飛竜の渓のワイバン .5
見上げる空は、霧に霞んでいてさっぱり見えない。きっとつい先程に見た空の通りならば、抜けるような青空が広がっている事だろう。
あ~、打ち付けた身体がいってえ。
「ディオ兄ちゃん! 大丈夫?!」
遠くから慌ててすっ飛んでくるラズの姿を、どうにか首を動かして捉え、弱々しくも辛うじて動いた左手を上げてそれに応えた。
あーあ、カッコわりぃな、俺。…………いつもの事だけど。
何があったかって? …………ぶん投げられたんだよ。
殴りかかった腕をいなされて、かるーく足を払われた。それだけなのに、身体が浮いて視界が回った。そして、かったい地面に無様に落下。その勢いこそは酷くなかったが、どっと背中の真ん中から落ちた俺は、一瞬息が止まった。
あとはもう、周知の通りだ。
「お前にしては上出来だろうな。張るべき時に張らない意気地すらないならば、こいつはこのまま放っておこうと思っていたくらいだ」
俺をぶん投げた青紫は至って平然としたまま、ものすっごく上からそうものを申してくれた。なんでこいつ、こんなに偉そうな訳?
でも、発言の端々は気に食わないが、ぶん投げた事を除いてそれほど腹が立っていないのが不思議だった。それが、俺がこいつに勝てないって解っているからそう思うのか、嗜められた理由がすとんと腑に落ちて納得してしまったせいなのか。
……考えるまでもない、後者故にだろう。
ラズに手を貸してもらって身を起こせば、丁度そいつが、ぐったりとしてうつ伏せているエンマの頭をするりと撫でているところだった。それは労りのようにも見えて、ここで守人をしているというのは本当の事なのではないかと、――――例えそうであろうとなかろうと、勘違いしてしまう。
青紫は、魔術を使うような素振りは全く見せていない。それだというのに、ある瞬間、まるでそれまでの事が嘘のように、ぱっとエンマは身体を起こした。
「大丈夫か、エンマ?」
俺にはさっぱり――――いや、エンマ自身も、自分の身に起きた変化に戸惑っているようで、じっと、その前に立つ姿を見つめていた。どうにか俺も、ラズと共にその元へ向かうが、不思議そうにされるだけだった。
俺の問いかけに答えたのはやはり、青紫で。
「大丈夫に決まっているだろう? これでこのワイバンは、ここの渓で自由に動くことが出来てしまう。だから少しばかり、こいつと貴様の行動に制限をつけさせてもらった」
「は? 俺?!」
「当然だろう? ワイバンだけの意思で同族を襲うようなマネをするものか。ここは飛竜の渓だ。そんな場所に空からの侵入を容易にさせてみろ。安住の地としている奴等にとって、不必要な外部との容易な接触は毒にしかならない」
毒って……。まあ確かに、野生のワイバンがテリトリーに敏感なのは知れた話だ。そうほいほい略奪者に侵入されていたら、たまったものじゃないと言うものだろう。けど。
「外部との接触ったって……なんでまた?」
「密猟は密猟を招き寄せる、そういう意味だ」
腕を組んでいる姿に、まあ、そりゃそうだな、なんて納得してしまう。『狩り場』と知れれば何処からともなくヒトは集まってくるもんだ。
でも、同時に疑問に思ってしまった。
「けどさ、それでもワイバンの玉子は外部に持ち出されているんだろ? それって意味がないんじゃ……」
「一部の渓谷を入り口として魔術や上空からの侵入手段が効かぬよう、ここに幻惑の結界を張る。それ以外の場を同じく結界で閉じてしまえば、必然的に内部への侵入者は篩かける事ができるだろう?」
さも当然のようにきっぱりと言い切られて、一瞬葉を失った。
「そこまで出来るなら、いっそのこと遮断してしまった方がよくないか?」
「ふ、ふ、ふ。閉じた世界になんの面白味があると言うのだ? 第一、彼らの命は彼らのもの。その魂がよしとするものをあえて断ってしまう事ほど、罪深き事はないと、そうは思わないか?」
「あ……はは。そう、かも?」
同意を求められても、反応に困る。言っていることは何となく解るが、似たようなことをしてきている俺には……、なあ?
