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旧作1-1  作者: 智枝 理子
Ⅱ.王都編
20/45

27

 頭が撫でられる。

 そして、頬に熱を感じる。

「…リリー?」

 目を開く。

「おはよう、リリー」

「おはよう、エル」

 その笑顔が、愛しくて。抱きしめる。

 …あれ?

 リリーの体が熱い?

「え?」

 自分の額をリリーの額に当てる。

 熱い。

 明らかに熱がある。

「馬鹿。気づいてないのか」

 リリーをベッドに押し付けて、布団をかける。

「ん…?」

「今日は寝てろ」

「…でも」

 あぁ、今日の予定では、レイピア作るんだっけ。

「鍛冶屋には俺が言っておくから」

「ごめん」

「謝るのは俺の方だ。ごめん、無理させて…」

「無理なんてしてないよ」

 横たわるリリーの頬に、額に手を置く。

 熱が高い。

「色んなことが起こりすぎて。疲れが出たんだと思う」

「気付いてやれなくて、ごめんな」

 リリーの頭を撫でる。

「謝らないで。嬉しいことばかりだから。まだ、上手く整理できてないんだけど…」

「リリーは、俺の恋人だ」

 リリーの手を取って、口づける。

「うん。エルは、私の恋人」

 その言い方は、ちょっと照れるかもしれない。

「今、氷枕を持ってくるから」

「うん」

 リリーを部屋に残して、台所へ行く。

「おはよう、エル。早いのね」

 キャロルが、朝食のスープを煮込んでいる。

「おはよう、キャロル。…リリーが熱っぽいんだ。氷枕ってどこだっけ」

「昨日も顔が赤かったものね。そっちの棚の奥にしまってあるわ。スープは飲めるかな?ジンジャミエルでも作る?」

「あぁ、頼む」

 氷枕を見つけると、ボールに汲んだ水を空中に散らす。

 散らした水を雪の魔法で冷却し、ボール一杯の氷を作ると、氷枕の中に入れる。

 あ。薬を取ってこないと。

 熱冷ましだけで良いかな。…他の症状は気が付かなかった。

 店へ行って、熱さましの薬を取って戻る。

「エル、これも持って行ってね」

 あたたかいスープと、水差しとコップの入ったトレイを受け取る。

「あぁ」

 戻る途中で、ルイスに会う。

「おはよう、ルイス」

「おはよう。…リリーシア、風邪でも引いたの?」

「ちょっと熱っぽいんだ」

 ルイスは口元に手を当てる。

「…薬の副作用かな」

「薬?」

 そういえば、あれは媚薬だったのか?

 媚薬?

 あれ…。確か、一昨日。カミーユが船酔い止め薬のレシピを持ってきて…。

「あの薬、カミーユに教わったのか」

「うん。良くわかったね」

 やっぱり、ルイスにも何かレシピを渡してたのか。

「なんだったんだ?」

「飲まなかったの?エル」

「飲むわけないだろ。あんな、あからさまにあやしい色」

「なんだ。残念だな」

「媚薬じゃないだろうな」

「媚薬だよ。すごい効くってカミーユが言ってたのに」

 あの馬鹿、何考えてるんだ。

「なんでそんなもん飲ませようとするんだよ?そういえば、リリーにかけたのもお前だったな」

 ルイスが転ぶわけがない。わざと、リリーに薬を浴びせたのだ。

「わからないの?」

「なんだよ」

「じれったいから」

「じれったい?」

「毎日一緒に寝てるのに、何の進展もないなんて、じれったいじゃないか」

「なっ…」

 なんで、自分の子供にそんなこと言われなくちゃいけないんだ。

「だいたい、媚薬って言っても、どっちに使う予定かで変わるだろ」

「どっちって?」

「男女で違うんだよ。両方に効果があるやつもあるけど、強力な効果があるって言うなら、どっちか片方に効く奴だろ」

「リリーシアにかけてエルに飲ませろ、って言ってたから、エル用?」

「それなら、リリーは薬の副作用じゃないってことだ。…カミーユの奴、殴るだけじゃ済まさないぞ」

「この薬、うちの店には置いてないタイプだよね」

「媚薬っていうのは、そもそも男性の治療薬で…。あぁ、この話しは後で。リリーのところに行かないと、スープが冷める」

 ルイスと別れて、部屋に戻る。

「リリー、遅くなって…」

 あれ?眠ってる?

