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第十三話 『水面下にて』

 ヒルデとスヴァインは同室ではなかったらしい。

 浴場で綺麗に体を洗ったヒルデは部屋に戻って来た瞬間に一通り暴れ、落ち着いてからランプの火を消して眠りにつく。


 やがて聞こえてきた寝息が途切れたのは、部屋の扉が開かれた時だった。月明かりが暗い部屋を照らすと共に侵入者はベッドまで歩いて銃を抜く。そして引き金を引き襲撃犯となった。


 ハインツ曰くヒルデは襲撃犯を見ていない。誰かが入ってきたことには気付いていたが、目を開く前に撃たれたのだ。

 血は飛び散って辺りを汚す。ヒルデは痛みに耐えられず呻き声を上げる。すぐに隣室のスヴァインが飛び込んできたが、襲撃犯と鉢合わせることはなかった。


「なんでなん?!」


「残念だが、死角で起きたことはわからない」


 ハインツは鏡に映っているものだけしか見えないようだ。黒兎は手で目元を覆う。痒いところに手が届かない鏡だ。


「魔法で消えたんか」


「いや。今クドウ坊が──」


 ノック音が聞こえて振り返る。

 だが、扉には誰も立っていない。


『あれ? 近衛このえ、そこにいるんでしょ?』


 聞こえてきたのは虎獅狼こじろうの声だった。黒兎は鏡台の背後の壁を凝視し手で口元を覆う。


「お前……壁になったんか……」


 襲撃犯が魔法職の人間ならば納得だ。可哀想に、口封じになっていないが口封じをさせられたのだろう。


『俺から見たら近衛が壁だよ』


 本当に可哀想に。幻覚まで見ているようだ。黒兎は虎獅狼を哀れんで、どんな魔法をかけたら呪い無効の虎獅狼がこうなるのだろうと首を傾げた。


「クドウ坊は今隠し通路にいる。ヒルデ嬢の部屋のクローゼットの背後がそうなっていてね」


「は?! ハインツ今知らん言わはったやん!」


 鏡台は掴み掛れない。代わりに壁をノックすると、同じリズムのノックが至る所から返ってきた。


「あぁ。襲撃犯がどうやってヒルデ嬢の部屋から逃走したのかはわからない。ただ、先程クドウ坊が隠し通路を見つけてね。これで逃走したと仮定して調査しているんだ」


「よう見つけたな、お前」


 好奇心の強さ故なのだろうか。黒兎が虎獅狼の首根っこを掴んだままだったらこうはならなかったかもしれない。

 思えば、ドナトリア王国で狩人を殺した犯人をあっという間に見つけたのも虎獅狼だった。


「虎もライオンも狼も放し飼いしてみるもんやなぁ」


「被害が出る前に檻に入れてくれ」


 虎獅狼ならばカレンを救えるかもしれない。カレンの無実を証明すると言ったが、考えがあった訳ではなかった。


「なぁ、俺カレンの無実を証明したいねん。どないすればええ? 硝煙反応は調べられへんよな」


『しょうえんはんのうが何かは知らないけど、カレンさんの無実を証明するのは難しいと思うよ』


