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第三十三話 最終話

いつまでも、輝いた自分でいたいのです。

 オフィスでパソコンに向かっているとスマホのバイブが震えるかすかな音がして私は手を止めた。鞄の中をチラッと見るとラインが入っており、ポップアップでメッセージが表示されている。桜木さんからだった。


 ──今日、そっち行くよ。夕飯そっちで食べたい。


 短い文章だけど、それで十分。積もる話は今夜会ったときにでもすればいいから。


 桜木さんが大阪に行って、そろそろ2年が経つ。イマディール不動産に入社した当時は27歳だった私は、既に30歳になっていた。

 10人しかいなかったオフィスは少し増員されて14人になった。綾乃さんは出産と育児のため長期休暇をとっており、私もいつの間にか『先輩』として新しく入った子達の面倒をみる立場になっていた。綾乃さん曰く、妊娠と出産、育児において最も辛いことはお酒を好きな時に好きなだけ飲めないことだそうだ。なんとも綾乃さんらしいいいようだ。

 仕事は慣れるにつれて担当する物件数も増えて忙しくなった。けれど、それ以上に任されることが多くなり、とても楽しい。


 いつも以上の頑張りで仕事を片付けると、私は会社を後にした。今夜は桜木さんが来るから、ご馳走を作って待っていたい。退社後に来るなら、私の家に着くのは早くても9時過ぎだろう。新幹線でお弁当を食べてもいいはずなのに、一緒に食べたいと言ってくれるのが嬉しい。


 夕食を作り終えてからテレビ番組をぼんやりと見ていると、ピンポーンとインターフォンを鳴らす音がした。画面を確認すると桜木さんだった。合鍵は渡しているのだけど、一応礼儀として鳴らしてくれたのだろう。


「ただいま、美雪」


 ドアを開いた先に立つ桜木さんは満面に笑みを浮かべていた。いつも機嫌は良いけれど、今日は特によさそうだ。


「いい匂い。なに?」

「ビーフシチュー」

「やった! パンとご飯両方ある?」

「あるよ。パンは固いやつ」

「さすが美雪!」


 桜木さんは大袈裟な位に喜んで私をぎゅっと抱きしめた。ビーフシチューは桜木さんのお気に入りの一品で、まずフランスパンのようなハードブレッドをシチューに浸しながら頂き、次にご飯と頂くのが桜木さん流らしい。初めてそれを聞いたときはパンとご飯両方用意するなんて、と、とても驚いたが、最近は言われなくても用意するようになった。ちなみに、シチュー系は全てそうだ。


 桜木さんは着ていたジャケットを脱ぐと、寛いだ姿でソファーに腰掛けた。私が付けっぱなしにしていたテレビ番組を横目にみつつ、こちらをうかがっていた。


「俺、今日はいいニュースがあるよ」

「いいニュース?」

「うん。でも、とりあえず食べたい。お腹ペコペコ」


 私はパンとサラダを用意し、シチューをよそう。桜木さんはそれを運ぶ。用意が出来たら2人で向き合っていただきますをした。


「それで、いい話って?」


 フランスパンをちぎりながら、私は桜木さんに尋ねる。よくぞ聞いてくれたとばかりに桜木さんが意味ありげに口の端を持ち上げた。


「俺さ、東京に転勤になるよ。4月から」

「え!? 本当?」

「うん。転勤の辞令は1ヶ月前だから。おととい辞令出た」

「やったぁ!」


 桜木さんはSAKURAGIに戻って以来、ずっと東京転勤の希望を出していた。やっとそれが通ったと言うことだ。

 食事を終えると桜木さんは私の皿も含めて流しに持っていった。いつも食事は私が作るけど、片付けは桜木さんが進んで全部やってくれる。こういう気遣いが出来るところ、好きだなぁって思う。

 桜木さんは腕まくりをしながらこちらをみた。折られたシャツの袖口から程よく引き締まった腕が覗いている。


「でさ、美雪にお願いがある」

「お願い?」

「俺の家を選んで欲しい」


 私はキョトンと桜木さんを見返した。家を探すのはお安いご用だが、私よりもはるかに桜木さんの方がこういうのは得意の筈だ。東京を離れて土地勘が無くなったから、探すのを手伝って欲しいということだろうか。