 リリーの傍に行く。

 規則正しい寝息。眠っているらしい。

 サイドテーブルにトレイを置く。新しいタオルを出して氷枕に巻き、リリーの頭の下に置く。

 頬がほんのり赤い。

 早く、良くなると良いんだけど。

 顔にかかる黒い髪を払う。

 頬に口づけると、スープを持って台所に戻る。

「リリー食べられなかったの?」

「いや、寝てたから、下げてきたんだ」

「エルはうつってないの?」

「俺は平気だ」

 キャロルからスープをもらい、ルイスの隣に座って食べる。

「リリーシア、道具を貸してくれる鍛冶屋は見つかったのかな」

 知ってるのか。

「見つかったんだろうな。昨日は鍛冶を手伝ってたみたいだぜ」

「手伝ってた?じゃあ、自分の剣はまだ作ってないの?」

「自分のじゃないよ。俺のレイピアを作るんだ」

「プラチナ鉱石で、レイピア?」

 そういえば、リリーは材料をルイスとキャロルに用意してもらったって言ってたな。

「あぁ」

「聞いたことないよ」

「そうだな。下手したら折れやすくなると思うんだけど。…何か、考えがあるみたいだったな」

 一般に手に入る鉱石の中でも、トップクラスの強度を誇るプラチナ鉱石。

 ただし、扱いが非常に難しい鉱石だ。

 装飾具を作る分には、伸びも良いし理想的な素材だけど。

 その組成から、平たい大きな剣を作るのには向いているイメージがある。刀身がとにかく細いレイピアを作るのには苦労するだろう。

「キャロル、出かけてくるからリリーのこと頼む」

「まかせて。エルの部屋で寝てるのよね?」

「あぁ」

「いいかげん、リリーの部屋の内装、考えてよね」

 あ。掃除だけ頼んで、すっかり忘れてたな。

 どうするかな…。

「考えておく」

 たぶん、忘れそうだけど。


 ※


 職人通り沿いには、鍛冶屋に大工、細工屋などが軒を連ねている。こんなところで薬屋を開いてるのは、珍しいのだろう。

 もともと、あの家も昔は何かの工房だったはずだ。

「エイダ、リリーが行ってる鍛冶屋ってどれだ?」

『アラシッドの工房です』

「…居るのか」

 なんだか久しぶりに声を聞いた気がする。

『昨日はリリーと一緒でしたよ』

 エイダは王都では別行動が多い。

 他の精霊も出かけてることが多いんだけど。

「どこだ?」

『ご近所ですよ。家から一ブロック先の区画にあります』

「本当に近いな。…エイダは、リリーの鍛冶を見てたのか?」

『ええ。リリーは優秀な鍛冶屋です』

「わかるのか?」

『私は炎の精霊ですよ』

「そういえばそうだったな」

 人間に鍛冶…、鉱物や鉱石を加工する術を伝えたのは炎の精霊と言われている。

『あそこです』

 アラシッド鍛冶工房、と書かれた店に入る。

「お客さん、まだ開店前だぜ」

 何人かの職人が、すでに作業をしている。

「お前、エルロックか。こんなところに何の用だ」

「リリーの、リリーシアの代理だ。アラシッドはお前か?」

「嬢ちゃんの代理だぁ?」

 こいつがアラシッドか?

「体を壊して寝込んでる。だから、今日は来れない」

「そうかい」

 職人はすぐに作業に戻る。その、作業台の脇に、レイピアが置いてあった。

 まだ磨かれていない刀身は、表面がざらざらとしている。

「それ、リリーが作ったのか?」

「これは見本だよ。こういう形にするんだとさ」

 レイピアを持つ。

 重いな。実際は、もう少し軽くなるのだろう。

 軽くレイピアを振る。

「少し、重心を剣先よりにして欲しい」

「お前が使うのか?」

「あぁ」

 レイピアを手に取って眺める。

 刀身の長さも丁度良い。俺が昔使ってたレイピアに合わせてくれてるんだろう。

 一回戦っただけで、ここまで正確な長さがわかるなんてすごいな。

 でも、本当に、こんな細身に作れるんだろうか。

「お前、魔法使いだろ?なんでレイピアなんて使うんだよ」

「俺は、ここまですごいのは求めちゃいないんだけど」

 二、三回、振ってみる。

 うん。にぎり心地も悪くない。しっくりくる。

 装飾も美しくて実用的だ。

 見本と言っても、磨けば売り物になるぐらいの価値があるだろう。

 この重さなら、片手剣の方が威力は高そうだけど。

「鍛冶屋のあんたに聞きたいんだけど、プラチナ鉱で、本当にレイピアが作れるのか?」

「俺なら作らないぜ。でも、嬢ちゃんは星屑を混ぜれば、作れるって言ってたな」

「作れるのか?」

「プラチナ鉱の粘性を上げるのには適しているかもしれない。けど、難しいな。下手したら、シルバーよりも硬度は期待できない」

「粘性を上げると、どうなるんだ?」

「加工しやすくなるんだ。その分、プラチナ純正品より硬度は下がる。混ぜ物が増えるほど、劣化するんだよ」

「それなら、別の素材で作った方が良いんじゃないのか?」

「そりゃ最もだが、プラチナ鉱石の最大の特徴は軽いことだ。軽いレイピアを作りたいんなら硬度には目をつぶることだ。でも、ギリギリの量に星屑を調整しりゃあ、もしかすると…。いや、他の職人の技に口出すようなことはするべきじゃないな。お前の信じた職人にゆだねればいい」

 リリーを職人として認めてるのか。

「肉体労働は体が一番だ。今日はゆっくり休むように言ってくれ」

「あぁ」

 鍛冶屋を出る。

『あ、熱かった…』

「大丈夫か?ナターシャ」

 確かに、鍛冶屋は溶鉱炉があって熱いよな。

『外で待っていれば良かったわ』

「そうだな」

 あ。ナターシャと約束があったな。

「グラッツ孤児院に行ってみよう」

『え?今から?』

「何か都合でも悪いのか?」

『いいえ。…いいわ。こっそりやりましょう』

「何言ってるんだ?お前が約束を聞いたんだろ。手伝うから、あの子の前に姿を現してやれ」

『私はエルと契約してるのよ。そんな簡単に姿を見られるわけにはいかないじゃない』

「大丈夫だよ。ナターシャはとてもきれいな精霊だから、その子も喜ぶよ」

 それに、その子も会いたいだろう。雪の精霊に。

『ねえ。もしかしなくても、エルってそういうこと、色んな女の子に言ってるでしょ』

「?」

『リリーが好きなら、そういうのやめた方がいいわ』

「そういうの?」

『ナターシャ、エルにそういう説教は、無駄だよぅ』

『そうそう。散っ散巻き込ませてるくせに、全っ然学習しないんだからさー』

『そう言ってやるな』

「おい、お前ら、どういう意味だ」

『エルは、オイラたちとずれてるんだよ』

『精霊にまで言われるって、よっぽど重症よね。良い?女の子を褒めるっていうのは、女の子を口説いてるのと同じなのよ』

「口説く?カミーユと一緒にするなよ」

『あぁ…』

 ナターシャが絶望的な声を上げる。

『ねぇ。無理だよねぇ』

『なんていうか。大変なのね、みんな』

『ふふふ。楽しいよぉ』

『とにかく、エル。リリーが好きなら、他の女性に、美人とか可愛いとか言わないこと!良いわね?』

「言ってないよ」

『自覚がないことほど、怖いことってないわね』

 なんで、精霊にまで言われなきゃいけないんだ。

『あきらめろ、ナターシャ』

『頑張って』

『え?』

『応援する』

『バニラ。あんた、良い子ね』

 珍しいな。バニラがこういうどうでもいい話しに参加するなんて。

『ナターシャは正しい』

 今のが一番刺さった。

『そうよ。エル、ちゃんと聞いた?』

『ふふふ。困ったねぇ?』

「ちゃんと聞いてるよ」

 バニラの一言は重い。

 って言っても、何が悪いって?

