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オフライン・シンギュラリティ  作者: つっきー
第二章:観測不可能な少女
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39 深夜のデバッグと、冷徹な詰問

 同日から日を跨いだ深夜二時。

 コンテナハウス内は数十台のサーバーユニットが発する排熱と、マルチモニターの青白い光に支配されていた。

 透はキーボードを叩く手を止め冷めきったブラックコーヒーで渇いた喉を潤した。隣では小夜が宙に浮いたワイヤーフレームのログを凝視しながら思索に耽っている。


「透さん。今日の鈴音さんの件、やはり看過できません」


 小夜が静かに口を開いた。ノイズの混じった彼女の視線が、透の横顔を射抜く。


「彼女の中の残留エピステミオンが、無意識下であなたの『死』を先行読み込み(プレロード)している。これは、私たちが進めている『トロイの木馬』作戦において、予測不能な割り込み処理を発生させるリスクがあります」


「わかっている。だから早苗さんたちに防波堤を頼んだ」

「それだけでは不十分です。透さん、改めて確認させてください。前回の周回で鈴音さんが致命的なバグを起こし、あなたを殺害するに至った『直接的なトリガー』は何だったのですか?」


 小夜の問いに透の指先が微かに反応した。

 最初に彼女に事情を話した時、透は「観測の分散に失敗し、彼女の依存を招いた」という抽象的な説明に留めていた。エンジニアとしてその非論理的で⋯⋯いや違う。1人の男として彼女たちとの生々しい結末を口にすることに無意識の抵抗があったからだ。


「言ったはずだ。彼女の執着が臨界点を超え、解釈不一致を起こしたんだ」

「言葉を濁さないでください」


 小夜は一歩、透に詰め寄った。彼女の周囲のノイズが感情の昂ぶりに呼応してパチパチと激しく爆ぜる。


「あなたは『隠し事は致命的なバグを生む』と言いました。今の鈴音さんのデジャヴを解析するにはあの日、あの時、彼女が『何を目撃して』壊れたのか、その詳細な描写が必要です。パターンを洗い出さなければまた同じ場所で足元を掬われます」


「それは⋯⋯」


 透は小夜の正論に言い淀んだ。

 脳裏に蘇るのはスタジオのコントロールルーム。伊知花の、あの無機質で熱い体温。重なる唇。そして扉の向こうで砕け散ったコーヒー缶の音。


「透さん。答えて」


 小夜の瞳が逃げ場を塞ぐように透を捉えて離さない。

 透は深く、重い溜息をつき、逃れられないログを読み上げるようにポツリポツリと真実を吐き出した。


「伊知花が⋯⋯俺を押し倒したんだ。防衛機構が暴走した結果、彼女は……星川 綺羅々は、俺のすべてを上書きしようとした」


 透の声が、微かに掠れる。


「無理やり、キスをされた。俺の思考がフリーズしているその瞬間を、泉 鈴音に見られたんだ。彼女にとって、俺と伊知花は『清廉な兄妹』でなければならなかった。その解釈が物理的に破壊されたことが、彼女を狂気へと変貌させた決定的な引き金だ」


 沈黙がコンテナハウスを支配した。

 サーバーの駆動音だけが虚しく響き渡る。


 透は恐る恐る、小夜の方を見た。

 そこには、今まで見たこともないような、ひどく冷たい眼差しで自分を見つめる少女の姿があった。


「…………最低ですね」


 小夜の声から温度が完全に消えていた。


「伊知花さんとそんな⋯⋯たとえ不可抗力だったとしても、実の兄妹で。そんな不潔なエラーを放置していたから、世界から拒絶されたんですよ」


 今日、小夜は早苗とのやりとりを、シスコンのレッテルを貼られてしまうのも当然な妹との依存関係を聞いて、そして見ている。

 その時は透の演技だと思っていたが、今よくよく考えてみれば火が無いところに煙は立たない。少なくともそういう関係になり得る状況があったのだろうと結論づけた。


「……ッ!だから言っただろう、不可抗力だと。システム側の強制介入だ」


 透は必死に弁明したが、小夜の冷徹な視線は変わらない。彼女は幽霊のような足取りで透から数歩距離を取り、汚らわしいものを見るかのように、ビニール傘の柄を強く握りしめた。


