第1話 【録音、できてます】
「……で? あなたは何回同じミスをすれば気が済むの?」
朝の病棟カンファレンス室は静まり返っていた。
壁際に並ぶ看護師たちは誰も視線を上げない。
中央で俯いているのは、新人看護師の宮下遥だった。
「申し訳ありません……」
消え入りそうな声。
だが、師長の高坂は止まらない。
「申し訳ありませんで患者さんが助かるの? 昨日だって点滴速度、確認してなかったでしょう?」
「……確認は、しました」
「嘘つかないで」
空気が凍る。
遥の肩が小さく震えた。
誰も助けない。
いや、助けられない。
この病棟では、高坂に逆らった人間から辞めていく。
自主退職。
体調不良。
適応障害。
理由はいつも“本人の問題”にされる。
会議室の後方で、その様子を黙って見ている男がいた。
黒いジャケット。
無表情。
病院職員には見えない。
男は静かにスマートフォンを机に置いた。
録音画面が光る。
高坂は気づかない。
「宮下さん、向いてないんじゃない?」
その言葉で、遥の目から涙が落ちた。
その瞬間。
男が口を開いた。
「今の発言、もう一度お願いできますか?」
全員が振り返る。
高坂が眉をひそめた。
「……誰?」
「本日から経営改善部の外部監査として入りました。榊です」
男――榊真司は、静かに頭を下げた。
もちろん嘘だった。
この病院に“経営改善部”など存在しない。
だが、堂々としていれば人は疑わない。
高坂は露骨に苛立った顔をした。
「部外者が口を挟まないでもらえます?」
「失礼。ただ、少し気になりまして」
榊はスマホの画面を軽く叩く。
「録音、できてますので」
空気が変わった。
一瞬で。
高坂の顔色がわずかに引きつる。
「録音……?」
「はい。本日の会議内容です」
榊は笑わない。
ただ事実だけを置くように言った。
「公開の場での継続的叱責。人格否定。“向いていない”発言。もし精神疾患が発生した場合、安全配慮義務違反として問題になる可能性があります」
誰かが息を呑んだ。
遥が顔を上げる。
高坂は机を叩いた。
「脅迫ですか!?」
「いいえ」
榊は即答した。
「確認です」
静寂。
その静けさの中で、榊はゆっくり高坂を見る。
「ちなみに、この病院。去年も労基、入ってますよね」
高坂の動きが止まった。
知っている。
この男は知っていて来ている。
その瞬間、高坂の中で何かが崩れた。
榊はスマホをポケットへ戻し、静かに言った。
「では後ほど、個別にお話を」
会議室を出る直前。
榊は泣きそうな顔の遥へ、小さく名刺を滑らせた。
そこにはこう書かれていた。
――解任請負人 榊真司
遥は意味がわからず、その名刺を見つめる。
だがその頃にはもう。
榊の中で、この病院を壊す手順は完成していた。




