外伝Ⅲ 『聖女フローラの善意Ⅱ』
花畑で花の世話をしていると、「聖女フローラ」とイシガミに声を掛けられた。
「はい?」
花に夢中になっていた私は顔を上げる。そこには、イシガミを含めた職員さんや軍人さんが疲れたような表情を浮かべて立っていた。
「えっ、皆さんどうしたんですか?!」
「我々のことは気にしないでください。それよりももう夜ですので……」
夜? 辺りを見回すと、透明な硝子の外が暗くなっている。
「夜!」
月光国には電気があるおかげで夜になっても凄く明るい。だからまったく気付かなかった。
「まさか、皆さんもずっとここに?!」
私よりも体力があるはずのイシガミたちが疲れているのは私のせいなのかしら。
イシガミたちは私を一人にさせてくれる時もあるけれど、それは宮殿の中の話で宮殿の外では今のところそうさせてくれない。宮殿の庭だから一人にさせてくれていると思っていたのは私だけのようだった。
「すみません! もう行きましょう!」
イザナがくれたワンピースはとても走りやすい。私が外に出ると職員さんも軍人さんも外に出る。イシガミはそれを確認して、花畑を照らす電気を消した。
「わっ!」
すると、辺りが一気に暗くなる。
私以外の皆さんは慣れているからか驚かない。よく見ると遠くにある宮殿はまだ明るく、その明かりを頼りに私たちは歩いて帰る。
「遅かったですね、聖女フローラ」
その宮殿の中で私に声を掛けたのは、綺麗な装いをした中年の男性だった。
彼はどなたかしら。軍人さんが一歩下がる。職員さんも背筋を伸ばす。
「陛下の弟君の熾成様です」
イシガミが下がる前に私に耳打ちをした。
陛下──この国の王をそう呼ぶことを前にイシガミが教えてくれたことを思い出す。王はメルヒェン大陸にもいるからどういう存在なのかはわかる、だから私は深呼吸をした。
「オキナ様、初めてお目に掛かります。フローラと申します」
数ヶ月ここにいるけれど、陛下だけではなく親族の方にも会ったことがない。広い宮殿ではあるけれどまったく会わないなんてことがあるのかしら。
「少し話があります。ついて来てください」
私が首を傾げているとオキナ様が背中を向ける。
「あっ、はい」
オキナ様はずっと私を待っていたのかしら。だとしたら凄く申し訳ないわ。彼らの協力がなければ宮殿にあんなに大きな花畑が建つこともなかったはずだもの。
「オキナ様、素敵な花畑をいただきありがとうございます」
皇族に気軽に話し掛けていいのかわからなかったけれど、駆け寄ってお礼を言う。オキナ様は年相応の険しい表情を浮かべていたのに、ふっと微笑んだ。
「あれを聖女フローラに用意したのは私の甥です。気に入っていただけたようで何よりです」
家族想いの優しい人みたい。人は見た目では判断してはいけないことがよくわかる男性だ。
「こちらに」
オキナ様以外の皇族の方がどのような方なのか凄く気になる。尋ねようとした瞬間に、オキナ様はすぐに傍にある扉を指した。
部屋の中は大きくはない大広間のようで、オキナ様から席に座るように勧められる。職員さんや軍人さんは近くまでついて来たけれど、中に入ることはなかった。
あまり広くない部屋に皇族の方と二人きりなんて緊張するわ。
話があるのは私ではなくオキナ様だから、オキナ様はすぐに口を開いた。
「突然で申し訳ないが、聖女フローラは他人の記憶を消すことができますか?」
「記憶を……消す?」
そんなことを考えたことが一度もなくて聞き返すことしかできない。オキナ様は先程と変わらない険しい表情で頷いた。
「聖女フローラが人々の傷を癒すことができる魔法を使えるのは知っています。ただ、人には思い出したくない記憶があります」
私も頷く。私は聖女と呼ばれているけれど、貴族や王族出身ではない。平民出身だから苦しい思いはそれなりにしてきた。そんな時にカロリーナに出会ったのだ。
「傷は体の傷だけではありません。心にも傷は存在しています」
「記憶を消して心の傷を癒してほしい、ということですか?」
オキナ様の言葉を遮る。
「さすが聖女フローラですね。話が早い」
そんなことを考えたことは一度もなかった。だから花の魔法に誰かの記憶を消す魔法はない。それでも──
「心の傷を癒せたら、素敵ですよね」
──それを一度も考えたことがない訳ではなかった。
忘れられるならば忘れた方がいい。
叶えられるならば叶えた方がいい。
花は人の心を癒す。
少なくとも私は花を見ていると癒される。だから私は花が好きだ。
花は人を笑顔にさせる。でもそれは一瞬で永遠ではない。
永遠が難しいのはわかっている。でもそれは諦める理由にはならない。
「できますか?」
オキナ様はやれとは言わない。
「やらせてください」
できないなんてやる前から言いたくない。
「ありがとうございます」
オキナ様は懐から何かを取り出した。紙のような薄いそれには知らない男性の顔が映っている。その顔には傷が付いていた。
「これは……」
その痛々しい傷にそっと触れる。治してあげたいと心から思う。
「彼は昔、凄惨な事件に巻き込まれたんです」
