#9
ひととおり薔薇園の中を観覧して回り。そして、お茶を飲みながらに、久しく、話をして。
歓談に興を出していた頃合いに、ちょうど、時計が刻の進みを告げる音を立てた。
「もうこんな時間か。私の方からこの場に参加させてもらっておいて悪いのだが、そろそろ戻らないといけないみたいだ」
少し申し訳なさそうにしながら、アルベール様がそういい、こちらに向けて柔らかに微笑んだ。
彼自身、なんとか日取りと時間とをつけて訪れていたということもあって、なかなかに難しい時間の工面だったのだろう。そういう事情を理解していることもあり、特段、それを惜しむ声はあれど責めるような声があがることはない。
「できるならばまだ話していたい気持ちはありますけれど、それならば、仕方ありません。こちらこそ、今日は楽しい時間を頂けて、ありがとうございます」
そう言うのは、ルイーズ。彼女の言葉は、相手が王族だからといった理由で出る建前ではなく、おそらく本音であろうことが、その表情から受け取れる。
ミシェルも、そんなルイーズに倣うようにして。立ち上がりつつに言葉を発する。
肝心なところで思わず噛んでしまって、顔を真っ赤に染めていた。そういうところは、どうにもミシェルらしいと思ってしまう。
対照的に、マリエルは意外にも……というと彼女に失礼になってしまうが、キチンと挨拶をすることができていた。が、それと同時に、小さくホッと息をついているのを見逃しはしなかった。まあ、緊張が解けるかと思って、気が緩んだのだろうが。
最初の頃に比べれば、比較的いつものようにはやれていたマリエルだったが、それにしてもやはりアルベール様がいる現状ではやりにくいのは相変わらずなようで。表情などにはできるだけ出さないようにはしているようだが、イザベラやルイーズからは、しっかりと見抜かれていた。
ということはおそらくアルベール様からも気づかれているだろうが、特段咎められたりしたり。あるいはそれらしい態度を彼がとっていないところを見る限り、やはり、最初から言っているように今日のことについては全て原則、見ないことにしてくれているのだろう。
「ああ、そうだ、イザベラ。帰る前に、少し、話しておきたいことがあるんだが」
アルベール様は、そう言いながらに。視線とジェスチャーとで、それとなく、場所を変えてくれないか、と。
なんとなく、彼の言わんとすることは理解できる。現状、イザベラとアルベール様とが共通で抱えてしまっている事柄。イザベラとしても、たとえそれがマリエル相手であったとしても、おいそれと言えるような話ではないために、たしかに、聞かれないようにと場所を変えるのは必須だろう。
「それでは、ついでに。屋内栽培用の小屋に行きながら、そこで話しましょうか」
マリエルたちに対して、アルベール様を別の場所に誘導することが不自然に見えないように、それとなく、理由をつけながらにそう提案する。
当然、アルベール様はその提案に乗っかってくる。
私は、この場を中座することを彼女たちに謝して。特にルイーズからの「お二人の間柄でしょうし、ゆっくり話してきなさい」という強い送り出しを受けながら、アルベール様を伴って、部屋から出た。
あらかじめ、今日はここに訪れる可能性を加味して借り受けておいた鍵を使って、小屋へと入る。
屋内栽培ということもあり、外の薔薇園のそれと比べると、一段濃い香りが鼻腔へと届く。
「ここならば、誰にも聞かれることはないはずです」
入り口は、原則今入ってきたところのみ。なので、鍵が閉まっていた以上、中に誰かが入っているということはない。
一応は別の入り口もありはするが、そこを使う父は、今はここに来る理由がないために、別段気にしておく必要はない。そのため、この中に誰かいるということは、まずないだろう。
「さて。できるなるば、おそらくはルイーズが想像していたような話題についてを出したいところではあるのだが、それよりも優先して話さなければならないことがあるし。もちろん、イザベラもそれは認識してくれているのだろう?」
「はい」
予想どおり、というべきか。やはり、イザベラの予知夢と、アルベール様の身に降りかかるかもしれない事柄について。
当然ながらに、そんなことについて知りもしないルイーズは、これを逢瀬の一種であるかのように受け取っていたようだが。違いこそするものの、しかしまあ、状況を誤魔化すための隠れ蓑としてはむしろ上等だろう。
「それでは改めて、手紙の内容についての話をしようか」