「理由はどうあれ、あなたがその『ノイズ』を受け入れてしまった事実は変わりません。透さん、私のことは『実数として再定義する』なんて立派なことを言っておきながら、その口で、伊知花さんと⋯⋯!」


 小夜の瞳の奥に嫉妬とも嫌悪ともつかない複雑な光が宿る。

 透が唯一「人間」に戻れる相手として信頼を寄せた小夜。しかし、その彼女から向けられたのは、これまで直面してきたどのシステムバグよりも透の心を深く抉る「拒絶」の眼差しだった。


「⋯⋯それだけですか?」


 追撃するような小夜の冷たい声に、透は息を詰まらせた。


「……ッ!」


「その後鈴音さんがあなたを刺した。そこまでは分かりました。でも、ただの『解釈不一致によるパニック』なら、逆上して刺して逃げるかで終わるはずです。あなたが彼女を『ヤンデレ化した』と表現したからには、その直後に異常な執着行動(プロセス)があったのではありませんか?」


 小夜の指摘は、鋭く的確だった。

 透は視線を泳がせ無意識に口元を覆った。


「彼女の精神が破綻し俺を独占しようとするエラー行動をとった⋯⋯それだけだ。今後の対策を練る上でこれ以上の詳細な描写は不要……」

「隠し事は致命的なバグを生む。あなたが私に言った言葉ですよ、透さん」


 小夜は一歩、さらに透へと距離を詰めた。

 ノイズ越しに覗く彼女の黒い瞳は、純粋な追及の光というよりも、ひどく(くら)く、底知れない執着の火を宿しているように見えた。


「彼女は、刺して動けなくなったあなたに、何をしましたか?どうやって、あなたを独占しようとしたんですか」


 逃げ道は、なかった。

 透は乾いた唇を舐め、胃の奥から這い上がってくる吐き気と自己嫌悪を必死に押し殺しながら、最悪の結末を言語化した。


「⋯⋯倒れた俺の、頭を膝に乗せて、彼女は、恍惚と笑っていた。これならずっと私だけのものだと。そして⋯⋯ッ!」


 言葉が喉に引っかかる。

 言えば決定的に、この目の前の少女からの評価が地に落ちるという確信があった。それでも、言うしかなかった。


「血のついた唇で、キスを、された。俺の意識が途切れる、直前に」


 コンテナハウスの空気が、完全に凍りついた。

 サーバーの排熱音すら遠のくような、絶対零度の沈黙。


 透は自身の魂の奥底まで、すべての汚濁(ログ)を吸い出され、白日の下に晒されたような強烈な精神的ダメージを受けていた。論理という名の装甲が剥がれ落ち、自分がひどく不潔で救いようのない罪人に思えた。


 小夜の顔から微かな表情の揺らぎすらも消え去った。

 その目はもはや単なる「システム監査」の域を超えていた。妹に強引に唇を奪われ、その直後に別の女に刺され、血まみれになりながらまた唇を奪われた男。

 小夜の瞳の奥で渦巻いているのは、軽蔑、嫌悪、そして――隠しきれない、どす黒い『嫉妬』の炎だった。


「⋯⋯妹さんだけじゃなく、他の女の人にも。しかも、刺されて血まみれになりながら」


 小夜の声はひどく静かで、それゆえに恐ろしかった。


「透さん。あなたは私を『たった一人の共犯者』だと言ってくれましたけど。ずいぶんと色んな人に(パス)を繋がれているんですね」


「ちがっ!俺から望んだことじゃない!すべては事象のバグが引き起こした……っ」


「言い訳は不要です。状況の洗い出しは、完全に終わりましたから」


 小夜はピシャリと透の言葉を遮った。

 彼女は幽霊のような足取りで透からスッと距離を取り、ひどく汚らわしいものを見るように、あるいは自分自身の内で暴れ出しそうになる感情を押さえ込むように、ビニール傘の柄を強く握りしめた。


「今後の対策、一人で考えておいてください。私はキャッシュの整理をしてきます」


 小夜はそれだけ言い残すと激しいノイズと共に気配を絶つようにその姿を掻き消した。

 一人残された透は、静まり返った室内で力なく、燃え尽きたかのようにうなだれることしかできなかった。


 あの鉄の血の味と伊知花の熱量。そして、小夜に向けられた氷のような蔑みの目。

 事象を解決するための最強の共犯関係に、かつてないほど生々しく、致命的な「亀裂(ノイズ)」が走った深夜だった。

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