 俺にとってリリーは特別なんだけど。

『そんなエルに朗報よぅ』

「朗報?」

『私とジオでぇ、素敵な技を用意しましたぁ』

「素敵な技?」

 真空と風なんて、根源的に反属性じゃないか。

『ユール、もしかして、あれのこと?』

『そうよぉ。あ・れ。アリシアが、エルをギュってしたやつぅ』

 ギュってしたやつ?

「あの、切れないロープか?」

『正解ぃ』

『うん。あれ、風の力だけじゃなかっただろ?』

 真空の魔法で切れなかった。結局、炎で焼き切るしかなかったからな。

『なんだか、あたしと似たような感じなのよぅ。だから、ちょーっと、ジオと遊んでみたのぉ』

『へへっ。楽しかったなー』

『ジオったら激しくってぇ。…ふふふ。だからぁ、わかる?ジオとぉ、あたしの力で、作るのよぅ』

 だから。お前たちは反属性だろ。反属性同士の力を組み合わせれば消滅する。

「簡単にできるわけないだろ?」

『大丈夫よぅ』

『もしかしたら、リリーもつかめるかもよー』

「なんだって?」

『まず、オイラの力で、エルがいっつも作ってる風のロープの、細い奴をいっぱい作るんだ』

『それからぁ、あたしがそれを吸収しますぅ』

「そうしたら消えるだろ?」

『ふふふ。加減してねぇ』

「なんだそれ…」

 加減すれば消えないのか?

「リリーもつかめるってどういうことだ?」

『問題ぃ。編みあがったものは、どんな属性に帰すでしょうかぁ?』

「属性?」

 まず、どうやって作るのか考えないと。

 合成魔法というのは、メインとなる魔法の属性に帰する。

 たとえば、炎の魔法に回転させた風の魔法を使って炎の竜巻を作れば、その属性は炎になる。というか、炎の力が弱ければ、炎の竜巻にはならずに、ただの風の竜巻になる。

 風のロープを強化するイメージなら、風属性だろうけど、そうじゃないんだろう。

 そもそも、イメージができない。風のロープに真空を与えれば霧散する。俺が風のロープで縛られたら、真空の魔法で相殺するのが定石だ。

 ということは、メインは真空魔法?

 まさか。真空状態のものを存在させるなんてできない。

 真空というのは、自然では作られにくい属性だから、魔力を安定供給し続けなければ消える存在。

 そんなものでロープなんて作ってられない。安定的に存在させるには何らかの媒体が必要だ。

 だから、もし作るとしたら、風の魔法と真空の魔法が均衡した状態で編むのだろうけど。

 でも、それって…。

「まさか、無属性?」

『正解ぃ』

 魔法の概念として存在しない属性。

 そもそも、無属性とは、すでに自然に存在しているもの。人間の魔力に直接関わらないもの。

 攻撃方法で言うなら、一般的な武器による攻撃や、素手による攻撃が当てはまる。広義には、大地の魔法で浮かせた岩で攻撃する方法や、雪崩のような災害も含む。

 リリーがオペクァエル山脈で巻き込まれた雪崩。あれは、もともと自然に作られていた雪を、魔法で強制的に雪崩にした無属性の攻撃と言える。

 相手の魔力に一切働きかけない無属性の魔法なら、リリーにも効果がある?

「魔法で、無属性が作れるなんて」

『難しぃけどねぇ。炎と氷じゃ消えちゃうし、光と闇も、ねぇ?』

『そうだな。光の魔法を闇の玉で閉じ込めたところで、無属性にはならないだろう』

 その方法で作ったとしても、闇が砕けて光の魔法が出るだけだ。

「そうだよな」

 上手く融合させて消えない方法を思いつけたら良いんだけど。

 とりあえず、真空と風のロープは試してみないといけない。

『グラッツ孤児院よ』

 王都の東側郊外にある孤児院。

『今の時間なら、みんな外で遊んでるんじゃないかな』

「詳しいな」

『毎日来てるもの』

「そうか。お目当ての子はいるのか?」

『…居る』

 闇の魔法で姿を隠す。

 木々の茂みを利用して、孤児院の中をうかがう。

『あそこよ』

 仲間の輪から外れて、一人で木陰に居る少年。

「どのタイミングで雪を降らせる?」

『手を上げたら、お願い』

「了解。行って来い」

 ナターシャを顕現させる。

 小さな雪の精霊が、少年に近づく。

 何か話してるみたいだけど、声は聞こえない。

 様子に気づいた他の少年少女もナターシャの近くに寄る。

 ナターシャが、両手を上に上げる。

 そのタイミングで、ナターシャのいる場所に雪を降らせる。

 子供たちの歓声は、ここまで響いてきた。

『大丈夫か?エル』

「あぁ、なんてことない」

『強がり言っちゃってぇ』

『エル、かっこいいー』

 雪を降らせること。

 自然現象を引き起こすのは、かなり魔力を消費する。

『良かったねぇ、子供たち、みんな喜んでるぅ』

「子供か…」

『なぁに?エルも子供欲しくなっちゃったぁ?』

「何言ってるんだよ」

『エルとリリーの子供ならぁ、黒髪にブラッドアイかなぁ』

『きっとくせ毛だろうねー』

「子供が必ず親の形質を受け継ぐとは限らないだろ」

 全く違う色の髪や瞳を持って生まれることだて珍しくない。

 だから、リリーとアリシアが血のつながった姉妹って言われても、信じられないことはないんだ。

 あれ?ってことは、女王は、自分とは何の繋がりもない人間に、王位を継承させ続けてる?

