第41話
翌朝、三家の領主たちが帰る前に、フィリップがエリゼに話があると言ってきた。
城の庭の、人の少ない隅だった。
エリゼは断る理由もなく、立ち止まった。朝の光の中でフィリップが向き合い、少し改まった顔をしていた。
「率直に申し上げます」
「はい」
「エリゼ様のことを、大変尊敬しています。昨日から拝見していて——植物魔法の素晴らしさだけでなく、領民との関係、仕事への姿勢、全てが」
「ありがとうございます」
「我が領でも、農地の立て直しに苦労しております。もし可能であれば、エリゼ様にご協力いただけないかと思っているのですが」
エリゼは少し間を置いた。仕事の話か、と思いかけたとき、フィリップが続けた。
「ただ、お願いという形よりも——もし、ご迷惑でなければ、もう少し深いお付き合いをお願いできないかと」
エリゼは静かに、相手の言葉の意味を確認した。
「深いお付き合い、というのは」
「婚約、あるいはそれに向けての交際を、お願いしたいと思っております」
庭に、少しの間が流れた。
フィリップは真剣な顔をしていた。悪い人ではない、とエリゼは思った。誠実な申し出だった。
「ありがとうございます」
エリゼは答えた。
「とても光栄なお話です。ただ——」
一息ついた。
「私には、もう決まっている人がいます。ですから、お気持ちにお応えすることはできません」
フィリップが少し驚いた顔をした。
「そうでしたか。失礼いたしました」
「いいえ、こちらこそ」
フィリップが一礼して、立ち去った。その背中が遠くなったとき——
「決まっている人……?」
声がした。
エリゼは振り返った。
庭の木の陰に、レイナルトが立っていた。
血の気が上がった。
「聞いていたのですか」
「……通りかかっただけだ」
「全部聞こえましたよね」
「……ほぼ」
エリゼは頭を抱えたかったが、こらえた。
レイナルトが一歩、こちらに来た。
「誰だ」
「え」
「決まっている人、とは。誰のことだ」
いつもの無表情だった。しかしその目が、落ち着いていなかった。昨日から何度か見せていた、あの「落ち着かない顔」だった。
エリゼは少し考えた。
ここで答えてもよかった。しかし——もう少しだけ、待とうと思った。自分の気持ちも、相手の気持ちも、ちゃんと形になってから向き合いたかった。
「……教えません、まだ」
そう言って、エリゼは踵を返した。
「待て」
初めて、そう言われた。
エリゼは足を止めた。振り返ると、レイナルトが三歩分の距離で立っていた。追いかけてきていた。
その顔が、いつもと少し違った。困ったような、焦ったような——この人にしては珍しい、整っていない表情だった。
「……まだ、というのは」
「もう少し待ってください」
エリゼは言った。
「私からも、ちゃんと話します。だから、もう少しだけ」
レイナルトが黙った。しばらくエリゼを見てから、短く息を吐いた。
「……わかった」
それだけだった。
エリゼは今度こそ歩き出した。
背後でレイナルトが動く気配がなかった。まだそこに立っているのだろうと思うと、歩きながら耳が熱くなった。
城の角を曲がったところで、リーナと鉢合わせた。
「奥様、顔が赤いですよ」
「寒いから」
「夏ですよ」
エリゼは足を速めた。




