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第九章 四人目の被害者 2

「それではミス・ディグビー、私はこれで。ネルソン先生とお話ができたらすぐに御知らせしますね」

「ありがとうございますミスター・コリンズ。よろしくお願いします」


 跳ね橋の手前で巡査部長と別れ、熱っぽい視線を背後に感じながら重厚な石造りのアーチ門を抜ける。

 すると、正面玄関の前でバーバラが待ち受けていた。


「エレン! どうでした聞き込み調査は。何か収穫があった?」

 聡明そうな褐色の目が興味にキラキラと輝いている。

 エレンは微苦笑した。

「残念ながらそれほど。昼食をいただきながらお話するわ。あなたに訊きたいことがいくつかあるし」

「わたくしにも尋問? まさか村中すべての人間の話を訊くつもりじゃないでしょうね?」

「いっそそれができたらいいのだけれど」

 まんざら冗談でもなく肩を竦めるとバーバラは声を立てて笑った。「仕事熱心ね! 昼食は食堂よ。お部屋で手と顔を洗っていらっしゃいな」

「あなた口調が教師になっている」

「教師ですもの」


 言われるままに自室に戻り、支度されていた微温湯で手と顔を洗う。

 ボンネットと絹外套(ペリーズ)をクローゼットに収め、少し考えてから、この頃普段着にしている白地に黒い水玉の薄地綿(モスリン)のハイウェストドレスに着替え、明るい紺のチュール生地のサッシュを結ぶ。

 食堂での昼食ということは、ある程度きちんとした正餐(ディナー)になるはずだ。

 緩い癖のあるストロベリーブロンドをラフなシニヨンに結い直してから西棟の食堂へ向かうと、真っ白なクロスをかけた長テーブルの暖炉側の席にバーバラが、窓を背にした左側にジゼルが坐っていた。


 バーバラは相変わらずの灰色とラヴェンダー色の縞のドレスだが、ジゼルはあの銀灰色の柔らかそうなローヴにアッシュローズのサッシュを結んで、艶やかな栗毛を編んで頭に巻き付けて耳元に真珠を飾っていた。



 ――いつ見ても本当に綺麗な人。



 それに、いかにもルテチア人らしく衣服の趣味が良い。

 エレンは今年の最新流行のプリントドレスに身を包んだ自分が急に野暮ったい人間になったような気恥しさを感じた。

「あらエレン、素敵な装いね」と、バーバラが如才なく声をかけてくれる。「どうぞ坐って」

「ごめんなさいね、お待たせして。アンは昼も南翼なの?」

「ええ。三ダースの雛鳥みたいな生徒たちの面倒を見ているわ」

 すぐに運ばれてきた昼食はチキンのクリーム煮がメインだった。

 それにたっぷりのグリンピースと芽キャベツのバターソテーがつく。

 エレンは舌鼓を打ちながら、被害者三人が全員留守にしていたことを打ち明けた。


「まあ」

 と、バーバラは愕いた。

「さすがにそれは偶然じゃない……わよね?」

「ええ。さすがに偶然ではないと思うわ。――わたくしがこの村に来ていることは、あの歓迎会のおかげで、きっと昨日のうちに知れ渡っていたはず。三人はわたくしに話を訊かれたくなかった。――あるいは、わたくしと三人を話させたくない誰かがいた」

「つまり、隠れた黒幕がいるということ?」と、ジゼルが銀のナイフの先で芽キャベツをつつきながら訊ねると、バーバラが目を輝かせた。

「それって何か大きな陰謀が潜んでいるということ? このファンテンベリー村に?」

「大きいかどうかは分からないけれど」と、エレンは慎重に応えた。「この村の有力者というのは、治安判事のミスター・ハックニー以外にどなたかいらっしゃる?」

「地主のミスター・マーフィーでしょうね。息子さんが牧師だし」と、バーバラが鶏肉を切り分けながら考え込む。「それからお医者のネルソン先生? それに――」

「あのミスター・マッケンジーは?」と、ジゼルが口を挟む。

 バーバラは軽く目を瞠ってから、苦笑気味に首を横に振った。

「彼はそこまで大いに尊敬を受けているって程でもないわ。元々が余所者だし、マスグレーヴ一族がこのあたりで尊敬されていた時代を知っている人もだんだん少なくなってきているし。有体にいって――」と、バーバラが鶏肉を口に入れてから、心持身を乗り出して小声で囁く。

「ここだけの話ですけれどね、彼は村では嫌われているの。マスグレーヴ一族の財産の管理についてあまりにも厳しいから」

「厳しいってどういうこと?」

「たとえばクリーク下橋の水車小屋の周りで釣りをすることを許さなかったり、南の森に兎罠を駆けたり茸を摘んだりすることさえ許さなかったりするの。無許可で地所に踏み込むと容赦なく治安判事に訴えて罰金を課させるから、ミスター・ハックニーだって本当は嫌がっているはず」