 王位を継承するにあたって、大精霊の契約も継承させるはずなのに…?

「なぁ。もし、子供がいたとして。俺の代わりに子供と契約してくれって言ったら、契約するか?」

『気が早いねぇ』

「…だから、たとえの話しだよ。俺と血が繋がってなくても」

『あたしはぁ、絶対嫌よぉ』

『オイラも』

『論外だ』

『同じく』

『有り得ないですね』

「だよな」

 精霊と契約するのは、お互いに合意があるからだ。

 誰かに頼まれてするのなんて契約じゃない。

『なんでぇ?』

『答えがわかっているのに、何故聞いた?』

「グラシアルの女王はさ。どうやって、大精霊の契約を次の女王に引き継がせてるんだ?」

『そんなのぉ、簡単よぉ』

「簡単?」

『引き継がせなければ良いのよぉ』

「引き継がせないって、」

『初代女王がぁ、ずっと生きてればぁ、問題ないよねぇ?』

 初代女王が?大精霊と契約して、ずっと生き続けてる?

「ずっと生きてる?まさか。不老不死なんて…。女王は、悪魔なのか?」

『ポラリスにぃ、聞いてみたらぁ?』

「なんで?」

『エルも、同じだからぁ』

「同じ?」

―いつか、悪魔に列せられる魂。

『エル、もういいわ。雪』

「え?…あぁ」

 ナターシャに言われて、雪を降らせるのをやめる。

『あんなに降らせて大丈夫なの?自然を壊す魔法って、かなり消耗するんじゃなかった?』

「俺は平気だよ」

 リリーに魔力を渡してた時の方が消耗が激しかったな。

『そう。ありがとう、エル』

 ナターシャは俺の頬にキスすると、体に帰ってくる。

 はっきり雪が降ったとわかるほどに白くなった大地で、子供たちが遊んでいる。

 ナターシャが気にしていたあの少年も、輪に入って一緒に遊んでいた。

「ポラリスのところに行ってみるか」

 あまり、気が乗らないけれど。


 王都の占い屋の看板は、休日の札がかかっている。

 そういえば、今日は十六日で休みだっけ。

 裏口から入ると、ポラリスが水晶の前で椅子に座っている。

「いらっしゃい。エルロック」

 俺が来るの、わかってたみたいだな。

「どうした。座れ」

 言われた通り、ポラリスの前に座る。

 年齢不詳の占い師は、いつも紫色の全身を覆うローブを着て、フードを深々とかぶって目元を隠し、口元も薄い布で隠している。

「何を聞きに来た」

「わからないのか」

「そこまでわかって欲しいのか」

「…来るんじゃなかった」

「心配するな。お前はまだ人間だ。少し、普通の人間より年を取りにくいけれど」

「なんだよ。それ」

「エイダは炎の大精霊だ。その恩恵を少なからず受ける」

「どこが、恩恵だ」

「愛するものと同じ時を生きられないことが、苦痛か」

「うるさいな」

「私を求めろ。そうしなければ、お前の未来は見えないぞ」

「…やっぱり、帰る」

『エル、待ってよぅ』

『何しに来たんだ』

 ポラリスはくすくすと笑う。

「お前の占いが当たらないってこと、証明してやる」

「あぁ。占いなんて、危機を回避するためのものだ。いくらでも私の占い結果をつぶせばいい」

 本当に。苦手だ。

「グラシアルの女王は、悪魔なのか」

「悪魔ではない。悪魔ならば、私が食う」

「また、それか」

「そうだよ。私は悪魔の魂が好物なんだ。お前が悪魔になったら、いつでも食ってやろう」

「悪魔になんてならない」

「そうだな。悪魔になれば、人間を愛すなんてできないからな。お前がまた誰かを愛すことになるなんて想像もつかなかったよ。怖くないのか、エルロック」

―あなたは、大きな力を得る代わりに大切なものを失う運命。

―あなたは周りを不幸にする人間。

―いつか、悪魔に列せられる魂。

「俺はリリーが好きなんだ」

「いつの時代も、運命を切り開くのは愛だからな」

「ふざけやがって」

「ふざけてなどいない。お前は愛によって救われているんだぞ」

「なんだよ」

「東に大河の流れる街。そこで、戦っただろう。あそこでお前は、愛する者を殺すはずだった」

 東に大河…。ポルトペスタで?

 まさか、女の魔法使いをかばったリリーに、俺が炎の魔法をぶつけた時?

「女魔法使いが防御魔法を張ったのに気付いたか?…氷の盾だ。一瞬で消えたが、ないよりましだった。そのおかげで、死ななかった」

 リリーが無事だったのは、あの魔法使いのおかげ?

「皮肉なものだな。愛故にお前と戦い、愛故に、お前の運命を救ったのだから」

 結果、俺が悪魔にならずに済んだというわけか。

「さぁ。聞きたいことを言え」

「…俺は、不老不死なのか?」

「最初に言っただろう。お前はまだ人間だ。…エイダの影響は避けられないが」

「どういうことだ」

「精霊と契約すれば、それがどんな精霊であろうと、必ず影響を受ける。たとえば、炎の精霊とだけ契約しているならば、その人間は炎の属性に近くなる。簡単に火傷しない、程度だがな」

「そんなの、聞いたことがない」

「私の知識に疑問を挟むな。真実だ。…エイダは強い。契約すれば、その恩恵を受ける。並みの精霊の比ではないぞ。何よりも強い、精霊からの恩恵。それが不老。…だから、忠告してやってだろう。食事は必ずしろと」

「どういう意味だ」

「人間らしさを忘れれば、簡単に精霊の力と同化するぞ」

「同化?亜精霊になるってことか?」

「少し違うな。エイダがお前を食わない限り、亜精霊にはならない。精霊の力と同化すれば、完全に不老不死になる。グラシアルの女王のように」

 不老不死って。精霊の力と同化して魔力で生きる存在になるなら、亜精霊と変わらないじゃないか。

「グラシアルは、女王がずっと生き続けているのか」

「答えられないな。他人の運命については語れない」

 言ってるのと同じじゃないか。俺とグラシアルの女王が一緒って。

 つまり、グラシアルでは、氷の大精霊と契約した初代女王がずっと、君臨し続けている…?

