第三話 『呪いの影響』
「そろそろ晩御飯にするかぁ」
黒兎は沈みかけた太陽を見て呟く。場所も草原の中でちょうどいい。全速力は出していないとはいえしょうゆも半日走っていて疲れただろう。
新幹線ならば移動中に調理済みの料理を食べることができるが、馬車はそうすることができない。食べることが好きなしょうゆは黒兎の言葉を聞いて立ち止まった。
「御者要らないんじゃない」
半日黒兎たちと共に過ごしたドミニカは、御者台に座っていてもほとんど何もしていない虎獅狼をジト目で眺める。自分はこんな男に負けたのかと思うと、どうしようもなく悔しさが滲んだ。
「いやいや、要るって」
虎獅狼は素でそう言っている。自信があるのではなく何故そう言われるのか理解していない。
ドミニカは呆れて虎獅狼を無視し、しょうゆと同じタイミングで立ち止まったシルヴァンの下へと歩いた。
「殿下、疲れていませんか」
「殿下って呼ぶな!」
シルヴァンは嫌そうに顔を歪める。
「つーか誰だお前!」
そしてこう言い放った。
シルヴァンはドミニカが何故自分に声を掛けたのか理解していない。
ドミニカは余程衝撃的だったのか、一瞬で硬直した。
「ドミニカやん」
「だから誰だよ!」
シルヴァンは黒兎のことは覚えているらしい。ドミニカから離れて黒兎の後ろに隠れようとするが、二メートルを越す動物が隠れる訳がない。シルヴァンはすぐに小さな穴を掘ってそこに頭を突っ込んだ。
「あかん、色々ツッコミが追い付かん」
「ダチョウって記憶力ないらしいよ」
「お前が言うな!」
間抜けなシルヴァンの言動に言いたいことは山ほどあるが、脊髄反射で虎獅狼を殴ってしまった。虎獅狼は油断していたのかしっかりと腕を殴られたが、かなりの勢いで殴ったはずなのに平然としている。
「三馬鹿だな」
ハインツは、あまりにも痛みに鈍感過ぎる黒兎、虎獅狼、シルヴァンを馬車から眺め、傍にいるカレンとリサにしか聞こえない声量でそう言った。
「で、殿下は殿下であることは覚えていらっしゃいますか……」
ドミニカの声は震えている。淡々と虎獅狼と戦っていたドミニカからは想像できない程動揺していた。
「バカにすんな! 俺様を誰だと思ってんだ!」
シルヴァンは穴から顔を出してドミニカを怒鳴る。
「バカやのうてアホやねん」
黒兎は付き合っていられないと判断し、溜息を吐いて馬車へと戻った。
「ねぇねぇ、シルヴァンあれ本気で言ってるの?」
「知らん」
カレンはあまりにも信じられない言動をするシルヴァンに愕然としている。
リサは真面目過ぎるからか、まだドミニカから聞いた話を真剣に考えていた。
「さっきも言うたけど、リサが気にすることやないで」
内戦から自己紹介に話題が変わった時は明るく振る舞っていたが、リサの性格上自分のせいではないと思うことは難しいのだろう。叔父や兄を亡くしたと説明されたシルヴァンは、ドミニカに対して開き直っているのに。
「それでも、謝るべきだと思います」
それは自己満足だと思う。だが、それでも伝えたいと思う気持ちは理解できる。
黒兎がリサを求めたウーリのことをリタに伝えようとしたように。相手の為だと思う自分を満足させる為に言おうとするリサを黒兎は止められない。
「それでスッキリするならしたらええんちゃう」
黒兎は食料を入れている木箱に手を伸ばす。虎獅狼はしょうゆに急かされて飼葉を取り出す。カレンはクラーケンとハインツを持って黒兎と虎獅狼に場所を空け、リサはシルヴァンとドミニカの下へと歩いていった。
「シルヴァン、ごめんなさい」
「あぁ? 何が……ってうわぁお前か!」
重い体で飛び上がったシルヴァンはリサのことも覚えている。ドミニカは自分の両頬に触れ、知らぬ間に自分が幽霊にでもなったのだろうかと首を傾げた。
「私のせいで叔父様とお兄様を亡くしたのよね」
シルヴァンはリサの言葉にくちばしを閉ざす。
叔父と兄が亡くなり、母の生死は不明。父はどこに行ったのだろうと黒兎は今まで寄った国の王たちを思い浮かべる。
「お前のせいじゃねぇよ」
シルヴァンは黒兎と同じことを言った。黒兎の言葉で納得しなかったリサは、シルヴァンの言葉でも納得しない。
「父上は魔獣に殺されたしな」
その声色は低く、ドミニカは視線を伏せた。
「叔父上も兄上もそん時一緒に死んでたかもしんねぇし。俺が生きてんのは奇跡かもしんねぇし」
黒兎も視線を伏せる。
父と母がヴァルトラウトに呪い殺されて。
自分は時間を掛けて呪い殺されようとしていた。
あの日たまたまキョウトから出ていた大人たちは生きていたこと。
あの日たまたまキョウトに来ていた大人たちは死んでしまったこと。
あの日宮殿にいてヴァルトラウトの討伐に駆け付けられなかった石井を含めた軍人たちも生きている。
生きるも死ぬも紙一重だ。
生き残った者を詰る黒兎ではない。人はいつ死んでもおかしくない。生まれてくることも生きていることも奇跡だからリサが謝るのはおかしい。真に謝らなければならない者を黒兎は知っている。
「ハインツ。ヴァルトラウトのことやけど……」
その名前を虎獅狼は覚えていないしカレンは聞いたことがない。