だからまた曖昧に笑ってしまい、青紫にはじっと見られる始末だった。同じことをやってしまったかと思うと同時に、この気まずさを代わりにどうやって誤魔化せばいいのか、一人で挙動不審になる。
「えっと、あ……そうだ。まだお礼言ってなかったな。エンマを助けてくれて、ありがとう。俺らにはどうにも出来そうになかったから」
やっとの思いで捻り出せば、ひょいと肩を竦められた。
「別に、礼を言われるような事はしていない。己の張った結界に引っ掛かっていたものに、通行の許可を出した。それだけだ」
「まあ……そうだけど」
ばっさりと切られてしまえば、それ以上何も言えない。こいつほんと、どうしたらいいのよ。
また気まずくなるの、嫌だぞ。さっさと用件片付けてしまうか。
「それで、早速で悪いんだけどさ。なんであんた、俺をここに呼んだんだ?」
「……呆れて物も言えないというのは、こういうことなのだな」
聞けば呆れられ、言えば黙らされ、曖昧に笑って様子を伺えば蔑まれる。俺に一体どうしろと。
「お前の記憶が曖昧な理由に私が一枚噛んでいると、どうして疑いもしないのか、甚だ理解が出来ないな」
「は? ……って、お前のせいかよ! 酔っぱらって記憶を無くしたかと思ったわ! 何やら話し込んだらしいのに全く記憶にはないし!」
「話し込む? 何の事か解らないが、少なくともあの場では二、三話した程度だ。お前を眠らせたのちに、ここに来るよう伝えてくれと、あの酒場の店主に言付けただけだが」
つらつらと状況を語られて、俺は一呼吸程の間、思考が停止した。そして。
「…………イクスカぁあああーロおおおン!」
俺の怒りは振りきれた訳で。
あの野郎、またやりやがった! よりにもよって誇大伝言!
よくもまああれだけスラスラと、如何にも俺がへべれけだったみたいな言い方しやがって! 絶対あいつ、言いくるめられた俺を見てにやにやしているだろうよ!
くそっ! 人が不安から下手に出ればそういうことしやがるんだもんな、ふざけやがって!
今度という今度は許さねぇ! 絶対に目にものを見せてやる!
「熱り立っているところ悪いが、今日お前に来てもらった本題に入らせて貰おう。こちらとら多忙の身でね。だらだらと話している時間なんて惜しい」
一人、内心で大騒ぎしているつもりが、がっつり外に出ていたらしい俺は、青紫のそんな言葉にようやく我に返ってきた。ラズがエンマの影に隠れていたのには、何だかショックだった。
うん、まあ、悪いのは俺だ。いいんだ、いいんだ。
「本題? 何だよ」
「お前に問おう。お前にとっての良き暮らしというのは何だ?」
え、何それ。急に、スフィンクスが出すみたいな答えづらい問いかけ。なぞなぞ?
つい、ちらりとラズやエンマの方を伺えば、「お前自身の心で答えろ」 なんて、釘を刺されてしまう始末。うげっ。思考回路読まれてら。
「では、問いを変えよう。そこの竜とは、どうあろうと思っている?」
「どう、って……。ラズは大切な弟だ。俺の手から離れる日まで、一緒にいるつもりだよ」
しどろもどろになって、どうにか答える。
それにしても。アナタノ幸セナンデスカー? の、次は、俺主観の良い暮らしは何ぞや? だと?
……物凄く困る。
それがしっかりと表情に出ていたようで。
「……まあいい。今はあちらを片付けるべきか」
妙な問いかけぶん投げるだけぶん投げておいて、自分はくるりと踵を返した。
「あ、おい! 待てよ!」
「来たければ来るがいい。別に、無理矢理追い付こうとしなくとも、こちらに真っ直ぐ来れば霧から出られる」
颯爽とした歩みは止めずに霞の中に消え入ろうとする姿を引き留めようとすれば、自分で勝手について来いと、そういう事か。
えー……。でもさ? ちょっとくらい待ってくれてもいいじゃねぇか。俺ら、料理しようとしていた途中だから、色々道具が出しっぱなしなんすけど。火の始末とか。
あぁ~もう!
自由人にも程があるだろ! どう聞いたって、今のはついて来いって言ってるもんじゃねぇか、ったく!
「ラズ、すぐ追うぞ。片付けだ」
「え、でもこの刻んだ野菜とか、どうするの?」
「鍋の水捨てて、そん中入れとけ。俺は道具を放り込んでくるから」
結果。ほら、こんなにも慌ただしく片付けるハメになるんだもんな。
ニワトリの次は野郎のケツ追っかけるのか。あーあ、嫌だわぁ。やってらんねー。…………はあ。
俺にとっての『良き暮らし』って、マジで何?
そのままに捉えていいなら、『街中にひっそりとある一戸建ての家でのんびりと優雅に過ごすこと』以外の、なにものでもないのだが。のんびり暮らしたい、以外に何かあるのだろうか?
