も誓約書へのサインもすべて後回しにして、だな……」
「……?」
お父様はそのままもごもごしていて一向に話が進まないので自分で続きを考えてみることにするわ。顔合わせも式もサインも後回しとなると、その後に来るのは……。
「分かりましたわ! いきなり初夜に持ち込むのですね!」
「ごふっ」
「それでも正面から訪ねたらきっと気づかれてしまうもの、使用人の手引きで裏口から忍び込んで寝室で待ち伏せ、これしかないわね! まあまあなんてこと!」
まるで『女スパイ・スカーレットの華麗なる潜入』みたいではないの!
「お父様、私この話お受けしますわ! 早速シモンズ邸に参りましょう!」
「待て待て、行動が早い、早過ぎる」
どうどう、とソファに戻されてしまったわ。確かに立ち上がるには早かったかしらね、まだ昼前だもの。
「いくらなんでもそんな事をさせるわけないだろう。こっそり屋敷に入るまではその通りだが、あくまで、昼間の、応接間に、だ。そこで結婚の約束さえ取り付けられればそれでいい」
「そうなんですの? お父様があんまり言い淀むから、てっきりそれくらいとんでもない策なのかと」
「何を言う。愛娘をまだ何の繋がりも作っていない男の家に単身で送り込むなど、その時点で充分とんでもないだろうが」
「男の家……」
実際に見たことはないけれど、公爵邸ともなれば目も眩むような大きなお屋敷のはずよね? なんだか急にこぢんまりしたお家のような雰囲気になったわ。
「ですがお父様」
「なんだ?」
「いくら忍び込んだとしても、昼間の応接室などという中途半端な環境ではシモンズ様の良いように言いくるめられてしまうのでは? やはり夜の寝室というよりのっぴきならない状況にまで追い込んでこそ、この奇策が意味を持つと思いますの。それにその方がずっとスカーレットらしくていいですわ! 『華麗なる潜入』では悪徳大公レゲルドのベッドで娼婦に扮したスカーレットが待ち伏せを――」
「分かった、分かったから皆まで言うな。それに私はまだ最新刊を読んどらんのだ」
「まぁ、それはごめんなさい」
ネタバレはめっ、ですわね。
「そもそも結婚する前提で話が進んでいるが、お前は本当にそれでいいのか? これは決して強制ではないと、断っても我が家の不利になることはないと殿下には確約していただいているぞ?」
「えっ?」
お父様ったら、変なことを仰るのね。
「どうして断るのです? 断る理由がありませんわ。公爵家との繋がりができるのは我が家にとって悪いことではありませんし、相手が見目良く有能で誠実な方となれば私にも特に嫌がる理由はありませんもの。それに何よりスカーレット! こんな機会、逃す手はありませんわ!」
「……ああうん、そうだね、お前はそういう子だったね……」
シモンズ様は嫌がるかもしれませんけど、その辺りはこちらに話が来る前に殿下が当然考えておられるでしょうから、私たちがここで気を揉んでも仕方がありませんしね。
「……シャル。この結婚で、お前は幸せになれそうかい?」
「分かりませんわ。でも目に見えて不幸になりそうな要素があるわけではないのですから、後は私が幸せになるために頑張ればいいだけです。それに関しては私、とっても自信がありますのよ」
「うん……分かった、もとより結婚はお前の望む通りにさせるつもりだったんだ。お前が良いと言うなら反対する理由はないよ」
頑張っておいで、シャル、とお父様が目を細めて微笑んだ。この顔はお兄様も、そして何故かお母さまも(お父様と血のつながりがあるわけでもないのに!)そっくりなの。私はこの笑顔を見ると、何でもできそうな気がしてくるのよ。
「はい! 早速行ってまいります!」
「待て待て、だから行動が早いというのに」
またしてもどうどう、ってされてしまったわ。確かに夜までにはまだまだ時間があるけれど、私もう、ワクワクして待ちきれないのに!
「シャル、スパイには入念な準備も必要なのではなかったか?」
「あっ……いやですわ、私としたことが、そんな大切なことを忘れるなんて!」
「シモンズ邸の間取りの確認に手引きしてくれる使用人との打ち合わせ、それをオリヴァー殿にばれないようにやるんだ。相手は手ごわいぞ、慎重に時間をかけなければ」
「まあまあ、それもまたワクワクしますわ!」
「だがまずは、戦闘服の用意だな。母さんには先に話をしたんだが、きっとお前なら快諾するから今から潜入用のドレスを作らせる、と張り切ってデザイナーを呼んでいたぞ」
「ええっ!? お父様、それを早く仰ってくださいな!」
「な、なんだ、どうした慌てて」
「お母様の天恵をお忘れですか? お母様のセンスで作られた服は、私には着こなせないのですわ!」
お母様の天恵は「どんな奇抜な服でも完璧に着こなせる」。おかげで似合うとか似合わないとか、そういう感覚がお母様にはないの。最終的には私の希望を優先してくれるから変な服が出来上がって困るということはないけれど、お母様が盛り上がりすぎると収拾をつけるのが大変なのよ。
「そうかい? シャルだってどんな服を着ても似合うと思うがなぁ」
「それは親の欲目というのですわ、お父様!」
慌てて執務室を飛び出して応接室へ。ああ、お母さまの楽しそうな声が廊下にまで聞こえてくるわ!
「お母様! 潜入用の服は目立たないのが鉄則ですのよ!」
――何はともあれ、女スパイ・シャーロットの華麗なる潜入作戦、スタートよ!