それは、当然ながらにマリエルやルイーズ、ミシェルが居る前では切り出すことができなかった話であり。同時に、今日玄関にてアルベール様を出迎えたときでさえ、それとなくぼんやりとした話題としてであれば軽く触れてはいたものの、万が一に侍女などの耳に入ってしまわないように、と。詳しいことについてはお互いに一切話はしなかったこと。
しかし、イザベラとしても是非に、話したいとは思っていたこと。もちろん、アルベール様にとっても、それは同じだったろう。
「やはり、文面ではどうしても限界があるだろうし。可能な限り、詳細に教えてくれないだろうか」
「もちろんです」
可能な限りを思い出しつつ、アルベール様に向けて説明を行う。
だがしかし、夢の中での記憶というものは不思議なもので。昨晩から今朝方にかけて見たはずの夢だというのに、既に記憶の中からは忘れかかっていることが多い他。そもそも、起きた時点では忘れてしまっていることも多かったりする。
そのため、なんとかメモをとったりして可能な限りを記録しようとはしてみたのだが。しかし、これがどうしてあまりうまくいかない。
結局、記憶の範囲に残っている大枠に、変化が訪れることはほとんどなかった。
「……ふむ、ということはあまり大きな変化、というか進展はない、というところか」
「申し訳ありません。下手な心配をかけてしまっているというのに、なにも解決するための手立てがない状態で」
「いいや。イザベラが気に病むようなことじゃないさ」
アルベール様はそう言うと、俯きかけていた私の頭をそっと撫でながらに声をかけてくださる。
「むしろ、こちらとしてはイザベラに頼るほかない状態で。なんなら、イザベラにはずっと苦しい思いをさせてしまってもいるわけで。そのことを思えば、感謝はあろうとも、非難が生まれるということはあり得ないさ」
アルベール様のその声は、とても優しいもので。自分自身、気づかずうちにどこかしら張り詰めていたのであろう緊張が、どこかゆっくりと解れていくのが感ぜられる。
「……しかし、てっきり今日になにかしらが起こるのもだろうと、そう山を張っていたのだが」
ふむ、と。アルベール様はゆっくりと顎に指を当てながらにそう考え込む。
しかしそれは、彼と同様に、イザベラ自身も同じように考えていたことだった。
アルベール様には、自分自身の夢のことについては、件の婚約破棄のことは除いた上で、しっかりと伝えている。
それは、いつ頃からこの悪夢、もとい予知夢を見ていたのか、ということについても。
そして、そのことについて。例が少なすぎるがためにハッキリとした確証あっての話、というわけではないにせよ。そう遠くに起こるものでもないだろう、と。そんな予想は立てられていた。
事実として、あの夜会について夢を見始めたのは、本当に事前の十日と少し、といったところだったからだった。
しかし、例外もあったために、絶対、というわけではなかった。……特に、これに関してはイザベラだけが把握していることではあるが、婚約破棄のことを加味するならば。これは夜会の件とは別で、夢を見始めてから、ずうっと変化らしい変化ないままだった上に、これといってそれらしい事柄について起こったわけでもない。
そういう場に於かれたことがあるわけでもなければ、未だにそうなる理由についても、果たして全く見えてこない。
だがしかし、それと同時で、少し気になることがなくはない。
あの夢を見たとき、果たして私がどういう経緯で毒などというものに関ることがあるのだろうか、と。そんなふうに、今までならば考えていたところなのだが。しかし、運命の奇妙なめぐり合わせからか、私は夜会にて毒と触れ合ってしまった。
そうして今度は、今のところは夢の中での身の話ではあるが、それこそ、傷害にあたりかねない状況に対して、近しい位置にいる、というのことは明らかだった。
そう考えると、やはりこの夢はなんらかの警告である、と言うように思えてしまって。
仮にそうだとして考えるならば、果たして、どのような意味がそこにあって――、
「……動き出しの。対策を、していかなければいけないというタイミングへの、警告?」
ふと、そんな可能性が頭をよぎり、併せて、私の口からこぼれ落ちた。
「なるほど。たしかに、そういう考え方もできるのか」
アルベール様の納得に対して、私はコクリと頷きを返した。
今まで。特に、件の夜会以前に私が見続けてきたような、予知夢のようなもの。これに関しては、マリエルなんかもが把握している、未来においてそれっぽいことが起きてきた、イザベラにとっての夢見が悪くなる原因であったものたち。
