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28》死神のバク

 エニスの身体の空洞から溢れ出てきたのは、黒い触手のようなもの。ドロリとした複数の触手はくっつき合いながら、その質量を大きなものにしていく。膨れ上がった黒い物体は地下道では収まりきらない。

「なんだこれは……。天井が――崩れるぞ!!」

 瓦礫の雨が降り出す。その真下にいるエニスを引っ張り上げると、へその緒が千切れるみたいに黒い触手は身体から離れる。ああっ! と総身をビクつかせるエニスに、切断してよかったのかと危惧したが、どうやら正解だったらしい。触手が離れると顔色が少し戻っている。

 胸に手を当てると、うっ、と呻くが、心臓は鼓動している。通常時より速いが、それでも生きている。身体の空洞からはまるで黒煙のようなものが揺らいで、それから傷口は塞がった。いったいどういう原理なのか。だが、こんな光景をどこかで見たことがある気がする。『メモリーダスト現象』に少し似ているのだ。

 崩れた瓦礫を能力で防いで、天蓋を見上げる。が、いつの間にやら空に昇っていた太陽は姿を消していて、暗さは地下道の同じぐらいだ。どうやら地下に潜っているうちに、相当の時間を消費したようだ。そしてそこにいたのは、


「――獅子の……《バク》!?」


 雄々しい鬣が凶悪な顎の輪郭をなぞっていて、白い牙が剥き出しになっている。二足歩行しているせいで、ただでさえ巨大な躰がより大きく見えて、蟹の《バク》よりも規格外に大きい。こんなにも巨大な《バク》は初めて観た。長くて太い爪の生えてある手は腕の根元から隆々とした筋肉が山のように盛り上がっている。

 《バク》が消滅した時に、記憶の結晶体が爆散して再結集する現象を『メモリーダスト現象』というが、これはまさにその逆。新たな《バク》が今この場で生誕した瞬間だ。こんなものを目撃したことのある《デバイサー》などいるのだろうか。

「うっ!」

 月の光を浴びながら、闇の空を仰ぎ見ていただけの《バク》がその腕を無造作に振るう。カナルの後方にいた《デバイサー》たちが、それだけで冗談のように吹き飛んでいく。地下道にはくっきりと爪痕が残っている。

「一番隊、下がれっ!」

 ヴァルヴォルテは叫ぶと、誰よりも速く拳銃を引く。しかし、その銃弾が見えない障壁によってバシィ、と弾かれた。なっ、と驚くヴァルヴォルテの足元の石床が隆起すると、そこから木の根がヴァルヴォルテに襲い掛かる。

「くそっ!」

 ヴァルヴォルテの能力は拳銃に当てなければ発動することができない。不意を突かれたヴァルヴォルテは木の根を身体に掠らせてしまう。動きが鈍くなってしまったのは、銃弾を受けきれるだけの障壁を《バク》が展開したからではない。連続で使用した能力に忌避したからだ。

 カナルは心中で首をもたげた不安が的中しているかどうかを確かめるために、瓦礫を能力で投擲する。すると、獅子の《バク》の周囲に氷柱が地面からグワッと突き上がる。柱は壁となって、瓦礫を粉砕した。

「この能力は……」

 威力や大きさが違うとはいえば、これは《灰かぶりの銃弾》の隊員の能力だ。もしやと思った。もしかしたら、《フルハートファミリー》だけの能力だと思い込みたかった。だが、これではっきりした。目前の《バク》は、


「グルマタの《デバイサー》の能力を全て使える」


 しかも、それだけじゃない。ヴァルヴォルテの銃弾を防いだのは、恐らくフローラの能力だ。しかし、その防御力は桁違い。ヴァルヴォルテの本気で撃ちこんだそれを、罅ひとつなく防ぎ切った。