私が触れている傷はその時に付いた傷らしい。もう何年も経っているのに忘れられない、ふとした瞬間に思い出して発狂する、幸せな人生を送れていない──だから忘れさせてあげたい。
「彼はその時の出来事をなかったことにはせず、日常の記憶に変える為に軍に入隊したのですが、どうも上手くいかないらしく辞めさせられそうになっているんです。しかし優秀な面もあるので、辞めさせたくないと思っている者も少なくないそうで」
私は軍のことはわからない。オキナ様も軍のことはわからないらしい。それでも風の噂で聞いた彼のことをどうにかしてあげたいと思ったと話してくれた。
「聖女フローラ。どうか彼のことをよろしくお願いします」
「必ず救います」
オキナ様に誓う。どうすればいいのかまったくわからない訳ではない。私は立ち上がって「失礼します!」と部屋を飛び出す。
外ではイシガミやイシイが待っていたけれど、彼らを振り払って私は花畑へと全力で走った。
「聖女フローラ! 何故温室に戻るんですか!」
「探し物があるんです! 一人で大丈夫ですから! ずっと篭もりますからー!」
イシガミたちもイシイたちもついて行こうとする。職員さんも軍人さんも私の護衛が仕事なのかもしれない、それでも私がそう言うと全員が綺麗に足を止めた。
「また明日ー!」
手を振って花畑に戻る。
花は私を癒してくれるけれど、薔薇には棘がありトリカブトには毒がある。癒すだけが花ではなかった。
花の毒で倒れた人を治した経験は数え切れない。花の毒を研究した日数も数え切れない。その経験が今に生きる。後は花畑にある花の毒を研究すれば道は見える。
*
私は杖を握り締めて花畑から飛び出した。宮殿まで走ると、イシガミやオオノを連れたイザナと鉢合わせる。
「聖女フローラ!」
「イザナ! ごめんなさい!」
そう言って中に入ろうとすると、イザナに腕を掴まれる。
「どこに行くんだ聖女フローラ!」
「オキナ様に会いに行くんです! あっ、どちらにいらっしゃいますか?!」
イザナはわからないかもしれないけれど、イシガミやオオノならばわかるかもしれない。
「熾成様は先程公務から戻られたので自室にいるのではないでしょうか」
イシガミはさっと答える。
「どこかしら……」
「案内します」
イシガミはイザナに目配せをする。イザナは頷いて先に歩き出した。
「熾成様に何の用なんですか? ていうか今まで何をしていたんですか?」
オオノが矢継ぎ早に尋ねてくる。そういえばオオノたちは何も知らないのね。
「新しい魔法を作るように言われたので、完成しましたと伝えに行くんです!」
「新しい魔法?!」
イザナがぎょっと私が持っている杖を見下ろす。
「この二日で生み出したんですか?」
イシガミも興味があるみたいで会話に加わってきた。
「二日……二日も経っているんですね」
「気付いていなかったのか?!」
イザナはずっと驚いている。
「聖女フローラ! ご飯は食べていたみたいだがちゃんと寝ていたのか?! 風呂は入ったのか?! いや別に臭いという訳ではないが!」
メルヒェン大陸にはあまり浴場がない。だから湯浴みをする頻度はそんなに多くないのだけれど、イザナは毎日湯浴みをするのが普通だと思っている。
睡眠だって魔獣が溢れている国外では取ることが難しい。だからイザナは凄く恵まれていると不意に思った。
「あっ! 湯浴みをしなければ失礼ですか!?」
「そういう訳ではありませんが、急ぎではないのなら入った方がよろしいかと」
私はイシガミの言葉で急いで初日に入った浴場へと走る。その途中にオキナ様が立っていた。
「えっ?!」
まるで私がここに来ることがわかっていて待っていたかのようだ。
「お、熾成様!」
イシガミとオオノは慌てて足を止める。イザナは私の隣に立つ。
「聖女フローラ、急いでどうしたのですか」
「オキナ様に会う前に湯浴みをした方が良いと聞いたので」
「気になさらないでください。用件は例の件ですか?」
「はい。魔法が完成して……」
「ならすぐに彼の下へ向かいましょう」
オキナ様は初めて会った時と同じように私に背中を向ける。私は同じようにオキナ様について行く。
「誘成は待っていなさい」
イザナはオキナ様に言われて足を止めた。
「しかし」
「イザナ、また後で」
オキナ様は皇族の方だ。オキナ様には従っておいた方がイザナの為だと思う。
「……わかった、待っている」
イザナは少し寂しそうだ。私が花畑に篭っている間も会いに来てくれたけれど、話はできなかったから実際寂しいのだろう。そう思うのは自惚れなのかしら。
私は力一杯イザナに手を振った。オキナ様が私を連れて来た部屋には顔に傷を負った彼がいた。
彼は憔悴しきった顔でソファに座っている。
「あの」
声を掛けても反応がない。オキナ様に視線を向けるけれど、オキナ様はただ首を左右に振る。
「救います」
顔の傷も気になるけれどまずは心だ。これで彼が笑ってくれたら私は嬉しい。
私は杖を彼に向けて黒い光線を放つ。
人から記憶を消す──それはどう頑張っても呪いにしかならない。
けれど、救われるなら呪いでも構わない。
私の祈りは彼の胸を貫いた。