これらについては、直接になにかしらイザベラに不都合が起こるとか、そういうわけではなかったこともあり。他にも、そもそもなんとかできる、というように考えたりしなかったし。仮にそんなことを思ったとしても、それを考えるだけの自力が当時の私にはなかったということもあって、特段どうしようとも思わなかった。
だがしかし、夜会のそれについては。なんとか夢の中で情報をかき集め用としたり、あるいは夜会の場面で動けたというのも、ずっと夢を見始めてから、嫌な予感が走り続けていて。それに対して私が何とかしないといけない、と。そんな、どこか使命感的にも思えるような意識を持ち続けていたからこそ。あのときに、即座に駆け出すことができた側面がある。
そう考えれば、婚約破棄の夢についても一応の説明がつく。
夢を見始めた期間で言うならば夜会の夢を見始めるよりもずっと前だっにも関わらず、その一方で実際に起こったのは、先に見ていた婚約破棄のものではなく、夜会に於いての夢の方で。
しかし、夜会での出来事が毒物関連であったということも加味して考えるならば、あの婚約破棄に関わる夢については、既に事が知らず知らずのうちに少しずつ進んでいて。その大きな枠のうちの事柄のひとつとして、あの夜会があるのだとすれば。たしかに、辻褄が合う。
「だがしかし、仮にそうだとすると。今回のこともやはり近いうちに起こるか。それともかなり大きなこと、というように捉えられると思うんだが」
「……ええ、そう、ですよね」
アルベール様の仰られたいことは、だいたい理解できた。
今回のこの予知夢に関して。たしかに、婚約破棄のそれと同じように、大きなことが裏で動いていて。早めからに動いていかなければ回避のために間に合わない、というような。そんな可能性に関しても、ないというわけではない。
だが、しかし。それにしては、犯人による犯行のそれが、あまりにも短絡すぎるのだ。
ただ、胸を一突き。たったそれだけ、というのもおかしな話ではあるが。しかし、それだけなのである。
それこそ、前回の夜会での毒殺未遂のことを思ってみれば、未だに犯人が捕まっていないあたり、足取りがバレないようにとしっかりと事前の準備が重ねられていたことは考えに難くないし。それを思ってみれば、直接物理的に手を下しに来た、と考えれば、対策の必要性についても大きく変わってくるだろうし。しかし、それはあくまで体感の予想をベースにしてあるとはいえ、どちらかというと、対策が少なくなる方に変化があるだろう。
そう。どう考えても毒殺に関してのほうが、対策の要か不要かということでいえば必要であろうに。この刺殺のほうが、ということになる。
だからこそ。そうなればやはり遠くない未来のことをずっと見ていた、ということを考える方が納得はしやすいのだけれども。
その前提のもとで考えていたからこそ、てっきりイザベラもアルベール様も、今日になにかしらが起こるだろうと思っていて。
(……なんだろうか。まだ、なにかしら、見落としがあるような、そんな気が)
忘れてはいけない、なにかを。忘れているような、そんな気が。
はたしてそれが夢の中でのなにかだったか。あるいは、別のなにかだったか。それはわからないが。
ふと、気になってしまい。……それが、なんによるものなのか、ということはわからないが。イザベラは入り口の扉へと視線を向けた。
自身とアルベール様とが入ってから、開かれていない、扉。
イザベラがそちらへと視線を送っていることに気づいたアルベール様が、大丈夫だ、と。
「話の内容が内容なので、万が一誰かが近づいてきたときにすぐに止められるように、腹心に扉付近で待機させている。誰かが入ってきたりしていれば、すぐさま私たちのところに報告が上がってくるはずだ」
「そう、なのですね」
少し、安心する。ということは、この場には他に誰もいないわけで。
つまり、ここでなにか起こる、ということはないわけだ。
ふと、一瞬。そういえば、まだ今日は終わっていない。……アルベール様も、今日ではなかったのか、と。そうは言っていたが。まだ、今日の可能性が少しだけ残っている、ということを思い出して。しかし、少なくとも今は大丈夫なのだろう、と。息を吐き、そして、吸って――、
その瞬間、猛烈な、なにかに。異常なまでの頭の痛みと、加速する動悸とに、思わず膝をついてしまう。
「イザベラ!? いったい、どうした!?」
「だ、大丈夫です。ただ、急に頭痛がして」
それが普通ではない、ということは自覚しつつも。しかし、それ以外に言うことはできず。
いったいなにが起こっているのか、と。私自身、落ち着かない頭で必死にその原因を探す。
まるで、警鐘が鳴り響いているかのような、それに。
あたかも、見落としているそれを、見つけろと。本能が叫んでいるかのように。