「この獅子の《バク》の源泉は、そこで倒れている死神だよね」

「ヴァルヴォルテ。お前……」

「僕はただこの場でほとんど全員が助かる、恐らく唯一の方法を提案しようとしているだけだよ」

 顔が強張ってしまうのは、ヴァルヴォルテが提案しようとしている救済策が即座に分かってしまったからだ。

「木の根をまとめている根本である幹を切断すれば、木は倒れる。それと同じで、元となっているものを排除すれば、獅子の《バク》を討伐できないにしても、弱体化できる。もしかしたら、複数の能力を使えなくなるかもしれない。だから――」

 エニスの身体に空洞が発生したのは、能力が暴走したからだ。その兆候はなんども最近見てきた。無理が生じるのは当たり前で、三年間もグルマタの《デバイサー》すべての記憶を改竄していたのだ。

 その反動を受けて、抑え続きてきた能力が解放されるのも無理はない。強大過ぎる能力によって生み出された《バク》。そこで疑問に思うのが、どうしてエニスという器一つだけで、《バク》が生まれたのかということ。複数の《デバイサー》の記憶が重なり合ってできたものが、《バク》なはず。それなのにたった一人の《デバイサー》の記憶からできあがった《バク》がどうしてあんなに能力を多用できるのか。

 その答えは、エニスの記憶改竄能力にある。記憶を複数に改竄した記憶を、もちろんエニスも持っている。そのたったの一部分が溢れだしたのが、あの手ごわかった蟹の《バク》や、鎧の《バク》だったに違いない。だが、三年もの間熟成された記憶の本体そのものが今顕現化した。だからこそ、今までの《バク》とは桁違いで。それにエニスの改竄した記憶から生み出された《バク》も、エニスの能力の支配下にあった《デバイサー》の能力を使えるというわけだ。


「そこの死神は今すぐ殺すべきだ」


 《灰かぶりの銃弾》と仲間がなぎ倒されているというのに、ヴァルヴォルテは銃口をエニスに向けている。心の大半を持っていかれたエニスは半眼になりながら苦しんでいるのに、冷静そのもの。しかしエニスを殺させるなんて、

「やらせると思うか」

 カナルの声に、ザッ、と命令も出していないのに、アローンとツキミは二人して立ちはだかる。

「……君たちは一時の感傷に流されて、グルマタを滅ぼすつもりなのかな。分かっているとは思うけど、三年前の『グルマタの惨禍』で僕らが生き残れたのは、そこの死神が気紛れを起こしたからだよ。《バク》にそんな脆弱な妥協を期待しない方がいい。ここで選択を誤ったら本当にみんな死ぬよ。それでも――」

「それでも助けるよ」

 獅子の《バク》の周囲に黒い霧のようなものが渦巻く。それは次第に大きくなっていき、霧は雲になる。地面は足元からバキバキ!! と割れていく。天も地も、今や獅子の《バク》の思い通りだ。

「だってこいつは、もう《フルハートファミリー》の一員なんだから」

 闇の空に浮かぶ巨大な雲から、バリバリッと雷鳴が轟く。めくれ上がった地面からはかつて噴火した火山を思わせるようなマグマが溢れだす。もはや能力などではない。災害そのものが同時に生み出された。そんなものを防げるものなど、この場には――

「……そんなくだらない。理屈にもなっていない言葉で、助かる唯一の道を放棄するなんて考えられない。僕は確実な方法しか選ばない。だから――」


 どんな能力も強奪できるヴァルヴォルテしかいなかった。


 カナル達に降り注ぐはずった雷も、地面から湧いたマグマの能力も一瞬で強奪すると、それを弾丸にして獅子の《バク》へと放つ。ヴァルヴァルテは、悲鳴を上げるように呻く《バク》を睨みながら、

「全隊員に告げる!! 今このときを持って《灰かぶりの銃弾》は、獅子の《バク》討伐のために、一時的に《フルハートファミリー》と共同戦線を結ぶ。そして殲滅対象である獅子の《バク》を全力でもって殺せ!!」

 その声に呼応するように、一番隊以外の《灰かぶりの銃弾》の隊員たちもようやく全ての始まりの場所へと集結しはじめていた。


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