ディオ子とラズ美.8
「はあっ……はあっ……はあっ! っ……くそっ!」
くるくる、くるくると。
登り行くのは螺旋階段。一段飛ばしに駆け上がるも、息が吸えないせいでちっとも進めている気がしない。
はじめは塔に沿ってぐるりと回っていた螺旋階段も、今では随分切り返しが早くなってきた。目先では、上に続く階段を手に触れる事すら出来そうだ。
とはいえ……。ちょっ……マジでもう無理! 肩がぜいぜいと上下する。苦しすぎる!
……ああ、もう! 誰も見てねぇし、いい、よな?
俺はシャツの下で、背中でキツく結い上げられている紐の端をつかんだ。リボン結びされてるコルセットの紐を一息にほどくと同時に、肺に力を込めてコルセットと身体にゆとりを得る。身体がぎしりと痛んでも、この苦しさから逃れられるならば気になりはしない!
「ぷはっ!」
深く、吸って、深く吐く。深呼吸の空気って、こんなにも旨かったんだなって、しみじみ思う。
ちらりとシャツの下を覗き見たら、すぐに見た事を後悔した。絞り上げられた事により、みみず腫が幾重にもついていた。そして、真っ赤になっている哀れな柔肌が目についた。
柔肌……ホント、マジで柔い。泣けてくる。
いや、ホントに見ているだけでヒリヒリしてくるから止めよう。
もうあと一息で、尖塔の先にあるという展望台に出ることが出来る。それまでの辛抱だと、気持ち改め走り出す。
頼む、エンマ。頼む、ラズ。どうか事を大きくしないでくれ。
時おり聞こえてくるどおんっ! という音が、エンマじゃなくて先程のソアラさんであることを切に願う! ソアラさんなら、暴れて構わない! 頼むからエンマもラズも暴れないでくれ!
……失礼? いやいや、失礼でも酷くなんかも無い!
所々に明かり取りで小窓が開けられてはいるものの、そこから態々確認する暇すらも惜しい。
程なくして、俺は階段を上りきった。人間、死ぬ気で何かを成そうとすれば、どうにかなるもんだなあ……。なんて、額に滲む汗を振り払いながら思う。
ふらふらしながらも、やっとたどり着いたゴールの扉を押し開ける。……が、扉はめちゃくちゃ重い。
どうも上空なだけあって、風が強いらしい。ふらふらの俺には、その風に抗って扉を開けるだけで一苦労だ。
笑える。いや、現に疲労から膝が笑っている。
「こなくそっ……!」
ぎっと重々しく軋ませながら、やっとの思いで開け放った。
途端。眩しさに目を反らしたのは一瞬で、眼下の光景に俺は慌てて出窓の先へ駆け寄った。
窓から見えた光景の中、真っ先に目に留まったのは冷めた目で地上を睨むラズと、同じく周りを威嚇しているエンマだった。揃いも揃って相当お怒りのご様子だ。ラズの竜紋、久しぶりに見てぞっとする。
ばきばきと、音を立てて崩れているのはエンマが掴む登楼の頭だ。まるで発泡スチロールでも砕いているかのように、塔は呆気なく瓦礫に代わり行く。
えーと、あんま壊さないでやってくれないか。修理のための過剰請求が来そうで怖い。
次に目についたのは、地上から懸命に落ち着くよう呼び掛けているソアラさんの姿だ。沢山の信者が遠巻きにする中、中庭から精一杯声を張り上げている。
あーあー、降り注ぐ瓦礫に右往左往しちゃってるよ。
っつーか、あのくそ野郎どこ行ったんだよ。既にその姿は見当たらなくて、その勝手さに呆れるしかない。
って、言うかさ。
俺、こんなにも地上にギャラリーいる状態でラズ達を説得しないといけないのか?
恥ずかしいにも程があるんですけど! 汚点だろ、汚点! 恥さらしもいいところだよ!
いやいや、だけども! このまま放っておけば、この王都の半壊は免れない。さすがにそれは、寝覚め悪いぞ!