「あら、それはまたずいぶん――」

 そこまで口にしたところでエレンはふと気づいた。



 地所の踏み込みに厳しいマッケンジーが留守にしているあいだに、三人の被害者はどこかに踏み込んだのだ。

 そして、そのマッケンジーが帰ってきたのと同じ日に「タメシスからきた諮問魔術師」が現れた――……



「……エレン、どうしたの?」

 バーバラが心配そうに声をかけてくる。


 無意識のうちに匙が止まっていたようだ。

 エレンは慌ててグリンピースを山盛りにした匙を口に突っ込んだ。

 モグモグと大急ぎで咀嚼して飲み込んでから、改めて口を開く。

「あのねバーバラ、ひとつ訊きたいことがあるの」

「なぁに?」

「南の森では苺は採れる?」

「え?」

 バーバラが目をぱちくりさせる。

 と、

「――採れると思いますわ」

 思いがけずジゼルが答えた。

 エレンとバーバラが愕いてみやる。

 ジゼルは澄ました顔でグリンピースを掬っていた。

「……ジゼル」

 エレンは恐る恐る訊ねた。「どうしてあなたがそんなことを知っているの?」

「この邸の書庫で見つけた古い年代記に書いてありましたの。マスグレーヴ家は復活祭から聖ヨハネ祭まで森の地所を解放して小作人や村人に『上位精霊(エルフ)の贈り物』を自由に摘ませていたと。何のことかと気になっていたのですけれど、昨日の話では、この土地で言う『上位精霊(エルフ)の贈り物』というのは苺のことなのでしょう?」

「そうね。その通りよ」と、バーバラが感心したように答え、改めてエレンを見あげて訊ねてきた。「ね、その質問はどういう意味なの?」

「言葉通りの意味よ」と、エレンは肩を竦めた。「つまりね、三人の被害者はみなミスター・マッケンジーの留守中に、こっそりマスグレーヴ家の地所に踏み込んだんじゃないかと思ったのよ。秋なら目的は茸かもしれないけれど、今は初夏だから」

「あ、ああ!」と、バーバラが目を輝かせる。

 ジゼルもちょっとばかり感心したように言う。「それで苺なのね?」

「そうそう。それで苺だと思ったの。――苺は中央大辻の食料品店に持ち込めば買い取ってもらえるのでしょう?」

「ええ」

「なら決まりよ。―-ここからは推測だけど、ジョアンナ・ディーンもビル・ロビンも、ナンシー・ブラウンも、本当は自分が行方不明になる前にどこで何をしていたかは覚えているのよ」

「要するに、南の森でこっそり苺を摘んでいたということ?」

「たぶんね。あるいは摘もうとしていたのか。――三人はみな富裕ではないわ。たぶんジョアンナの隣人も、ビルの雇い主も、ナンシーの家族たちも、彼女ら彼らは本当は何をしていたのかを朧げに察しているのでしょう。だから、それぞれ独自の判断で庇っているのかもしれない」

「じゃ、隠れた黒幕はなし?」

「被害者の口裏合わせという点ではね」

「そうなると、被害者たちは南の森で何かを見たということ?」と、ジゼルが眉をよせて訊ねる。

 エレンは頷いた。

「ええ。その可能性が一番高いと思う」

 そして、おそらくは名忘れ草の魔術が用いられたのだろう。



 ――そうなると、やはり何らかの魔術が関わっている可能性が高いわね……



「ねえバーバラ、南の森の今の持ち主はミスター・マッケンジーに訊けば教えてもらえるかしら?」

「どうでしょう。彼は秘密と言っていたし――」

 バーバラが考えこむ。



 そのとき、暖炉と向かい合う位置にある大扉が開いて、ミセス・カーティスが険しい面持ちで入ってきた。

「ミス・バーバラ、ミス・ヴィリアーズとミス・ディグビー、お食事中失礼いたします。ミス・ディグビーにお客様です」

「あら、コリンズ巡査部長?」

 エレンが慌てて立ち上がると、ミセス・カーティスが強張った表情のまま頷いた。

「はい。大変な事件が起こったため、諮問魔術師殿に大至急お目にかかりたいと」

「あらまあ大げさねえ」と、エレンは思わず笑った。

 大方、ネルソン先生が「ナンシーの麻疹は嘘だ」と証言したのだろう。

「バーバラ、彼をここに通していただける?」

「ええ勿論。よろこんで。ミセス・カーティス、お客様をこちらへ」

「承りました」

 ハウスキーパーが粛々と答えて玄関広間(サルーン)へと戻り、すぐさま青帽子の巡査部長を伴ってきた。


 コリンズは蒼褪めていた。

 あの陽気な青い目に怯えが浮かんでいる。


「ミス・ディグビー、お食事中にすみません。大至急お知らせしたいことが」

「何でしょう?」

「――四人目の被害者が出たようです。ある人物が昨日から行方不明です」


「え?」

 エレンは耳を疑った。「まさか――ネルソン先生?」


「いえ」

 コリンズが首を横に振る。


「ミスター・マッケンジーです」

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