1 暁 アカツキ
つまらない授業を聞き流しながら、知り合いに譲ってもらった参考書を解く。まだ入学してから一週間程しか経っていないので、本格的な授業はまだ始まらない。周りのクラスメイトたちは授業よりも、今月末に行く校外学習のことで頭がいっぱいらしい。俺からすれば、なんの実りも期待できない遠足になんの楽しみもないのだが。毎年三学年合同で行われるそれでは、小遣いをいくらか貰えるらしいのでそれにしか興味はない。
風が木を揺らした音を聞いて、窓の外を見る。木の上の方で猫が気持ちよさそうに寝ていた。
チャイムが鳴ると同時に生徒が一斉に立ち上がる。この学校では先生に大して力がない。形だけの授業に形だけの挨拶。そして、一部しか興味を持たない定期試験に娯楽のような行事。そんなもので出来ているのだ、この学校は。
ふと、先程の猫が気になって小さめの保冷バッグを引っ掴んで教室を出る。下駄箱で靴を履き替え外に出る。まだ肌寒いからか、外はとても静かだった。校舎を見上げながら先程の木を探す。確かこの辺だと……
「どいて」
上から声が降ってきて見上げた瞬間、今度は人が降ってきた。思わず目をつむって尻餅をつく。衝撃の後に目を開ければ、目の前には少年がいた。
「ごめん、けがない?」
「え、うん。大丈夫だけど」
ネクタイの色からして同学年、ふわふわと柔らかそうな茶髪に幼い顔。細くて自分より一回り小さく見える。
俺たちの間を猫がのんびり通り過ぎていく。それを見届けた少年が立ち上がって手を伸ばしてくるので、その手を取って立ち上がる。
「ねこがぶじでよかった」
「お前が無事じゃないけど」
「え、ああ、すりむいただけじゃん」
呑気なことを言う少年の手を引いて水道を探す。
「え、どこつれてかれんの?」
「消毒はともかく、最低でも水で流すくらいはした方がいいよ」
「すいどうなら、あっち」
そう言われた方を見て頷いて方向転換して、少年を見る。勝手に自分と同じ側を予想していたけど、そうかこいつは家柄入学か。家柄でこの学校に入る人間は大体が初等部か幼年部から通う。入学して一週間の学力入学者が、外の水道の位置を正確に把握していることなんて滅多にないだろう。
「ねぇ、なまえは?」
「犬浦晴空。そっちは?」
「おれは、猫羽霄」
ねこまか……猫羽なら、猫羽グループの子息とかか。そうか、あの猫羽の……
「いぬうらって、一位の人だ?」
「え、ああ、テスト?」
「きのう、はりがみしてあった、な?」
そういえば、昨日が入学後テストの順位発表の日だったか。凄く嬉しそうに目をキラキラさせて見つめてくる猫羽の頭を撫でる。
「父さんから、かしこい友人をつくれよっていわれてるんだ」
「そうか」
「友人になってくれる?」
「ふ、いいけど」
素直で、ちょっとぎこちない感じが可愛いヤツだな、なんてことを思いながら水道を見つけた。
「傷口、洗い流して」
「わかった。のっていい?」
そんなことを言いながら流し台の部分に登ろうとする。慌てて止めて周りを見渡す。先生はいなさそうだな。
「掴まってていいから、そんな所登らないで」
「うん、わかった」
肩を貸して、傷口を洗い流すのを手伝う。砂が落ちたのを確認してポケットからティッシュを出して渡した。
「ティッシュもちあるいてるの? えらいね」
「妹がポケットに入れといてくれるんだ」
「へぇ」
軽く拭い、手を洗ったのを横目で見ながら自分も手を洗う。反対のポケットから今度はハンカチを出して手を拭う。
「ハンカチももってるの」
「これも妹が」
「おれ、もってないや」
「貸そうか?」
自分の手を拭い終えたハンカチを手渡すと、嬉しそうにありがとうと笑った。やっぱりなんか可愛いな、撫でたくなる。弟がいたらこんな感じだろうか。なんて、同学年のヤツにこんなのおかしいな。
「ありがとう。じかんなくなるから、はやくたべたほうがいいよ」
「え、あ、うん。そうだな」
猫羽に手を引かれ、連れてこられたベンチに座って、形の崩れたおにぎりを食べた。