「なら、なんで女王の娘が必要なんだ?」

「エルロック。私は何でも屋じゃないぞ。私が話せるのは、お前の運命だけだ」

「知ってるんだろ?」

「他人の運命を語ることはできない」

 他人の運命について知ってしまうと、その人物の運命が狂うから、だっけ。

「一つ、教えておこう」

「何を?」

「私は、運命をそのまま教えることはない」

「どういうことだ?」

「人間は口が軽いからな。私が運命を語ることで、バタフライエフェクトのように世界が変わったのでは困る」

「そんなに、強力なのかよ。運命って」

「人間が生まれた時にかけられる呪いのようなものだ。だから、私は、その時に必要な助言をするだけなのだよ」

「じゃあ、俺の運命も、あの時だけの?」

「過去の予言か。…あなたは、大きな力を得る代わりに大切なものを失う運命。あなたは周りを不幸にする人間。いつか、悪魔に列せられる魂。…そうだな。これは、フラーダリーの為の予言だ」

 散々、頭の中で反芻してきた言葉。

「何か、変わるのか」

「もう一度、見てやろう」

 ポラリスが水晶越しに、俺を見る。

「あなたは、大切なものを失う運命。失えば、永遠に現世をさまよう運命」

 リリー。

 俺はやっぱり、救えないのか…?

「あなたは、愛する者と殺し合う運命」

「殺し合う?」

「未来が二つある」

「二つ?」

「揺らいでいる。はっきりと見えるのは、大切なものを失う運命。けれど、お前があの娘と戦っている姿も見えるんだ。…まだ、未来は決まっていないんじゃないか」

「どっちも、ろくな未来じゃない」

「私は事実しか言わないぞ。これが何を指すのか。どこまで真実なのかは、お前が確かめるしかない。…疲れたな。さぁ、代償を」

 右腕を出すと、ポラリスは注射器を使って、俺の血を抜く。

「なんで、血を欲しがるんだ?」

「生まれつき大きな魔力を保持している人間の血だ。あらゆることに使えるさ」

「呪われた力だ」

「生まれると同時に母を殺し、故郷を失うことになったからか?」

「力なんて要らない」

「…お前は本当に不幸だね。早く悪魔になって、運命を変えれば良いのに」

「冗談じゃない。食われてたまるか」


 ※


 家に帰ると、リリーが台所の、オーブンの前に居る。

 …何やってるんだ?

「リリー?」

「エル」

 リリーがこちらを向く。

「起きて大丈夫なのか?」

「ええと…」

「調子は?」

 リリーの頬に触れる。

 熱い、んだけど…。

「オーブンの傍に居るから、熱いかもしれないけど、もう大丈夫だよ」

「紛らわしいな」

 今朝ほどの熱さじゃないけれど。これじゃあ、熱があるかどうかわからない。

「病み上がりで菓子なんて作って平気なのか」

「うん。簡単なものだから」

「簡単なもの?」

「待って。出してみる」

 リリーがオーブンを開いて、鉄板を出す。

「サブレ?」

「じゃあ、ジンジャミエルサブレだね」

 リリーは手際良くサブレをお皿に移していく。

 ジンジャミエルサブレ?

「食べて良い?」

「まだ熱いと思うよ」

 なら、雪の魔法で冷ませばいいかな。

「魔法で冷ましちゃだめだからね?」

 前もだめって言われたな。

「料理は魔法で冷ましても変わらないのに」

「そんな急速冷却したら、割れちゃうよ」

 割れるのか。

「難しいな」

 菓子なんて作らないから。

 職人技だっていうのはわかるんだけど。

「午後には、鍛冶屋に行ってみる」

 まだ言うのかよ。

「今日は休めって言ってたぞ。力仕事なんだから、病み上がりで無理をしないほうがいい」

「でも、早くレイピアを作って、エルと勝負したい」

 勝負って。そんなに悔しかったのか?

「だから、俺は勝負してるつもりなんてないぞ?リリーに稽古をつけてもらってるんだから」

「一撃も当てられないのに、私が稽古をつけてる気分にはなれない」

「それでも、リリーみたいに強い剣士に相手してもらえるだけで勉強になるよ」

「勉強になっているのは私だ。エルの動きは難しい」

「あんまり、魔法をこういう風に使う奴はいないと思うけど。魔法使いは距離を取って戦うから」

「そういえば、エルって接近戦が多いよね」

「いや、不可抗力っていうか。そういう戦いに巻き込まれやすいんだよ」

 別に、接近戦をしたいわけじゃないんだけど…。

 リリーが笑う。

「オペクァエル山脈の時も、黄昏の魔法使いの時も、亜精霊の時も。私よりも前に出ていたよね」

「そうだっけ」

「うん。本当は、私の方がエルを守らなきゃいけないのに」

「なんだよそれ」

「私は魔法も効かないし、敵から攻撃を受けるなんてしない。私が前衛に居る間にエルが強い魔法を打てば、だいたいの戦闘はすぐに終わるよ。亜精霊の時がそうだった」

 確かに、その通りだ。

「でも、リリーを危ない目に合わせるなんて」

「エル、私を信じてほしい。私は、負けないし傷つかない」

 亜精霊と戦った時に、頬に傷をつけたじゃないか。

「もしも、私が一撃でもエルに当てることができたら、信じてくれる?」

「リリーが本気になったら、敵うわけないだろ」

「それはエルの方だ」

 俺の方?

