第十話 『王女の願い』
エスタが少女と出逢った場所は大広間から見えていた砂浜だった。
日課の散歩していると複数のカモメが旋回しているのが見え、その下で倒れている赤髪の少女を発見。今にも波にさらわれそうな少女を担いで急いで戻ってきたらしい。
少女は素性がわからないが、ウーリとリタの結婚式当日に同じ海で溺れたヴィガのことがある。エスタは人命優先と護衛していた騎士に命じ、少女を城に入れる責任を負った。
そしてヴィガに助けを求めたのだ。
ヴィガはマーヴァル王国の国王と王妃の息子である。
エスタはマーヴァル王国の国王と公妾の息子である。
次期国王は第一王子であるヴィガで、エスタが国王になることは有り得ない。同じ国王の息子でもだいぶ違う扱いをされているのだとイェンスが小声で黒兎と虎獅狼に説明した。
成程、だからエスタはヴィガに助けを求めたのか。
銀色の長髪に京紫色の瞳を持つエスタの顔立ちはヴィガを少しだけ幼くさせたものだ。身長も申し分なく、ヴィガと並んでも遜色のない存在感を出している。
エスタに足りないのは王妃の血のみだ。王妃の腹から産まれたら王妃の子だと言えるが、違う女の腹から産まれたら王妃の子とは言えない。国王が我が子だと認知しているだけエスタは幸福なのだとイェンスは言った。
王族でも珍しくない話は国民にも珍しくない話だ。
ヴィガが黒兎と虎獅狼は兄弟なのかと思ったのはそういう訳だった。
「コノエ様、クドウ様」
黒兎と虎獅狼はヴィガの客人として扱われているらしい。城の中庭を探検していると先程の老年のメイドに声を掛けられた。
「ヴィガ殿下とエスタ殿下がお呼びです」
メイドは深々と頭を下げる。黒兎と虎獅狼は目を合わせ、メイドとイェンスと共に大広間に戻った。
大広間にはヴィガとエスタだけではなくヒルデと見知らぬ男もいる。ヒルデ並みに豪華な服を纏った男は黒兎を見てにやりと笑った。
「お前がコノエか」
黒兎は誰やねんという言葉を飲み込む。聞かなくても見ればわかるが、名前は知らない。
栗色の髪に青色の瞳は、隣に座るヒルデと同じものだった。
「せやで」
答えると、「キルデルシュ王国の国王、スヴァイン・クラウセン様です」とイェンスが耳打ちする。
イェンスには助けられてばかりだ。誰もが他国の王を知っていると思わないでほしい。
「ティータイムの時間になったのでお呼びしました。甘い物はお好きですか?」
テーブルの上には焼き菓子がある。どれも美しい狐色で美味しそうだ。
「好きです」
虎獅狼は長椅子に座って早速焼き菓子に手を伸ばす。黒兎は虎獅狼について行くが、焼き菓子を眺めるだけで手を伸ばさなかった。
「お嫌いですか?」
意外そうにヴィガが言った。
「牛乳入ってへん?」
食べ物を貰う時は絶対にそれを確認しろ、というのが大野の言い付けだ。焼き菓子は特に、黒兎専用の物を渡されていた記憶がある。
「入ってますね」
ヴィガは老年のメイドの表情を見て答えた。
「俺、牛乳飲んだら死ぬさかい工藤に……」
あげる、と言おうとした瞬間視線を感じる。黒兎をじぃっと見つめていたのは、物欲しそうな表情をするヒルデだった。
「ヒルデ王女に」
「いいんですの?! ありがとうございます、お言葉に甘えさせていただきますわ!」
ヒルデはぱぁっと表情を輝かせて黒兎の皿を自分の目の前に移動させる。虎獅狼も残念そうにはしておらず焼き菓子をのんびりと食べている。食べたい者が食べるべきだろう。
黒兎は美味しそうに食べるヒルデを眺め、リタとは随分と性格の異なる王族だと思った。そして、イントネーションが違うとしても慣れ親しんだ話し方をする王族だと思った。
「コノエ。お前良い奴だな」
ヒルデと年齢差がそれ程ないように見えるスヴァインは、ヒルデと異なる話し方をしていた。
「何かあったら言え。お前が討ち取られてウーリが得するのだけは許せん」
その名前が出るとエスタとヒルデも苦い顔をする。キルデルシュ王国とも国際問題に発展した何かがあったのだろうか。スヴァインはウーリを嫌っている。
「だが我が妹はやらんぞ。ヴィガ、お前にもだ」
「婚約者ちゃうんかい」
ヒルデは王族ではない黒兎にもしっかりと礼が言える素晴らしい令嬢だ。狂人国王のウーリとは違う。
じろりとヴィガを睨むスヴァインはウーリに若干性質が似ている気がしたが、それはスヴァインに失礼だなと思い直してハーブティーを啜った。
「お兄様! わたくしはヴィガと結婚します! それの何が不満なんですの?!」
「全部不満だ! ヒルデに釣り合う男はもっとこう……もっと! 素晴らしい奴でなくてはならん!」
「ヴィガ殿下でええやん」
「なんだとお前!」
うっかりツッコんでしまった。黒兎は「なんも!」と慌てて両手を上げる。
先程までの笑顔はどこにいったのか、ヒルデはふくれっ面でスヴァインを見上げた。輝夜に似たつり目がさらにつり上がっている。
ヴィガとウーリが幼馴染みだったのだ。スヴァインとヒルデもヴィガとウーリの幼馴染みだったからこそ、ヴィガは今にも喧嘩しそうな兄妹を困り顔で眺めていた。
「ヴィガ殿下、エスタ殿下。お連れしました」
ちょうど良いタイミングで開いたままだった扉から騎士と例の少女が姿を現す。
赤髪の少女は青色の瞳をきょろきょろと動かし、ヴィガに目を留めて頬を赤らめた。
──ん?
