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第十章 思いがけない来訪者 3

「ここで止めて頂戴。この後は歩きます」

 橋の手前で馬車を止め、御者役のジャックに番を任せて対岸へと渡る。

 板橋の下を流れる小川は右手の川上でぐっと南西へ曲がって森へと呑まれているようだった。

「――この川の源は南の森のなかなのね?」

「ええ」と、コリンズが答える。「ジョアンナ婆さんが見つかったのもこの橋の上ですよ。真ん中のあたりにボーッと座り込んでいるのを、ミセス・マッケンジーが見つけたらしい」

「なるほどね――」

 エレンは曖昧に相槌を打った。


 橋の上――というのは一種の中立地帯だ。

 異世界と現実世界が何らかの理由でつながってしまったとき、「ここは境界線(ボーダー)だ」と多くの人間が認識している場所が本当に境界線になりやすい。



 ――ああでも、ジョアンナが見つかったのはこの橋の上だけど、ビル・ロビンはウォーターサイドの桟橋の上。ナンシーは水車小屋のテラスだったわね。全員水の上だわ――……



 発見場所にそのほかに何か共通点はないかと頭を悩ませながら橋を渡る。

 その先は細い土の道だった。

 左手は牧草地で右手は樺の林だ。

 路上に一対だけ轍の跡が残っている。しばらく進むと左手に、生垣に囲まれた石造りの家が見えた。


「森番屋敷ですよ」と、コリンズ。

 つまりマッケンジー家の住まいだ。


「お前たちはそこで待っていろ」

 四人の巡査を道に残し、木戸を開けて前庭をよぎり、玄関の呼び鈴の紐を引っ張ると、すぐさま扉が開いて、深緑と黒の縞の古風なドレス姿の小柄な老女が姿を現した。

「ミセス・マッケンジー、諮問魔術師どのをお連れしました」

「ああ、コリンズ巡査部長、よく来てくれました」

 老女は狼狽を押し隠したぎこちない笑顔を浮かべて応え、エレンを見あげて目をぱちくりさせた。「……このお嬢さんが?」

「初めましてミセス・マッケンジー。タメシス警視庁任命の諮問魔術師を務めるエレン・ディグビーと申します。本日はこちらのコリンズ巡査部長から、ご夫君の行方が昨日から知れないと伺って取り急ぎ参上いたしました。よろしければ仔細をお聞きしても?」

 身分の証である右手の印章指輪を示しながら訊ねると、ミセス・マッケンジーはますます目を見開き、そのあとで不意に笑った。「ええ、勿論喜んで。実はですね――」



 そうしてざっと語られた行方不明の過程は、学校でコリンズから聞いた話と全く同じだった。


「――年寄とはいえ大の男が一晩家に帰らないだけで大騒ぎをするのも気が引けるのですけれど」と、ミセス・マッケンジーはため息をついた。「その前の三件を思いますとねえ。なんだか心配になってしまって」

「ご心配は当然ですわ」と、エレンは夫人の皴深い小さな掌を握って力づけた。「今までの三件の例に倣えば、ご夫君は数日たてばどこか水場の上で――おそらくはあのクリーク上橋の上で発見されるのではないかと思いますけれど、何か魔術的な力が働いているなら源を確かめなければ。わたくしども、今日は犬を連れておりますの。何かご夫君の匂いの分かる品をお借りして、お家の周りを少しばかり調べさせていただいても?」

 南の森――という地名を敢えて口にせずに頼むと、ミセス・マッケンジーは心得顔で頷いた。「勿論願ったりです。待っていてくださいな。今何か捜してきますから」



 ミセス・マッケンジーが捜してきたのは真っ白な枕カバーだった。

「これは一昨日使ったきりでまだ洗っていませんの」と、気恥ずかしそうに言う。「役に立つかしら?」

「十分以上ですわ」

 エレンが受け取り、早速背後で待機するオーリーとリリーに嗅がせようとすると、

「……ミス・ディグビー」と、コリンズが小声で囁いてきた。「ここで嗅がせたらそこいらじゅうミスター・マッケンジーの臭いですよ。犬を使うのだったら、この家からもう少し離れたほうがいいのでは?」

 質問の形のアドヴァイスだ。

 エレンは口惜しさを隠して頷いた。

「ええそうね。その通りです。オーリー、リリー、おいでなさい!」

 犬たちに命じて木戸へと戻る。


「おいお前たち!」と、コリンズが命じかけてから、ハッと気づいたようにエレンを見やって訊ねる。「ええとミス・ディグビー、どちらへ行かれます?」

 エレンはしばらく躊躇ってから告げた。

「まずは森の口まで。その先は犬たちについていきます」



 マッケンジー家の先の道にはもう轍の跡がなかった。

 右手を小川が流れているらしく、樺の木立の向こうから微かな水音が聞こえた。

 どうも小さな渓谷に踏み込んでいるらしい。

 いつのまにか陽が動いて、右手から午後の後半らしい黄金色(きんいろ)がかった光が射している。


 左右の茂る木々の高さのために自分たちのいるのが谷の底だとはっきり感じられるようになるころ、次第に下生えに吞まれつつある小径の左右に、青々とした夏草に埋もれた一対の低い石柱が立っているのが見えた。


 苔むした小さな方尖塔だ。 

 エレンは地面に膝をつくと、夏草をかき分けて、右手の石柱の表面を確かめた。


 腹にぐるりと文字が刻まれていたようだが、表面が剥落し過ぎていてもう殆ど読めない。辛うじてルーン文字の「M」と思しき文字だけが目に入った。

 


 ――M。マスグレーヴ……



 おそらくはこの一対の石がかつてのマスグレーヴ家の地所だった南の森と共有地との境目なのだろう。

 コリンズと四人の巡査たちが興味深そうな視線を注いでいる。


 エレンは五対の目を背中に意識しながら、石柱の表面に掌をあてて自らの魔力(グラマー)を注いだ。


 エレンの白い掌の下から淡い金色の微光が零れ、石柱全体を微かに包む。



 返ってくる拒絶反応は――無かった。



「……ミス・ディグビー?」

 コリンズが恐る恐る訊ねてくる。「何か、悪い魔術が?」

「いえ、幸いにも」と、エレンは内心の失望を隠して答えた。「昔は何かあったのかもしれませんが、この石は、今はもう魔術的には力を失っています。犬を使いましょう。オーリー、リリー、おいでなさい。この匂いを追いかけるの」

 地主階級に生まれたエレンは娯楽としての狩猟には慣れ親しんでいる。

 白い枕カバーの匂いをかがされたビーグル犬とレトリバーは、ウォン! と元気な返事を返し、すぐさま体を低めるなり、鼻先を地面に擦り付けながら、何の躊躇いも見せずに一対の石柱のあいだを抜けていった。

 コリンズがごくりと息を飲んでから訊ねる。

「ミス・ディグビー、追いかけますか?」

「ええ」

 エレンは頷いた。「行きましょう。――責任はわたくしが負います」

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