「どんな家?」と砕けた聞き方をしてから、私はふと悪戯心をおこして言いなおした。

「お客様、失礼ですがご予算とご希望の広さ、間取りはございますか?」

「うーん。7000万円で65平方メートル程度、2LDKあたりでどうでしょう?」


 洗い物を終えてホーロー鍋を水切りラックに載せた桜木さんも、私と初めて会った時の疑似お客様体験を思い出したのか、ニヤッと笑って正面に座った。

 私は内心でこの希望内容にとても驚いたが、ここは顔には出さずにすまし顔でメモをとる。まず賃貸でなく購入というのに驚いたし、予算も広さも全部が予想以上だった。


「場所に希望はございますか?」

「品川と広尾に通いやすい場所で。駅はどこでも」


 品川はSAKURAGIの東京支社がある。広尾は私が住む街と言うことだろう。私は「かしこまりました」と頷きながら手元のペンを走らせた。


「他にご希望や伝えておきたいことは?」

「もしかしたら、将来的には転売する可能性があります」

「はい」


 転売するなら値下がりしにくいところがいい。勤務先も考えて、品川区や港区などの城南地区がすぐに頭に浮かんだ。


「他には?」

「リフォームしてもいいんだけど、3口コンロとガスオーブンがあるところでお願いします。あと、大型食洗器も必須で」


 この奇妙な要望にはさすがにおかしいと思って私は顔を上げた。桜木さんは私をじっと見つめていた。


「美雪。肝心なこと聞き忘れてるよ」


 目が合うと桜木さんは少しだけ困ったような顔をして首を傾げる。私は信じられない思いで、震える唇から最後の質問を紡いだ。


「……お住まいはお1人の予定ですか?」

「結婚を考えてる彼女と住みたいです」


 そこまで言って、桜木さんは真顔でこちらをまっすぐ見つめた。


「美雪。俺の理想の家庭づくり、お手伝いしてくれませんか?」



 ***



 お昼休みにオフィスでスマホを眺めていると、隣に座る今年の新人ちゃんがキラッキラの目で私の手元に注目していた。


「藤堂さん! それ、凄くないですか!! ヤバいって」


 新人ちゃんがさっきからガン見しているのは私の左手の薬指だ。憧れていた高級ブランドの一粒ダイヤモンドが光っている。ヤバいというのは、普通よりちょっとだけサイズが大きいからだろう。


「藤堂さん。仕事辞めないんですか?」

「え? 辞めないよ」


 私は即答する。今のところ、会社をやめる予定は全くなかった。


「えぇ! なんで!? 働かなくても全然困らないですよね? 旦那さんSAKURAGIの御曹司ですよね?」


 新人ちゃんは信じられないと言った様子で両頬に手を当てて、まるでムンクの叫びのような顔をした。

 私はその様子を見て苦笑した。確かに桜木さんと結婚する私は金銭面では働く必要がない。でも、これまで頑張ってきた積み重ねもあって、この仕事をする自分に誇りがあった。


 桜木さんから教わった色々な不動産知識、綾乃さんから教わったさり気ない褒め言葉、尾根川さんから教わった人への印象をよくする表情の作り方。自分なりに勉強して、例えばお客様のことは出来るだけ名前でお呼びする、一度聞いた趣味のことなどを次の時にさり気なく聞く、バックヤードも踏まえて最良の物件を提案するなどのスキルも磨いてきた。それら全てが今の私を形作っている。


「なんで? うーん。自分なりに輝いていたいからかな」

「輝いていたい??」


 新人ちゃんは意味が分からないようで、こめかみに人差し指を当てて首を傾げる。


 携帯のランプが光り、ラインのメッセージが届いた。ポップアップが表れ、差出人は『寛人さん』と表示されている。


 ──今日は予定通り早く帰れるよ。一緒に引出物選びしよう。


 私は口の端を上げる。もし彼が転勤でまた大阪に戻ったり、自分が妊娠して育児に専念したいと思った時は仕事を辞めるかもしれない。けれど、今は恋も仕事も精一杯頑張りたい。


「うん、そう。輝いていたいから」


 私は笑顔で後輩に答えた。


 今までの頑張りの1つ1つが私の中で確かな自信へと変わってゆく。いつまでも『今の自分が1番好き』って胸を張って言えるような大人になりたい。

 1度っきりの人生だもの。後悔なんてしたくない。


 午後勤務開始の電子音が鳴る。リーンと電話が鳴り、私は電話を取った。


「はい。イマディールリアルエステートでございます」


 だから、私は今日もこう言うのだ。


「もちろんです。お客様の理想のおうち探し、全力でサポートさせていただきます」


 だって彼が一緒なら、1人より2人なら、私はどこまでだって頑張れる気がするの。



 





拙い部分が多々あったと思いますが、最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました!

この後に桜木サイドを入れるか迷ったのですが、とりあえずここで完結とします。


執筆にあたり、本作に登場する全ての街は下見しました。都心の街歩きがしたいなーなんて少しでも思って頂けたら、とても嬉しく思います!

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― 新着の感想 ―
[一言] とってもおもしろかったです!!! 主人公が頑張り屋さんで応援したくなったり、桜木さんがかっこよくてドキドキしたりとわくわくしながら読みました!また不動産の知識はほとんど無かったのですが、とて…
[一言] すごく良かったです。主人公が、オフィスラブで失恋して退職してから話が始まるという意表を突く出だしで、桜木が出てきたときは、王子様の登場!と食いついたんですが、大人な主人公では恋愛に発展しない…
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