第十六話 『銃口』
ヴィガは一瞬でエスタが何をしようとしているのかを理解した。
「エス……」
共に育ってきた異母弟の名前が口から零れかけた瞬間誰かに強く腕を引かれる。
銃声と共に地面に銃弾がめり込んだ。数年前の自分によく似た無表情のその顔は、やがて水紋で見えなくなった。
息を吸い込むことはできたが突然のことですぐに酸素が足りなくなる。ヴィガを海に沈めてエスタから逃がしたのは、カレンだった。
短剣を捨てた彼女はヴィガの腕を引いた状態でもまるで鰭があるかのように素早く泳ぐ。
無謀な飛び込みでもヴィガが溺れなかったのは、カレンがヴィガを生かそうとしたからだった。
──何故自分はこんなにもカレンに想われているのだろう。
産まれた時から共にいるヒルデにさえもそう思っている。
エスタが自分に銃口を向けた理由にはすぐに気付けたのに。
カレンはヴィガを引き摺ったまま砂浜に上がった。砂浜の感触を足の裏で確かめて、ヴィガもカレンと共に歩き出す。
スヴァインが散々ヴィガの前を歩いたのだ。ヒルデも散々ヴィガの隣を歩いてきた。カレンの時くらい自分の足でカレンの前を歩かなければ、自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。
「兄様」
その声色は北国の海よりも冷たい。
足を止めて振り返ると、ヴィガとカレンの動きを読んでいたエスタが数十メートル離れた場所に立っている。その手が握り締めた銃はまだヴィガに向けられていた。
気付いていなかったのだから声を掛けずに引き金を引けば良かったのに。
ヴィガは眉間に皺を寄せて、間に割って入ったカレンの肩に手を置いた。
ヒルデは行かせてしまったが、カレンだけは行かせない。ヒルデは撃たれてしまったが、カレンだけは撃たせない。
自分たちの兄弟喧嘩にこれ以上他人を巻き込むことはできなかった。
「エスタ」
話をする機会ならば幾らでもあったはずだ。銃口を向けられなくてもヴィガはエスタの話を聞いたのに。
「したいことがあるならさっさとしてくれ」
話を始める訳でもない。殺すこともしないならばエスタは何がしたいのか。
そう思ってしまったらヴィガはエスタのことも理解していなかったことになる。
物心付いた時から何故自分だけが生き残ってしまったのかと思っていた。そればかり考えて誰の表情も見ていなかったことに気が付いた。
「エスタ殿下! 銃を下ろしてください!」
砂浜に待機したままだった騎士たちが一斉にエスタに銃口を向ける。
彼らはヴィガと違い状況を理解するまでに時間が掛かったが、エスタが行っていることは誰の目から見ても第一王子に対する反逆だった。
「まさか」
それを騎士たちに見せることが目的ならば余計にエスタが理解できない。
反対意見はあるだろうが、エスタが国王になりたいと言ったらヴィガは喜んでその地位を譲った。ずっと前から国王に相応しいのは自分ではなくエスタだと思っている。今だって、周りを見れず時間を無駄にし続けた自分とそうではないエスタという対比を嫌という程突き付けられる。
「エスタ、俺は──」
銃声と共にエスタが持つ銃が宙を舞った。
「誰だ! まだ命令は出していないぞ!」
騎士の焦った声が波の音に消える。
大きく弾かれた銃は水飛沫を上げて海に落ちた。エスタは表情を変えないまま騎士たちを一瞥するが誰も撃っていない。
ヴィガの服の裾を引っ張ったカレンが城を指した。見ると誰かが城の廊下を走っている。
これが騎士の誰かだったら気付かなかったかもしれない。
ヴィガは「何故」と、メルヒェン大陸ではどうしても目立つ黒髪の少年を目で追った。
*
「何してるんですかぁ!」
今にも泣きそうな声色でイェンスが叫んだ。
「エスタ殿下に当たったらどう責任を取るつもりなんです?!」
騒ぎつつもイェンスは狙撃した瞬間に走り出した黒兎について来る。
「やかましい! 俺は外さへん!」
信用されていないのは仕方ないが、正確な狙撃を披露した後も騒がれると腹が立つ。イェンスは黒兎と並走して黒兎を睨んだ。
「次は外すかもしれないじゃないですか!」
「お前が邪魔したら外すかもしれへんな!」
黒兎は窓の外を一瞥する。当たっていないとはいえ衝撃は感じたはずだが、エスタは眉一つ動かさないまま銃を握っていた右手を見つめていた。
一時間前、黒兎の部屋で襲撃犯の目的がヒルデの命ではないことに気付いた黒兎はイェンスと共にヴィガとエスタの位置情報を追っていた。
一旦ハインツと虎獅狼と合流した黒兎は、ハインツの情報と虎獅狼の補足を纏める。
襲撃犯は黒兎が思った通りヒルデに近しい人間であることが考えられた。使われた隠し通路はマーヴァル王国の王族と要人用の客室、そして現国王の公妾の部屋にしか繋がっていない。
その部屋を使用している男は、オルメイ、ヴィガ、エスタ、スヴァインの四名だけ。
オルメイの足が悪いこととスヴァインがヒルデの部屋に駆け付けた速度を考えて両名を候補から外すと、襲撃犯は異母兄弟のどちらかとなる。
ハインツはどちらかがどちらかの命を狙うのは有り得ないと言った。
