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第十九話 『帳』

 ボーディルが手を振るとボーディルの周辺に複数の水玉が浮かび上がる。彼女は人差し指でヴィガを指し、銃弾のように水玉を飛ばした。


「──ッ!」


 黒兎くろとにはそれを弾く術がない。息を呑んで避けてくれることを願う。

 すぐ傍にいた騎士がヴィガの盾になる為に地面を蹴ったが間に合う訳がなく、突如出現した水の帳が水玉を飲み込んだ。


 腕を伸ばして何もない空間から水を出したのはカレンだ。人間の姿になっても人魚の力は衰えていない。

 ボーディルは水玉が当たるまで飛ばすつもりだったようだが、それを阻止するカレンに驚いて咄嗟に腕を下ろした。すると、残りの水玉が水に戻って雨のように海に落ちていく。


「どうして!」


 様々な感情を綯い交ぜにしてボーディルが叫んだ。

 声が出ないカレンは首を左右に振ることしかできなかったが、その表情は泣きそうだ。言葉がなくてもやめてくれと言っているように見える。


 当たり前だ。惚れた人間を殺したい人間はいない。人魚であってもその心は人間と同じはずだ。だから黒兎はカレンを助けたいと思う。


 見た目や性格はまったく似ていないが、助けたいと思わせる姿は革命直前のリタによく似ていた。


 カレンの声を奪ったボーディルは顔を歪めて視線を伏せる。

 その先には偶然にもエスタがおり、ボーディルは何を思ったのか再びヴィガへと腕を伸ばした。


 黒兎はカレンの名前を叫びたい衝動をぐっと堪える。

 エスタを囲んでいた騎士たちがヴィガを護る為に走っても、カレンはヴィガを護ることをやめなかった。


 ボーディルはどうしてもカレンを傷付けたくないのか今度はカレンを避けるように水玉を飛ばす。大きく弧を描いたおかげで騎士たちは間に合ったようだ。すべてが盾に防がれる。