「は?! なんでなん! やってへんなら証明できるやろ!」


『悪魔の証明って言うんだっけ? やってないことの証明って不可能なんだよね』


 虎獅狼は呑気にそんなことを言う。


「どないすればええの」


『襲撃犯が見つかればいいんじゃない?』


 それが一番手っ取り早いのかもしれない。硝煙反応や指紋採取といった科学捜査は現実的ではないのだから。


「せやな。また狙われるかもしれへんし、張り込むわ」


『よろしく。ちなみに俺たちの部屋には隠し扉ないみたい。出られないや』


 だから無駄にノックをしていたのか。虎獅狼は黒兎が思っている以上に多くのことを考えているらしい。


「騎士の人らに手伝うてもらわへんかったん?」


『俺は自分の目で見たものしか信じないよ』


 虎獅狼は淡々とそう告げた。

 確かにその方が確実だ。黒兎は虎獅狼の考えに共感する。


「頼むで」


『言われなくても』


「ハインツに言うたんや。手鏡の方持ってはるんやろ」


『任された』


 ハインツの声は壁の奥から聞こえてきた。急いで部屋を出ると水平線が太陽に照らされているのが見える。

 海の魔女ボーディルがカレンに課した期限は、その太陽が沈むまでだった。





 ヴィガがカレンを閉じ込めた牢屋は城の北側に位置していた。

 カレンの目にも明るく照らされつつある水平線が見えており、再び目に涙を浮かべる。


 こうなるはずではなかった。


 なんて素敵なお姫様なんだ。私と結婚してほしい。

 本気でそう言ってもらえると思っていたのに、それに似た言葉さえヴィガは言わなかった。


 溢れる涙は止まらない。期待していたのに裏切られた──いや、よく考えたらそれ自体は別に構わなかった。悲しかったのは、一切気に掛けてもらえなかった事実だった。

 ヴィガは人を思いやれる優しい人だろう。だが、自分はヴィガが思いやろうと思う人の中に入っていない。そのことがとてつもなく悲しい。


 海の中で目が合ったはずなのに。人工呼吸までしたのに。ヴィガの目の前で泣いたのに。


 大丈夫の一言さえヴィガは掛けてくれなかった。


「酷い! 酷過ぎる! 人間めッ! やはり国から出るべきではなかった!」


 バシバシと冷たい床を叩くのはカレンではない。カレンはずっと自分のスカートの中に隠れていたタコを両手で掬った。


「姫様、今すぐ国に帰りましょう! 今ならまだ間に合います!」


 カレンは首を横に振った。もう何度も首を横に振っている。そろそろ痛くなってきた。

 カレンの父からクラーケンと名付けられたタコも、執事としてずっと見守っていたカレンの悲しそうな表情を見て心を痛める。クラーケンだってカレンが幸せになると信じて疑っていなかった。


「姫様……貴方を牢屋に入れる王子のどこが良いんですか? 無実を証明すると言ったあの黒い男の方が素晴らしい殿方ではないですか。まぁ人間との結婚はこの私が許しませんけど」


