第八章 村ぐるみの隠ぺい? 2
エレンが縁のカリカリした薄切りベーコンの最後の一口を飲み込んだとき、ミセス・カーティスが見事なタイミングで応接室へと戻ってきた。
「ミス・ディグビー、お食事中にすみません。コリンズ巡査部長がお見えです」
「ありがとうミセス・カーティス。すぐに支度をしますから、少し待っていただいて?」
「承りました」
大急ぎで寝室へ戻り、洗面台に用意されている白地にピンクの薔薇の花柄の水差しから揃いの柄のブリキのコップに水を注いでうがいをし、おそらくはトイレと同じく濠へとじかに流し落とす式なのだろう白い陶器製のシンクに口中の水を吐き出す。
鏡に映った自分の顔をさっと確かめてから寝室へ戻り、黒いビーズ細工のポシェットからトランクの鍵を取り出すと、衣装棚の隣に置いておいた茶の革製の大型トランクを開け、ワインレッドの革表紙のノートと鉛筆を小さい黒い絹の手提げに収める。
衣装棚からお気に入りの明るい紺の絹外套を取り出して羽織り、肘掛椅子の上においておいた濃紺のリボンをかけた麦藁のボンネットを被れば身支度は完成だ。
「……よし! 頑張りましょう!」
パンと自分の両頬を叩いて気合を入れてから、ついでに汚れ物を入れた籠を手にして廊下へ出ると、左隣の部屋から、これも洗濯物の籠を抱え、小脇に黒い革の書類挟みをはさんだジゼルが姿を現すところだった。
ジゼルは、今日は縦襟の白いブラウスにラヴェンダー色のスカートという教師らしい服装だった。艶やかな栗毛をシンプルなシニヨンに結って、襟元に黒い繊細なレースで縁取られたカメオのブローチだけを飾っている。
「おはようジゼル。今日はこれから授業なの?」
「ええ」
ジゼルはそっけなく答えてから、ふいと目を逸らして口早に言った。「おはようエレン。お気をつけてね」
「……ありがとう」
エレンはぎこちなく答えた。
あなたは勿論一緒には来ないのよねーー?
皮肉交じりのそんな言葉が喉元まで出かかっていた。
――ねえジゼル・ヴァリエ。あなたは魔術師なのよ? その力を死ぬまで隠して生きていくつもりなの……?
魔力は賜物なんだ――と、連合王国内に現存する魔術師の中でエレンが最も尊敬しているタメシス魔術師組合の長であるサー・フレデリックは、二年前、周囲の反対を押し切って開業を決めたエレンに親切な兄さんみたいな態度で話した。
――いいかいミス・ディグビー、われわれが生まれつき賜った魔力はわれわれの努力の結果じゃない。高い社会階層と同じく、純然たる偶然の結果なんだ。だからこそ、力ある者は公益に奉仕しなければならない。連合王国の魔術師に共通する義務だよ。
公益への奉仕――という言葉をジゼルは嫌っている。
ジゼルの故郷であるルテチアの「皇帝僭称者」コルレオンが同じ言葉を濫用して魔術師たちに従軍を強制し、近隣諸国への侵略戦争に携わらせているためだ。
このアルビオン&カレドニア連合王国でも、ルテチアの「偽皇帝」に対抗するために魔術師を戦争に協力させるべきだという議論が上下院で長いこと審議され続けている。
古代から「汝殺すことなかれ」という誓約を共通理念として受け継ぐ古典四代元素派の魔術師たちは基本的に全員従軍には反対の立場だが――サー・フレデリックは、兵站補給や情報伝達、怪我人の治療といった後方支援のレベルでならば、本当は協力したいのだろうとエレンは思っている。
そこを譲ってしまったらずるずると戦闘行為に引きずり込まれるに決まっている――といううるさ型の長老たちの懸念も分かりすぎるほど分かるが。
「……ねえエレン・ディグビー」
螺旋階段を降りながらジゼルがポツリと言った。
「あなたの火蜥蜴はタメシス全市を燃やせる?」
「――やろうと思えば、できるでしょうね」
「そう。……気をつけてね」
「――何をよ?」
「今後の身の振り方を、ね。……純粋の焔の性の魔術師は、戦場では最も重宝されるはずよ。あなたが公に名を挙げれば挙げるほど、あなたを兵器として利用したいと考える人間が増えていくはず」
「――ご心配ありがとう。でも、それは杞憂よ。連合王国は法治国家なの」
「ああそう。羨ましい楽観性ね」
ジゼルは冷ややかな声で応じると、居間の手前で足をとめ、馴れた足取りでテラスへと出て、広い中庭をよぎって南棟へと向かってしまった。
エレンは内心でため息をつくと、応接室を抜けて玄関広間へと急いだ。
扉の前でバーバラとコリンズ巡査部長が待ち受けている。




