第十四話 『リサ・ローズブレイドⅠ』
リサ・ローズブレイドという王女の噂は、彼女の成長と共に大陸中へと広がっていった。
ある国ではリサというこの世で最も美しい容姿の王女がいると。
ある国ではリサという王族の身分の聖女がいると。
ある国ではリサというどの王女よりも美しく踊った王女がいると。
ある国ではリサという鳥よりも美しく歌を歌う王女がいると。
ある国ではリサというどのような楽器でも美しく演奏する王女がいると。
そしてリサを見たことがない人々は口を揃えてこう言った。
そんな完璧な人間がいる訳がない、と。
「リサ。おはよう。朝だよ」
トロイメライは気持ち良さそうに眠る十六歳のリサに声を掛ける。トロイメライも朝が苦手だが、リサはトロイメライよりも朝が苦手だ。揺さ振るがリサはなかなか起きない。
「困ったね」
そう言いながら窓を開ける。すると、壁を上ってきたキタリスたちが部屋の中に入っていった。
「あーあ」
キタリスたちは寄り道せずにリサの下に行く。一匹だけ食いしん坊なキタリスが近くのテーブルの籠の中に入れられた胡桃を口に含んだが、その胡桃は最初からキタリスたちに用意されたものだ。
トロイメライは今日もキタリスたちに起こされるリサに微笑む。
「おはよう」
目を覚ましたリサは「おはようございます」とトロイメライに完璧な笑顔を見せるが、その数秒後に二度寝した。
「あーあ」
やはり駄目だった。リサは丁寧な挨拶をするが、極度の怠け者でもある。
長所が美しい容姿に美しい心、特技が踊りと歌と演奏ならば、短所は怠惰だ。キタリスたちがリサの耳元で数秒間鳴くと、リサは「やめてぇ」と危機感のない声色で体を起こす。
「なんて言ってたの」
「姫が寝てる間にベッドを汚すぞ、って言ったんです」
トロイメライはどうやって、と思うがリサが起きるならばどうでもいい。
キタリスと話すリサは最初は眠そうだったが次第に覚醒し、いつもの聖女と呼ばれるリサの目付きになる。
「ふふ、今日もいい一日になりそう!」
ベッドから飛び出してドレスを選ぶリサは、すぐに嬉しそうに歌い出した。
「どっちがいいと思う〜? ピンクと〜ブル〜!」
リサは人間と大差ない見た目のトロイメライではなくキタリスたちに尋ねる。リサ曰くトロイメライに尋ねると日が暮れるということだが、キタリスたちの間でも意見が割れているようだ。
「わかったわ、じゃあピンクね!」
リサはピンクが好きだがリサが勝手に決めている訳ではない。拍手するキタリスたちが愛らしいピンクを推したようだ。
断言できないのは、トロイメライがキタリスの言葉を理解することができないからだった。
長所が美しい容姿に美しい心、特技が踊りと歌と演奏で短所が怠惰ならば、動物と言葉を交わせることは特殊能力だろう。
リサの長所と特技を知らない者はいないが、短所と特殊能力を知っている者はリサの両親とトロイメライ以外にいない。
トロイメライはピンクのドレスを持って駆け寄ってくるリサにドレスを着せる。
かつてエルフの代表としてメイオール王国に来たトロイメライは、リサの護衛兼メイドとしてメイオール王国に滞在していた。
「いつもありがとうございます、トロイメライ」
トロイメライはリサのことを生まれたその日から知っている。リサの世話に関することでトロイメライの右に出る者はいない。リサにとってトロイメライは第二の母だった。
トロイメライもリサを愛しく思っている。大広間ではなく中庭に向かおうとするリサの肩を掴み、「ご飯はきちんと食べないと駄目だよ」とリサの手を引いた。
「あぁ〜」
リサが残念そうにトロイメライに引き摺られるのは、リサが食事を面倒だと思っているからだ。
ただの怠惰ならばどれ程良かったか。リサは食事という生命維持に関わることでさえ面倒臭がる。唯一喜んでするのが睡眠だろうか。
トロイメライはリサを引き摺りながらリサの項に咲くベラドンナの花を確認する。
魔女の呪いは呪いだが、妖精の祝福だって一歩間違えれば呪いだ。リサにその自覚はないが、すべての祝福がリサ自身の人間性を無視して発揮されているような気がしてトロイメライは面白くない。
セバスチャンはトロイメライだけ間違っていると言うが、トロイメライは祝福を受けていないありのままのリサが見たいとこの十六年で思っていた。
何故か毎回トロイメライの肩に乗る九匹のキタリスたちと共に大広間へとリサを案内したトロイメライは、パンを口に運ぶことも面倒臭がるリサにパンをちぎって食べさせる。
そんなトロイメライの手をキタリスたちが叩くが、トロイメライはキタリスたちの力では止まらない。リサもトロイメライを止めなかった。
こんなリサだが、踊りも歌も演奏も面倒臭がることはない。祝福を受けていなければ絶対にしそうにないことだとトロイメライは思う。
「まぁリサ! 貴方またトロイメライに食べさせてもらっているの?!」
しばらくして大広間に来たのは王妃だった。
トロイメライは褒めてもらおうと思って背筋を伸ばすが、「子供じゃないんだからやめなさい! トロイメライも甘やかさないで!」と叱られる。
「でもリサは」
「言い訳は聞きたくありません!」
言い訳もさせてもらえなかった。トロイメライは眉を下げてパンをリサの目の前に置く。
「食べていいわよ」
すると、リサはキタリスたちにパンを勧めた。
「いけません!」