「ねぇ犬浦、校外学習一緒にまわらない?」
担任が今週末の校外学習の話をした。その瞬間クラスメイトたちが騒がしくなる。
「え、ねぇ聞いてる?」
「聞いてない」
誰だっけこいつ。名前を覚えるのが苦手なせいで、名前がまったく出てこない。頭文字も雰囲気もまったくかすりもしない。なんなら、本当にクラスメイトなのか自信もあまりない。
「え、酷くない?」
「酷くない。何?」
「校外学習一緒に」
「断る」
校外学習は、テーマパーク解散テーマパーク集合の遠足で、時間内に行って帰って来れればどこに行って何してもいいというもの。やる意味が全くわからないが、おそらく家柄入学者と学力入学者の交流のためだろう。仲良くなって将来協力する、それが目的の学校だ。
「お小遣いも貰えるんでしょ?」
「貰えるけど、使い道は決めてある」
「首席入学で入学金授業料全額免除に、入学後のテスト1位でお小遣い支給、貰えるもん貰ってく感じ凄いね」
「貧乏だからな」
こいつはおそらく家柄入学だろう。なんとなく纏う空気で分かるようになった気がする。総じて遠慮や配慮が足りない感じの。
「貧乏だからといって、親にしか苦労させない子どもはたくさんいると思うけど」
「べ、つに苦労ってほどじゃないけど」
そんな言葉が出てくるとは思わなかった。家柄入学者かと思ってたけど違うんだろうか。
「察しの通り、初等部からこの学校だよ。まあ、俺は分家みたいなとこの子だからさ、色々見たくないもんも見てんだよね」
「なるほど」
「初日の落書きも、一応止めたし消そうとしてたよ」
入学式の日、俺が職員室に寄ってから教室に戻ったら、俺の机に消しゴムをかけている女子生徒がいた。そしてちらっと目に入った、くだらない悪口。
「それはどうも。そうは全然見えてなかったけど」
「ちょっとさ、びっくりしちゃって」
「びっくり?」
「鹿野内さん、悪い子ではないけど、めちゃくちゃお嬢様だから。あんな自分から一生懸命消しててさ」
「そうなんだ」
あの時静まり返っていた理由は、一人がいじめに逆らうように行動したってことだけじゃなかったのか。彼女自体が注目を集めていたのか。
「だから、あれでピタッと止んだでしょ。彼女が動いてなきゃ今も続いてた」
「判断基準は家柄なのか」
「まー、そうだね。つまんない人間でしょ」
「んー、まあそういう環境で育ったってことだろ」
子どもは親の影響を受ける。家柄を気にする親を持ったら自分も気になってしまうのだろう。
「そういうこと。で、一緒にまわってくれる気になった?」
「ならない。大体、なんで俺?」
「興味持っちゃったからさ」
「は?」
「その落書きの時だよ。はっきり言って、いじめだろ? それなのに、まったく動じてなかったから」
確かにあれはいじめだったんだろう。でも、この学校に入る前からよくある事だったからもう慣れてしまっていた。そんなもの慣れない、とは言われるが、いじめてくるやつを心の中で見下すようにしたら気にならなくなった。可哀想に、子どもだな、そこになんの得もないのに。そう思っていたら気にならなくなった。そして同時に、相手に興味がなくなった。
「気にするほど興味がないんだ」
「大人びてるよね。色々聞いていい?」
「答えたくないことは答えない」
「ああ、うん。それでいいよ」
名前も知らないクラスメイトが馴れ馴れしいなとは思いつつ、でも意外と嫌いじゃないかもしれない、という予感があるので少し付き合うことにする。
「それで、なに?」
「兄弟いる?」
「妹が二人」
「へぇ、何歳と何歳?」
「今年十三が二人」
ちょうど三つ離れているので、入学式の日付が被った。
「え、双子? 親は? 何してる人?」
「うち母親だけ。医者やってる」
「医者?」
「そうだけど」
不規則な生活を送って患者に寄り添う真面目な人。家事を手伝ったりバイトをしたりして助けようとはしているが、全然足りないくらい忙しい人だ。
「それでなんで借金抱えてんの?」
「あー、それが噂になってのアレか」
「そうだよ。え、じゃあ全然」
