2 雲霄 ウンショウ
憂鬱すぎる。なんでこんなものが存在するんだ。
「晴空、顔死んでるぞ」
「うるさい」
「はるく、何出るの?」
何かが飛びついてきて思わずよろめく。
「障害物」
もう危ないなあ、なんて言って頭を撫でる。まだジャージを着ている俺とは違い、霄は半袖短パンだった。
「え、ねぇ距離感おかしいよね?」
「は? 何が?」
「いや、だから2人の距離感だよ」
「そうか?」
もう既に帰りたいな。帰らせてくんないかな。障害物競走に出たらすぐ帰りたい。
「男同士でその距離って中々ないと思うけど?」
「まあ、お前とこの距離は無いけど」
「だろうね?」
なんだか、身体をよじ登っている気配がする。というか、よじ登っている。
「なんていうか、弟?」
「いや、弟ともその距離ないわ。相当歳離れてないと」
「うーん。なんというか、ほんと妹たちと同等の可愛さというか」
「あ、ごめん、ブラコンなら有り得た」
ブラコン、ブラコンか。まあ、それで言うなら事実シスコンではあるんだろう。それが何故か血も繋がらない霄にまで適用されてしまっているというか。
「うるさい。ほら、2人とも整列」
「おひるいっしょにたべよーねー」
「はいはい、またね」
適当に手を振り、列に加わる。男女別で五十音順に出席番号が振られていて、困ったことに前から二番目だ。一番前がそれなりに小さいヤツなせいで、凄く目立つ。運動が苦手な人間としては、こういう日は終日目立ちたくない。
運良く、ほぼクイズ大会みたいな障害物リレーの三番手を貰ったのでだいぶ気は楽だが。
霄は何に出るんだろうか。さっき聞きそびれたな。
「たしかねー、400m走と長縄と800mリレーだったはず」
開会式と準備体操が終わり、一天に尋ねるとそう返ってきた。
「走るの速いんだ」
「見てたら分かると思うけど、運動神経めちゃくちゃいいよ」
「たしかに身軽そうだけど」
さっきもよじ登ってきたしな。木にも登ってたし。本当、猫みたいだよな。
「晴空の障害物期待してるよ」
「しなくていい」
「だって、途中10問クイズあるじゃん。ぶっちぎるでしょ」
「さあ? やってみないと」
青空に浮かぶ、白い雲がなんだか眩しく感じた。
目の前を数名が駆けていく。今は女子の100メートル走が行われていて、俺たちは霄の400メートル走待ちだった。
「ねぇ、霄ってクラスでいじめにあってるわけ?」
「いやー? ちょっと距離置かれてるだけだよ」
「じゃあ、なんで俺だったんだ」
「あー、あの時のあれね」
いじめに動じないところを見て、興味を持ったと言っていた。それなら、もしかしたらってずっと思っていた。
「そのさ、つまんないことに興味ないって感じがさ、霄を変に避けたりしなさそうだなって思えて」
「あー、まあ確かに」
「晴空はいつからそんなんなの?」
いつから……思わず遠くを見ながら思い返す。いじめに初めてあったのは小学生の頃。低学年だったはず。それも、給食費か学年費か、何かが払えてないことがうっかり漏れてしまったのが原因だった。
小学生にとって、"みんなと違う"は善にも悪にもなり得る。
「最初は辛かった気がするけど、仲間外れにされて、痛い思いもしたし汚れたし。でもそれ以上に、周りの友達だったはずのクラスメイトへの気持ちが一気に冷えてって、それが俺は憎しみじゃなく無関心の方にシフトされた。そっちの方が悲しかったかな」
「どういう意味?」
「あー、俺は他人に大して興味を持てない、冷たい人間なんだって」
「そっか……」
我ながらマセたガキだった。父親を亡くしていたからか、酷く背伸びをしたがる子どもだった。きっとそれは今もだけど。
「でもね、俺は晴空を冷たい人間だとは思わないかなあ。ただ、理性的なだけだと思う。一緒にいて得のある人とない人で付き合い分けてるだけっていうか、許せる許せないの基準を上手く作ってるっていうか」
「それのどこが冷たくないの? 損得で人をわけちゃダメだろ」
