SIDE/ユリアナ④
「こちら、ご所望の『実』にございます」
「そ」
装飾のない小さな箱を受け取る。
「まさか殿下のような高貴なる御身とお取引していただけるとは、光栄至極にございましては……」
「これが偽物だったならお前の血縁、家族、友人、知人、隣人すべての首を刎ねる。お前以外のすべてを斬る。お前だけは生かし続ける。分かるな?」
「……御心のままに」
商人を気取った女が退出し、ようやく息を吐く。
当然女には尾行を付けていて、その拠点が明らかになり次第、このブツの真偽に関わらず全員を斬る。
「キリヱ」
「なんじゃい」
「撫でさせて」
「いいよ」
キリヱを撫でながら不愛想な箱を開ける。
中には天日干しにされた人間の心臓が入っている。
「元皇族」は人間という括りでいいのだろうか。
この心臓は少し前にミヤに斬られて剣聖を失った第四皇女のものだ。
自分の出自がそうだから、皇族落ちした人々がその後どのような目に合うのかをわたくしは知っている。
四肢もなく、梁からぶら下げられて、死ぬことも許されず、精血に励むだけの肉塊にされる。どこで飼われているかも分からない中で、唯一楽にしてあげられる方法があるとすれば、それは心臓を注文することである。
スレイにはこのような施設が数百あり、十か所潰す間に二十か所増えている。
酷いものに至っては、皇族でも何でもない普通の子どもを買い取り、皇族の血と偽って販売している。あるいは皇族ごっことして、自分たちと同じただの子どもの血だと分かっていてなおそれを好んで飲む人々もいる。
こんな国は終わらせなければならない。
思うに、ユリウスの婚約者であったグルナート公爵家のレミリア嬢は、こういった我が国の恥部を知っていたのではないだろうか。なればこそ、第三皇子という吹けば飛ぶような立場の皇族に嫁ぎ、この国の内側に入ろうとした。
結果として、あれだけ優秀で才気に溢れた彼女が国境すら跨ぐことなく殺されてしまった。
外側の人間には構造上見え得ない力学がある。
だから結局のところ、私たちがやるしかないのだ。
ぎゅっと目を瞑る。
天秤が見える。
両側の皿の上には、それぞれに天秤が乗っている。
その二つの天秤の両皿には、さらに別の天秤が乗っている。
その天秤の上には……。
やや右に傾いている。
傾きを正すにはどの階層にどの行為を乗せてやればいいか、というのが感覚で分かる。
まだ華族に飼われていた幼いころ、わたくしは常に選択を迫られた。
教育係はわたくしが懐いた人間を二人連れてきては選ばせた。
わたくしが選んだ方はその場で首を刎ねられた。
選ぶことを拒めば、鞭で打たれ傷口に蜜を塗られ、蟲壺に閉じ込められた。
おかげさまで物事の尺度が多少分かるようになった。
なにをどうすれば天秤の均衡を保てるか、わたくしが選ばずに済むかが見えるようになった。
あの教育係には大変お世話になった。
関係華族の中でわたくしが首を落とさずに生かした数少ない人間だ。
今はまだ蟲壺の中で溺れているか、あるいはもう死んでいるだろう。
「ユリアナ様」
影から声だけが聞こえる。
「なに?」
「子猫が花器を割ったようです」
「……相変わらず元気な子猫ちゃんね。ご苦労」
「は」
「なあ、あそぼ?」
「いえ、結構です」
短くキッパリ言い残して声が消えた。
「ふふっ」
一か所を見つめていたキリヱの目線が解けたのを見てから、溜息を吐く。
今の影はわたくしとミヤの間で二重の間諜をやっているやつだ。
「子猫が花器を割った」という報告は「ミヤ第一皇女が剣聖五位を斬った」と翻訳される。
つまりは第五皇女がこのあと酷い目に合うから、その苦痛を早めに終わらせてあげるためにわたくしが努力する必要がある、ということを意味する。
人が丁寧に組んでいる天秤を台無しにするのが好きな猫ちゃんだ。
相変わらずミヤは皇子女のために良かれと剣聖を斬りまくっていた。
わたくしはそんな彼女が愛おしい。
加害の中に救済が含まれると信じられるその彼女の生き方が微笑ましい。
ミヤを思うと、真冬のポカポカお鍋くらい温かな気持ちになる。
恋でも親愛でも憐憫でも同情でも尊敬でも軽蔑でも憤怒でもなく、冬場の囲炉裏に一切の感情を抱かないままそれを好めるのと同じように、自分はミヤがやることを好んでいるという自覚があった。
彼女の行いには「祈り」があった。
祈りとは、存在が良い状態になる/であることを外向きに願う在り方だ。
わたくしにはそれがない。
諦めて、受け入れて、その状況にいるわたくしに対する役目として皇国を壊そうとしているだけだ。そこに内発的な活力はない。
ただミヤというウェイトがあるから、その天秤の傾きを保つために私も行動ができる。
ミヤとの相対性の中にしか私はない。
ミヤは私なしでも成立するけれど、私は彼女なしでは成立しない。しがない影法師だった。
あの日見たあの淡く薄い光の中でだけ、私は息をすることができた。
「キリヱ」
「いいよ」
従順に抱かせてくれる様は、大型犬を連想する。
「温かいわ」
「にくをたべとるからね」
「なら温かいのも納得だわ」
時おり、自分があの日キリヱと出会わずに死んでいたならと考える。
この子は今よりもずっと自由だっただろう。
「ねえ、キリヱ」
「もうおるよ」
「ありがとうね」
「いいよ」
ミヤを生かすにはわたくしの死が最低条件となる。
誓約を交わしている以上、私の死はキリヱの死を意味する。
あの穢れた日々と何も変わっていない。
大事なもの二つを天秤にかけて、ミヤが残ることを選択している。
愚かで傲慢で、なんとも皇族らしい選択だ。
もしも〝死〟の先に知覚できない行き場があるとしたなら、私の行く先は黒く血に満ちた蟲壺の中でありますように――。
***
時は満ちた。
天位斬りは想定よりもイージーだった。
結界を破り、マリウス帝国からのお客様も招き入れた。
この後はエルフと合わせて程よく三者で消耗しながら、皇国の主権を持って行ってくれるだろう。
ミヤはアルス王国と上手くやれている。
皇国を出ても行く先には困らないだろう。
「終わったわね」ミヤが呟く。「彼方より続く皇位継承システムはこれにておしまい。あとのことはよろしくね、ユリアナ」
「なにを言っているの?」
残念だけれど、あなたという光をわたくしは絶やさない。
「皇妃の死は〈毒〉をもって私に連動する。私が死んで、継承システムは破壊される。逆にこれしかないと思うのだけど、まさかあなたがこの程度のことを思いついていないわけないわよね」
相変わらずの人をイラつかせる言い方に、初めての茶屋での出会いを思い出した。
「……やっぱりなにを言っているのか分からないわ。貴女が死んで継承システムが壊れたところで、この国は良くなると本気で思っているの? ありえない。この国がこの国であり続ける限り、残忍であり続ける。人を殺しているのは、システムでなくて人なのよ。こんな国は一度終わらせなければならない」
「……売ったの? この国を」
この国を終焉らせたとしても、あなただけは終わらせない。
「…………そっか」
ミヤが遠い言葉を絞るように吐いた。
「…………………………」
それは明確な失望と諦念の入り混じった音だった。
ああ、なにか間違えたのだと悟った。
わたくしは、私はっ、貴女にその目をさせないためだけに、今ここに存在していたはずなのに。
後悔でし――――――――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■