「エルが本気で私に攻撃を当てようとすれば、私は避けられるかわからない。…それに、エルは魔法使いだ。たとえ私に魔法が効かなくても、あらゆる方法で私の行動を制限できる」

「制限か…」

「あ」

 リリーが慌ててオーブンの扉を開く。

 まだ、菓子を入れっぱなし?全然焼き上がりの時間が違うじゃないか。

 何か意図があるのかな。

 リリーがオーブンからサブレを出す作業を見ながら、右手に風の魔法、左手に真空の魔法を集める。

 風の魔法で細いロープを作り、真空の魔法を糸状に出して…。同じ力にするなら、もう少し。

 それを、丁寧に編み込む。

 ロープはその形を保っている。

 …本当に、できた。

「そっちの、もう冷めてると思うよ」

 リリーの作業が一段落するのを待って、そのロープを、リリーに巻きつけ、締め上げる。

「…あっ」

 あっさり、リリーは縛られる。

 本当に、無属性?

「え?どういうこと?」

「脱出できるか?」

 リリーがもがくと、あっさりロープは切れて、消えた。

「強度に問題があるな。もう少し頑丈に作れたら使えるんだけど」

「今の、魔法のロープ?私、魔法も効く体になったの?」

「それはないだろうな」

 大地の癒しの魔法をリリーに使う。

 淡い光は一瞬で消えた。

「今のロープは、まだ練習中だから」

「…そんなの使われたら、勝てる自信がない」

「使わないよ」

 リリーが最初にオーブンから出したジンジャミエルサブレを口に入れる。

 あ。美味い。

「見た目に魔法使いってばれるような魔法を使ったら、稽古の意味がない」

「どういうこと?」

「セルメアにはちょっとした因縁があって、魔法使いってばれるわけにはいかないんだ。だから、剣士でもある程度通用するように稽古を頼んだんだよ。別に戦いに行くわけじゃないから、本格的にやるわけじゃない」

 もう一枚。

「そうだったんだ。…でも、勝負はやめないよ。私は、片手剣であればいい?」

「あぁ。十分だ。リュヌリアンなんて出されたら、勝算がない」

「なんで知ってるの?」

「ん?」

「剣の名前…」

「自分で言ってたじゃないか」

 ポルトペスタで、ドレスを着せた後。その時に、リュヌリアン―愛剣は絶対に持っていくと。

「そうだっけ…」

 なんか、この流れ、どっかで…。

 あ。

「そういえば、ジョージって、」

「あの、それは、」

「なんで隠すんだ?」

「…言いたくない」

 リリーが寝言で言っていた名前。

 気になる。

「じゃあ、俺が勝ったら教えてもらうかな」

「だめ」

 なんで、そんなに言いたくないんだ。

「だめって言うなら、勝てばいいじゃないか」

「それだけは、お願い」

 なんなんだ?ジョージって。

 そこまで教えてくれないなんて。

「そっちのも、食べて良い?」

「うん」

 後でオーブンから出したサブレを食べる。

 え…。

「美味いな」

 焼成時間の違いは、この為?

「両方美味しいけど、こっちの方が好きだな。香ばしい。焼きの時間の違いで、こんなに変わるのか?」

「うん。サブレの厚さも少し違うけど」

「これ、簡単に作れるものなのか?」

「キャロルが作ってくれたジンジャミエルを練り込んだだけだから」

 そういえば、リリーの為に作るって言ってたな。

 生姜と蜂蜜を煮込んだジャム。

「それだけで?」

 こんなに美味しくなるのか。

「じゃあ、もっと作れる?」

「キャロルのジンジャミエルを使い切っちゃったから、全く同じものは作れないけど…」

「ジンジャミエルを作れば良い?」

 キャロルが作ったのなら、同じものが作れるだろう。

 そう思ってると、リリーが笑う。

「今度、ペッパルカーコルを作ってあげる」

「ペッパルカーコル?」

「スパイスの効いたサブレだよ。きっと、好きだと思う」

 あぁ、聞いてるだけで美味しそうだな。

「コーヒーの菓子はいつ作ってくれるんだ?」

「えっと…。レイピアができたら?」

「楽しみにしてる」

 サブレを口に運ぶ。

 リリーは天才だな。こんなに美味しいものを簡単に作れるなんて。

「エル」

「ルイス」

 ルイスが台所に入ってくる。

「カミーユが来たけど」

「カミーユ?」

 あ。そうだ、あの、媚薬。

 部屋の窓辺に置きっぱなしだ。

「研究室に連れて行け。ルイス、薬のレシピ持ってるか?」

「これだよ」

 ルイスからレシピのメモを受け取り、レシピを見ながら自分の部屋に戻る。

 あれ?これって…。

 どういうことだ?

 精力剤はおろか、興奮剤も何も入ってない。

 その代わり、コーヒーにカカオ、アルコールに花の蜜など、食品や薬草が書いてある。

『へぇ…』

「どこが媚薬だよ」

『媚薬って言えば、媚薬だよぅ』

「でも、民間療法のレベルだ」

『美味しかったぁ?』

「味?美味かったけど?」

『だよねぇ』

「精霊に味覚なんてあるのか?」

 何も食べないのに。

『ないよぉ。でも、人間は大事にするからぁ。そういうのぉ。リリーのお菓子だってぇ、美味しかったんでしょぅ?』

 久しぶりに菓子で美味しいって思ったな。

「精霊にも味覚があれば良いのに」

『ふふふ。エルは優しいねぇ』

 部屋に置いてあった薬を回収して、台所へ寄る。

「リリー、後で食べるから、俺の分取っといて」

 それだけ伝えて、研究室に行く。

「よぉ、エル」

 とりあえず、一発殴らせろ。

「いってぇな」

「これは、なんだ」

「俺特製の媚薬だぜ」

「何が媚薬だ。こんなの、民間療法のレベルじゃないか」

「わかってないな。民間療法は錬金術の始祖だ」

「ふざけやがって」

「あ~あ。ルイスも悩んでたから、せっかく良いレシピをやったのに、飲まないなんて」

 持っていた媚薬を一気に飲む。

「わ、馬鹿!」

「こんなもん、効くわけないだろ?ただのドリンクだ。だいたい、媚薬になる成分なん、て…」

 あ、れ?