少女のその反応も気になるが、それよりも気になったのは少女の顔だった。見たことがある顔だが、黒兎がその顔を見たのは海の中だ。
あの時は意識が朦朧としていたから似ているのは気のせいだろう、とすぐに片付ける。
黒兎やエスタと同年代の少女の顔は、目鼻立ちがはっきりとしていた。意志の強そうな顔に見えるがその表情は少女らしくあどけない。
輝夜は月光国の美人でリタは月光国でも通用する傾国だが、少女は二人とは違う魅力があった。
当然、少女のあからさまな反応に面白くない表情を見せたヒルデにも魅力はある。知らないとはいえ少女はヒルデの地雷を踏んだな、と黒兎だけではなく虎獅狼も思った。
「ちょっと貴方? 何を勘違いしているのかしら。貴方を助けたのはヴィガではなくエスタよ。礼を言うべきではなくて?」
刺々しい声色のヒルデは無礼な態度の少女を睨む。その態度は悪役のようだがヒルデが正しい。
ヴィガとエスタの顔は確かに似ているが、髪の長さも瞳の色も違う。この二人を間違える人間は他人の外見をぼんやりと覚える人間だけだろう。
少女はぽかんと口を開き、ヴィガとエスタを見比べる。そしてぎこちなくエスタにお辞儀したが、視線はやはりヴィガに向いた。
「んな……!?」
ヒルデは口をあんぐりと開けて動かなくなる。ヴィガは見つめられて困惑している。エスタは寛容な性格なのかまったく気にしていないようだった。
「実は、声が出ないようなんです」
「先に言えや」
だとしてもヒルデは同じ衝撃を受けるだろうが。
ヒルデの反応の意味を理解していないのか、少女はヒルデに構うことなく全力で首を縦に振る。青色の瞳を潤ませる様は〝助けてくれ〟と言っているようだった。
「そうだったんですか……大変だったでしょう。私にできることがあるならなんでもします。家はどの辺りなんですか?」
ヴィガは立ち上がり、大広間の壁に掛けていた地図の下へと歩く。そしてマーヴァル王国に指で触れた。
少女はぎょっと目を見開き、今度は全力で首を横に振る。
「帰りたくない?」
ヴィガが尋ねると首は縦に振られる。エスタが心配そうに異母兄と少女を見守る中、ヴィガは「なら城で雇いましょう」と微笑んだ。
声が出ない少女はその分表情が豊かだった。明らかに微妙そうな表情をしているが、首は横に振らない。項垂れて、老年のメイドに連れ去られた。
晩御飯として出された肉料理に舌鼓を打つ。虎獅狼は黒兎よりもヴィガに感謝しており、遠慮なく人一倍食べていた。
ヴィガに雇われた少女はメイド服を着ており、死んだ魚のような目をしている。先に食べ終わった黒兎の皿を持った少女は、ヴィガには目もくれず大広間から出ていった。
黒兎は食べ続ける虎獅狼の胸ポケットからハインツを回収し、少女の後を追い掛ける。
キッチンに皿を置いて出てきた少女は大広間には戻ろうとせず、一人で外に出ていった。
「どうすればええと思う?」
「気になるかい?」
「表情がやかましいねん」
声が出ない少女の喜怒哀楽はコントをしているのかと思う程に激しい。静かな少女をいないものとして扱えば気にならないが、一度気付いてしまえば無視するのは無理だ。
少女はマーヴァル王国を囲む壁の扉を開け、エスタが散歩していたと言う砂浜に出る。少女が目指していた場所は砂浜ではなく海に飛び出した岩場だった。
辺りはゆっくりと闇に包まれていく。あともう少しで星々と双月が辺りを照らす夜になるだろう。
早く呼び戻さなければ──そう思って背中を向ける少女に近付いた。
「──もう。どうしてそんな顔をしているのよ」
可憐な少女の声に驚き歩みを止める。
「大丈夫? ていうかその服何?」
「私知ってる! メイド服ってヤツでしょ? ……え、うそうそどうして?! なんでメイド服着てるの?!」
「だから言ったでしょ、諦めろって。どうするのこれから」
「待って、諦めないで! まだ一日目なんだからなんとかなるよ! 頑張ろう? お姉ちゃんも考えるから!」
少女は誰かと話していた。だが誰と。少女の正面にあるのは海だ。
黒兎はまさかと思い歩き始める。そして海風の悪戯に遭った。
少女の長い赤髪から覗く項には花が咲いている。
ハインツに聞かなくても見ればわかる。
「ボーディル」
声を掛けると少女が勢いよく振り返った。驚いた表情を見せるのは目の前の少女だけではない。海に浮かぶ五人の少女も驚いている。
今更人魚には驚かない。
驚いたのは、六つ並んだ瓜二つの顔だった。