 おっしゃあ、と言えずにガッツポーズをした。

 城を捨てて南下すればボーディルから逃れることはできるだろう。海の者が陸に近付くには限度がある。


 ──だからカレンは。


 黒兎は唇を軽く噛んでカレンを見下ろした。ヴィガを護る為にボーディルの下へと駆けるカレンは静かに涙を流している。

 本来のカレンであればこういう時は泣き叫んでいるのだろう。すぐに足を縺れさせて派手に転んだが、怪我を気にする間もなく腕の力で起き上がる。そして再び駆け出した。


 カレンがヴィガから離れた瞬間にボーディルは真っ直ぐにヴィガへと水玉を飛ばしたが、その時には既にヴィガを護る為の隊列ができている。

 マーヴァル王国の騎士もキルデルシュ王国の騎士も弱い訳がない。だが、海の魔女と呼ばれるボーディルの銃弾のような水玉に何度も耐えられる力はないだろう。


 黒兎はスコープを覗いてカレンを追った。大切に護られているヴィガと生身のまま駆け出すカレンならば黒兎は迷いなくカレンを選ぶ。


 日没まで余裕はない。ヴァルトラウトのようにボーディルを殺せば、カレンは黒兎のように呪いが解ける。泡になって死ぬことはない。

 カレンはボーディルから三十メートル離れた位置で立ち止まり、腕を伸ばしてボーディルが乗る波を沈めようと躍起になった。


 同じ人魚とはいえボーディルを殺そうと思えば他の手段も選べるはずだ。

 海に落としたところでボーディルもカレンも痛くも痒くもないだろう。


「あくまでも妨害が目的か」


 黒兎から離れて窓枠に立ったハインツがそう言った。


「カレンはボーディルを殺したないの?」


「そう見えるが、この距離では憶測の域を出ない」


 近くにいたらカレンの感情をまざまざと感じることができるだろう。カレンは黒兎がコントをしているのかと思う程に激しい表情の変化を見せる面白い少女だ。


「……せやな」


 黒兎は変わらずスコープからカレンの様子を窺っていたが、どれ程明瞭に見えていてもカレンの心に触れられているとは思わなかった。


 手を伸ばしても届かない。理解できそうなのに理解できない現実が苦しくて苦しくて堪らない。

 狙撃手である黒兎はどうしてもその距離を縮めることができなかった。


 カレンの気持ちがわかると軽率に言ってはならないのはわかる。それでもこのもどかしさは同じだと思う。

 今の黒兎にできることは、仲間の道を切り開くことだけ。


 黒兎の仲間はもう一人いた。


 ボーディルの襲撃を黒兎と同じく城から目撃した騎士たちに混ざって虎獅狼こじろうが足場の悪い砂浜を駆ける。

 襲撃者よりもヴィガ──そしてエスタの命を優先する騎士たちとは違い、虎獅狼はボーディルとの距離を縮めていく。


 黒兎と同じくハインツから取り出した刀は燃え盛り、太陽のように美しく輝いていた。その炎を一瞬で消せる水がボーディルの足下、そして背後に広く深く存在している。


「ったく、俺がいーひんとほんまになんもできひんな! 工藤くどう!」


 黒兎は口角をしっかりと上げてそう言った。

 引き金に指を掛けて躊躇いなく引く。狙うのはボーディルの足下──虎獅狼が進んで行く一筋の道だ。


 込めた魔力は黒兎が得意とする風属性。数日前に雪崩を吹き飛ばした大砲のような突風だ。

 あの時溺れていて助かった。砂塵が舞う中突風は虎獅狼の炎を炎上させ、海さえも吹き飛ばして風の帳を生み出す。波が消えて落ちていくのはボーディルだった。


「ハインツ行くで!」


 声を掛けるとハインツは窓枠から飛んで黒兎の肩に乗る。黒兎は立ち上がってハインツを気に掛けることなく駆け出した。


「コノエ坊! 容赦ないな!」


「ならポケットから出んなや!」


 虎獅狼も黒兎が切り開いた道を駆けて行く。ボーディルから一度も視線を逸らさない虎獅狼は足を踏み込んだが、ボーディルの防御魔法に受け止められた。


「なんやあれぇ!」


「だからカラマ嬢もタラ嬢も魔法職の仲間を入れろと言ったんだ」


 防御魔法と回復魔法は魔法職の人間ならば誰もが使える基本魔法だ。裏を返せばその二つが使えなければ魔法職とは名乗れない。魔法職ではない冒険者が魔法職の人間に求めるのは主にその二つだからだ。


「あ! その話忘れとったわ!」


「二人が聞いたら怒るだろうな」


 ハインツは呆れる。虎獅狼は態勢を崩したままのボーディルに対して手を止めることなく斬り掛かる。黒兎はハインツよりもそんな虎獅狼を気に掛けていた。

 黒兎の風の帳はカレンの水の帳とは違い持続させることができない。虎獅狼が海だった場所でボーディルと戦うには()()()()()


「どいつもこいつもぉ!」


 カレンは呆然と火花を散らす虎獅狼とボーディルを眺めている。その間にも日は傾いていた。


「おいコノエ! そんなところで何してるんだ!」


「うわっ!」


 黒兎が通り過ぎた階段から飛び出して黒兎に声を掛けたのは、スヴァインだった。スヴァインが黒兎に声を掛けたのは黒兎が抱えている狙撃銃を見たからで。スヴァインも外の状況を理解していた。


