第二十話 『騎士の宿命』
トロイメライとカロリーナは嬉しそうに、スープを飲み干す中年の男女を見つめる。食べ方が上品とは言えないのはそれだけ飢えていた証拠だろう。
飢えを知らない黒兎は空腹に恐怖を覚えるが、彼らの笑顔はそんな負の感情を吹き飛ばす力があった。
「ありがとう……! 本当にありがとう……!」
「いいんだよ。たくさんお食べ」
トロイメライはそう言っているが、本気で思っていることなのだろう。
人間が作った場所に勝手に入り込んで飢えてしまった野良猫を保護するような感覚ならば理解できる。自分の親同然の年齢の男女がトロイメライに頭を撫でられている様を見るのは複雑だったが、黒兎は温かく見守ることにした。
「薄い……」
「文句言うなや」
虎獅狼は中年の男女の健康を考えられたのであろう薄味のスープにあからさまに落ち込む。黒兎は溜息を吐いて、カロリーナが用意した肉類が一切ない食事に見向きもしないダチョウへと視線を移した。
「こいつほんま野菜食わんな」
「カレンもね」
黒兎の左側に座るカレンは眉間に皺を寄せてスープの中に入っている野菜を見つめている。ジャムや茸で多少は変わったかと思ったがそうでもないようだ。
「はよせんとまたカロリーナのばーちゃんに無理矢理突っ込まれるで」
カロリーナは食べ物を残すことを絶対に許さない。温厚だがそういうところは厳しい老婆だ。
カレンはカロリーナの鬼の形相を思い出して「食べるよぉ」とスプーンをスープに入れる。瞬間、トロイメライがカレンの背後から顔を出した。
「ぎゃっ?!」
音はなかったが気配か魔力でわかったのだろう。カレンは飛び上がったがスープは一滴も零さなかった。
「どないしたん」
「カレンがちゃんと野菜を食べるのか確認しに来たよ」
トロイメライはジト目のカレンに対してまったく悪びれた様子を見せない。むしろ何故そんな表情をするのかと不思議そうだ。
「たーべーまーすぅー」
「じゃあどうぞ」
食べる覚悟を決めていないのによりにもよってトロイメライにそう言ってしまったカレンは馬鹿なのか。カレンは頬を膨らませてトロイメライに背中を向けた。
「こっちにも食わず嫌いおんねん」
「ダチョウなんだけどね」
トロイメライは黒兎と虎獅狼が指すダチョウへと視線を移す。
「ダチョウ?」
トロイメライは不思議そうな表情を変えない。ダチョウを知らないようだがやがてぽんと手を叩いた。
「あぁ、そういえばダビが乗っていた」
「そういやそうやったな。ちゅーか、あいつこんなどでかいのどこで拾ってきたんや」
トロイメライが保護した全員がダチョウを珍しそうに眺めている。魔獣と勘違いして退治しようとした者もいたとクラーケンが言っていたらしいが、にわかには信じ難い。
「さぁ?」
トロイメライは人間以外には興味がないようだ。
当事者のダビはどこの輪の中にも入らずに干し肉を食べているが、傍にはトロイメライの飼い人たちがいる。トロイメライが嫌なだけで彼らと仲が悪い訳ではないようだ。そんな彼は時折中年の男女に料理を振る舞うカロリーナを眺めていた。
一方、トロイメライはカレンに構う。初対面の頃が嘘のようで、野菜を食べさせようとしているトロイメライを嫌がるカレンはよく喋る。
ボーディルに声を奪われヴィガとまともに話せないまま旅に出たのは辛かっただろうと思う程に饒舌だ。その我儘で甘えん坊な部分は六人姉妹の末っ子だと感じる。
そんな二人に感化されたのか、スープを飲み干した虎獅狼はダチョウに野菜を食べるように説教を始めた。
「酔っ払いか」
ツッコむが虎獅狼は聞く耳を持たない。黒兎は二度目の溜息を吐いてパンを齧った。
既に夜だが、トロイメライとカロリーナが出した光の玉と焚き火が辺りを照らしている。クラーケンは水の中から出て来ず、しょうゆは虎獅狼と共にダチョウに詰め寄っている。
ハインツは黒兎の胸ポケットの中にいた。
「楽しそうですね」
その声は寂しそうだ。黒兎はパンを咥えてハインツを引っ張り出す。
そこにはランプに照らされたリタがいた。
「ふぐっ」
名前を呼ぼうとするがパンが邪魔をして呼べない。リタは驚いて目の焦点を黒兎に合わせ、吹き出すようにふふっと笑った。
黒兎は思わずハインツを抱き寄せる。リサも綺麗だがリタも綺麗だ、そんなリタに見せたくない景色が黒兎の視界の隅に存在している。
黒兎は急いで自分の馬車の中に入り、ウーリがいる方角の帳を下ろした。
「コノエ様?」
リタは突然視界が暗くなって困惑する。
「あーなんでもあらへん!」
何故こんな思いをしなければならないのだろう。ウーリが黄金郷に来なければ黒兎はいつも通りの黒兎でいられたのに。
「そこ、たくさんの人がいますね」
