第108話 エピローグ 【線の向こう側】
一年後。
春。
施設の庭では桜が咲いていた。
ラウンジから利用者たちの笑い声が聞こえる。
面会に来た家族。
散歩をする利用者。
変わらない光景だった。
西田は窓の外を見る。
施設は残った。
利用者もいる。
職員もいる。
会社も残った。
あの騒動から一年。
色々なことが変わった。
記録。
会議。
説明。
監査。
書類。
正直。
面倒になった。
以前よりずっと。
だが。
それでいいのだと思う。
西田はそう思うようになっていた。
「主任」
若い職員が声を掛ける。
主任。
少し照れ臭い呼び方だった。
西田は振り返る。
「どうした?」
「この説明なんですけど」
利用者への同意説明書。
西田は内容を確認する。
そして言う。
「これじゃ伝わらないな」
「え?」
「利用者さんに」
若い職員は首を傾げる。
西田は笑った。
そして椅子へ座る。
「もっと分かりやすく説明しよう」
「……」
「相手が納得できるように」
その言葉を口にした瞬間。
ふと。
一人の看護師を思い出した。
真面目で。
頑固で。
面倒な人だった。
そして。
たぶん正しかった。
いや。
正しいとか間違いじゃない。
必要だったのだ。
あの人は。
西田は窓の外を見る。
春風が桜を揺らしていた。
利用者が笑う。
職員も笑う。
家族も笑う。
その光景は守られている。
だが。
今はもう一つ守るものがある。
納得。
説明。
選択。
結果だけじゃない。
そこへ至る過程。
それもまた、
ケアの一部なのだと。
西田は少し遅れて学んだ。
遠くで利用者を呼ぶ声が聞こえる。
西田は立ち上がる。
「今行きます」
そう答えて歩き出す。
春の日差しが廊下へ差し込んでいた。
その先にいる利用者のもとへ。
かつて高梨が向き合おうとしたものを、
少しだけ受け継ぎながら。