「来い! 上に砲台がある!」


 他国の王であるスヴァインにも戦う意志がある。


「ほんま?! って、勝手に使ってええの?!」


「緊急事態だ! 早くしろ!」


 スヴァインは使える物ならばなんでも使う国王らしい。他国の王であることが唯一気になるが、スヴァインがいいと言うなら黒兎が叱られることはないだろう。

 黒兎は戻ってスヴァインが先を行く階段を駆け上がった。風の帳が消えても虎獅狼やカレンならば勝手に何とかするだろうが、油断はできない。


 スヴァインは砲台へと続く扉を蹴破って先に進む。豪華な服は動きづらそうに見えるが、スヴァインは躓くことなく野生児のように突き進んだ。


「コノエ! これだ! 使えるか?!」


 スヴァインが騒ぎながら指す大砲は月光国げっこうこく出身の黒兎には馴染みのないものだった。


「わかった退け!」


 黒兎は大砲を無視して傍で狙撃銃を構える。


「使わないのか!」


「使うたことあらへん武器本番で使うアホがおるか!」


 スヴァインは何かを言いたそうに口を開いたが、我慢して下がる。


 屋上の砲台は先程よりも高く見晴らしがいい。砂浜や海がよく見える。肝心の風の帳は消えていたが、虎獅狼は海に沈んでいなかった。

 よく見るとカレンが腕を伸ばしている。虎獅狼がいる空間に水が流れないように操っているようだが、カレンの表情には迷いが生じていた。


 虎獅狼の戦闘が凄いのか炎上する刀が凄いのかはわからないが、騎士たちがボーディルの水玉を何度も耐えられないように、ボーディルの防御魔法も虎獅狼の斬撃を何度か受けると砕かれる。

 その度に新たな防御魔法を繰り出すボーディルは無敵だ。ドラゴンの鱗の強さを過信したヴァルトラウトとは違う。体勢を立て直せないボーディルが斬られるのは時間の問題だろう。


「コノエ坊、あのままでは不味い」


 それがカレンが迷っている理由だった。


「次はドデカいのぶち込んだるわ」


 黒兎は虎獅狼の動きを観察する。虎獅狼は黒兎を気にしていない。カレンが助けに入っていることにも気付いていない。

 化け物じみた集中力だ。だからボーディルが押されているのだろう。


「いや、それも不味──」


 虎獅狼の動きに合わせて狙撃する。

 二度目の風の帳は崩壊して水が溢れ出した円を強固なものとする。


「──コノエ坊、多分だが今のが最後だ」


 ハインツが抑揚のない声でそう言った。


「何がや」


 何か不味いことをしたらしいが、それ以外は何も伝わっていない。


「魔力切れを起こしていないか?」


「うぇぇえぇ……気持ち悪いむっちゃ吐きそう……」


 ハインツの言葉と同時に崩れ落ちる。怪我や病気とは無縁の人生だった黒兎にとって、気分が悪いというのは常人のそれとは比べ物にならない程の症状だった。


「やはりそうか」


「はよ、言え、やぁ」


「だからカラマ嬢もタラ嬢も魔法職の仲間を入れろと言っていただろう」


「……知らん……助けてぇ……」


 倒れた黒兎にスヴァインが渋々と肩を貸す。おかげで戦場がよく見えたが、虎獅狼の炎は消えていなかった。


「なんで、工藤、平気やねん」


 黒兎の魔力量が少なくて虎獅狼の魔力量が多いとは思えない。


「クドウ坊が魔力を使ったのは最初だけだ。今あの刀が燃えているのはコノエ坊が風を送ったからだろう」


 絶え間なく酸素が供給されたことによる結果だったらしい。黒兎は「成程なぁ」と呟き、虎獅狼がここでボーディルを殺すことを祈った。

 だが、何事も簡単には上手くいかないらしい。炎上する虎獅狼の刀は、飛んで来た水によって一瞬で消火された。


「なっ?!」


 黒兎はもう驚く力もない。代わりに驚いたスヴァインは海を見つめ、「何か来るぞ」と身構えた。

 それは黒兎にも見えている。ボーディルのように海から姿を現したのは、男の人魚だった。歳はボーディルと同じくらいだろうか。彼は虎獅狼を睨んでいる。


「私はデュアル王国国王、クラウス・アブラハムセン。我が妻を害する者は、いかなる理由があろうと承知しない」


 クラウスの登場により戦場の雰囲気が一瞬にして重々しいものとなった。


「我が妻?」


 と黒兎が。


「アブラハムセン?」


 とハインツが。


「…………父様?」


 最後にスヴァインがそう呟いた。

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