ハインツはそんな景色をリタに見せたかったらしい。同じ大陸の人間とはいえ、髪の色も肌の色も顔立ちも違う。文化も違うのか衣装の雰囲気も違う。これは、ドナトリア王国やトレステイン王国では見られなかった景色だった。
「カロリーナのばーちゃんもおるで」
カロリーナを見せるとリタは嬉しそうに笑う。カロリーナはあの日から毎日のようにドナトリア王国に顔を出しているらしい。カロリーナはカレンにとってもリタにとっても祖母のような存在なのだと改めて認識する。
「あとはアホとカレンやな」
虎獅狼はまたリタを忘れたのだろうか。もう恐ろしくて確認はできないが、二人をリタに見せる。
「素敵ですね」
黒兎がいる場所には話し声が溢れているが、リタがいる場所はリタが喋らない限り静寂だ。まるで最初に言った楽しそうという言葉がリタの本音のようで、黒兎はドナトリア王国の方角へと視線を移す。
「そうや、近くにぎょーさん鏡あんねん! 来れそうやったら来てや」
あんなに広いダンジョンだ。どこかにはリタが通れる鏡はあるだろう。
「はい、時間があれば」
まるで行けたら行くと言っているようで、黒兎には断り文句に聞こえる。自国の再興に加えマーヴァル王国やキルデルシュ王国との交流もある、単純に忙しいのだろう。
黒兎は相槌を打った。
気にするのはウーリの声量だ。トロイメライとセバスチャン、そしてハリーの逆鱗は黄金ではなくリサだ。人間よりも魔力がある彼らがウーリを睨んでいる以上、ウーリはリサに手出しができない──はずだがウーリには常識がない。
騎士たちがやんわり止めてもリサを連れて帰ると言って聞かない。ウーリが発言すればする程にウーリを捕らえている檻が堅牢になる。縛る箇所を手ではなく足に変えられて普通に食事をしているクラウジーニョパーティより重い刑を受けていることに気付かないのは何故なのか。
「…………」
黒兎とリタの間に訪れた沈黙はどれくらいの時間だったのか。
ウーリとリタが結婚を決めた時はその決断の速さにただただ驚き、リタと革命を成し遂げた時は幸せになってほしいと願った。
だが、今のリタは幸せなのだろうか。
笑っているのに影がある。黒兎とリタが過ごした時間は短いが、黒兎がドナトリア王国の城にいた時はそんな女ではなかったはずだ。
「コノエ様」
それでも黒兎を呼ぶ声色は変わらない。黒兎はハインツに視線を落とし、リタが差し出している木箱に息を呑んだ。
「ハインツ様からコノエ様が困っていると伺ったので、どうぞ使ってください」
「つかっ……?! え、ほんまにそれ銃弾なん?!」
マーヴァル王国で購入した銃弾の箱と大きさが酷似していたのは気のせいではなかったらしい。
「貰える訳……」
貰える訳ないが、ないと非常に困るのは事実だ。刀が折れたら虎獅狼が困るように、銃弾が切れたら黒兎が困る。黄金郷にいる以上いつ補充できるかはわからない。
「金は払……」
「プレゼントです」
マーヴァル王国の街で黒兎の言動をよく見ていたリタは微笑む。
「コノエ様は私の騎士ですから」
ハインツから木箱が飛び出した。それを両手で支えるリタの爪は要所要所が欠けている。黒兎はリタの指に触れないように木箱を受け取った。
「……それを言うならリタは俺の女王陛下や」
国民と共に鍬でも握ったのだろうか。女王の威厳がない幼さが残る顔のリタは、国民の前ではどんな心情でも笑顔でいるのだろう。
「おおきに」
リタの代わりに鍬を握ることはできない。それでもリタを護り幸せにしたいと思う。
「リタ、落ち着いて聞いてほしいんやけど」
だからこそ伝えなければならない。黒兎はリタを泣かせる男を許さない。
「ウーリはクソ野郎や」
覚悟を決めて声に出したが、ハインツに映っているのは情けない表情の黒兎だった。
「何してんねん」
「リタ嬢の幸せは私だって願っている」
睨む黒兎にハインツは毅然とした態度だ。
「残念だが、ウーリ坊はあれでもリタ嬢の幸せに必要な男だ」
「要らんわあんなクソ野郎!」
「なら何故ウーリ坊とリタ嬢の結婚を止めなかった」
鏡のあるところにハインツはいる。ハインツはどこまで見えているのだろう。
「小国のドナトリア王国が生き残る為には、大国の力が必要になる。そのことを忘れてはいけない」
ハインツの言葉一つ一つが心臓に刺さる。
「姫は王子と結ばれるべきだ」
黒兎の口とリタの耳を塞ぎ、黒兎の耳には聞きたくない言葉を届ける。
「知っとるわ、あほ」
改めて刺さなくてもいい。リタに出逢う何年も前から自覚している。
物語の姫も現実の姫も王子と結ばれた方が幸せになれると。
「こっちはずっと、『姫様』って呼んどったんやぞ」
男は星の数程いるが、姫と結ばれる資格がある男は片手で数える程度しかいない。
遠くの方で鳴いた鳥は、禁所で暮らしていた黒兎には馴染みのある梟だった。




