第八章 村ぐるみの隠ぺい? 3
「おはようございますミス・ディグビー! 本日は不祥このコリンズがご案内をお引き受けいたします!」
玄関広間へ入るなり、コリンズ巡査部長はよく響く声で宣言してピシッと敬礼した。
傍でバーバラが引きつった笑いを浮かべている。
「よろしくお願いしますミスター・コリンズ。まず中央大辻の食料品店まで送っておくださる?」
「承りました」
恭しく手を差し伸べる若い巡査部長に伴われて西棟を出ると、濠の跳ね橋がもう下ろされていた。
分厚い石造りのアーチ門を抜けるなりエレンは瞠目した。
真向いから射す朝日を浴びた砂利道に、思いがけず、スマートな二頭の栗毛馬に引かせた瀟洒なバルーシュ型の馬車が鎮座していたのだ。
二人掛けで四輪のオープンボディで、車体は光沢のある黒。扉の縁取りと車輪の軸が鮮やかなワインレッドに塗られている。
昨日のおんぼろ箱馬車とは雲泥の差の車だ。
傍で昨日の若い御者――たしかグレッグと言った――が、不愉快そうな顔で番をしている。
「やあグレッグ、馬番をありがとう!」コリンズが真っ白い歯を見せて笑いながら労い、同じ笑顔をエレンに向けてくる。
「ミス・ディグビー、今日はこの馬車でご案内いたしますので」
「ありがとうございます。――こちらの馬車はあなたの?」
「いやいやまさか。ミスター・ハックニーから貸していただいたのですよ。実はですね――」と、コリンズが自ら扉を開けてエレンに乗るよう促しながらひそひそ声で囁いてくる。
見るからに陽気そうなブルーの眸に何やら真剣な光がある。
――この若い巡査部長は何か重要な秘密をこっそり告げようとしているのかもしれない。
エレンは背筋がピリリと引き締まるのを感じた。
「……何でしょう?」
同じくらい小声で応じると、コリンズは熱っぽく囁いた。
「私はハックニー家の遠縁なんですよ。旦那からは昔から目をかけてもらっています」
「あら、そうなんですの」
エレンはとりあえずそう応じた。
相手が何を言いたいのか、その手の機微にはてんで疎いエレンは全く気付かなかった。
コリンズ自ら手綱をとって栗毛馬にぴしりと鞭をくれるなり、本当はハックニー旦那の所有物らしい瀟洒なバルーシュ馬車は砂利道をガラガラと走り出した。並木道を抜けるあいだに、コリンズが三件の行方不明事件について説明してくれる。
内容は前日にアボット姉妹から聞いたそれと全く同じだった。
「……――みんな見つかったときはボーッとしておりましてねえ」と、コリンズが傷ましそうに言う。「お医者のネルソン先生が仰るには、誰も体に異常はないようだって話ではあるんですが」
--聞けば聞くほど魔術的な話だとエレンは内心で思った。
――もしかしたら、また誰かが名忘れ草を濫用している……のかもしれない。
でも、今度は一体何のために?
行方不明になった三人は引退した元メイドの老女と食料品店に勤める若い男と、小作農の娘の少女――この三人の共通点って何? そもそも何かあるの……?
エレンが考え込んでしまうと、コリンズは口をつぐみ、ときおりチラチラと横顔を盗み見てはホーっと好意的なため息をついていた。
じきにバルーシュは並木道を抜け、丘裾の坂道を下って、轍の跡が何組も残る幅の広い車道へと出た。
「クリークサイド道ですよ。まっすぐ行けば上橋です」
「上橋というと、初めの被害者のミセス・ディーンが見つかったところ?」
「ミセス・ディーン?」コリンズが眉をよせ、ややあってハッと気づいたように頷いた。「ああ、ああジョアンナ婆さんですね! そうです。あの婆さんが住んでいるのはすぐそっちの借家なんですよ」と、コリンズが鞭で右手を示す。「ヒルサイドの教会から家へ戻るんだったら上橋を通るはずはないんですがねえ」
「上橋を渡った先の家は?」
「ミスター・マッケンジーのお家だけですね。その先は南の森です。――先にジョアンナ婆さんの家に行きますか?」
「いえ、やはりまず中央大辻でお願いします」
クリークサイド道を左手に折れてしばらく進むうちに人通りが多くなった。
牛を引いて鍬を担いだ畑へ向かう農夫たち。
ボサボサした毛並みの農耕馬に引かせた荷車にブリキの缶を積んだ牛乳売り。
卵の籠を抱えた若い娘もいれば苺の籠を抱えた少年もいる。
コリンズは馬車の速度を緩めた。
みな瀟洒なバルーシュを見とめるなり目を見開き、中には帽子をとって挨拶する者までいる。
「ミスター・コリンズ、おはようございます!」
「ハックニーの旦那様によろしう!」
「ああみな、おはよう!」
車上からコリンズが得意満面で挨拶をする。
まるで大領主がおひざ元の荘園内を巡回しているようだ。
どうやらこの村では治安判事のミスター・ハックニーの威勢は相当のものらしい。
――初めにミスター・ハックニーにご挨拶するべきだったかしら?
しかし、今の調査は警視庁からの依頼ではなくアボット姉妹からの依頼だ。
治安判事に報告する義務は、本来はないはずだ。
――あら、でも、そうしたら、治安判事配下の巡査部長に案内していただく権利も、本来はないのかしら?
考えるうちに混乱してきた。
エレンはひとまず考えるのをやめた。
今回の調査は、そもそもの初めから何もかもがイレギュラーなのだ。
今は被害者三人からの聞き取りに専念しよう。