「借金はあるよ。しかも割とやばい額らしい」
「保証人とか?」
「それよりもっと悪質だよ」
「え?」
母が抱えていた借金。毎年毎年重ねるように増えていく。母は優しい人だが、必要な時には厳しい人だ。だから、保証人になるなんてお人好しみたいなことはしない。自分で無責任に借金するタイプでもない。
「知らない方がいいよ」
それこそ、良い家柄の人間の汚い心の話だ。
結局あの後押し切られて、今も捕獲されている。
「あれー、いないなー」
「誰が?」
「んー、友達になってほしいやつ」
「は?」
聞いてないんだが。もう一人来るなんて聞いてないんだが。
「うーん、いるとしたら……」
ふらふらと植え込みの方に歩いていく。そんな所に人がいるわけ……
「あ、猫羽」
「いぬうらだ」
「え、知り合い?」
「このあいだ、かたとティッシュとハンカチかりた」
「え、何があったの?」
植え込み近くにしゃがみ込んでいた猫羽に手を貸し立たせる。その間にこの間のことを説明していた。
二人は知り合いだったのか。
「それはそれは、霄がお世話になりました」
「え、うん」
「俺たちいとこ同士なんだよね」
「ああ、なるほど」
ていうことは、こいつの苗字も猫羽なんだろうか。
「苗字は違うけどね」
「へぇ」
「え、ちょっと待って、まさかだけど」
「なに?」
ふらふらとどこかへ向かおうとした猫羽を引っ掴んで留める。また探すことになったら面倒だ。
「名前覚えてない?」
「え、うん。知らないけど」
「嘘でしょ。つらい」
「どんまーい」
顔を覆って大袈裟にリアクションをとるその男に、面倒だなと思いながらも、これ以上言ったらさすがに可哀想かと黙っておく。
「霄、うるさいよ」
「熊藪一天、ちゃんと覚えて。まあ、一天って呼んでくれればいいから」
「それなら、おれも霄ってよばれたい」
手を挙げてそんなことを言い出す猫羽に、やっぱりなんか可愛いなと思う。ちょっと、いやだいぶ子どもっぽいんだな。
「まー、なんでもいいけど」
「で、晴空って呼んでいい?」
「おれもよびたい!」
「……なんでもいいけど」
とりあえず、名前の話は終わったようで一天が園内マップを開きだす。俺はとりあえず妹たちに土産を買えればそれでいいんだけど。
「どこから行く?」
「ここでようよ。人がおおい」
「霄は人混み苦手だからなー」
「ここ出るなら、先出てて。土産屋だけ行きたい」
待ち合わせ時間を決めようかと、腕時計を確認する。あんまり金を使いたくないから、遠出したいとか言い出さないといいけど。
「え、グッズにご興味が?」
「妹たちがな」
「いもうとなん人いるの?」
「二人。双子なんだ」
「そうなんだ」
「ねぇ」
ジト目になった一天に迫られる。
「なんだよ」
「俺に冷たいのに、霄には優しいのな?」
「可愛げの差だろ」
なー、と言いながら霄の頭を撫でる。嬉しそうに目を細めて笑う。なんか小動物みたいだな、なんて思いながら撫で続ける。
「俺にも可愛げあるだろ」
「胡散臭さは霄に勝ってるぞ」
「その評価要らんわ!」
「はるく、これどう?」
手から離れた霄が使い勝手も良さそうなシャーペンを探し出して持ってきてくれた。
「いいかも。色違いある?」
「キャラも微妙に違うけど」
「キャラクターのことは分かんないけど、まあそれでいいや」
「じゃあ、はやくいこ」
「うん。買ってくる」
「俺にも優しくして?」
「無理。二人で出口のとこいて」
鞄から財布を取り出しながら二人をドアの方に促す。
「わかったー」
「即答、即答だった……」
財布から、今朝先生から渡された小遣いを取り出し支払う。愉快なセリフとともに渡されたお土産を鞄にしまい込み、二人の元へと急ぐ。店内もだいぶ混み始めていた。
「あ、買ってきた?」
「おー、どこ行くか決めた?」
「いや、全く」
決めとけよ、と思わず呟きながらテーマパークの出口に向かう。何人かは俺たちと同じ選択をしたようで、同じ制服を着た生徒たちがテーマパークを出ていく。
「そういや、思ったんだけど」
