《番外編》 蟷螂之斧.1 *
追加エピソード
幼いころの話だ。
「何を言ってもロクに反応もしない、気味の悪い子」
「わけの解らない事ばかり呟いていないで、あっちに行け! この穀潰しが」
俺とおんなじ顔をしていながら、そいつは言葉が通じていないみたいにいつも、どこか遠くを見てぼんやりとしていた。そのために、両親は口癖のように『そいつ』に向かってぼやいていた。
だから必然的に、俺もそいつのことを『そういう目』で見て、嫌煙していた。同じ顔をしているくせに、もう『半分』ができそこないのせいで、俺の評価まで下げられるような気がしたから。いらいらする。
そいつがまともに言葉を発していた事は、恐らくなかったと思う。いつも口の中で何かを呟き、一人でその『何か』を完結させる。一度そいつに気が付かれるまでじっと耳を傾けていた事はあった。
「……水頭……ルシーをつ……? い……高さがないし、解ら……。歩測一万と三……流す、め……上流の勾……いや……テムはポンペ……か…………ら、ルブの代……」
だがそれは、おおよそまともな奴の言葉には聞こえなかった。
その瞬間理解したものだ。ああ、こいつは俺とおんなじ顔をしていながら、フツウではないのだ、と。こちらの言葉が通じていないのと同じように、向こうの言葉も俺は理解できないようだ、と。
だからほとんど同時に生まれて来た筈のそいつとの会話は、今までまともにしたことはなかった。
ただ、こちらの言葉の意味を理解していなくとも、恐らく煙たがられているのはよく理解していたのだろう。両親に邪険にさせる度に、もの言いたげな目を伏せて、そっと姿をくらませていたそいつを、哀れだとは思わなかった。
当然。
……そう。言ってしまえばそれは、すべてが当然の流れだった。
俺らの住む村はそれほど豊かではない。
常日頃から丁寧に手入れをしなければ、収穫量の見込めない荒野の片隅にある俺の村では、どんな子供でも働き手だ。だから村の人は朝早くからあくせく汗を流して作物を作り、時折町に出てそれを売り、村で手に入らない必需品を持ち帰ってくるような生活を送っている。
村二つほど向こうの町にある、村出の奴でも受け入れてくれるという学舎に通って知識を得れば、きっとそんな貧しい生活も変わってくるだろうが、生憎そんな時間の余裕はない。
加えて『同じ顔のできそこない』は、俺と同じ農作業をしても倍以上の時間がかかるから、目障りったらありゃしねえ。両親も余計にいらついてこっちにお鉢が回ってくるから、いつからだったか畑仕事も手伝うのを止めさせた。
はっきり言ってしまえば、居ない方が早く片付く。
多分、あいつだって居心地の悪い思いをしながらの農作業は苦痛でしかなかったのだろう。それから解放された途端、今度はあたりを放浪し始めた。
村に居ない事はもちろんの事。隣の村との共同の水場にふらりとあらわれて、川に落ちたあいつを隣村の者に届けてもらった事もあった。
決して仲がいい訳ではない隣村の者に礼を言うのは、両親だっていい気はしない。珍しく楽しそうにしていたそいつを罰として厩に閉じ込めていたのは、今でもよく覚えている。
ああ、ますます俺がしっかりしないと、親父もおふくろも、あいつに気をもみ過ぎて疲れてしまうだろう、と。子どもながらに思った。
だから。
「学舎に行きたい?」
「ああ。学舎で学んで、この村の生活を少しでも楽にしたいんだ。もちろん畑仕事をおろそかにするつもりはないから、三日に一度でも、四日に一度でも良い。兎に角行くことを、認めて欲しいんだ、親父」
まっすぐにその姿を見据えれば、驚きながらも真剣に考えてくれている風な親父の姿があった。おふくろと見合せて、呆れからなのか感心からなのか溜め息をこぼしていた。
「お前がそんな事言い出すなんてな……」
「少しでも、出来る事をしたい。それだけなんだ」
心からの言葉だった。それが伝わってくれたのだろうか。すごく悩ましそうにしてはいた。それでも、「いいだろう」 と頷いてくれた。
「なによりも、お前の事だ。畑の事も、学舎でも。きっとすべてをこなしてくれると信じているよ」
そんな言葉を、今でも時折思い出す。信じて送り出してくれたこともそうだが、何よりも閉塞としたこの村の外で学びを得られるという事が嬉しかった。
学舎通いを始めてすぐは、どんなことでも初めて知ることが面白かった。