「そりゃあさ、損得の基準が金とか地位のためのものならね。俺的には、一緒にいて楽しい人は、得する相手だと思ってるから。居心地がいいとか面白いとかも。全部、得だろ?」
「あー、一天って意外と大人だよな」
とうとう、女子の100メートル走が終わって、男子が整列し始める。そろそろか、と霄の姿を探すと、すぐに見つけられた。
「俺のこと見直した?」
「んー、少し」
「はるくすごかったね」
「予想通りのぶっちぎりだったね」
「一天うるさい」
自転車で走り、10問の問題を解いてプリントを提出し全問正解なら次の走者にバトンタッチ、1問でも不正解があれば違うパターンの問題がまた10問出される。という文化系向けの走順だった。
二番手までは八組中4位だった。ラッキーなことに、先に問題を解き始めた人たちが立て続けに誤答し、そこに居続けた。俺はそれを好機とみて、先に全問正解してタスキを渡した。意外と、他の面々は苦戦していたようで、そこで差がついてアンカーもぶっちぎりでゴールした。
いじめられたこともある人間が周りを喜ばせることになった訳だが、神経が他の人間とは違うここの人間たちは普通に喜び普通にハイタッチを求めてきた。真顔でそれに応じたが、モヤモヤしたままだ。
「霄も凄かったよ。速かった」
「ありがとー。おれこれくらいしか、とりえないからね」
「そんなことはないけど、運動神経いいって羨ましいよ」
「へへ、ありがと」
なんとなく、なんとなくだけど、クラスにいる時の霄はあまり笑っていない気がしていた。だから、三人でいて笑う霄を見ると少しほっとする。猫羽グループの子息ならば、ちやほやされたっておかしくないと思うんだけど。
昼休憩に入ったので、空き教室を見つけて弁当を広げることにした。二人の弁当が豪華で驚いたら、二人とも見栄をはりたいだけだと吐き捨てた。二人とも家に母親はいるが、弁当を作ったのは母親ではなく、プロ。この学校は総じて、そういう事が多いらしい。子どもを使って親が見栄を張るような、そんな場所なのだここは。
「晴空って弁当は自分で?」
「いや、今日は妹が」
「どっち?」
「桐」
双子の下の方。大人しくて勉強が得意。あと、我慢も得意。
「霄と謎の心の通わせ方してた方か」
「いつもは人見知りして中々距離縮まらないんだけどな」
「とうはおとなしくてやさしくてはなしやすかったよ」
自分の妹を褒められて嬉しくて、少し照れくさい感じがする。その上、友達があまりいないと聞いていた霄が仲良くなれたというのも友人として嬉しい。
「桜は一天に懐いてただろ」
「桜ちゃんね、懐っこい感じも可愛いなって感じ。いや、二人とも可愛いんだけど、やっぱり懐いてくれる方が可愛く感じちゃうよね」
「まあ、桐は懐かないだろうな」
桜は社交的だが、桐は結構人を選ぶ。一天が悪いわけじゃなく、賑やかなやつが苦手なのだ。双子なのに正反対で、正反対だから補い合って生きてる二人だ。その二人それぞれにこいつらはちょうど良いんだろうな。まあ、話し相手が多いに越したことはないし、たまに連れていくか。
「そうだ、晴空今日のクラスの打ち上げいく?」
「行かない」
「だよね」
「いーなー、おんなじクラス」
どうせ高い店で肩身狭い思いをさせられるんだ。くだらない。そもそも初日にいじめられかけてた人間は歓迎されないだろ。
「今日バイトは?」
「休み」
「じゃあ、三人でどっかいかない?」
「うーん、あんま金使いたくないんだけど」
「あー、奢りとかも嫌だもんな……」
この二人には俺の一食奢ることがなんのダメージにもならないんだろう。それは分かる、けどそういう関係にはなりたくなかった。
「夕飯も作んなきゃだし」
「それは妹ちゃんがやるんじゃないんだ?」
「部活あるから。夕飯はバイトがなければ俺だな」
「そっかー」
夕飯の話になったタイミングで、今日の献立を考え始める。昨日魚だったし、今日は肉かな。
「それかまた柚葉くんとこか」
「何度も行って迷惑じゃない?」