もう、意を決するしかないだろう。
「ラズ! エンマ!!」
形振りなんて構っていられなくてその名を呼べば、底冷えする視線を向けられた。
「いっ……!」
背中を下から上へ撫で上げるような、悪寒。けれども、それも一瞬で過ぎ去る。
「兄ちゃ…………!」
ぱっ、と。ほんとに単純すぎて可愛く思えてくるくらいに、俺の姿を見つけた途端に、ラズの表情は輝いていた。
その事に心底ホッとして、手摺から身を乗り出す勢いで出迎えようとしていた。
それに釣られて、こちらに大ジャンプしようとしてきた義弟が、マジで単純すぎて可愛い。つい、口許が緩んでしまいながらも、俺だってラズ達が無事な事が心から嬉しかった。
ああ、特別なことをしなくたって、危機的状況なんてもんは、心が繋がっていればいくらでも乗り越えられるんだな。そんな事を、柄にもなく思う。
呆気ないにも程があるって思われても仕方がない。そもそもこんな大事にしたどこぞの阿呆がいけないんだ!
さあさ、俺らの街にさっさと帰ろうぜ!
エンマもろともこちらに飛んできて、地上からは悲鳴が聞こえた。
いやいや、ウチの子達ですから、そんな誰か襲われてんぞ、みたいなリアクション止めてくださいよ。大体、理由もなしに暴れる筈がないでしょう?
なーんて、ついつい得意気になって笑ってしまう。ワイバンがお嬢さんを突き落とそうとしている? いやいや、よく見てくれよ。頭刷り寄せてきているだけですから、ウチの忠犬。いや、忠竜?
なんでもいいや、はっ、はっ、はっ!
…………………………けど。
俺の考えは、甘かったという事を知る。
グルルルルルと、今まで聞いたことのない唸り声。敵対している獣が相手を威嚇している時のような、そんな低い、威圧的なそれ。
あ、れ?
えーと、エンマさん。俺の側にエルフ野郎でもいるのかって、誤解している?
「えーと、なあラズ。エンマは、何に対して威嚇しているのか、聞いてもいいか?」
「えっ! え、えっとー……」
しどろもどろ、きょどって視線を反らすラズが怪しい。けれど俺が促すよりも先に、エンマによってラズの逃走経路は阻まれた。言え、と。珍しくもそう主張しているらしい。
「ええっと、兄ちゃん。気を悪くしないで、ね?」
「え? あ、うん……」
貧弱が、迷惑かけてくるんじゃねぇ、とか。そういう類いの事だろうか? それは……まあ、確かに悪いことしたなって、自覚はある。その事については、二人が許してくれるまで、俺は誠心誠意をもって謝罪するつもりだ。
……けど。
早計に決め込んで余裕を見せていた俺を、後から思えばぶん殴りたい。
「えっとね、兄ちゃん。……その、猛省して? って」
「はい?」
何について? なんて、聞く隙も余裕もなかった。
俺が訪ねるよりも先に、ぱくり、俺はエンマにくわえられていた。下から一際悲鳴が上がり、あの人食われるぞ! と、縁起でもない声が聞こえた。ちょ、やめてほしい。
帰るにしても、また宙ぶらりんかよー。勘弁してくれよー。
そんな冗談を口にするよりも先に。
「ひあっ……!」
二、三度。助走をつけるように、エンマにくわえられた状態で振り子のように振り回されて。
まさか? そんな、まさか。
冷や汗が浮かんできた頃には、耳元で風がひゅんひゅんいい始めていた。
「えっと、あの……エンマさん? ちょっ、苦し…………ってか! え? 嘘だよな?! 冗談だよな?!」
ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと!
え、これってこのままぶん投げられるコース?!
え? え?! 嘘だよな?!
「あのね、兄ちゃん。舌を噛んじゃうから、口は閉じた方がいいよ」
苦笑混じりにラズにそんな事言われてしまうだなんて!
いやいや、俺が欲しいのはそういう言葉じゃなくてだな!
え? うっそお?!
エンマさんのお怒り、そこまでっすか?!
「あのね、兄ちゃん。エンマが…………『少しは物事決めるのに、後先くらいは考えて?』 って……」
「いや、でも待――――――――――!!」
なんてラズの言葉を最後に、俺は。
一際風が唸りを上げて、蒼穹の頂点へと旅に出た。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!! ごめんってええええええ!!」
地面は遠退き、人がごみ粒に縮んでいく。
あれほど高く見えていた建物が、あっという間にジオラマに。
そして、いつもエンマの背中から見ている筈の、世界の縮図に変わっていった。
広がる視界はどんどんと丸みを帯びていき。
地平線のなだらかな湾曲と、天嶮の山脈が一筆書きへと代わり行く。
え、ちょ、え?!
これ一体何処までいくの?!