学舎は俺のように、小さな村から出て来たものが多い。そのために、村同士による確執や学びの進展の差は存在した。でも、そんなものは些細な出来事に過ぎなかった。
読み書きにカンタンな算術を習得してからは特に、周りに構っている暇もなくなった。そんな暇があるならば、と、学舎の書庫に足を運んで蔵書を読み漁った。
時には何日も学舎に来られないからと、学舎の教師に拝み倒して、貴重な蔵書の写しを持ち帰った。畑仕事の合間や、終わってから日が暮れるまでのわずかな時間に読みふけったものだ。写しを貸してくださったのは、本当に有りがたい事だった。
そう。同時に畑仕事も手を抜くわけにもいかなくて、あの頃は本当に忙しかったと思う。いっそのこと畑仕事がなければよかったのにと思ったくらいだ。
知ることが面白い。
畑仕事の役に立つことも、立たない事も……いや、立たない事の方が面白く感じた覚えがある。兎に角いつからだったか、他のどんなものも忘れてしまうくらいに、俺は『新しい事を知る』 事に、夢中になってしまっていた。
今思えば、あいつが何をしているのか、周りからどんな扱いをされているのか、最も知らない時期だったように思う。第一、俺はその時自分の事で忙しかったんだ。仕方ない。
そんなある日のことだった。俺は学舎の書庫で溜め息をついた。
そろそろ収穫期も近づいてきている。また早くて三日も学舎に来れなくなるのかと思うと、うんざりせずには居られない。
俺の憂鬱は誰かに知られることはない。早く村に戻らなくては。そう思って荷物をまとめていたら、通りかかった学舎の先生に呼び止められた。
「そうだスクロイ、この前君が持って来ていた覚え書だけどね、教授のところにもっていったよ」
「……はい?」
突然何の話なのか、よく解らなかった。釈然としていない俺を他所に、先生は笑う。
「教授は大層驚かれていたよ。どこであんな計算式知ったんだい?」
「ええと……」
「ああ、ごめんごめん。君の努力の成果だ。責めている訳じゃないんだよ。積極的に見聞を広げて、何かに取り組むのは良いことだ。――――ああ、それと、こっちが本題。君がこの前書いてくれた写本、珍しく一ページ飛ばしてしまっていたみたいだからね、私が書いて足しておいたよ」
「え……?」
確かに先生は普段からお喋りだ。要る知識、要らない知識を全てない交ぜにして喋るから、学ぶ方としては戸惑う事は多い。
だが今回ばかりは、身に覚えのない事だとはっきり言える。
「あの、先生。この前のって、いつの、ですか?」
「ん? 一昨日書いてくれた奴だよ。ほら、君が貧血でふらついていた時だよ。あれから大丈夫かい?」
「一昨日……」
途中から、先生の話が入ってこなかった。
この前のも何も、俺は一度として写本を書いたことはない。いつだって、写されたものを借りて読んでいただけに過ぎないのだ。
そして二日前。その日、俺は学舎に来ていない。間違いなく、収穫前の畑仕事に駆り出されていた。
「あの、先生。この写本を俺に貸してくれていたのって、先生の善意で、ですよね?」
「ん? まあ、善意と言えばそうかもしれないが、君が写本にするから貸し出してほしいって言いだしたんじゃないか」
今更おかしなことを言うね? なんて笑う先生の言葉が、よく解らなかった。ざあっっと、耳元で血の気が一気に引いた気がした。それどころか、指先が冷たくなった。
心当たりなんて、一つしかないに決まっている。
おんなじ顔で好き勝手していたあいつが、ここにも来ていたのか、と。
でも、なんで写本なんて書いていた? 疑問と混乱と、俺の名前を語った怒りがごちゃ交ぜになって気持ち悪い。血が脳に一気に逆流してきたかのように、耳元でどくどくと脈打つ音がうるさい。
気が付いた時には、荷物も何もかも放り出したまま、学舎を飛び出していた。
「スクロイ?!」
驚いたような先生の声に、構ってなんかいられなかった。
今は兎に角、あいつを問い質さなくては。そんな思いから懸命に走るが、村二つ分の距離は遠い。
いつもは、太陽が少し傾くほど歩いてやっとたどり着くくらいだ。その間、習った事に思い馳せる時間が何よりも至福だった。
だが今は、どれだけ急いでも、まるで前に進めていないように錯覚してしまう。これほどこの時間が必要ないと思ったことはない。
やっとの思いで村にたどり着いたら、珍しく村の人達が、畑仕事をしている訳でもないのに家から出ていた。
何かの集会でもしているのか? 収穫が控えているからか?