「……悪かったな」
なるべく心から謝ろうとした。黒兎が謝ったのはあくまでもハインツであってヴァルトラウトではない。黒兎がハインツにしたことはリサがシルヴァンにしたことの比ではなかった。
「コノエ坊はリタ嬢と同じことを言うんだな」
ハインツは敢えて黒兎の言葉を遮らずに最後まで聞いた。
ヴァルトラウトがしたことを想像すれば黒兎もリタも悪くない。メデューサを殺したクラウジーニョにトロイメライやセバスチャンが何も言えないように、ハインツも黒兎とリタに何を言えばいいのかわからない。
「リタらしいな」
黒兎がハインツに告げる前にリタがハインツに告げたのは、意外でもなんでもない。リタとリサは見た目は正反対だが美しい心がよく似ている。
「謝らなくていい。キャロル嬢が誰かに殺されたとしても、私は誰も恨まない」
今のカロリーナが誰かに殺されそうになったら、ダビがカロリーナを護ろうとするだろう。
ダビがカロリーナを殺した者を恨むのはわかるが、文字通り手も足も出ない──見ていることしかできないハインツがその者を恨む筋合いはない。ハインツは生物ではなくただの鏡だ。なるべく心を動かさなければ無限の時を存在していられる。
黒兎は抑揚なくそう告げたハインツへと視線を移す。カレンの手の中のハインツには虚を突かれた黒兎が映っていた。
「そうなんや」
「そうなの?!」
カレンはカロリーナが亡くなったら大泣きをする自信がある。少し前まで愛した人間はヴィガだけだったが、この数日で多くの人間を愛おしいと思って大切にしている。
黒兎はハインツの今までを想像し、そう思うのも仕方ないと思い至る。
「じゃ。俺が誰かに殺されたら恨んでな」
だが、そのままにはしておけなかった。
今までのハインツはただの鏡だったかもしれないが、黒兎と共に戦う冒険者として今を懸命に生きている。なんの感情も抱かないなんて寂しいことを言わないでほしいのだ。
ハインツは謝るリサから逃げるシルヴァンを映す。
西の魔女は知っているが、外に連れ出されなければダチョウという生物を見ることはなかった。
ハインツを外の世界に連れ出してくれた黒兎はハインツにとってヴァルトラウトやカロリーナよりも大切な存在だ。
「コノエ坊は死なせたくないな」
ヴァルトラウトやカロリーナの傍にいる自分は鏡台だが、黒兎の傍にいる自分は手鏡だ。
「近衛が死んだら終わりだもんね」
虎獅狼もハインツに同意する。カレンとリサが右も左もわからないならば、虎獅狼とシルヴァンはあっという間に記憶を失くしてしまう。ハインツだけではどうすることもできない。
「お前らが終わっとるからな」
「クドウ坊とスライ坊の物忘れが激しいのは呪いの影響だろう。スライ坊は多分、ダチョウになってから呪いに関すること以外は覚えられないのでは?」
「ドミニカとハインツ以外は呪われてるもんねぇ」
「呪いは解けた言うてるやろ」
「呪いの影響は残っているみたいだがな」
「嘘やん!」
「コノエ坊は自分の体が頑丈過ぎる理由を少し考えた方がいい」
黒兎は自分の体を見回し始める。その間にシルヴァンがリサとドミニカを連れて戻ってきた。
「なぁ〜! 肉は〜?!」
「ないで」
「なんでだよ!」
シルヴァンは黒兎の頭を元気よく啄く。
「お前が食ったんやろがい」
「反省してほしいよね」
黒兎はシルヴァンを手で払って虎獅狼と共に文句を言うが、シルヴァンは話を聞こうとしなかった。
「うるせぇうるせぇ! お前らが狩ってくればいいんだろ! ほらやれよ!」
「駄目よ!」
そんなシルヴァンをリサが叱る。
「なんでや」
黄金郷にいた時はトロイメライから貰っていたが、ここではそうすることができない。見晴らしの良い草原で動物を探すことは少し困難だが、できないことはないはずなのに。
「動物たちが可哀想だわ!」
「終わったわ」
リサは動物と会話ができる女だ。魚と会話ができるカレンが魚食を嫌うように、動物と会話ができるリサが肉食を嫌うのは当然のこと。狩りなど以ての外だろう。
「いや、動物食べなきゃ人間死ぬから」
「せや! 食物連鎖や! 肉食動物は草食動物食うやんけ!」
「肉! 俺様はぜってー肉食うからな!」
虎獅狼の冷静なツッコみに黒兎とシルヴァンが全力で乗る。こういう時は頼もしい男たちだ。
「三馬鹿だぁ」
「誰がバカや!」
虎獅狼とシルヴァンと一緒にしないでほしい。ツッコまれたカレンはクラーケンとハインツと共に足を抱えて縮こまった。
「なら私のいないところでやってください! 私は絶対に食べませんから!」
リサは目を閉じて両耳を塞ぐ。
「よし! 工藤、あれ狩るで!」
黒兎は視界に入った空を飛ぶ鳥を指した。あれは梟だろうか。最近よく見掛ける気がする。
「鳥はやめろーッ!」
虎獅狼が返事をする前にシルヴァンが黒兎の頭を啄いた。羽を大きく動かすシルヴァンにとって鳥は心理的に食べられないのだろう。
「俺ら食に関してはまったく合わんな」
「ここまで極端なのは初めて見た」
ドミニカが言うと説得力がある。黒兎は肉を諦め、食に関する会議を寝るまでやらざるを得なかった。




