第11話 敗 走
(大丈夫かな……エルミさん。
お願いだから、あたしの為にケガなんかしないでよ……)
そんなサリアの不安を余所に、クロスとエルミの間に満ちる緊迫感は、徐々に高まっていった。
2人は対峙したまま微動だにしなかったが、何もしていない訳では無い。
クロスの腕を見れば、筋肉の張り具合からかなりの力が蓄積されていることが分かる。
一方エルミは、クロスがいかなる技を繰り出してきても対応できるように、彼の一挙手一投足から目を離さぬように集中していた。
そして緊迫感がピークに達したその瞬間、
「いっくぜえぇ~っ!!!!」
クロスは、思わず耳を塞ぎたくなるような大きな声で叫んだ。
それと同時に、上段に構えていた剣を一気に振り下ろす。
その斬撃の延長線上にある地面には、何か不可視の存在が疾走しているかの如く、一直線に土埃をあげて溝が生じた。
(やはり、烈風刃!)
烈風刃――。
それは音速を超えるスピードで振られた剣から生じた衝撃波と、そこに込めた闘気──平たく言えば人体に秘められた生命エネルギーで、遠距離の敵を攻撃する技である。
達人の放つそれは、数十mを超える間合いを持ち、その間合いに踏み込んだ複数の存在を同時に斬り刻むことが可能だ。
だがエルミにとっては、その剣筋さえ読むことができれば、かわすことはさして難しくない技であった。
特に今回のように、地面に跡を残しながら一直線に突き進む衝撃波は軌道が読みやすく、タイミングさえ誤らなければ、ほんの数歩分の距離を横に移動するだけで脅威は無くなる。
しかしエルミは、その軌道の読みやすさを警戒するべきだった。
「!?」
エルミの上半身が大きく仰け反ったかに見えたその瞬間、彼の眼鏡が無数の破片をまき散らしながら宙に舞った。
いや、舞ったのは眼鏡だけではない、中には赤いものも混じっている。
「エルミさんっ!?」
サリアは悲痛な声を上げた。
無理もない。
彼女の視線の先ではエルミが、額からかなりの量の血を噴き出させつつ、ゆっくりと倒れようとしている姿があったからだ。
「よっしゃあっ、俺の勝ちだな!
野郎共、さっさとあいつを縛り上げちまいな!
連れて帰って、後でたっぷりと俺に手を貸すように説得しなきゃならねぇからな」
「う……説得って、あなたが言うと痛そうな気がするのは気の所為ですか……?」
地に臥したまま、エルミは呻くように言った。
「お? まだ意識があるのか。
見かけによらず頑丈な奴だな。
これなら、とことん説得できそうだな」
「うう……やっぱり拷問の間違いなんじゃ……」
「なに、あんたさえ素直に従えば、悪いようにはしないさ」
クロスはカラカラと笑った。
「……悔しいですが、不覚を取ってしまった以上、ここは従う他無いようですね。
しかし、十二翼が動いた今、最早サリアちゃんを攫う必要は無いでしょう。
その子は解放してあげてください」
そんなエルミの要求を聞き、クロスはサリアの方を見遣った。
「ふむ……確かにもう用無しだが……。
顔を見られたこいつを逃がすと、大陸中に似顔絵付きの手配書をばらまかれかねんからなぁ。
それで弱っちいくせに、しつこい賞金稼ぎに追われるのもうざったい。
とはいえ、こいつを連れ回すのも面倒だな」
クロスはじーっとサリアの顔を眺めてから、不意に意地悪い笑みを浮かべた。
「……見ればなかなかの器量良し。
どっか適当な町で娼館にでも売るかぁ?」
「しょ、しょう――!?」
サリアは裏返った声で悲鳴を上げた。
子供なのに、というかお嬢様育ちなのに意味が分かったらしい。
「娼館かぁ……俺、通っちゃおうかなぁ」
「ひぃ!?」
と、クロスの子分のバンダナ男が、よだれを垂らさんばかりのいやらしい顔でとんでもないことを口走り、サリアを脅えさせる。
その脇では「お、お前やっぱり……」と、仲間がどん引きしていた。
しかし、サリアは蒼白な顔をしながらも、
「や、やめてよね……。
もし通ってきたって、あんたみたいな金払いの悪い貧乏人の相手なんか、この高貴なあたしがするはずないでしょ。
まあ、ダイヤの指輪を買ってくれたら、手ぐらいは握らせてあげてもいいけどさぁ」
と、これまた高級娼婦じみたとんでもないことを口走っている。
どうやら娼館に売られた自分の行く末を想像して、彼女なりにパニックを起こしているらしい。
というか、心の何処かで「どうせやるからには成功して、独立してやる」などと思っているのかもしれない。
本当に末恐ろしい娘だ。
「な、なにをとんでもないことを言っているのですか……」
その言葉が誰に向けられたのかはともかく、このままサリアを攫わせる訳にはいかない状況なのは確かだ。
エルミは傷ついた身体を押して立ち上がろうとするが、まだ身体の自由が利かない。
「まあ、冗談だけどな」
クロスは悪びれた様子も無く笑う。
それを聞いてバンダナの男が残念そうな顔をしたが、皆無視を決め込んだ。
「だが、あんたに言うことを聞いてもらう為には、この娘がまだまだ使えることがよぉーく分かったぜ。
とにかく2人とも、俺達のねぐらまでご同行願おうか」
「く……」
悔しがるエルミを、クロスの子分達が縄で縛り上げようとした瞬間、
「!?」
「ゲホッ、なんだこりゃ!?」
唐突に周囲が白い煙に包まれた。
誰もが混乱する中で、クロスだけは比較的早く状況を把握して叫ぶ。
「オタオタするんじゃねぇ!
あの野郎が逃げてしまうじゃねぇかっ!
あの傷じゃあ、そんなに素早くは動けねぇはずだ。
手探りでもいいから捕まえろっ」
そんな指示も虚しく、煙が晴れた頃にはエルミの姿は消えており、クロスの子分達がお互いの身柄を確保するという失態を演じているだけであった。
「……まあ、いい。
囮は残していったようだし、そのうち姿を現すだろうさ」
と、クロスは、今しがたの騒動からまだ立ち直れず、茫然とした表情をしているサリアへと視線を向けて、唇の端をわずかに吊り上げた。
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