……うん、解らん。
ひとまず考えるのはやめよう。思考放棄。
慌てて片付けてあいつが消えた方へと急げば、思っていたよりもすぐにその姿を見つけて、何だよと、つい、溜め息をこぼしてしまったのは仕方がない。
こんだけガスってるのにすぐに追い付くなんて、どう考えてもあいつ、俺らの為に待っていたのか、歩調を緩めてくれていたのか。いずれのどちらかにせよ、人に気がつかせないようなところに優しさ(?)が見受けられるのは、照れ隠しか何かなのだろうか?
なんでもいいけど、何分解りづらい。相変わらず質問の意図はさっぱりだし。
エンマの手綱を引いて、ラズと連れ立ってその背中を追いかける。そういえば、珍しくラズが人見知りしていないな、なんてふと思う。
まあ多分、ラズにとって『害』にならないと見たのか、そんなところではないだろうか。もしくは並大抵では敵わないと見たのか。前者はともかく後者だったら、……困ったな。太刀打ち出来ないって事じゃねぇか。
無事に通り抜けるためにも、青紫の満足のいく答えを用意しないといけないだろう。さあ、困ったぞ。この煩悩にまみれた思考回路で、果たしてそれが出来るのだろうか?
俺の幸せ? のんびり過ごす事。
俺にとってのいい暮らし? だらだら生活出来る事。
……うん。ま、自分がダメ人間だって知ってた。
出来れば暫く考える時間が欲しい。贅沢は言わない、せめて一か月ほど……。なんて願いも空しくて。
なんか視界が妙に明るいことにハッとして空を見上げれば、頭上を覆わんばかりの絶壁の向こうに透き通るような青い空が広がっていた。
ああ、まだ本当に昼だったのか、なんて、アホな事を思う。
先を颯爽と行く青紫の背中が恨めしくて見やれば、そこに広がっていた景色につい、見惚れてしまった。
ずっと向こうまで続くのは、岩肌が露出して赤茶けていながらも、緑が多く見られる絶壁。閉塞感なんてあるはずがない。エンマがまるで縮んでしまったのではないかと勘違いしてしまうほどに、絶壁の底は広かったのだと改めて知る。
そして壁と同じ道をたどるのは、驚くほど透明で空の色を映してきらきらと輝いている湧水だ。透明過ぎて、そして底が深いようで、深い蒼が底に横たわっているかのようだ。
水はきれいすぎると生き物は住めないと聞いたことがあるが、まさにそんな様に見える。実際、じっと目を凝らしてみるが、揺蕩う水の流れに魚影を見つけることは出来なかった。
……おい。ここの川魚が旨いっていった奴はどこのどいつだ。そもそも魚、いねえじゃねえか。
そして、どこからともなく聞こえてきたのは、ばさりという、なんとも力強い羽ばたく音。つられて先の空を見やれば、その姿を初めて見た。荒々しくも逞しい、獰猛さすらもにじみ出ている気がする野生のワイバンというものを。
黒に近いその体色は、エンマと比べて生きた年月の違いだろうか? そのせいもあって、尚更エンマとは別の生き物なんじゃないかと疑ってしまう。こうして見ると、ヒトに飼われているワイバンとの違いがはっきりと解ったような気がする。
なんというか、こう、『野生!』 感が違う。……我ながら表現が貧相で泣けてくる。
まあでも、外見の美しさなら、我が姉御に勝るやつはいないだろう。それだけは確かだ。
さておき。そんな時の事だ。突然、あからさまに異常事態としか思えないようなワイバンの咆哮が、渓に響いてきたのだった。
つい、景色に気を取られ過ぎて、すっかり謎かけの事なんざ頭から消え失せていた俺は、はしゃぎ過ぎたのだろう。のどかな景色に響いてきたそれに、驚かされなかった訳がない。
「っ…………?! なんだ?」
「やれやれ。今日の客はまたやけに食い意地が張っているらしいね」
先の青紫は足を止めて右手を見上げたかと思うと、にやり、笑うのだった。途端、『ああ、あのヒトたち終わったな』なんて、察してしまう。
つい同じように見上げれば、絶壁の中腹ほどに棚田が見られ、よくよく見ればそこまで足掛かりの補助の為か縄がかけられていた。
おお……よくやるなあ、なんて、不覚にも感心してしまったのも一瞬だった。そこそこ離れている筈なのに、青紫から感じる殺気なのか冷気なのか、あるいは漏れ出している魔力なのか。何でもいいけど、それを肌で感じてぶるりと身震いしてしまっていた。この先が、コワイ。
このヒト怖いよー。
え? この、つい合わせてしまっている手はなんだって?
合掌ナンカジャナイヨ。ナムアミダブツ。
俺は我が身が可愛いから、先の声の持ち主たちを、喜んでスフィンクスに献上しようと思うんだ。