 カレンは力なく笑う。顔、と言ったらクラーケンは激怒するだろう。今の自分は何も言えないが。


 クラーケンはそんなカレンを見て体を萎ませた。

 カレンはそんなクラーケンを見て申し訳なく思う。だが、国には帰れない。どうすれば伝わるかと考えて自分の肩と手首に触れた。


「まさか、あの黒い男を信じているんですか?」


 頷いた。黒兎くろとを助けたのは自分の姉で、黒兎と会話したのも自分の姉で、クラーケンが墨を吐いたのに。黒兎はカレンを信じていた。


 カレンはじっとクラーケンを見つめる。


 人魚だった時、人間の手は熱くて触れることが叶わないと教わった。それでも海に沈んだヴィガに触れることを躊躇わなかった。


 熱いはずなのに冷え切った体にしっかりと触れ、生きてほしいと願って必死に泳いだ。

 人間になってまだ日は浅いが、自分に優しく触れてくれたのはエスタと黒兎だけ。たいした縁はないのに信じてくれたのは黒兎だけ。


 あと半日しかない命ならば、カレンは黒兎を信じて死にたい。


 クラーケンは、海よりも青い瞳が放つ意思に圧倒された。


「わかりました」


 クラーケンはカレンが幼い頃からカレンに弱い。六つ子の末っ子は我儘で、甘えん坊で、面倒臭がりで、誰よりも手が掛かる姫だった。


 そんな彼女が姉たちよりも先に恋に身を焦がし、死を覚悟している事実をクラーケンも受け止めなければならない。


「ですが! 私は助けを求めさせていただいます! 国王様が心配していますからね!」


 カレンにはカレンの譲れないものが。

 クラーケンにはクラーケンの譲れないものがある。


 カレンは手を伸ばしてクラーケンを鉄窓に置いた。クラーケンは八本の足を動かしてあっという間に海に帰っていく。

 カレンは牢屋の隅で慣れない二本の足を抱えた。これでもう本当に一人になってしまった。


 それでも寂しくはないと思う。


 姉たちの頼みだったとはいえ、黒兎は何度もカレンの名前を呼んだ。大丈夫かと声を掛けてくれた。

 クラーケンも自分の為に全力で泳いでいる。ヴィガが自分を想わなくても、自分は大切にされている。


 叶わない恋をして、たくさんの人に迷惑を掛けた自分は馬鹿だった。


 そう思ったら自己嫌悪でどうにかなってしまいそうだった。

 泣き続けたら体中の水分が抜けそうになって、泡にさえなれないのかと涙を拭った。




 デュアル王国は水深二百メートルの海底にある。

 漁業が盛んなマーヴァル王国の隣国であるこの国では昔から海岸に行くことを禁じていたが、人間から魔獣と呼ばれる人魚と悪魔と呼ばれるタコだけは特別だった。


「国王様〜! 国王様ぁ〜!」


 素早く泳ぐタコにとって水深二百メートルはたいした距離ではない。

 クラーケンは見えてきた城に足を伸ばし、伸びてきた手に掴まった。


「ひぎゃあ!」


「クラーケン! なんでここにいるの?!」


 クラーケンを囲んだのは、カレンの五人の姉たちだった。

 同じ顔、同じ体。それでもクラーケンや海の生き物たちは見分けがつく。


 クラーケンは「カレン様が!」と叫び、五人の姫の短髪に驚いて墨を吐いた。


「姫様髪が!」


 カレンの時は「姫様鰭が!」と叫んだ。どうして少し目を離した隙に彼女たちは鰭や髪を失くすのだろう。

 カレンばかりに目が行くが、本当は六人全員が目を離してはならないお転婆娘だったことを思い出す。


「何故……何故なのですか……」


 六人の姫の父も、母も、何かの為ならば躊躇いもなく自分の大切なものを捨てられる人魚だった。

 もっと自分を大切にしてほしい。全員が簡単に自分の大切なものを捨てられるから、事態はいつも悪化するのだと気付いてほしい。


「ボーディルのところに行ってきたの」


 答えたのは長女のイサベラだった。イサベラはクラーケンに短剣を見せる。


「そ、それは?」


 海にはない地上のものだ。何故イサベラが持っているのだろう。


「魔女の短剣よ。私たち、ボーディルにカレンを助けたいって願ったの」


「そしたら髪を貰うって言われた。その代わりに貰ったのがこれ」


 短剣を指すのは次女のグンヒルドだ。普段は絶対に面倒事には首を突っ込まないのに、今回だけは違う。


「カレンがこれでヴィガの心臓を刺せば人魚に戻れるんだって! お願いクラーケン! カレンに渡して!」


 普段からクラーケンを雑に掴む三女のドルテはイサベラから短剣を奪ってクラーケンの足に押し付ける。クラーケンは反射的に短剣に絡み付いた。


「で。カレンに何があったの?」


 それは四女のペニーラだけではなく、イサベラやグンヒルドも気付いていたことだ。


「まさか! ヴィガとヒルデが結婚するの?!」


 心配性でもある五女のアンネは物事を悪い方向に考える。


「それより不味いかと」


 クラーケンは五人に、ヒルデが撃たれてカレンが疑われていることを話した。まだ疑われている段階だが、襲撃犯だと確定したら命はないだろう。


 五人は黙り、クラーケンが絡み付く短剣を見つめた。


 クラーケンは陸に上がった時からずっとカレンの傍にいた。カレンはヒルデを撃った犯人ではないとは言えるが、五人の願いをカレンが叶えたら、カレンはヴィガを刺した犯人ではないとは言えなくなる。


「お父様には私たちが話をするわ。クラーケンはそれをカレンに渡して、すぐにヴィガ様を刺してと言って、カレンと共に戻ってくるのよ」


 イサベラの指示で五人の姫がデュアル王国の城へと向かう。クラーケンは短剣を抱え、ゆっくりとマーヴァル王国の城へと引き返した。

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