リサは王妃に何度叱られても同じことを繰り返す。これのどこが聖女なのか。トロイメライはおかしくなって口角を上げると「何がおかしいの!」とまた叱られた。
「ベリル、あまり叱ったらリサが可哀想だろう」
遅れてやって来た王はリサの味方だ。王はトロイメライが可哀想だとは言わない。十六年経った今でもトロイメライは王と王妃から許されていなかった。
「何言ってるの」
王妃は眉を吊り上げて王を睨む。
「貴方もトロイメライもこの子を甘やかしすぎよ」
「君の気持ちもわかるが……」
「わかるなら黙ってなさい」
王は渋々黙る。リサは渋々パンを食べる。トロイメライはキタリスたちと目を合わせる。王妃は深い溜息を吐いた。
「リサ……何度も言っているけれど、貴方にはもう一週間もないの。貴方が生きる五百年後に私たちはいないのよ」
王妃の声は震えている。十六歳のリサは確かに子供ではない。結婚して子供も産める年齢だ。
そうしないのはリサの十七歳の誕生日が三日後に迫っているからで。三日経てばリサの魂は五百年後に連れ去られる。
十六年前あれ程リサの身を案じていた王妃がリサを叱るのは、自分たちや従者がいなくてもリサが一人で生きていけるようにする為だ。
王もそれを理解しているから王妃を強く止めない。王妃というリサの産みの親だからこそ、深い愛で五百年後のリサを守ろうとしている。
「わかっているわ」
リサは視線を伏せた。
王妃はただ、リサを心配そうに見下ろしていた。
リサは自分の運命を物心ついた時から聞かされている。リサたち親子は十六年間何もしていなかった訳ではない。見えている終わりに向かって今も全力で生きている。
「食べ終わったら三人で外に出よう」
王は王妃とリサの間に入って二人を繋ぐ。王妃は微笑みリサは頷く。リサは面倒臭いだろうに行きたくないとは言わなかった。
王も王妃も仕事はしない。あと三日しかないのはメイオール王国も同じだ。
国民たちは既に国外に出ている。メイオール王国には王族の他に騎士と従者しかいない。すべてがただ終わる時を待っていた。
「いい天気で良かったわ」
三人とトロイメライが外に出ると、狐たちが近付いてくる。リサが生まれる前はこんなことはなかったが、王と王妃はもう慣れた。
二人は狐たちに挨拶をするリサを見守っている。
「トロイメライ」
王妃に呼ばれてトロイメライは背筋を伸ばした。
「約束、忘れていないわよね」
「王女を守る、でしょ」
「五百年間ずっとよ」
「大丈夫だよ」
トロイメライは長い耳に髪をかけた。
「私の寿命は五百年じゃ尽きない」
だから五百年という数字が許されない数字だとは思わなかった。
いや、リサに贈った呪いはトロイメライの願望だったのかもしれない。
トロイメライだって長生きは退屈だと思っている。その寿命の少しの期間を眠って過ごせるならば、それは幸せなことだと思う。
王と王妃はトロイメライが内心寂しい思いをしていることを知っていた。でなければ随分と年下の自分たちに褒めてほしいとは言わない。トロイメライにその自覚はないが──。
「なら、私が目覚めた時傍にいてくれるんですか」
いつの間にかリサがトロイメライの空色の瞳を見つめ返していた。
その目付きは怠惰なリサのものでも聖女のようなリサのものでもない。真っ直ぐにトロイメライを見つめる彼女のそれは不安そうに揺れていた。
トロイメライは息を呑む。トロイメライが知るリサは目の前の出来事を面倒臭がるか美しい心で周囲に接するかの二択だった。
トロイメライにとってリサは本心がよくわからない女であり、本心を数々の呪いで歪められた女でもある。生まれた時から見ているのにそう思う程、リサは歪んでいる。
「いるよ」
十六年前からそういう約束だ。ただ守るのではなく、五百年後の世界に連れ出す役目も担っている。
「約束破ったら許しませんから」
眠るリサにとって五百年はないのと同じだ。忘れるはずがない。
「傍にいるよ」
トロイメライは子供を安心させるように告げた。
王と王妃との約束を破っても、二人が五百年も生きられなかったらトロイメライを叱ることができない。その代わりに叱るのがリサらしい。
トロイメライは美しい心を持つリサが怒っている姿を見たことがない。リサは何に怒るのだろう。怒らせてみたい。そんな好奇心を押し殺す。
「ありがとうございます、トロイメライ」
リサはまた完璧な笑顔を見せた。
トロイメライはそれがリサの本心ではないことに気付かない。トロイメライはまだ人間の感情を正しく理解し切れていない。リサが歪んでいることに気付けたことが奇跡なのだ。
リサはすぐにトロイメライから視線を逸らして走っていく。
その先にあるのはこの一年で植えられたオークの苗だ。
リサはそれを何よりも大切にしている。キタリスたちはオークの成長を何よりも楽しみにしている。オークが実らせるドングリはどんな味なのだろう、と。
だが、キタリスたちが生きている間にドングリが実ることはないだろう。森の王とも呼ばれるオークは五百年掛けて成木になる。
それを植えようと提案したのは森と共に生きるエルフのトロイメライだ。王と王妃も五百年後に届くならば喜んでする。リサは国民たちがいなくなってできた空き地に植えられたオークを眺める。
そんな彼女に王と王妃が寄り添った。
挿入歌
『何気ない日』
歌唱:リサ・ローズブレイド
作詞作曲:虚勢




