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必死で尽くしてきた王子に婚約破棄されたので、自分のために生きることにしました  作者: 小林翼


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第12話

 マルタから招待を受けたのは、農作業の帰り道だった。


「今夜、うちで夕飯を食べていかないかい。たいしたものは出せないけど、娘と孫も来るから、にぎやかだよ」


 エリゼが「ぜひ」と答えると、マルタは嬉しそうに目を細めた。


 リーナは「奥様がご領民の家へ……」と最初は戸惑った顔をしたが、「一緒に来る?」と聞いたら即座に「行きます!」と言ったので、二人で連れ立って夕方に向かった。



 マルタの家は、城から歩いて二十分ほどの農村の一角にあった。


 石造りの小さな家で、壁には蔦が這っている。中に入ると、暖炉の火が揺れていて、スープの匂いがした。テーブルの周りに、マルタの娘夫婦と、三人の孫たちが集まっていた。


「いらっしゃい、エリゼ様」


 マルタの娘——三十代の、日焼けした明るい顔の女性——が立ち上がって迎えた。


「ただの『エリゼ』で構いません」


「そうはいきません」


「では、せめてさん付けで」


 娘が少し笑って「……エリゼさん」と言った。



 食事は素朴なものだった。野菜のスープ、黒パン、塩漬けの豚肉、それから今年初めて収穫できたという小さな根菜の煮物。


 その根菜は、エリゼが一番最初に植物魔法をかけた畑から採れたものだった。


「これ、あなたがやってくれた畑から出たんだよ」


 マルタが誇らしそうに言った。


「少しだけど、ちゃんと育った。何年ぶりかねえ」


 エリゼは一口食べた。


 土の味がする、素朴な味だった。それが美味しかった。


「来年はもっとたくさん取れます。今年は土を整えることを優先したので」


「楽しみにしてるよ」



 食事のあと、子どもたちがエリゼの周りに集まってきた。


 七歳くらいの男の子と、五歳の女の子、それから三歳のよちよち歩きの子。三人がじっとエリゼを見ている。


「魔法、見せてよ」


 男の子が遠慮なく言った。


「お花、さかせて」と女の子が続いた。


「こら、お願いするときはちゃんと言いなさい」とマルタの娘が窘めたが、エリゼは「いいですよ」と答えた。


 手のひらを上に向けて、ゆっくりと魔力を集める。指先から光が滲んで、やがてそこに——小さな野の花がひとつ、咲いた。青い、星の形をした花。


 女の子が「わあ」と声を上げた。男の子が目を丸くした。


「もっと!」


「もっと!」


 エリゼは笑いながら、次々と咲かせた。白、黄、ピンク、紫。手のひらの上で、小さな花園ができあがった。



 夜が更けて、城への帰り道。


 街道の脇に、レイナルトとゲルハルトの姿があった。


 二人で並んで、農村の方を見ていた。エリゼとリーナが近づいていくのに気づいたレイナルトが、一言「遅い」と言った。


「すみません、つい長居してしまいました」


「マルタのところか」


「はい。とても楽しかったです」


 レイナルトが何も言わなかった。ゲルハルトがエリゼとすれ違いざまに、小声で「旦那様がずっとここで待っておられました」と言った。エリゼは聞こえないふりをした。



 四人で城への道を歩いた。


 夜空に星が出ていた。辺境の星は、王都で見るよりも多く、低く見えた。


 少し後ろを歩いていたゲルハルトが、レイナルトの耳元で何かを囁いた。


「……領民になついてますね」


 レイナルトが無言だった。


「意外と悪くないかもしれません、あの方」


「余計なことを言うな」


 短い、切り捨てるような返答だった。


 しかしゲルハルトは、主人の横顔をちらりと見て、口の端を小さく持ち上げた。


 エリゼはそれを聞いていなかった。ただ夜空を見上げながら、今夜の子どもたちの顔を思い出していた。花が咲くたびに目を輝かせていたあの顔が、胸のどこかに残っていた。


 来年は、もっとたくさん咲かせてみせよう。


 エリゼは夜空に向かって、静かにそう思った。


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