「何?」
「晴空がしてる時計とか持ってる財布とか、結構良いやつだよね」
「へぇ、良いやつなんだ」
「え、知らないで使ってたの?」
「まあ、貰い物だしなー」
センスはいいと思ってたけど、高いやつだったのか。これ、捨てようかとか言ってたけど。やっぱりあの人金銭感覚狂ってるな。
「だれにもらったの?」
「んー、親戚の人。バイト先の人でもある」
「バイトってなにしてんの?」
「居酒屋、って呼ぶにはまあちょっと上品なところ。でもバーまでは行かない感じの」
「そういう店じゃあ、今やってないよなー。さすがに未成年だから入りにくいし」
「まあ、大丈夫だと思うけど。確かに店は開いてないけど、妹たちお願いしてるし」
「え、嘘? 会いに行ける?」
「まあ、そんな遠くないし行けないこともない」
途中から定期圏内だし、交通費もあんまりかかんないからな。そこで時間潰せばちょうどいいだろ。
「じゃあ、行っていい?」
「こんにちはー」
鍵を開けて中に入る。二人も恐る恐るついてきた。妹たちの靴があるのを確認すると、靴を脱いで上がり込む。
「あれー、晴空早くない? てか誰? 友達?」
「あー、うん。まあ、そんな感じ」
「お邪魔します」
一天が胡散臭い笑顔で挨拶すると、霄も続けて同じ言葉を言った。
二人とも軽く自己紹介すると、奥から出てきた叔父が下の名前だけで対応した。2人が奥に待つ妹たちの方に向かう。俺は、叔父に腕を掴まれた。
「柚葉くん、痛い」
「猫羽ってあの猫羽?」
「そうだけど。可愛いヤツだよ」
掴まれた方の腕を揉みながら答える。もう既に色々覚悟はしている。
「桃ちゃんに言った?」
「言った。ごめん、借金増えるって」
「え、それ怒られただろ」
「めっちゃ怒られた。でもさ、訳わかんない増え方してたら嫌じゃない?」
「いや、分かっても分かんないじゃん」
きっかけは分かっても、理屈が理解できない。そういう人たちを敵に回した。母親から受けた説明だ。
「いや、まあそうなんだけど」
「まあ、猫羽が悪いわけでもないしな」
「ねぇ、ほんと何があったの?」
「だから俺も詳しいことは知らねぇんだって」
ほんとかな、と睨みつけるとホントだってを繰り返す。逆に怪しいけどそれ。
「じゃあ、なんで悪いわけでもないしなって言いきれるわけ?」
「桃ちゃんがそう言ったから」
「なんで、母さんのことそんな全面的に信じてるの」
「え、晴空だって信じてるだろ?」
「いや、俺は息子だからね」
「うーん、それならまあ俺は、兄貴が選んだ人だからとしか言えないかな」
「まあ、納得は出来ないけどそれでいいや」
「おいこら」
少し離れたところのドアが開いて、霄が顔を出す。聞かれていないか、少し不安になりながらなんの用かと口を開くのを待つ。
「はるくー、おみやげわたさないのー?」
「ほら、お呼びだぞ」
「うるさいな。しれっと苗字隠したくせに」
「面倒なのは嫌いなんだ。織部に託す」
「またそうやって」
「早く行けって」
「分かってるよ」
鞄の中からお土産を取り出しながら、みんなが待つ部屋に向かった。
「たのしかった。本がいっぱいあって」
「それは良かった」
「またきてもいいかな?」
意外にも、霄は本が好きらしく、俺や下の妹と感想や意見を言いながら楽しんだ。一天はずっと上の妹と楽しそうに話していた。
「いいんじゃない? 柚葉くんその辺適当だから」
「柚葉さんって、お母さんの弟?」
「いや、父親の弟」
しかも、二人いる内の下の方。父親は三人兄弟の長男だったらしい。
「え、お父さんって……」
「結構前に亡くなってる」
「え、ごめん」
「いや、大丈夫。ほんと小さい頃の話だから」
「そっか」
多分、この間母親の話しかしなかったから気になって食いついたんだろう。まあ、予想もしてたし全く気にしてないんだが、聞いた方は気になるよな。
「お父さんの方の親戚もまだ付き合いあるなら、結構ありがたいな」
「弟二人だけな。祖父母には会ったこともない」
「え?」
「あんま仲良くないんだ」