そんな疑問を感じながらも、今はそれどころではない。
「おふくろ、あいつはいるか?!」
いつもは絶対にしないが、今日ばかりは飛び込むように扉を開け放って訪ねた。
「あらっ? 今日はえらく早いわね、スクロイ」
何かあったの? と訪ね返してくれるが、今はそうじゃない。「あいつは?」 と再び尋ねると、そんなものは聞きたくないと言わんばかりに眉をひそませられた。
「……スクロイ、大事な話があるの」
「おふくろ、今はそれどころじゃ……! すぐにあいつに聞きたいことが――――」
「あのね、スクロイ。『その子』の話よ。もう、あの子はここに、戻って来ないわ」
「は……?」
一瞬、何の事か話が理解出来なかった。おふくろがこんな訳の解らない事を言うなんて、何の冗談だろうか、と。
でも、彼女の中で俺に伝えたいことは伝えたつもりらしい。
「村の総意よ。なら、仕方がないでしょう?」
もうこれで、私たちも肩の荷が降りるとか、なんとか。ふらりと部屋の奥に消えて、自分達の『仕出かしたこと』を正当化して呟く姿は、いつも何を言っているのか解らなかったあいつよりも気味が悪かった。どういうことか、バカな俺にも解るように、もっと丁寧に状況を説明して欲しかった。
そんな彼女の背中を見つめながら、どれくらいその場から動くことが出来なかっただろう。
『村の総意でここに戻ってこない』って一体どういう意味だと、呆然としてしまったものだ。
あれほど必死に本から学んでいた筈だと言うのに、おふくろの言葉が解らない。
「っ…………!」
違う。
理解したくないだけだと解った途端、息が詰まった。その場に止まっていたくなくて、慌てて外に飛び出した。
村の奴らが、遠巻きにこちらを伺っている。声こそはかけてこないが、何が起こっているのか判断するのに容易かった。そうでなければ、俺の顔を見て驚愕したり、居心地が悪そうに目を反らしたりしない。
村の総意で、あいつを口減らしの対象としたのならば、多分まだそれほど遠くに行っていない筈だろう。そうでなければ、村の連中があんなにも森の方を気にしている筈がない。
呼び止めようとした人も、中には居たのかもしれない。
解らない。その時の俺は、俺と同じ顔をしたあいつを探すことで頭が一杯だった。
村の連中が森に入っていく時に使っている獣道に飛び込んで、枝葉に引っ掛かれようが根に躓こうが、お構いなしに走り続けた。走って、走って。思えばろくに口も利いた覚えのない、あいつの事ばかり考えて必死だった。
ぬかるみに、足が取られて派手に転ぶ。泥まみれになるなんて、畑仕事をしていたらしょっちゅうだ。今更気にもならない。
だが、そのぬかるみの中にあったものは気になった。自分のものとは違う、新しい誰かの足跡を見つけて『これだ』 と思った。
間違いない。挫けてしまいそうになった想いが、居ても立ってもいられなくなった。
地を、強く叩いて身体を起こす。泥が顔に向かって跳ねてきても、知ったことじゃない。
「っ、ディオ……何処だディオ! 返事しろ!」
声を上げてみたものの、空気を求めて喉は掠れて、ろくに叫べなかった。でも、森の何処かであいつが振り返った気がして、やっぱりこの先に連れていかれているのだろうと理解する。
理屈じゃない。
でも、確信があった。
「くっそ……!」
獣道を、また走る。
道をたどればたどる程、辺りは鬱蒼としてくる。森の奥に、確実に向かっている証拠だ。
日が暮れるまであとどれくらいだろうか。
あいつを連れている親父たちだって、真っ暗になる森の中を歩きたいとは思わない筈だ。きっと、そんなに遠くない。
運が良い、と言えばいいのだろうか。或いは悪いと言えば良いのか。獣道から逸れた森の中から、話し声がしてハッとした。
気がついた時が早くて助かった。慌ててはいたけれども、音を立てないように茂みに分け入り、木の影に隠れる事が出来た。