 体が、熱い。

「おい、大丈夫か?」

「なんだ、これ…」

 全身がくすぐったい。動悸が激しくなるのがわかる。

 自分で自分を抱えるけれど、自分の手が触れているところですら、感覚が鋭敏になっている。

「お前に見られたらおしまいだから、メモには書いてない成分も入ってるんだよ」

「早く、言え」

 この症状。おそらく、エピネが混ざってるに違いない。神経に働きかける物質。

「まぁ、死にはしない量だから大丈夫だろ」

 カミーユが楽しそうに言って、俺の額に指を当てる。

「っ」

 たったそれだけの力で、後ろにのけぞる。

「エル!」

 倒れそうになったところで、カミーユが俺を抱える。

「まじで、ふざけんなよ…」

 くらくらする。

 なんで、こんなことに。

「エル。…本当、馬鹿だなぁ」

 カミーユは俺を抱えてソファーに運ぶ。

「なんでそう、一気に飲んじまうんだよ」

「さんざん変なもの飲ませ続けたくせに」

 養成所に入ったばかりの頃を思い出す。

「あぁ、あれね。お前も良く飲んでたよなぁ」

 そう言って、カミーユが笑う。

「おかげで甘いものが苦手になった」

「感謝してるのか?おかげって、褒めるときに使うんだぜ?」

「全部お前のせいだ」

 あぁ。やばいな…。

 体が、自分のものじゃないみたいだ。

「全部飲んだお前が悪いんだぞ」

「ルイスには全部飲めって言ってただろ」

「お前がこんな怪しい薬を一気に飲むわけないだろ」

 そこまで、想定済みか。

 ってことは、一口でかなり効果があったってことか?

 だったら、昨日は媚薬が効いていた?

 民間療法も侮れないな。上手くエピネの成分とかけ合わさってるんだろう。

 カミーユなら、作れる。バランスの良い配合で。

 でも、一口しか飲まないってわかってるなら、持続的な効果は期待できない。

 だから、リリーにかけた?

「リリーまで巻き込みやがって」

「リリーシアちゃんには無害だろ?飲んでないなら」

 散々キスしたからわからない。

「で?上手く行ったのか?」

「うるさいな」

 カミーユは笑う。

「本当、お前はわかりやすいよな」

「もう帰れ」

「はいはい。ほらよ」

 カミーユが薬を寄越す。

「それを飲めば、エピネの成分は中和される」

 今、作ったのか。

 もらった液体を飲む。

 あぁ、酷い味だ。

「…お前、学習しろよ」

「あぁ?なんだよ。また変なものでも入れたのか」

「少しは警戒しろって言ってるんだ」

「警戒するようなもの入れてないんだろ?」

 飲み終わった瓶をカミーユに投げつける。

 カミーユはそれを受け取って、机の上に置く。

「本当に、馬鹿な奴。まぁ、元の薬にも副作用はないはずだから、安心しろ」

「はず?」

「お前が実験第一号だ」

 実験も何も。こんなの一体誰に飲ませるつもりなんだよ。

「今度は、俺がお前に毒を盛ってやる」

「おぅ、楽しみにしてるぜ」

 カミーユはそう言って去る。

 去ってから、そう間をおかずにリリーが入ってくる。

「エル、大丈夫?」

「あぁ」

 媚薬を飲んだ直後ほど、悪くはない。

「何か飲む?」

「一緒に居て」

 リリーの手を取る。

「うん」

「膝枕」

 リリーは苦笑して、俺の頭を持ち上げると、膝枕をする。

「カミーユは何か言ってたか?」

「エルが貧血で倒れてるから面倒見てやってくれ、って」

 貧血、ね。

 リリーが俺の髪を撫でる。

 あぁ。落ちつくな。

「エル、大丈夫?」

「キスして」

 …あぁ。気持ち良い。

 甘くて、美味しい。

 後で、たくさん食べよう。

「エル、寝ちゃだめだよ」

「ん…」

「お昼食べてないんでしょ?」

「うん…」

「聞いてる?」


 夢。

 リリーが近くに居るのに、触れることができない。

 リリーは透明なガラスの石に包まれていて、うつろな目だけが、こちらを見る。

 どんなに叩いても壊れない氷。

 そう。これは、ガラスではなく氷だ。

 美しく冷たい、球体の氷。

 リリーは、まるで琥珀に閉じ込められた化石のように、氷と一体になっている。

 こんなに傍に居るのに。

 目の前に居るのに、助けられないのか?

 氷の中のリリーが、口を動かす。

「契約を果たせ」

 契約?契約って、いったい何の…?

「エルロック。待っている」

 待っている?

 だって、俺はここに居て、リリーは傍に居るじゃないか。

 何を待っているって?


「起きて。…エル、」

 目を開く。

「リリー?」

「大丈夫?うなされてたみたいだけど」

 リリーを抱きしめる。

 あぁ、良かった。抱きしめられる。傍に居る。

「エル?」

「変な夢を見た」

 こんな夢を見るのは、女王に対抗する手段がないからだろうか。

 このまま何もしなければ、リリーは死んでしまう。

 リリーが出発してから三年あるとはいえ、時間は着実に迫っている。

「どんな夢?」

「嫌な夢だ」

 焦ってる?