「うーん、まあ大丈夫だと思うけど」
「基本常識的で遠慮がちなイメージあるけど、柚葉さんには全然そんなことないよな」
「んー、そうかもな」
確かに、母親に対してより柚葉くんに対しての方が気を使わないかもしれない。なんというか、気安い友達に近い感じ。
「まあ、飯は俺が作るから」
「はるくがつくるの?」
「うん」
「たのしみにしてる」
「ん。じゃあ、帰りスーパー寄るから」
カバンの中に柚葉くんから預かった財布があるのを確認する。それから、柚葉くんにメッセージを送った。
柚葉くんの家で夕飯を食べる時のルールで、費用は柚葉くんが全部持つというのが決まっている。なんでわざわざ出してくれるのか分からない上、定期的に中身を足される財布を持たされている。俺が約束を守るって信用しているのか、それくらいのことをしてもなんのダメージにもならないくらい稼ぎがあるかのどちらかなのか。
「ご飯代はどうすればいい?」
「んー、多分柚葉くんが出してくれるとは思うけど、気になるなら買い物後に一人あたりの費用計算するよ。まあ、外食より断然安いと思うけど」
「え、柚葉さんに悪くない?」
「あの人はお金あるから大丈夫らしい。こっちが散々払うって言ったのに聞いてくれなかったんだよな」
それにあの飲食店、酒が異様に高いのだ。高い値段にしている、のではなく高い酒ばかり並べているという感じ。料理ももちろんそれなりの値段はするし、素材はいいものを使っている。つまり、高級な飲食店なのだ。メニューの内容に統一性がなくて、イマイチどういう店なのか未だに掴めていないけれど。
それにその類のガイドブックみたいなのにはきっと載らないタイプ。新しいお客さんは、常連か二回以上来たことのある人からの紹介で、大体誰かの顔見知り。
そんな金持ちの溜まり場で、柚葉くんはお客さんと狡賢い会話で盛り上がる。人の上に立つ人たちとそんな風に盛り上がるなんてすごいとは思うけど居心地悪くなるから本当はやめてほしい。
「まあ、とにかく帰りはスーパーな」
「なにつくるの?」
「うーん、肉?」
「それ、材料な」
肉を使って……何するか……
「なんか食べたいもんある?」
「んー、海老フライ」
「だから肉」
「ハンバーグ!」
ハンバーグかー、まあそれもあり。せっかく人数いるし小さめのを大量に作って……なんか簡単なバイキング形式みたいに大皿いくつかにおかずをドサドサと……あれ桜が喜ぶんだよな。
「よし、大体決まった」
「海老フライはやはり却下か」
「いや、海老フライもやってもいいけど。唐揚げしようかとも思うし」
「まじ? やったね」
「その代わり、二人とも手伝えよ?」
「また来たなー」
「え、連絡入れたじゃん」
「うん、了承したけど」
めんどくさ……まあ、世話になってる身だしな……
「晴空、顔に全部出てるから」
「嘘」
「ほんと。めんどくさいって書いてある。まあまあ、さっさっぱっと作っちゃってよ」
「さっさっぱってなに? てか、また柚葉くんも食べんの?」
「俺の分も考えて買ってきてくれるくせに」
場所提供してくれて、材料費も出してくれてる人の分を全く考えないわけない。でも、絶対自分で作った方が美味いのに。
「晴空の料理はちゃんと家庭料理って美味さなんだよなー。俺が作るのは舌の肥えた狸のご機嫌取りの味がするから」
「それは、自分が悪いんじゃない?」
結局腹ん中でそういうことを考えてるってことだろ。まあ、そういうところあるよな。
「柚葉さん、アイス買ってきたんで、冷凍庫入れたいんですけど」
「あー、はいはい。こっち持ってきて」
一天が遮るように出てきたおかげでくだらない応酬は落ち着いた。ほんと、そういう空気を読む力が優れているやつなんだよな、一天は。うるさいのは否めないけど。
「はるく、なんかてつだう」
「ああ、うん。ありがとう」
買い物袋を受け取ろうと差し出した手を断られながら二人を追って奥に進む。
「あー、晴空財布」
「はいはい」