まるで、俺が隠れるのを待ってくれていたみたいだった。入れ違いで獣道に、親父と村の奴が二人で連れ立って現れた。
「本当にお前もこれでいいんだな」
「ああ……問題ないさ。かえって気が楽になった。何をしてもあれは、ずっとぼんやりとしているくらいだ。今回の事だってほら、もしかしたら解っていないか気がついてないかだろうよ」
「……そうか。いや、それもそうだな。痛め付けても反撃してくるどころか、声すら上げなかったもんな……。いいじゃないか、お前のところにはちゃんとしっかりものがいるからな」
まあな、と溜め息を溢す親父の表情は、既に影って伺えない。でも、少なからず気に病んでいる様子がなくて、ぞっとした。
「片割れが優秀だからって、もう一方にも期待していたが……期待外れとはこういうことだな」
「ははっ……そういうものだろう? むしろお前が羨ましいよ。揃いも揃って愚図しかいないよりは、いいじゃないか」
「ああ……。まあ、それもそうだな」
談笑して去っていく背中を、ただ息を殺して見つめる事しか出来なかった。見つからないように、見つからないようにと、呼吸を止めようとすればするほど、吐き気がこみ上げた。
「う……」
堪えようとして一度は飲み込みなおしたものの、ついには喉を焼く饐えた匂いが、これ以上耐えられない事を知らせてくる。
「……ぅげぇ、ッ…………!」
鼻の奥を詰まらせて息を吸おうとすれば、呼吸が途切れて余計に苦しかった。視界をぼやかす涙の理由が、気持ちの悪さから来ているのかすら、その時の俺には解らなかった。
幸いな事に、親父たちは俺の嗚咽が聞こえないほど離れてくれていたらしい。多分、日暮れが目前だからだろう。
戻ってくる気配がないのだと思うと、途端にほったした。
自分でもおかしく思える。胃の中身が空っぽになるまでこうしていられる事が、これほど気楽だなんて。
この、胃をねじり絞るような感覚が晴れるまで地べたに這いつくばっていられる事も、村に戻らなくていいこの現状も、俺の気持ちを何よりも軽くした。
だが、こうしてばかりもいられない。身動きが取れない状況の中でも、ずっと忘れて意識の外に置いていた筈の姿の事が気になって仕方がなかった。
辺りが暗くなる。
吐き気が治まらない。
このまま『おわる』まで、こうしている方がいいのかもしれない。
ああ、ホント。一体俺は何のためにこうしているのだろうなあ。
そんな、ある種の絶望すらも感じたような気がした。だがそれは、到底俺が感じていいものではないのだと思うと、余計に苦しくなった。
どれくらいの時間、そうしていたかは解らない。
親父が目の前を通り過ぎてから五分と経っていないのかもしれないし、もう日が完全に落ちてしまった後かもしれない。俺がするべきことは何だったのか、大切にしていた筈のものはどこに行ったのか、解らなくなっていた。
だが不意に、獣道の向こうががさりと音を立てながら揺れてハッとする。
そうだ、ここは森の中だ。夜は特に、夜行性の動物やモンスターが動きを盛んにする時間だ。こんなところに居ては、肉食の生き物に襲ってくれと言っているようなものだ。
同時に思う。
あいつは畑仕事をしていてもしなくても、兎に角俺よりも貧弱だった。獣に出会えば、間違いなく命はないはずだ。
村の連中はそうなるように、あいつをこんなところに放り出した。ならば今、俺があいつを見つけ出してやらなかったら、もう――――。
そう思って顔を上げた、刹那だった。
「誰か、居るのか?」
囁くほど小さな声だと言うのに、落ち着きを伴った俺の声が向こうから聞こえてきた。
違う。声を発したのは俺ではない。
同時に目が合ったのは、間違い様もなく、たった今探さないといけないと思ったはずの姿だった。