虎獅狼はどちらかの身に何かが起きることは明白だと言った。
ハインツと虎獅狼は、今日中に何かが起きるのは間違いないと言った。
行動を起こすならばヒルデにオルメイや騎士たちの注目が集まっている今しかないとも言っており、実際、今日も散歩に出て行ったエスタには護衛が付いていない。
謁見室から出て砂浜に向かったヴィガとヒルデには必要以上の護衛が付いており、廊下からそれを見ていた黒兎は一瞬だけイェンスの反応を窺った。
イェンスは若い。とはいえ義務教育があった黒兎とは違いメルヒェン大陸の人間は幼少期から将来に向けて動き出している。
黒兎から見たら新人のようなイェンスはメルヒェン大陸の人間から見たら中堅だ。マーヴァル王国に生まれマーヴァル王国で育ちマーヴァル王家の傍で生きている彼は、ヴィガとエスタのあからさまな扱いの差を幾度となく見ている。
エスタならばヴィガの命を狙ってもおかしくないと思う自分が嫌だった。
砂浜から命からがら上がってきたヴィガとカレンにエスタが銃口を向けていても、納得してしまう自分が嫌だった。
黒兎はすぐに武器を返せと訴える。イェンスは自分の一存では決められないと返す。もどかしい表情を浮かべた黒兎と気持ちは同じだ。身分は騎士だが、こうなる前に何かできたのではないかと悔やむ。
黒兎の目にはヴィガもエスタも映っているが、心配するのはカレンだけだった。
エスタから逃れられてもヴィガと共に生きられなければカレンは死ぬ。焦る黒兎を呼んだのは、胸ポケットに潜む手鏡のハインツではなく黒兎の部屋の中にいる鏡台のハインツだった。
顔を出してハインツを見るが、ハインツに映っているのは黒兎の部屋ではない。
駆け寄ってよく見ると、トレステイン王国の騎士から貰った黒兎の狙撃銃がどこかの武器庫に丁寧にしまわれていた。
ついて来たイェンスは不気味な鏡台に驚いて腰を抜かしたが、マーヴァル王国に向かう道中でしたタラとの会話を思い出した黒兎は鏡の中へと手を伸ばした。
鏡には、飲み込まれた黒兎の腕も狙撃銃に触れる黒兎の手も映される。狙撃銃を掴んで引っ掛からないように取り出すと、本物の狙撃銃が黒兎の腕の中に収まった。
黒兎はハインツに礼を言って廊下に飛び出す。そしてすぐさま窓を割り、静止するイェンスの声を無視してエスタが持つ銃を狙撃した。
「ていうかなっ、なんで走るんですか!」
「狙撃手は撃ったら走るのが基本やで!」
狙ったのはエスタだったが、ヴィガとカレンが黒兎に気付いた。これがエスタ、もしくはエスタに味方する狙撃手に気付かれたら黒兎の命はない。
階段を駆け上がって再び窓から砂浜を覗く。騎士たちは武器を落としたエスタを囲んでいたが、エスタは変わらず無表情だった。
「ハインツ、お前の言うこと当たっとったかもな」
「えっ、当たってたってどういう……」
状況は見えてもエスタの表情は見えないイェンスが戸惑う。
黒兎は騎士の一人がヴィガとカレンをエスタから遠ざけようと誘導している様を眺め、窓を割って狙撃銃を構えた。
「……ッ?!」
イェンスは驚くことしかできない。エスタを無力化したならばもう狙撃銃を構える必要はないはずだ。それでも黒兎は躊躇いなく撃つ。
「な、何を……本当に何を……」
ヴィガとカレンは撃たれた傍らの流木へと視線を移した。黒兎の存在に気付いている二人は黒兎ではなく流木の先──海を呆然と眺める。
城から全体を俯瞰していた黒兎だったから気付けたのかもしれない。
砂浜を襲う不自然な波と一箇所から発生している泡が警鐘を鳴らしている。
「イェンス! 避難誘導したって!」
エスタを囲む騎士たちは不気味な動きをする海に気付いていなかった。全員がエスタから片時も目を逸らせないのは、エスタの人柄を知ってのことだ。
イェンスが王族の護衛になることは稀だったが、ヴィガとヒルデの護衛を普段から行っている彼らはエスタの優しさを知っている。ヴィガがマーヴァル王国の第一王子として周辺国から認められているのはエスタの献身があったからだ。
まさか。信じられない。エスタの面を被った誰かだと信じたいからエスタの挙動を凝視する。
イェンスは仲間と黒兎を見比べて海を睨んだ。波はあっという間に人を引き摺り込む。そんなことがあっていい訳がない。
イェンスと黒兎は同時に走り出した。
「ハインツ! 見えるか!」
黒兎の胸ポケットから姿を現したハインツは、「コノエ坊の敵ではないだろう」と無茶なことを言う。
「あのなぁ!」
「ドラゴン化したヴァル嬢を殺したコノエ坊が恐れる敵ではない」
ハインツの声色は普段と変わらなかったが、ハインツとヴァルトラウトの関係を想像すると胸が痛む言い方だった。
海から海獣のように姿を現したのは、黒いマントを着用していないボーディルだ。
「溺れたら死ぬやん!」
最初にボーディルに会った時は全身をマントで覆っていたせいで気が付かなかったが、日光が煌々と波に持ち上げられたボーディルの鰭を照らしている。
海の魔女と呼ばれたボーディルは、砂浜に集結した王族と騎士を見下ろして眉間に皺を寄せた。