 まだ、焦るような時じゃない。ディーリシアというヒントだってある。

「エル、もう夕方だよ」

「夕方?」

 開いている窓から、夕陽が差し込む。

「そんなに寝てたのか?」

「うん。…大丈夫?私、魔力奪ったりしてない?」

「してないよ」

 リリーにキスをする。

 雪を降らせる魔法で魔力を消費した上に、変な薬を飲んだせいだろう。

 リリーの膝枕が気持ち良かったせいかもしれないけど。

「エル、手紙を預かってる」

 リリーから手紙を受け取る。盗賊ギルドからだ。


 ラ・セルメア共和国、モールモス地方、ウェリン。

 生死は未確定。

 以上、ニヨルドの報告も含む。

 

 ディラッシュのニヨルド港で頼んだ盗賊ギルドからの報告も上がっていたのか。

 手紙と共に地図が入っている。

 ずいぶん、山奥じゃないか。なんでこんな辺鄙なところに?

 ん?未確定?

 未確認、ではなく?どういう言い回しだ?

「レイピアができたら、セルメアに行こう」

「え?」

「ディーリシアの居場所がわかった」

「ラ・セルメア共和国って、南だよね?」

「あぁ」

 セルメアに行くのは初めてだ。どういうルートでウェリンまで行くかな。

「考えさせて欲しい」

「え?」

「行くのを」

「ディーリシアに会うのが怖いのか?」

「そうじゃない」

 何か理由が?

「わかった。それじゃあ、三日後に出発する。それまでに考えておいてくれ」

「行かなくてもいい?」

 どうして。

「だめだ。連れて行く」

「…考えさせて」

「理由は?」

「言えない」

 離れるなんて。置いて行くなんて考えられない。

 だって、せっかく、好きだって。気持ちが通じ合えたのに。

 しかも、このタイミング…。

「一緒に行こう、リリー。離れたくない」

「エル…」

 リリーはうつむく。

「ごめんなさい」

 きっと、こうなったら何を言っても聞かないんだろう。

「わかった。それなら、こうしよう。三日後に、俺と勝負しろ。方法は、昼に言った条件での決闘。俺は、周りに魔法使いってばれるような魔法も、リリーを縛ったロープも使わない。その代り、リリーは片手剣で戦う。リリーが俺に一発でも攻撃を当てられれば、リリーの答えに従う。俺が勝ったら連れて行く。どうだ?」

「エルの、勝利条件は?」

 それは…。

「同じ」

「私に、一撃でも攻撃を当てること?」

「あぁ」

 リリーは顔を上げる。

「わかった。受けるよ」

「受けるのか」

 そんなに行きたくないのかよ。

 っていうか、ポラリスの予言って、このことじゃないだろうな。

 殺し合いなんて絶対しないぞ。

「あの、エルと一緒に居たくないわけじゃないよ、ただ…」

「わかったよ。俺は勝つからな」

 絶対に連れて行く。

 そうじゃないと、また、フラーダリーのように…。

「私も。負けられない」

 本気のリリーと勝負か…。

 これは、訓練でもしないと無理だな。


 ※


「リリー」

「エル、だめ」

 だめって言っても、抵抗しないんだな。

「昨日の続き」

「続き?」

 媚薬のせいなんかじゃない。

 ずっと、こうしたかった。

「ん…」

 リリーを自分のものにしたいって。

 リリーの全部を欲しいから。

 全部、愛したい。

 長い、黒い髪を手に巻き取り、口づける。

 しなやかで、くせのない真っ直ぐな髪。

「綺麗な髪」

「黒い髪なんて。夜の色だ。エルは朝陽の色なのに」

 リリーが俺の髪を手に取る。

「朝陽?」

「だって。朝陽は黄金色だよ」

「黄昏じゃなく?」

「黄昏は茜色だよ」

「そうだな」

 夕方が金色なんて。誰が考えたんだ。

「私はエルの瞳も好きだよ」

「この瞳が、何て呼ばれてるか、知らないのか」

「何て呼ばれてるか?」

 リリーが俺の瞳を見つめる。

 その、輝く黒い瞳で。

「濃い、カーネリアン、かなぁ」

「カーネリアン?」

「火輪石。石の名前だよ」

 火輪って。太陽じゃないか。

「そんなこと、初めて言われた」

 リリーがそう呼んでくれるなら、自分の瞳を嫌わないでいられるかもしれない。

「俺もリリーの瞳が好きだよ」

「黒なんて」

「こんなに輝く黒い瞳を見るのは初めてだ」

「輝く?」

「そう。黒い宝石はないのか?」

「黒い宝石は…」

「あぁ。知ってるのがある。真珠にも黒があったな」

「黒真珠?」

「そう」

 大きくて、きらきらと輝く黒い瞳。

 俺が見たあの黒真珠は、リリーと同じ。

 光に照らされて…。

「イリデッセンス」

「…え?」

「ほら、虹石と同じ」

 光を浴びて七色に煌めく。

「そんなこと、ないよ」

 リリーの肌が、赤く染まる。

「自分の目のことなんて、自分じゃわからないだろ?」

「黒い髪に黒い目なんて、つまらない。私は好きじゃないよ」

「勿体ないな。こんなに綺麗なのに。俺は好きだよ」

 リリーの目元に口づける。

 だって。この輝く黒い瞳も、艶やかな黒い髪も、リリーの白い肌に、良く映えるじゃないか。

 まるで真珠のように白い肌に。

 そういえば、ラングリオンでは、真珠は美しい女性を形容する言葉だったな。

 世界共通なのかな、それって。

「あ…」

「抵抗する?」

「…できないよ」

「どうして?」

「だって私は、エルに抵抗できない」

「それは、良いことを聞いたな」

 でも、一緒には行ってくれないんだろう。



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