冷蔵庫のすぐ側に買い物袋を一度置いて鞄の中を探る。財布を取り出すと柚葉くんの方に放った。
財布にお金が足されていく。鼻歌が聞こえる。そして、茶封筒が差し出される。
「なにこれ」
冷蔵庫に買ってきたものを入れる手を一度止めて訊ねる。柚葉くんは、満面の笑みで差し出し続けた。
「織部から小遣い。昨日お前が帰ったあと来たんだよ。会いたがってた」
「えー、ちゃんと断ってよ」
「俺は織部に逆らえないからなー」
「都合のいいことばっかじゃん」
「まあね」
渋々茶封筒を受け取って中を確認する。毎度毎度多すぎるんだよな、織部くんもその辺感覚おかしいから……母さんに渡しておけばいいか。
「じゃあ、ちょっとここで色々広げてやってるから気にしないで」
「いや、その言い方気になるけども」
「二人とも、冷蔵庫に入れ終わったら手洗っといて」
「え、手伝わせんの?」
「別にいいだろ」
適当に流しながら、自分も手を洗って器具を揃える。二人にはハンバーグやらせるとして、揚げ物の衣も任せるか。味付けとか実際あげるのとか……あ、先煮物っぽいの作るか、圧力鍋どこだっけ。
「いやー、さすが桃ちゃんの息子。猫羽の坊ちゃんそうやって使えんのはお前くらいだわ」
すぐ側まで近づいてきた柚葉くんが小声でそんなことを言い出す。まあ、確かにあの学校のそっちの枠の人間はそういうの縁なさそうだな。
「俺はどこの坊ちゃんだろうが織部くんだろうが柚葉くんだろうが使う必要があれば使うよ」
「……そういうやつだったな。恐ろしいわ。まあ、織部と俺は喜んで使われちゃうけど」
一部の大人が決めたくだらない価値観なんてどうでもいいからね。たぶん必要とあらば、あの人のことも平気で使うと思う。
――猫羽灰明のことも。
一学期中間テスト前、一天が勉強しようと誘ってきた。多分、教えてと同義の誘い。
「ずばり、目標は?」
「現状維持」
「さっすが」
「うるさい」
柚葉くんが買ってきてくれた問題集を解き始める。参考書とか無駄に高いんだと愚痴ったら買ってくれた。遠慮しても、適当に言いくるめられてどんどんお世話になっている気がする。
「俺、半分より上に入れって言われててさー」
「へぇ」
「うちは大企業じゃないからね。優秀な人間を引っこ抜くのも難しいんだよな」
「そうか」
そういうのもあるのか。意外と面倒なんだな。それならまあ、教えるのも勉強になるってよく言うし、別に真面目にやるなら教えるのはいいんだけど、な。
「聞きたいところ出てくるまで雑談してていい?」
「いいけど、それで問題解けるのか」
やっぱり、と思いつつ仕方なく聞き流す。授業でだいたい頭に入っているから自分の方は大丈夫だろう。
「大丈夫大丈夫」
「はぁ、好きにしろよ」
「そういえばさ、気づいてると思うけど、霄は猫羽グループの跡継ぎなんだよね」
「だろうな」
急になんだと半ば呆れながら真意を探る。
「本来は、ね」
「は?」
「何故か、霄には継がせないって噂があるんだ」
「そんなことあるのか?」
息子に継がせないってどうするつもりで……
「霄には弟がいてね」
「アレで兄なのか」
「妹もいるよ」
「意外……」
下に二人もいるのか……でも、それにしたって長男であることには変わりないし、よっぽどのことがない限りは長男が親を継ぐんじゃ……
「母親が絡んでるみたいで……母親が弟お気に入りなんだよ」
「会長は父親の方だろ?」
「そうなんだけど、出しゃばってくる人なんだよ。結構厄介な人」
「会長が」
なんとかできないのか。
「ある一件からちょっと立場が弱いみたいでね。さすがに意見に流されないとは思うんだけど、ゼロじゃない」
「ある一件って?」
「秘書が自殺したんだ。俺らが3歳くらいの時に」
秘書、自殺、13年前。黒と白に包まれた日を思い出す。
「その秘書って、やっぱり」
「なに?」
「猿川若芽って名前?」
「なんで、知って……」
「それ、俺の父親の名前」
廊下の方から誰かが駆けていく足音がした。