気がつけば雲の中を突っ切っていて、じたばた手足を動かしてみても、一向に止まる気配がない。
っつか、指先冷えて来た! 雲の中の水分を浴びて、ちょっと、一気に体温下がってめちゃくちゃ寒い!! 寒い!!
へっぶし!!
やばい! 鼻の中かぴかぴになってきた!
っていうか! なんで俺、こんな高度に打ち上げられて低体温症とか、高山病にならないわけ?! 意味が解らん!!
そろそろ越えちゃいけない境界線でも超えるんじゃねえの? って疑問に思えて来たところで、漸く垂直方向の勢いが弱まり。
ふわりと、胃の辺りが浮かぶ。
は、は……やっと止まった……。
だが、うん。喜んでいる場合でもなく。
あ、無重力~。
なーんて、楽しむ余裕もなくて。
登った分だけ、当然落ちる。
それが、自然の摂理というか?
「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああ!! 誰かああああああああ!」
もー!! 無理無理無理無理無理無理!
俺、死んだ!!
風が……! 風が風が風が!!
どうにか口を閉じようとしているのに、俺が落ちているせいなのか、上昇気流のせいなのか。
風に煽られてひっくり返った唇の隙間から、風が容赦なく入ってくる!
痛い! マジで痛いってば!
口の中乾いてきて、張り付いた内頬に歯が当たるだけで張り付く!
あっ、なんか血の味がした気がするっ。
うわあああああ! も、許してぇぇぇえええええ!
◇ ◇ ◇
――――王都某所。
貴重な本を多く置くその部屋は薄暗く、常に、直射日光を避けるかのように、上物のレースのカーテンがかけられている。
その部屋には、三つの人影があった。
一つは、その部屋の主。執務机上で腕を組み、戻ってきた自身の手駒をいかにも面白そうに眺めていた。
「それで? だから教会壊したのは不可抗力だって? セレネ。君らしくないね」
「いやいや、だってねえ? ラハト。皆があんなに食いついてくるっていうのも予想外だったし、あの子のペットがあそこまで暴れてくれるって思わなかったんだもの。どうしようもないって」
不満そうに頬を膨らませる姿に、主の男は苦笑を漏らす。
そしてもうひとつ。主の男の前に置かれたソファにどっかりと座り込んでいる黒髪黒目のその男は、露骨に鼻で笑って見せた。
そんな男に反応を示したのは、やはりエルフの男で。
「それより僕としては、とっても驚かされたよ、スクロイ。だって、君と瓜二つの子がいるだなんて思いもしなかったんだから」
ずいと、好奇心に満ちた視線をその姿に向けてのぞきこむ。そんなエルフに、男は不機嫌そうに眉をしかめた。
「……てめえ、勝手に俺と重ねて遊びやがったな?」
「それはほら、それこそ不可抗力ってやつさ」
「セレネ。君はとりあえず報告書を作っておいで。それと、わざとスクロイをからかってやるなって」
「ああ、ごめんごめん。堅物スクロイなんてからかっても、面白くないもんね? 僕は断然、あの子の方が好みだな」
「欲しけりゃくれてやるっつの。さっさと失せろ。目障り」
「はいはーい。全く、君は可愛げもないんだから」
ひょいと肩を竦めると、暗殺者のエルフは颯爽として部屋を出ていった。
その一部始終を見守っていた主の男は、エルフの姿が完全に扉の前から去るのを待って、口を開いた。
「それで、君にその瓜二つって子は、血縁なのかい?」
次にはその質問が来ると解っていたのだろう。男は露骨に眉をひそめた後に、諦めて肩を竦めた。
「ま、そうだろうな。……恐らくそれは、弟だ。最も、向こうもこちらも互いに無干渉。加えてあいつも家を出されているからな。まさか、あのでき損ないの忌み子だったディオが、ここまで活躍しているなんて思うわけがねぇだろ」
「はは。君がそんなに話すなんて珍しいね。何だかんだ言って、気にしていたんだ?」
「はっ! 冗談止してくれ。俺は、あんなゴミクズの事なんざ、知った事じゃねぇよ」
「まあまあ、そういう事にしておこうかな」
くつくつと苦笑をこぼす主に、笑われた当人は喟然として睨め付けた。
「それよりもスクロイ。彼に渡す報酬を『正規で』計算してやって。配達はセレネに任せればいいから」
そして命じられた言葉に、深く溜め息をつく。
「……はいはい。あんたも大概、意地が悪い」
「ふふっ、お褒めに預り光栄だな」




